鵺
カツーン、カツーン、カツーン。
静寂の中、硬い靴底と艶やかな石張りのフロアがぶつかり、一定のリズムで足音が響く。
民家にしてはあまりに広すぎるエントランスは社交の用途にも使用されるためだろうか。大きな吹き抜けには、たくさんの燭台ときらびやかなシャンデリアが置かれ、上質な内装を惜しげもなく彩っている。
そんな豪奢な室内には、いくつもの死体が無造作に転がっていた。
その中を滑るように進むと、情報通り地下への階段を発見した。狭い階段はまさに隠し階段と呼ぶに相応しい様相で小さな口を開けている。
フロアの眩い明かりも届かないそこへ、何の躊躇もなく男は入っていった。
先の見えない階段を速度を落とすことなく降りて、そのまま続く薄暗い通路を道なりに進む。
たいして広くない通路の両側には木の棚が壁一面に造りつけられていた。
そこには色とりどりの石が丁寧に並べられ、それらは自ら淡い光を放っている。
棚板は所々何かがぶつかったように崩れているが、床にばらまかれながらも石は不思議な輝きを失わず仄かに道を示していた。
まっすぐに続いた一本道の先で何かが蠢いている。
荒い息遣いで行き止まりの壁を引っ掻くようにしているそれは、年老いた男だった。
目を血走らせ必死に壁を叩いていたが、そこへ容赦なく硬い足音が近付き、ついに逃げるのを諦めた。
老人は恐る恐る振り返り、壁に背中を付けると追跡者に目を凝らす。
石の微かな光ですら逆光となるのか、影のように姿が見えない相手に恐怖は底知れず深くなってゆく。
「た、頼む、殺さないでくれ」
息ともいえる小さな声で命乞いを始めるが、男は全く興味を示さず更に近付く。
「何が、望みだ」
追い詰められた老人は、途切れ途切れになりながらも必死に語り掛けた。
ついに足音が老人の数歩手前まできて、止まった。
「か、金か。いくらだ。金だろ。用意する」
恐ろしさの余り、顔中の筋肉を引きつらせながら、焦点の定まらない目を男に向ける。
影のような男は右手を老人に向けて出した。
老人は男が話に乗ったとでも思ったのか、笑みを浮かべた。
瞬間。
乾いた銃声が響いた。
老人は一瞬硬直したかと思うと、笑みを浮かべたままぐにゃりと冷たい床に崩れる。男は突き出していた銃をコートの内にしまい、既に動かぬ老人には一瞥もくれずに踵を返した。
結局、男はこの屋敷に入ってから全ての命を奪うまで一度も表情を変えることはなかった。
彼はただ仕事をこなす殺し屋だった。
隠し階段を上がり再びエントランスへ戻ると、眩い灯りに照らされて姿が明らかになった。
袖とウエストにベルトの付いた、闇をそのまま織り込んだような黒いロングコートに身を包み、裾を緩くなびらせながら出口へ向かう男は、まだ青年と呼べるほどに若く見える。
コートよりも更に深い夜色の髪の間から覗く瞳は人にはあり得ない色を持ち、地下にあった宝石と同様に自ら光を放っている。
しかし、アメジストのような紫色の瞳からは、何の感情も読み取れない。
「鵺、終わった?」
不意に、何処からともなく声が掛けられた。
鵺と呼ばれた殺し屋の男は歩みを止め、顔だけで振り返る。
いつの間にかエントランスの隅に少年が立っていた。
少年の金色の髪はこの豪奢な空間にあるどの装飾品よりも美しく、上質な絹と見枌うほどのその髪の下には白磁のような肌が広がり、まるで美術品のように全てが整っている。更にその顔の真ん中には春の空のように明るく澄んだ水色の大きな瞳が埋め込まれ、一層その美しさを引き立てていた。
それだけでいかなる者をも魅了してやまない少年は、シンプルな白いシャツを上品に着こなし薄く微笑んでいる。
「ターゲットは地下だ。俺の仕事は終わった」
鵺は少年を一瞥すると、簡単に二言で報告を済ませた。この男には、奇跡に等しい少年の容姿も興味の対象にはならないらしい。
しかし、少年はそんな鵺の様子に笑みを深めて労いの言葉を掛けた。
「お疲れさま。これ報酬」
言葉と共に拳くらいの布袋を放る。鵺はカシャリと音を立ててそれを空中でキャッチすると、何も言わずコートの内へ収め再び出口へ向かって歩き出した。
「次の仕事は2日後。グエル伯爵って知ってる?」
背中に掛けられた声に応えない鵺に対して、何でもないように少年は続ける。
「場所はここから西へ1日くらい行ったとこ。でっかい屋敷だからすぐわかるよ」
優しく語り掛け次の仕事を伝える少年だったが、天使のような表情を変えることなく、続けて悪魔のような恐ろしい言葉を吐いた。
「どれがグエルか分かんなかったら、またみんな殺っちゃっていいよ」
そんな少年を目の当たりにしても鵺は驚く様子も見せず、重そうな音を立てる玄関ドアを開けた。
「わかった」
そしてそれだけ呟くと、振り返ることもなく夜の闇に溶けて消えた。
鵺を見送った少年、ネロは静寂に包まれたエントランスをぐるりと見渡した。
もとは真っ白であったはずの床や壁には所々に深紅の染みができ、先ほどまで人であったものたちが点々と冷たい床に転がっていた。
