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COLORS  作者: 和泉 兎
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優しい呪い

「どこへ向かう?」


アルファルドは飛び上がると同時にたずねた。

鵺が霧の谷だと答えると、一度大きく旋回してから方向を定める。

いつしか雨はやんでいた。


暗く厚い雲は割れ始め、隙間から幾筋もの細い光が差し込む。闇の中に降り注ぐそれはまっすぐに大地に向かって手を伸ばし、空と繋いだ。

その光を通るたびにアルファルドの身体は眩く煌めき、ゆったりと雨上がりの空を飛んで行く。

澄んだ空気が、雨と血で汚れた身体を優しく撫でては去っていくのを心地よく感じて、鵺は目を細めた。


雲が次第に薄くなってくると、空は昼の明るさを取り戻した。

遠くの空に青空を見つけ目を向けると、虹が架かっているのに気付いた。

漠然とその景色を綺麗だと思った。

それは無意識に声に出ていたようで、そうだなと低い返事が返ってきた。


それから、鵺は霧の谷へ誘導しながらアルファルドに声を掛け続けた。

傷は治っても失った血が多すぎたようで、次第に羽ばたきは不規則になっていった。

初めはまっすぐだった行路も、今では大きく蛇行している。瞼はとても重そうで、話していないと今にも閉じてしまいそうだった。


途中で休ませてやりたいが、お互いに満身創痍な上に主がいつ追ってくるともわからない。

今はマリーの家まで頑張って飛んでもらうしかなかった。


アルファルドは、人に見つからないようにかなり高いところを飛んでいる。

この高さから落ちれば、お互いにただでは済まないだろう。

意識を繋ぎ止めるために、鵺は何度も名前を呼んだ。


風にかすかに海の匂いを感じると、行く手にトラハの街の彩りが見えた。もう少しだ。

進路を調整して山間を目指す。


谷の手前にある森まで来る頃には、高度はかなり低くなり木々のすぐ上を飛んでいたが、もう人に見られる心配もないだろう。

すでに緑はだいぶ減り、もうマリーの家の目と鼻の先までのところまで来ていた。


しかし、遂にアルファルドは限界を迎え意識を手放した。

羽ばたきを止めた巨体は谷に落ちていく。

鵺もその首へしっかりと腕をまわし、共に落ちる。

ふたりは霧の中へ一緒に吸い込まれていった。


墜落する寸前に意識を取り戻して足掻くように羽ばたき、腹を大地に擦り付けてなんとか着地したアルファルドは、鵺が背中にいることを確認するとしゃがれた声で呻いた。


「すまない。ひどい眠気に我慢も限界のようだ」


鵺は声を受けてゆっくりと身体を起こし、大きな背中から飛び降りた。


アルファルドの腹が擦った大地は土が掘り起こされ、胴体着陸の軌跡が尾の先から霧の向こう側まで続いていた。

なんとかマリーの草原へ滑り込むことができたようで、晴れ渡った青い空と鮮やかな緑の草が視界いっぱいに広がっている。

着地はもの凄い衝撃だったのだが、アルファルドにも怪我はないようで、鵺は小さく息を吐くと目元を緩めて声を掛けた。


「ゆっくり休んでろ。寝てるあいだにお前の呪いの解き方も調べてやる」


鵺の言葉に多少目がさめたのか、目を見開いたアルファルドはかすれた低い声で笑う。


「それは、もうよいのだ」


笑いを含んだまま静かに発せられた返事に、鵺はどういう意味かと眉間に皺を寄せる。

しかし、アルファルドはそれに応えることなく逆に問いを返した。


「お前の呪いは解けたのだろう?」


鵺は訝しげな顔のまま頷いた。


「ああ。だから今度はお前の番だ」

「私は自分にかけられた呪いの解き方を知っている」


間髪入れずに紡がれた言葉に、鵺は目をみはった。


呪いの解き方を知っている。

鵺は頭の中で繰り返してその意味を考えた。


いつわかったのだろうか。主のところで何か情報を得たのか。

いろいろと疑問は浮かんだが、今はそんなことはどうでもよかった。


「なら」


早く解こう、と鵺が言い掛けたところで言葉は遮られた。


「そして、それが叶わないこともわかっているのだ」


鵺は、淡々と話すアルファルドに続ける言葉を失った。


「呪いを受けたときからわかっていたことだ」


そこまで言うと、重たい瞼を閉じて柔らかい草に頭を載せた。


「……私の呪いは、解けない」


