罠
鵺は、グエルの屋敷での出来事からアルファルドと話したこと、それからマリーに聞いた話と家へ連れて行く約束をしたこと、他にもこの数日間の全てをネロに話した。
完全に信用した訳ではないが、ネロと組むなら情報は共有していた方がいい。良くも悪くも情報屋にはそれが一番の武器になる。
どうせマリーの家には、人間である主やネロが攻め込むことはできないのだ。
些細なことでも覚えている限り全てを伝えた。
半日以上馬で走り、ようやく森を抜けてスズ平原に出た。
もう日は落ちかけて、辺りは柔らかな茜色に包まれていた。
見渡す限りの広大な平原は昼なら大地一面に緑色が敷き詰められているが、今はこの時間帯特有の金色の光を受けて、不思議なグラデーションを持って揺れている。
空には薄くかすれた雲が幾重にも重なり、それぞれが競い合うように様々な色に輝いていた。
鵺はその景色には目も向けないまま、平原の隅に休む場所を決めて馬を木に繋いだ。
そこで簡単な食事を取りながら、ネロと作戦を練る。
まずネロが味方のふりをして主に近付き、鵺は見つからなかったと嘘の報告をする。しかし手掛かりがあったと嘘の情報を流し、戦力を鵺の捜索へ分散させてから、そこを二人で中と外から叩く。
鵺を捕らえるために主の用意している戦力は、相当の数であることが予想できた。それでも始めの数さえ減らせれば、鵺とネロなら楽勝だろう。
殲滅したところでアルファルドを解放し、主の転送魔具を拝借してマリーの家へ向かうことにした。
手筈も決まると、それぞれ仮眠をとるべく木にもたれる。
会話を交わすこともなく、二人は静かな夜を過ごした。
日が昇っても辺りは薄暗いままだった。
空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降りだしそうだ。
鵺は重く湿った空気を切り裂いて、スズ平原を馬で駆け抜けていった。
ひたすらに目的地を目指して前へ前へと走る。ネロも鵺のスピードを落とさないように、速度を保ったまま先行して誘導した。
途中で馬を平原へ逃し、そこからは自分の足で気配を消して走った。
そろそろ主の手の者が探っているかもしれない。
警戒しながら低い姿勢で駆けた。
ネロに促されて、丘の上に立つ大きな木の影に隠れる。
そっと木の向こうの様子を覗くと、いくつかの大きなテントともの凄い数の人がいた。
ローブを着たいかにも魔術師という格好の者から剣士のようななりをした者、どう見ても商人にしか見えないものや魔術など使えそうもないゴロツキまで、実に多種多様な人間がいるのが見えた。
主は鵺を手に入れるために、集められるだけの人数をかき集めたのだろう。
平原に蠢く魔術師たちは、手合わせをしたり座り込んで話したりと、それぞれが自由に過ごしているようだった。
不規則に立ち並んだ、くすんだ白いテントには何の飾り気も無い。
入口の布を大きく開け放して、ひっきりなしに人が出入りしている様子から、テントの中にも相当の人数がいるのがわかった。
人の群れのほぼ中心にはひときわ大きなテントが張られ、尖った屋根部分には赤い旗が立てられていた。緩やかに風に揺れるその旗は、そこが主専用のテントである目印だ。
鵺は状況を確認しながらアルファルドを探していた。
主の性格からして、自らのテントの近くに捕らえているに違いない。
視線を滑らせて銀色の竜を探す。
しかし、目に飛び込んできたその姿は、鵺の記憶に残るアルファルドのものとは異なるものだった。
予想通り主のテントの脇、更に少し奥に、アルファルドがいた。
湿った草の上に、伏せるように横たわる竜。
その色は銀色、ではなく深紅だった。
鵺は言葉を失った。
アルファルドは尾の付け根と両の翼の中心、それに首の付け根に太く長い鉄の杭を打ち込まれ、身体と共に大地をも赤く染め上げていた。
鵺が探し求めていた銀色は、どこにも見えない。
杭の打たれた場所から流れた血が、アルファルドの全身を濡らし、本当の色を全て隠しているのだ。
マリーの家で見た絵、そのままの景色が目の前に広がっていた。
アルファルドは動かない。
鵺は、想像を遥かに越えて酷いその姿に釘付けになったまま、拳を握り締めた。コートの袖から覗く手は、力を込め過ぎてもう白い。
ネロは、そんな鵺の様子を静かに見つめていた。
「鵺」
囁くような声に、鵺はゆっくりとネロへ視線を向ける。その表情は、あきらかに取り乱していた。
顔は振り向いたが、瞳が揺れて視線は定まっていない。
こんな鵺を見たことがなかったネロは、戸惑いながらもできるだけ優しく、でも力強く声を掛けた。
「大丈夫、生きてるよ。鵺は、平気?」
そう言われて初めて、自分が呼吸もしていなかったことに気付いた。
深く息を吐き出し、一度強く目を閉じてから、ゆっくりと開く。
「……ああ」
鵺は、今度はしっかりとネロを見て応えた。
ネロもほっと息を吐いて笑顔を返す。
落ち着きを取り戻した鵺は、再びアルファルドへ視線を送った。
もう動揺はない。
「やるぞ」
鵺がひと言呟くと、ネロは黙って頷いた。
ネロは、丘を降りると魔術師たちに鵺が見つからないように、陣営を回り込んでから、主の元へ向かった。
ネロを見つけた魔術師がネロを主の元に案内している。
丘の木陰から様子を伺う鵺にも、ネロが主のテントに入って行くのが見えた。
あとはネロが嘘の情報を流し、魔術師やゴロツキが減ったところで奇襲をかけるだけだ。
早くアルファルドの元へ向かいたい気持ちを抑えて、今は待つしかない。
しかし、いくら待っても人が動く気配はなかった。
話が難航しているのか。鵺は焦りを覚えながらも、気配を消して待ち続ける。
いつしか平原には小雨が降りだした。細かすぎる水滴は音もたてずに草を濡らしていく。
雨に当たっている実感はないが、コートには弾かれた雨が集まり、耐えきれなくなった雫が下へ滑り落ちた。
主とネロのいるテントへ目を向けたままひたすら待っていると、そこからようやくネロが出てきた。
予定通り、鵺の隠れる丘と反対側へ魔術師を誘導する。
はずだった。
ネロはこちらを向いて、指を指した。
ここからではネロの表情までは見えない。
しかし、紛れもなく鵺が身を隠す木を示し、魔術師たちに声を掛けている。
ネロの言葉を受けた魔術師たちもこちらを指差し、いつしかそれぞれ手に魔具と武器をたずさえてこっちへ駆けてきた。
やられた。
鵺は小さく舌打ちした。
ネロは諜報のプロだ。味方になったと思わせて罠に掛けることなど容易いだろう。
完全に信用していた訳ではなかったが、あのアルファルドの状態を見た後では、多少の心強さを感じていたのも本当だった。
鵺は眉間に深い皺を刻み、手早く銃を構え木の影から姿を現すと、ネロとその前を押し寄せてくる魔術師たちを睨み付ける。
鵺の視線に一瞬ひるんだ魔術師を、丘から飛び出して確実に撃ち抜いた。




