第三話 魔術と精霊術
クズハラは走り続け、とにかく遠くへ逃げていた。
しばらくして周りに誰もいないのを確認しながら足を緩め、立ち止まる。
「はあ、は、はあ……」
荒い息を吐き、膝に手を付き地面を見つめる。
先ほどの戦いを思い出し、血の飛び交う様子が脳裏に張り付いて離れない。
「い、いのちを……わ、私、命を……」
《……すまない、俺が動けていたら》
震える声でクズハラは言葉をもらす。
ローウェンの赤い目は、クズハラの感情に支配され揺れていた。
クズハラが以前遥を守るために男たちと交戦したときは、何者かに操られている様子で、そこに彼女の意思はなかった。
しかし先ほどの戦いで初めて、自分の意思で人を傷つけ、殺してしまった。
ローウェンは彼女を気遣うように、脳内で声を上げる。その声は沈んでいた。
しばらくの沈黙が生まれる。
「ローウェンさん」
《何だ?》
クズハラの意思で、ローウェンの口が、少しずつ弧を描いていく。
「見ましたか? あの敵の、顔。殺しに来てるのにまるで殺されるのが怖いみたいな、あの焦った顔」
《お、おう……?》
ローウェンの口から、クズハラ意思を持って、嬉しそうな声がこぼれ出る。
そんな言葉を予想していなかったため、ローウェンは困惑した様子で返事を返した。
「人を傷つけること、殺すこと……神様やパパ様のことで、恐怖に襲われると思っていたのですが……とても、気持ちよかった、です」
《あー……》
クズハラは、殺傷で苦痛や罪悪感にみまわれるかと思っていた。
しかし、今の彼女の中には一切そんなものはなく、それとは真逆のもの、喜びと快感がクズハラの心を支配していた。
彼女の言葉を聞いて、ローウェンは何かを理解したように声を上げる。
《……マズいことしちまったか》
もしかして物凄く厄介なことを引き起こしてしまったのではないかと、彼は小さく呟いた。
ローウェンは一旦頭を切り替え、戦っていたときのクズハラについて考え始めた。
「クズハラ、お前いったい何者だ? 魔力と霊力の反応が出てたが……」
「魔力? 霊力? ……私は普通の人間ですよ」
「じゃあ何で術が使えてたんだ。精霊術だけならまだしも魔術まで……」
クズハラはローウェンの言っていることの意味がわからず混乱する。
そして路地で見たあの赤いドラゴンを思い出し、ある結論にたどり着いた。
「……あの、信じてもらえないかもしれませんが……ローウェンさんの体に取り憑く前に、実は私、死んだんです。死んで目覚めたらローウェンさんの体にいたんですが、でも死ぬ前に私がいたのは、ドラゴンなんていない、魔術も精霊術もない世界で……おそらく私は、こことは別の世界で暮らしていて、死んで別の世界に来てしまったんだと思うんです」
《! ……そ、そうか。いわゆる転生というやつか》
ローウェンは驚くが彼女の考えを否定せず、あっさりと受け入れた。
しかし何故か、彼の声はどこか動揺しているようだった。
「どうかしたんですか……?」
《いや……なんでも。転生ならこの世界で死んだわけではない、死霊ではないし、この世界で戻る体もないってことになるのか……お前のその様子なら俺が知ってることすら知らなそうだから、色々教えることがありそうだな。まずは、術のことを教えておく》
彼はこれ以上踏み込まれないように話題を切り替えた。
それはクズハラも分かっていたが、あえて深追いはせずに大人しくローウェンの言葉を聞く。
《この世界には二つの術がある。俺たち魔族が使う魔術と、精霊や人間・魔族以外が使う精霊術だ。お前はさっきの戦いで、魔術と精霊術を発動していた》
「でも……あの力はローウェンさんのものじゃないんですか?」
クズハラは以前まで魔術や精霊術などない世界で生きてきた。
この体の持ち主が自分ではなくローウェンであるため、彼女は自分が使えた力は、ローウェンのものだと思っていた。
《いや、違う。俺はあの時なぜか体を動かせなかった。その状態では魔術を放つこともできなかった》
「じゃあ、ただ私がローウェンさんの体の力を使っただけ、ってことはありませんか?」
《……魔術に関して言えば、それはあり得るだろうな》
「精霊術は……?」
《無理だ。俺たち魔族は、精霊術が使えない》
クズハラは言いなれない精霊術という言葉に少し詰まりつつ疑問を投げかける。しかしローウェンは即座に否定した。
この世界では、魔族は魔術しか使えない。
精霊術を使えるのは精霊やエルフなどの妖精、人間や魔族以外の生物だけである。
「え、じゃあ私が使った精霊術は……」
《紛れもなくお前のものだ。人間は精霊の試練を乗り越えれば、精霊術が使えるようになる。試練を受けたんじゃないのか?》
「試練なんて全然……そもそも精霊術なんて聞くの初めてです」
精霊たち以外にも、人間は生まれながらに霊力を持っている。しかしそれだけで、人間は精霊術を使うことができない。
術を使えるようになるのは、精霊の試練を乗り越えた者だけである。
仮にクズハラが試練を受けていないにしろ、人間が精霊の試練を受けずに精霊術を使うことは不可能だった。
《何も身に覚えはないのか? 転生する前に、神的ななにかから力をもらったとか》
「い、いえ。そんな物語みたいなことは何も……」
《そうか……精霊術が使えた理由は分からないが、魔術の方も不審な点がある。普通は俺の力で魔術を使ったなら俺の中の魔力が消耗されるはずだ。だが、俺の魔力は減っていなかった》
魔術が発動されたのに対し、必ず術者の魔力が消耗される。
ローウェンの魔力が減らなかったのなら、他に魔力を消耗した者がいるはずである。
「……つまり、魔術を発動したのも、私だと?」
《いや……魔術は、そもそも魔族にしか使えない。仮にお前が人間ではなく魔族だったとしても、魔族は精霊術を使えない。つまり……この世界で魔術と精霊術のどちらも持ってる者は、存在しない》
「えっ」
先ほどの戦いでクズハラが魔術と精霊術を使えたのは、本来あり得ないことなのである。
たとえ人間の魂が魔族の体に取り憑いていたとしても、体の持ち主である魔族が魔力を消費しなければ、二つの術を併用することはできない。
《考えられるのは、お前が異世界から来た異質な人間だからかもしれないな》
「そ、そうなんでしょうか……でも外から来たとは言え、この世界だとただの人間の私は異質どころか『普通』でしかないと思うんですが……」
クズハラは他とは違う存在だと言われてもピンとこず、困ったように眉を寄せる。
「それよりローウェンさん、一つ聞いていいですか」
《なんだ》
「貴方は――魔王なんですか?」
クズハラは少し言いづらそうにして問うた。