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COLORS  作者: 和泉 兎
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帰り道

草原を囲む霧はただの人除けではない。

その霧に包まれた空間は魔術によって時を止め、朝と夜が交互にやってくるだけで日付が進むことはなかった。

マリーの話によると、この霧を越えればここへ踏み入れた直後の時へ帰ることができるという。

不老の魔術とは即ち、時間をループさせる魔術だったのだ。


高度な魔術は様々な制限や条件に縛られ、対象範囲を限定してこれが精一杯だとマリーは悔しそうに笑ったが、時を操る魔術を完成させた魔術師は他にいない。

彼女は魔女と呼ばれるに相応しい、恐るべき魔術師だった。


鵺はそんなマリーの協力に心強さをおぼえた。

今まで問題はすべて自分の力で解決してきた鵺にとってその気持ちも未知のものだったが、例えがたい感情を胸に押しとどめ霧の中へ踏み出した。


マリーはせっかく時間が進まないのだから休んでいけばいいと勧めたが、鵺はそれを断ってすぐに帰路についた。

身体は休めても、ここにいる間は時が進まないため、呪いは解けない。

それに戻る先は同じ時だとしても、危険にさらされながら自分を待つアルファルドを思うと休む気にはならなかった。


行きと違い手荷物もなく、また下り坂ということもあって、帰り道はより早く進むことができた。

さらに、空気が濃くなるにつれ、ぼやけていた感覚が戻っていくのも感じ、どんどん速度を上げて駆けるように山を降りると、その日の夜にはトラハに到着した。


予定よりも早く移動できたのと感覚が戻ってきたこともあり、今日は情報を貰った宿屋に泊まることに決めた。

本当は休まずに洞窟へ向かいたい気持ちもあったが、呪いの影響で身体には予想以上に疲労が溜まっている。

いざという時のためにも夜は休む必要があった。

宿屋に入ると、鵺の姿を見つけた女が声を上げて駆け寄ってきた。


「あんた、無事だったのかい!」


激突しかねない勢いでやって来た女を見て、鵺はすかさず指でしっかりとフードを押さえる。


「ああ。あんたのおかげで魔女に会えた」


頷いて答えると、女はあんぐりと口を開けてから笑い出した。


「そうかい、そうかい!そりゃよかったよ」


笑みを顔いっぱいに広げたまま、女は鵺をカウンターへ案内した。


「まさか、本当に会いにいって帰ってくるとは思わなかったよ」


鵺が椅子に腰かけると、その前に酒を置く。


「これはサービスさ。よく戻ってきたね」


後ろの方の席で呑んでいた男が、女将さん俺にもと叫んでいたが、女は相手にすることなく、次々に鵺の前に食べ物を並べていく。男は相手にされずちぇっと毒づいたが、すぐに向かい合って座る男と談笑を始めた。

