雨の戦場
撃たれた順番に立ち昇る紫の炎に、恐れをなして怯む者も少なくはなかったが、それでも意を決して再び鵺に挑むのは、おそらく主が破格の金をかけたためだろう。
次から次へ迫りくるものの中には魔獣まで混ざっていて、鵺は魔弾の出力を上げて一気に燃やした。
魔術師ではないが、武器を持った屈強な男たちも次々襲い来る。
馬鹿でかい斧を両手で握り締め力任せに振り下ろそうとした男は、手を振り下ろす間もなく炎に包まれた。
両手に短剣を逆手に構えた女は飛び掛かった体勢のままやはり燃え、鉄製の見事な鎧を身にまとった騎士のその防具は全く役に立たずに消えた。
鵺は身体を回転させながら、三百六十度へ休むことなく魔弾を撃ち続けた。
右手には銃、左手には常に魔弾のストックを握り締め、次々装填しては駆逐していく。
いたるところで上がる不吉な色の火柱と、人が燃えては跡形もなく消え失せる非現実的な光景に、魔術の心得のない無謀な者たちは恐れをなして逃げ始めた。
退くことを知らない魔獣はすでに全て仕留め、もはや鵺に挑んでくるのは魔術師ばかりとなっていた。
空は暗さを増して、雨は粒の大きさを増す。水を含んだ鵺の艶やかな黒髪は、攻撃を繰り出す度に激しく揺れ動き肌に貼り付いた。
濡れて、いつにも増して黒く見えるその髪の隙間から、光る瞳が覗く。
対した魔術師たちは、自分の間合いを取りつつ鵺の隙を伺うが、それを見つけられる者はいなかった。
鵺は一歩、また一歩と敵の数を減らしながらアルファルドの元へと歩みを進める。
魔術師たちは誰一人、たったの一撃も鵺には当てられずに返り討ちにされていった。
あまりの力の差に、いつしか後ずさっていた魔術師たちだったが、金に目が眩んでか、もしくは正気を失ってか、その内の一人が甲高い奇声を上げて鵺に襲い掛かってきた。
それを好機とみて他の魔術師も魔術を放つ。
死角をついて背後から放たれた氷の飛礫を、鵺は目も向けずに最小限の動きでかわし、正面から迫っていた鞭のようにうねる棘の蔓にぶつけて相殺する。
続けざまに上から落とされた黄色い雷を飛び退いて避けると、そのまま着地する前に身体を捻りながら腕をひと回しして、鵺も魔弾で反撃する。
鵺に仕掛けてきた魔術師たちは、鵺が着地すると同時に燃え上がり消滅した。
それを間近で見た別の魔術師は、鵺の強さに震えを抑えられずへたり込んだ。
鵺は人間の群れを蹴散らしながら、平原を突き進む。
それでも襲い来る魔術師は止まることなく、その数の多さに鵺の息も上がり始めた。
一体どれだけの人数を集めたのか、次から次へと湧き出るように増えていく魔術師に、鵺はわずかに顔を歪めた。
視界の端でネロのいたテントを見る。
そこには、さも楽しそうな顔をした主が何人かの魔術師を従えて立っていた。傍にネロの姿はない。
加齢により真っ白になった長い髪を背中でまとめた主は、大きな布を巻いただけに見える服を身にまとい、髪と同じ色の顎髭を手で撫でている。
ゆったりとしたその服が本格的に降り出した雨に濡れていないのは、控えた魔術師が魔術で雨から守っているためだろう。
銀竜を手に入れ鵺も徐々に追い詰めている今、この状況は面白くて仕方がないとばかりに満足げな様子で傍観していた。
絶え間なく飛び交う様々な魔術に、暗闇の立ち込める平原に色鮮やかな閃光が煌めいては消えていく。
数えきれない敵を相手にそれでも少しずつ前へ向かう鵺だったが、次第にその息は弾み、遂にストックしてあった魔弾も尽きた。
素早くポケットから普通の弾丸を取り出して応戦する。
今度は心臓や頭を狙って撃たなくてはならない。
反撃のテンポが落ちた鵺に、魔術師たちはここぞとばかりにたたみ掛けてきた。
グエルを討ったときのように血をそのまま使うことも考えたが、この酷い雨では流されてしまうだろう。
大量に撒けば魔術も使えるだろうが、それは主に血を奪われる機会を与えることにもなる上、失血のリスクが大き過ぎた。