情報屋である自分や殺し屋である鵺が仕える主は、己の目的のためなら手段は選ばない。
仕事が終わった後にはいつもこんな光景を見た。
主から受ける仕事は、毎回決まって同じような内容だった。それは、希少な魔具の入手。
魔具を実用する魔術師や、貴族がコレクションとして所持しているそれらを奪い取ること。そしてその証拠を残さない為に、目撃者と持ち主を消すこと。
かなり難しい仕事だが、鵺と組むようになってからというもの、全ての仕事を完璧にこなしていた。
そして今回も鵺はあっという間に全員を殺し、あとは自分がゆっくりと指定の石型の魔具を探して持ち帰るだけだった。
初めから、自分の情報収集能力にはかなりの自信があった。だが、それだけでは意味がない。情報は活かせる者がいて初めて価値を認められるのだ。
ネロにとって鵺は絶好のパートナーだった。
「やっぱり凄いなぁ……」
憧れや、尊敬にも近い感情をのせて感嘆の声が漏れた。
「あんなおもちゃみたいな銃ひとつでここまでだもん」
陰から見ていた光景を思い出し、少し興奮しながらその美しい顔を綻ばせる。
「さすが鵺、だね」
クスクスと小鳥が囀ずる様な声が、静寂に包まれた屋敷に響いていた。
鵺は寂れた街道を抜け、近くの町へ入ると店を探した。
特に酒が好きという訳ではないが、いつからか仕事後に酒場へ行くのが習慣になっている。コートに付いたフードを目深にかぶり小さな町を歩くと、ほどなくして目当ての看板を見つけた。
建てつけの悪い簡素な扉を押し開けて中へ入ると、常連らしき男たちが騒ぎながら酒をあおっているだけだった。
既に、深夜と呼ばれる時間帯に差し掛かっている。席は十分に余っていた。
確認するようにフードを深くかぶり直し、一番隅のカウンター席へ座ると酒を注文した。
すぐに目の前へ酒が置かれ、それをゆっくりと味わう。
不意にさっきまで騒いでいた男たちが静かになり、何事か相談するように顔を付き合わせて話しているのを視界の端で確認した。
店に入った時から、ちらちらとこちらの様子を伺っていることにはとっくに気づいていた。
一見すると鵺は優男だ。
そのコートの下にはバネのような鍛え抜かれた筋肉がバランス良く付いているが、それを知る者は既に誰も生きてはいない。
顔を隠し、一人ひっそりと酒を飲む男は格好のカモに見えるのだろう。
男たちは三人。本来、殺し屋の鵺の相手ではない。
しかし、ここで騒がれるのも面倒だった。
残りの酒をぐいっと飲み干し、席を立とうとした。
が、少し遅かった。
男のうち、一番太った小柄な男が意味ありげにニヤニヤしながら鵺の隣の席へ座り、すぐに他の二人もやってきて囲うように立ち塞がると、隣に座った男は気持ちの悪い猫なで声で話し掛けてきた。
「なぁ兄ちゃん、おれたちもぅちっと飲みてぇんだが、手持ちがなくなっちまってよ」
背後に立つ背の高い男とスキンヘッドの男も赤黒いにやけ顔になり、三人は手慣れた様子で鵺に絡んでくる。
「ちょっと酒代、貸してくんねぇかい」
背の高い男が、親しげに鵺の肩に手を掛けて酒臭い息を吐きながら続けた。
「なぁたのむよ、ちゃぁんと返すからよ」
「まぁ、おれたちがおぼえてたらだけどな」
何も反応を返さない鵺を怯えていると解釈した三人は、楽しげに笑う。しかし、いくら待っても返事も動きも帰ってこない。
ついに痺れを切らしたのは背の高い男だった。
「おい、きいてんのかてめぇ!」
肩に置いた手にぐっと力を入れて脅しあげる。いつもならこれで一発だ。
しかし、かなり力を入れて掴んだにも関わらず、目の前に座った男はぴくりともしない。
不気味なその態度に背の高い男は戸惑い、焦りを覚えた。
鵺は、面倒事に関わりたくなかったので無視を決め込んでいた。この程度の相手なら、それで充分だと判断した。
早々に諦めて引くだろう。
しかし、鵺の考えをよそに、酔った男たちは罵声を浴びせながら掴み掛かろうとしてきた。
太った男が掴み掛かろうと出した手を、無意識にかわす。
その時、肩に置かれていた手が当たり、フードを後ろへ払い落とした。
男たちの目の前で髪が柔らかく揺れる。
その色は何よりも黒く、男たちには闇そのものに見えた。
その闇の向こうで輝く妖しい光。
双眸が男たちを睨んだ。
鵺の反応に違和感を覚えていた背の高い男は、顔を土気色に変えると奇声ともいえる悲鳴を上げながら酒場を飛び出した。
スキンヘッドの男は、その場で腰を抜かし涎と涙を溢しながら命乞いを始める。
太った男だけは椅子から転げ落ちながらもわずかに理性を残していられたらしく、震える声を絞り出した。
「ぬ、鵺……?なんで、生きてるんだ……」
鵺は席を立ち再びフードをかぶると、カウンターの内側で柱に抱き付くようにして蹲る店主に向けて、コインを軽く投げた。
床に弾ける高い音だけを残し、鵺は何も語ることなく恐怖で動けない男たちを残して酒場を後にした。




