第四話 虐殺の魔王
「あの……貴方は――魔王なんですか?」
クズハラは少し言いづらそうにして問うた。
彼女の言葉が止むと、沈黙が生まれる。
脳内にも声は聞こえず少しの間、静かな空間に小鳥のさえずりが、やけに大きく聞こえる。
ローウェンの口が動いた。
「ああ」
短く、ローウェンの意思が声となって外に現れた。
クズハラの感情に従い、ローウェンの顔に険が浮かぶ。
「……多くの人から恨まれるような悪いこと、したんですか」
「――いや、してない。ないものの証明はできないが俺は何もしてないのは本当で」
「わかりました」
「え……」
クズハラはローウェンの言葉を遮り、彼の口を独占する。
承諾の意を返され、ローウェンは戸惑って無意識に口を動かし声がこぼれる。
「貴方に悪意がないのは見てわかりますから、なんとなく」
「なんとなくってお前」
「崇高なる御神に誓って」
クズハラは度々ローウェンが喋る邪魔をする。
しかし今度の声は、先程より少し低い。
「崇高なる御神に誓って……私はこの命を、血に濡れた獣の魂として、貴方の刃となりましょう。魔の王の御前に相応しき、勇猛な魂を捧げましょう」
かつて信仰していたモノに告げていた誓いとは真逆の言葉を口にする。
その声は不確かな弱いものではなく、明確に硬い意思を示しているものだった。
ローウェンは急な誓いの文言に気圧されてしまう。
《……はあ、わかった。だが、同じ体を共有する身だ。俺のことはちゃんと話そう》
少し呆れた声が脳内に響く。
《俺はもともと、人間や多種族に友好的で平和を求める方針をとる魔王だった。周りの他種族たちも俺を支持してくれて、争いのない日々が続いていた。だが、ある日を境に、その状況が世界ごと反転した。仲間を含め仲の良かった全ての者たちが、俺を憎み、敵視するようになった。記憶も歴史も、事実とは異なって、俺の都合の悪い方向に書き換えられていた。虐殺の魔王、ローウェンにな》
平和的な魔王として過ごしていた時間が、まるでなかったことのように、彼の周りの人間は全てを忘れてローウェンを憎むようになった。
「……それは、魔術か何かのせい、ですか?」
《おそらくはそうなんだろうが、俺の中の全魔力を注いでその術を解こうと試しても効かなかった》
仮にも魔王と呼ばれるものが全力を出してもやぶれなかった。となるとかなり強力なものなのか、それとも術ではない何かなのかもしれない。
「歴史や記憶を世界規模で書き換えることなんて、できるんですか……?」
《複数の術師が命をかければ、おそらくはできるだろうな。感じ取った限り、固く分厚い術のようなものだったから俺一人ではどうやっても術式は破壊できない……だが破壊しない限り俺は、全ての意志ある生物から命を狙われる》
「どうすることもできないってことですか……?」
《ああ。だから俺はこの世界を元に戻すために、俺をはめた奴を見つけ出して、潰す》
ローウェンの言葉を聞いてクズハラは黙り込んだ。
本当に彼は陥れられて危機的状況になっているのかもしれないが、彼は本当に狙われて当然の悪人でクズハラを騙すための嘘をついているかもしれない。
少し間が空き、クズハラはローウェンの口を動かした。
「……なら、私はそのご協力をしますねっ。魔王様!」
クズハラと連動して、彼の顔がにっこりと笑顔になる。
作り笑いや煽る笑みなどではなく、その顔には、ただの嬉しさだけが浮かんでいた。
《お前なあ。俺が嘘をついてお前を引き入れようとしてる可能性だってあるんだぞ?》
「騙されていたら、そのときはその時です!」
《……はあ》
脳内で大きな溜め息が聞こえた。
実際は息など出ていないが、脳内で音だけ溜め息をしたときと同じようなものが出ている。
《……わかった。だが俺の体で『私』って使うのは控えてくれ。とりあえず、お前の記憶から「皮」だけ取ってきてやる》
「? 皮って、なんですか?」
《顔や体のことだ。お前の記憶からお前の体の情報を取ってきて、俺の体から見た目をお前の姿にする》
「えっ、そんなことできるんですか?」