鵺は出された酒を一口飲み、食事にも手を伸ばしながら話好きな女の話を聞いていた。

女は鵺が露店で一番活きの悪い鶏を買ったことも、その入れ物に高価なアンティークの鳥籠を買ったことも知っていて、一人で吹き出してはまた笑った。

鵺は賑やかな食事に少し眉を寄せたが、それでも不快に感じることはなかった。


食事が済むと、鵺は女に一番安い部屋を頼んで鍵を受け取った。宿代を払いカウンターの横にある細く薄暗い階段を、軋む音を響かせながら上る。

二階の廊下には同じドアがいくつも並び、鍵に書かれた番号の部屋を探して中へ入った。

後ろ手に内鍵を掛け暗い室内を見渡せば、そこは街と海が一望できる広い部屋で、トラハ一の夜景が目に飛び込んできた。

女のいき過ぎのサービスに鵺は目を細めて短く息を吐くと、鵺はようやくコートを脱ぐのだった。




大きな窓から朝日が差し込む頃には、鵺は身支度を整えて部屋を出た。まだ夜が開ける前に熱い湯を浴びたおかげで朝のひんやりとした空気が肌に心地好い。

目が覚め起き上がってみれば、身体は軽く頭もすっきりしていて、もうほとんど呪いは解けているようだった。


暗い階段を降りていけば朝の仕込みをする音が聞こえてくる。

カウンターの横を抜けて、まだ誰もいない食堂を出口へ向かって歩いていくと、それに気づいて後ろから声を掛けられた。


「おや、もう行くのかい?」


厨房から顔だけを出して大げさに驚いた声をあげると、宿屋の女は前掛けで濡れた手を拭きながら食堂へ出てくる。鵺が顔を向けて頷くと、女は短く溜め息を吐いた。


「まったく、こんな朝っぱらに行かなくてもいいだろうに。今どきの若いもんはみんな早起きなのかい?」


どこか呆れたように話す女に、鵺は引っ掛かりをおぼえて聞き返した。


「みんな?」

「ああそうさ。さっき二人連れのお客が発ったとこだよ。ほら、昨日あんたの後ろでいやらしい話をしてたあいつらさ」


記憶を引っ張り出して思い起こす。確かに二人の若い男が顔を寄せて、楽しげに何か算段をたてていた。


「なんでも近くに銀竜がいるとかいう話で、捕まえに行くそうだよ」


鵺は、軽く放たれたその言葉に息を詰めた。


「銀竜なんているわきゃないのに、売ったらいくらになるだの金の話ばっかでさ。あたしゃああいう奴らは好かないね」


尚も女は続けていたが、もう聞いていられなかった。女が気づかぬ一瞬の内に鵺は宿屋を飛び出す。

いつもなら常に周囲に神経を張り巡らし些細な会話も捉えていたのだが、昨夜はまだ本調子でなかったために最も肝心な話を聞き逃していた。鵺は自らの失態に舌打ちをして駆けた。


トラハの街を出て少し行くと、街道から枝分かれした土の道へ飛び込んだ。洞窟へ行くにはこの道から森を抜けるのが最も早い。

鵺は走りながらも、朝露にぬかるんだ大地に真新しい蹄の跡を見てとり、眉間に深い皺を刻んだ。

男たちは馬で先を行っている。鵺がいくら俊足でも、馬の足には追い付けない。

やっと回るようになった頭で冷静に辺りを観察し、状況を整理しながら速度を上げて駆け抜けた。


蹄の跡は道の途中で脇の茂みに向かって途切れ、鵺もその場所から森へ入った。やはりアルファルドの隠れる洞窟へと、迷う事なく向かっている。

森へ入っても自分の行く先へ続くその跡を、鵺は消すように踏み締めてひたすら辿った。


もしかしたらこんなに焦る必要はないのかもしれない。

竜は最強の種族であり、魔力以外にも大きな力を持っている。

その牙と爪だけでも人間など相手にならないだろう。


しかし、鵺は走った。

マリーの本に描かれていた竜の姿が脳裏によみがえり、嫌な感じが拭いきれなかった。


人は己の欲望を満たすためなら悪魔にもなる。

至高の宝を前にして人間がどんな手段にでるか、鵺はその身をもって知っていた。


それに、一番気に掛かっているのは前を行く男たちではない。鵺はもっと厄介な人間を知っていた。

街で簡単に聞ける程度の情報なら、すでにネロは捉えているはずだ。

男たちよりも先に知られているだろうことは、疑いようもなかった。

あとはその情報を得た主がどう動いたかだが、それを考えると嫌な予感はますます強くなるだけだった。


無造作に伸びた木の枝を最小限の動きだけでかわし、一直線に洞窟を目指す。速度についてこれなくなったフードは、いつしか鵺の首もとで風にはためいていた。

こんなにもどかしさを感じたことはない。

息は次第にあがり、口で呼吸を繰り返す。


息を乱せば隙が生まれるのだが、そんなことまで考えている余裕はもうなくなっていた。

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