手を考えているうちに、ついに鵺は囲まれてしまった。
魔術師の群れは一定の間合いを残して完全に包囲すると、無言で魔具を向けてくる。
辺りは突然静かになり、雨の音だけが耳に響いた。
まだ、丘から主のテントまで半分ほどしか移動できていなかった。
一向に減らない敵に対して、時間を掛ければ血を流さずとも殲滅できる自信はあったが、アルファルドにそこまでの余裕があるとは思えない。
魔術なしでこれ以上進むのは難しいだろう。
不気味に無言で忍び寄る魔術師たちを目だけで見回すと、ナイフを取り出して刃を手の甲に走らせた。
鮮血が雨に紛れて空を舞う。
魔術師たちは鵺の血を生まれて初めてその眼に映し、感嘆の声を上げた。
じりじりと距離を詰めていた足が、我先に血を手に入れようと鵺に迫る。
鵺が、手から溢れるその血に力を込めて迎撃しようとしたその瞬間、突然声が響いた。
「みんな、動かないで!」
平原一帯に広がったその声に、取り囲む者も鵺も動きを止めて声のする方へ視線を向ける。
そこには主とネロがいた。
ネロは自らの武器であるダガーを手に持ち、主の首に押し当てている。
その後ろには主に付き従っていた魔術師が倒れ込み、冷たい雨に打たれていた。
「鵺をこっちに連れてきて」
ネロの一番近くにいた魔術師は、動揺の色を隠せなかった。
この状況を理解できず鵺に魔具を構えたまま呆然としていたが、ネロの有無を言わさぬ命令に、おどおどしながらも従った。他の魔術師たちは主を人質に取られて、なす術もなく佇んでいる。
成功報酬を貰うためには、依頼主が無事でなくてはならない。鵺を通すために、苛立ちをあらわにしながらも道をあけた。
鵺はネロに不審な目を向けた。
ネロはいつものように笑い掛けることもなく、どこか冷めた目で早く来るようにと鵺に視線を返した。
両側を魔術師で埋め尽くされた一本道を、ゆっくりと踏み出す。
鵺が歩く度に、その手からはぽたぽたと血が落ちた。
濡れた草に赤い雫が弾けて、黒い大地と雨ににじむ。
なんとかそれを手に入れようと、こっそり沿道の何人かが動いたが、地に指を伸ばした矢先に血と共に発火して消えた。
それを目の当たりにして更に手を出すものはなく、魔術師たちは唇を噛んで鵺を見送るしかなかった。
主は、拘束されながらもネロにうるさく喚き散らしている。
「ネロ、お前何を考えておる!」
顔を真っ赤にして唾を飛ばし、横目でネロを睨み付けた。
ネロは何も応えない。
「さては、わしから横取る気か!」
ただでさえ黄色く濁った白目は赤く血走り、黒い瞳には怒りの色しか見えない。
「銀竜の鱗と、鵺の血を!」
主は、欲しくて欲しくてたまらなかった幻の品をようやく手に入れられそうだったその時に、横取りされると気付いたにもかかわらず、己の命が握られているためか全く抵抗しなかった。それどころか身体を拘束する必要もないほど、微動だにもしない。
それでも、考え付く限りの汚い言葉を怒鳴りぶつける主を見て、ネロはたまらず笑みをこぼした。
それは、肯定ともとれる笑み。
そして、どこか侮蔑するような嘲笑だった。
「お、おのれ!」
主は身体だけは従順なままネロを罵倒する。
一体どれだけのレパートリーを持つのか、主の暴言はマシンガンのように止まらない。
ネロは何の感情もこもらない瞳で主を一瞥すると、静かに鵺を呼んだ。
「鵺、早くこっちにきて」
鵺はネロを睨んだまま、目の前まで、歩いてゆく。
数歩を残して向かい合うと、視線が合った。
人を払い、二人のまわりには主以外に誰もいない。
少し弱くなった雨だけが、静かに降り続いていた。
ネロは相変わらずうるさい主を無視したまま、鵺に囁く。
「ごめんね」
鵺はネロの浮かべた表情に目を見開いた。
そして口を開きかけた、その時。
地響きするほどの咆哮が耳をつんざいた。