ガラガラにかすれた声でなんとかそれだけ絞り出すと、アルファルドはついに睡魔に耐えきれなくなり眠ってしまった。


呪いが解けないとはどういうことだろうか。

方法は知っているが、実行することができないということなのか。

鵺は無防備に眠る銀竜を見つめたまま、ひとり静かに考えた。


アルファルドは、自分にかけられた呪いの解き方を初めから知っていると言った。

ならばなぜ、最初にそう言わなかったのだろう。

そうならそうと言えばいいし、それでなくともアルファルドならはっきり言うはずだという気がした。


諦めているからなのか。アルファルドが諦めても、俺は諦めていない。方法などいくらでも探してやるのに。

まさか、呪いを解きたくないのか。

そこまで考えたところで、何か記憶に引っ掛かるものがあった。


鵺は霞んだ記憶を頼りに少しずつ思い出していく。


“その呪い、解きたいか?”

“わからない”


そうだ。

俺も、最初は自分にかけられた呪いを解くのを躊躇っていた。

血を求められることにも、人から恐れられることにも辟易していたのだ。

魔力が無くなれば少しはマシになるのではないかと、淡い期待を持った。

そうしたら、アルファルドが自分も呪われていると言い出したのだ。

例え力を無くしても、それは意味のないことだと諭した。


“お前の分もまとめて解いてやる”

“では私の分も頼むとしよう”


なぜ、あんなことを言ったのだろうか。

あの時、自分の呪いの解き方は知っていると言えばよかったのに、なぜわざわざ任せたのか。


呪いを解くことを決めたときの、どこか嬉しそうなアルファルドを思い出す。優しく見守るような瞳が自分を見ていた。

鵺は、はっと息をのんだ。


アルファルドがやんわりと導いた。

呪いを解く道へ。自分を取り戻すようにと。

鵺はようやく答えに辿り着き、目を見開いた。


だから、わざとあんなことを言ったのか。

乗り気でなかった俺の背中を押すために。


これまで、日常的に騙し騙され生きてきた。

でも、こんなに優しい嘘は知らない。


アルファルドの寝顔を覗き込む。

規則正しい息づかいは安心しきった子どものようだ。

その顔を見つめれば、心は温もりを増した。


閉じられた瞼の下に指先をのばし、そっと触れる。

皮膚の薄いそこは、身体とは比べものにならないくらいに柔らかく、温かい。

鵺は引き寄せられるように顔を近づけ、アルファルドの頬へ唇を寄せた。


忘却の彼方の両親が生まれたばかりの鵺にしたように、願いを込めた優しい呪いを贈る。

目を閉じて、触れるか触れないかの口づけを落とした。


唇にアルファルドの体温を感じた、その刹那。

辺りは銀色の閃光に包まれた。


突然のことに何が起きたのかわからない。

鵺はその光の強さに目を開けることもかなわなかったが、それでもアルファルドを守ろうと腕を伸ばす。

しかし、そこにあるはずの巨体に届くことなく、手は空を切った。

銀色しかない世界の中で、鵺は愕然とたたずむことしかできなかった。


次第に光が収まってくると、少しだが瞼をあけることができた。

まだ光に眩んだままの目を、痛みに耐えて無理やり開く。

やはりまだよく見えない。


でも、それでも。

大きなアルファルドの姿がそこに無いことだけは、わかった。


鵺は視界も整わないまま、今までアルファルドが横たわっていた場所へ一歩踏み出す。

予期せぬ事態になんの言葉も生まれぬまま、さらにもう一歩を踏み出そうとしたところで、爪先が何かにぶつかった。

柔らかいが重い感触に、鵺は目を細めてそれを確認するべく視線を下げる。


つい今さっきまで見つめていた銀色が、そこにあった。間違いなく求めていた色。

でも、それはなめらかな鱗ではない。

艶やかな長いそれはかすかにそよぐ風に揺れ、絹糸のように緩やかに流れて光を振りまいている。

その下には透き通るような白い肌。

鱗などもちろん無く、まるで磨きあげた大理石でできているようにも見える。

それは、どう見ても人間の形をしていた。


髪の間から覗く細いウエストは呼吸に合わせてかすかな動きを繰り返し、安らかに眠っているのがわかった。

アルファルドが眠っていたその場所で、今も草地に横たわり眠り続けているのは、銀竜と同じ色を持った、年若い女だった。

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