《ああ。まあ、魂は一つの体に二つのままだし、その場しのぎのものなんだがな》
ローウェンは、体が動かせるようになったようで手を握って開く動作を繰り返し、しっかり動かせるかの確認をした。
「少し場所を移動するぞ」
「うわっ!」
ローウェンは周りを見回し歩き出した。
突然動かれて、まだ動作の意識をしていたクズハラは驚きの声を上げ、魂が引っ張られるような状態でついていった。
ローウェンは外にある公共用のドレッシングルームに向かい、中に入る。
中はいくつもの鏡が壁に貼り付けられており、着替えるための個室が複数設けられていた。
ローウェンは鏡の前に立ち手を前に出す。足元に黒い魔方陣が描かれた。
彼が魔術を発動すると同時に魔方陣が光を帯びる。頭から爪先へと徐々に、ローウェンの容姿が変わっていった。
彼の黒髪は青緑のアクアミント色のショートボブヘアに変わる。横髪が伸び、ベージュの横髪と、低い位置で一つ結びにされた同じくベージュの後髪の束ができあがる。
目はローウェンと同じ赤色だが、魔族である彼の目つきの鋭さはなくなる。
身長が縮んでいき、見た目は完全に十八歳の少女クズハラとなった。
変化の様子は鏡越しにローウェンにも見える。彼は鏡に写る少女を見て、少し既視感を覚えた。
――こんな目立つ容姿なら覚えてるはずなのにな。
懐かしいような感覚になり、何か頭の中で引っかかる。しかし何故なのか分からず、ただ目の前の鏡の少女を見つめていた。
《これがお前なのか》
「は、はい……あ」
クズハラが口を開くと、彼女の口からは女性の声、クズハラ自身の声が出た。
彼女は先ほどまでの時間で、自分が喋るときに男性の声が出るのをに慣れてしまったのか急に自分の声が変わって驚いていた。
「凄いですね……体だけじゃなくて声も……」
《体を変えれば喉も声帯も変わる。自分の声が出せて当たり前だ》
「魔術ってすごいですね……」
《これで一旦は俺の皮とお前の皮、使い分けることができる。魔方陣なしで、お前の意識次第で俺の体に変えることもできる。やってみろ》
「あ、はいっ」
クズハラは言われたとおり、ローウェンの体に変わりたい、と頭の中で意思を示す。
すると今度は何かしらの術の光もなく、クズハラの体がローウェンの体になった。
「お、おー。凄い」
口からはローウェンの男声が出る。
クズハラは鏡に近づき頬を軽く押しながら、ローウェンの体であることを確認した。
《ただどちらの体にするにせよ、前のように二人ともが同時に体を動かそうとすると俺とお前の感覚が同化して動きづらくなる。それでいて、俺の体は魔王の体だ。そっちの方が危険度が高くなるから、これからはなるべくお前の体で移動するようにする》
「分かりました。じゃあ戻しますね」
クズハラはローウェンの体から自分の体へと戻す。
身長の差で視界の高低差が生まれ、少しふらつきそうになる。さらにローウェン着ていた服が彼女には大きく、袖もズボンの裾もぶかぶかだった。
ズボンがずり落ちそうなりクズハラは慌ててズボンを掴む。
《その服だとなかなか厳しそうだな……ベルトを締められるだけ締めてみろ》
「あ、はいっ」
クズハラは言われたとおり、腰に巻かれていたベルトの留め具を一度外し、ベルトを締め直す。まだズボンが緩み少し落ちそうな気配はあるが、それでも動くのに支障が出ないようにはなった。
彼女は大きいシャツとコートの袖、ズボンの裾を捲くって長さを調節する。
「これで何とか大丈夫そうです!」
《お前、体小さいんだな》
「ローウェンさんが大きいだけです!」
小さいと言われクズハラは少しムッとして鏡の自分を見つめる。
《そうか。容姿を変えられるとはいえ、お前は早く別に体を手に入れて、俺から出て生きるべきだ》
「え、どうしてですか?」
《どうしてって……俺は魔王で、この世界の全てに敵視されている。さっきみたいに俺に巻き込まれてお前まで命の危機に遭うことが何度もあるからな》
ローウェンの声が脳内で聞こえ、消えていく。
鏡に写るクズハラは、口を閉ざしていた。
しかし、徐々に口角が上がっていく。
「……つまり――いっぱい人を殺せるということですね!」
