正座
黄桜はある場所にて正座させられていた。
正面には腕を組んで仁王立ちする人影が蝋燭の炎に照らされる。
シンシンとした冷たい空気と、蝋燭の揺れる炎が集中力を高めていた。
炎に照らされる木の床に精霊神の女体像。
ここはギルル神殿座禅室。
「遅いよ!」
冷たい空気を吹き飛ばす怒声が部屋に響いた。
正座している黄桜は、それで木製の床が震えているのが良く解る。
「アー ハイハイ ゴメンナサイ。でかい声してんなぁ、焔」
七海と全く同じ顔、同じ服。
違う事と言えば髪がやや赤みがかった黒髪で、神官服が赤いと言う事だ。
今、説教垂れている焔と呼ばれたこの少女も、七海と同じく精霊の巫女で、ギルルの里ではこの二人が巫女をしている。
余談であるが、同じ顔なのは一卵性双生児の双子であるからだ。
「全く、黄桜様はどれ位人を待たせれば気が済むのかなー、かれこれ40分は遅れてる気がするよ。
全く、七海も何やってんだか」
先程の千鳥の様にブスッとした顔を下から見上げる黄桜を「なぁに」と冷ややかな眼で見詰める。
黄桜は腕を組んで何かを味わう顔でウンウン2回頷くと再び焔を見た。
「いやな、先ずはお前も七海みたく可愛い所ねーかなーって見てたんだ」
「うん、『先ずは』の時点で大分失礼だけどそれで?」
「この神殿って結構すきまあるじゃん?
だから調度すきま風がスカートをなびかせてな。可愛いパンツでも履いてないかなーって思ったら、まさか、履いてなかっ……ウゴッ!何をする!」
耳まで真っ赤にして黄桜を一気に踏んづけた。
阿修羅のごとく、そのまま何度でも踏みつける。
「ちょっ、死ぬっ!マジで!スライスチーズみたいになるっ!」
「キモイわっ!死ね!死んでしまえ!チーズの方がまだいいわっ!」
木板はギシギシと揺れるのみ。
スカートに合わせて。
やっと気が済んだのか、踏みつけ地獄から解放された。
黄桜は後頭部をさすりながら上目遣いで焔を見て唇を尖らせる。
「痛ってーな、禿げたらどうするんだっての。
それに良いじゃねえか、どうせその内に、そう言う関係になるんだしよ」
次期里長は巫女を許嫁、つまり妻とする迎える習慣がある。
これは巫女が精霊神に直接遣えている為、里長が巫女と結婚すれば精霊の加護は護られ続けると考えられているからである。
しかし焔は黄桜を睨み付けて、心の底どころか地獄の釜の底にも響く低い声で腕を組んで言ってのけた。
「あ゛?
何、もう一回くらいたいの?黄桜様はマゾだねぇー」
「マジ御免なさい」
身体を捻り軽いフットワークで3歩程下がり、その勢いで空中に身を投げて同時に膝を曲げて地面に付いた途端に土下座する。
そんなアクロバット土下座は一瞬の出来事で、焔はフンと鼻を鳴らすと背を向けて、扉へ歩き出す。
「全く、物事には順番位あるでしょ」
「え、そんじゃ順番守れば良いの?」
嬉々してペカリと顔を上げる黄桜の問いに、まあねと答える焔。
「そんじゃ今からキスしない?」
「ア゛ァン!」
「調子こいてすいませんでした」
頭を上げる速度よりも速く下げる。
その速度は達人でも見切れるか怪しいものだった。
畳と鏡のシンプルな部屋、それ故に雑念は消えて頭が働き身体が上手く動く。
ここはギルル神殿鍛練所。
主に神官が武術を学ぶ場だ。
そこへ一人、胴着を着、鏡に向かって片手を突き出している老人が居る。
白髭はかなり伸びているが、丁寧に手入れされているので寧ろ仙人の様な威厳があり、眼光も正にそれだった。
一瞬で手を上に引き、もう片腕を下に押して足を入れ換える。
だから一瞬で型が変わって、それを繰り返す。
タンと静かな震脚が部屋全体に染み渡った頃に、扉が開いた。
中から出てきたのは黄桜だ。
額には埃が付いている。
「いよぉ、精が出てんねクソジジイ」
「……」
黄桜の方を見ずに老人は鍛練を続ける。
それは虚空に浮かぶ渦潮の如く、老人を中心とした見事な演武となる。
「トコロでジジイ、俺と勝負しない?実は俺さ、さっきジジイみたく禿げが出来そうになってムシャクシャしててよ」
「……」
しかし流水に石を投げても何も変わらない様に、老人も何も変わらない。
黄桜はフゥと一呼吸ついて余裕を作り、上を見て一気に跳び跳ねて足を突き出した。
「挑発は効果なし……か。
なら、このまんまやってやんよ。今日こそ一本取ってやらあ!」
演武の最中の出来事だった。
老人はその跳び蹴りの突き出された足の踵をすくい上げて、半回転し黄桜が腹を上に向けた場面で、身を捻り逆ベクトルから黄桜の腹に掌を当てて一気に床に叩きつける。
腹を押される痛みと床に叩きつけられる痛みで悶絶しそうになった。
見届けると老人は満足そうに髭を擦り、口を開く。
「ふん、精が出ている様に見えんのはお前が鈍いからじゃろ。40分も遅刻しおって。
そしてワシの事は利休師匠と呼べと言ったじゃろが」
黄桜は耳をほじくり、口を台形にして歯を見せたふてぶてしい顔でソッポを向く。
「はー、全く。クソなジジイだからクソジジイで何が間違ってん……痛っ!」
利休は掌に更に力を込めると、黄桜の腹へ痛みが伝わった。
ため息の後、利休はスックと立ち上がり、掌の甲を前に向けた防御の構えを取ると呆れ声を吐き捨てた。
「ほら、さっさと打ち込んでこんかい。ちょいとモンでやるから。
チャランンポランな上にこうも弱くては、まだまだ死ぬわけにはいかんわい」
これでもかと言う程、眉間に皺を寄せる。
実はそれ神経なんじゃないかと思う程の青筋を浮かべる。
黄桜は腹をさする事も忘れてやせ我慢で立ち上がった。
その口は歯を光らせて獲物を狙う肉食獣の様。しかし、笑っていた。
「喧嘩上等じゃねえか。ガチでやってやるから覚悟しろよ?」
黄桜の左手からモヤが溢れ出す。
モヤは身体を離れると桜の花弁の形に散り、花弁の熱は大気を揺らがせる。
「ふん。こんな事に大切な加護を使いおって。まあ、ワシとしては貴様程度なら使う必要もないのじゃがな」
「ほざけっ!」
これがギルルの里に住むギルル族の『精霊の加護』だ。
初めは只のエネルギー体で肉体強化程度(それでも大木をへし折る位なら出来るが)だが、段々と独自の物に変わっていく。
故に、鍛練所の畳と鏡は相応の対策がしてあるが、黄桜のそれは畳を貫き鏡を砕く。
黄桜はこの変化の片鱗を生まれた時から使えた。
潜在能力では里で一番強力な加護、故に次期里長を任されるのだ。
読んで頂きありがとう御座います。