「はあ!?」
クズハラの思わぬ言動に、ローウェンはつい無意識に彼女の口を動かしてしまい、クズハラの声で驚きを大きく外に放つ。
《っ、すまん》
彼は慌てて脳内で謝罪の声を出す。しかしその声は少し震えていて、未だ感情を抑えきれていない。
続けてローウェンの声が脳内に響く。
《で……お前は何を言ってるだ。戦うんだぞ。命を狙われるんだぞ?》
「はい。それって、最高じゃないですか!」
《なっ》
クズハラは、にこにことしながら平然と言う。
「人の命を狙う輩を返り討ちにできる機会が、たくさんあるということですよねっ」
《お前なあ、勝てるかどうかなんてわからないんだぞ。それに狙ってくるやつが誰しも悪い奴ってわけじゃない》
「……魔王陛下は、お人好しなんですね」
ローウェンの忠告に、クズハラは暗い顔をする。
彼が言っていることは、おそらく彼も経験したことなのだろう。
これまでローウェンは何度も襲われてきた。その相手のなかには悪い者ではない人物もいる。そのたび彼は、悪人ではない者と戦わなければならない状況に追いやられていたのだろう。
《クズハラ》
「はい」
《なるべく、人を殺さないと、約束してくれ。俺からの願いだ》
「……分かりました」
クズハラはローウェンの願いを聞き届け、少し影の落ちた優しい笑みを見せた。
「大丈夫ですよ。なるべく無害な人は殺さないようにします。けれど」
クズハラは、そこで一度言葉を切る。
「貴方が命の危機に瀕した場合は、容赦なく相手を殺します」
鏡の自分をまっすぐ見つめ、中にいる彼へ突きつけるように続きを口にした。
ローウェンが驚く様子はなく、彼は静かにその言葉を受け止めた。
《……お前、すっかり人が変わったな》
「ドラゴンがいたり不思議な術が使えたり、ここは私の元いた世界の定規では測れないところだと思います……それに、あの教えをご教授する方もいらっしゃいませんしね」
クズハラはパパ様を思い出し、少し眉を下げる。
パパ様に開放された喜びも含まれていれば、寂しさも含まれている。また、呆れや悲しさ、悔しさなど様々な感情がごちゃごちゃに入り混じっていた。
《……そうか。俺は少なくとも今は、お前の考えを否定するつもりはない。魔術や精霊術の使い方は追々慣れていけばいい》
ローウェンは自分の意思を脳内で伝える。
彼はあることを思い出して続きを口にした。
《そういえば、お前の皮があれば変装なしでも町中を歩けるし汽車にも乗れるな》
「あの、もしかして魔王としての顔が周りに割れているんですか……?」
《ああ。俺を狙う刺客たけじゃなくて、そこらの一般人にも広く顔を知られちまってる。だからいつも変装したりフードや仮面で顔を隠してるんだ》
「じゃあ、これからは堂々と外を出られますね! 私の顔ですけど」
《まあ、それこそ俺の声を出したらバレるだろうから、なるべく脳内で喋ってクズハラと二人のとき表には声を出さないようにする。お前も俺に話しかけるときは脳内にしろ。じゃないと誰に話しかけてるんだって周りから変な目で見られる》
「そうですね、わかりました」
《顔だけじゃなく、ローウェン・バートライの名前も魔王として広まっているから俺を呼ぶときは「ロイ」っていう偽名を使え》
「あ、はいっ……でも、ローウェ……ロイさんそんなに生きにくい生活していたんですね」
《お前のおかげで少しはマシになったけどな》
少しはマシになった、と言われ、クズハラは自分が思う以上に安堵していた。
ただの人間である彼女からしてみれば、ローウェンは凄い力を持った人物である。
この世界に来たばかりの彼女は、自分のことを無力だと思っていて彼の足を引っ張るのではないかと危惧していた。
今は貢献できているかもしれないが、いずれはお荷物になるかもしれないという不安がクズハラの中で新たに生まれ、彼女はうつむく。
《褒めてんのにそんなシケた面するなよっ。ほら、この世界こと説明してやるから繁華街に行くぞ!》
「あ、はいっ」
そんなクズハラの心情を知ってか知らずか、ローウェンは彼女の体を動かしてドレッシングルームから出た。