解ける呪い
幾度となく聞いた言葉。己の身を削ってよこせという、なんとも浅ましい要求。
鵺は不快感をあらわにしてマリーを睨んだ。
正体はやはり気付かれていた。おそらく初めから分かっていたからこそ、血を手に入れるために話を聞いてくれていたのだろう。
「なによ、タダで解いてもらえると思ってたの?」
マリーは交換条件は当たり前でしょ、と付け加えて笑みを深めた。
全てを力に任せて生きてきた鵺にとってみれば、相手を捩じ伏せて何かを得るのが普通のことだった。だが、今回は訳が違う。
呪いの解き方を知るのはマリーだけなのだ。気を損なう訳にも、もちろん殺す訳にもいかなかった。
鵺は奥歯を強く噛んで拳を握った。
返答を待つマリーの笑顔から視線を外すと、青いワンピースが目に入る。その色にアルファルドの瞳を思い出し、胸元をコートの上から押さえた。
鵺の血と同等の価値を持つ銀竜の鱗。力こそ失われているが、それでもその美しさだけで秘宝と呼ぶに相応しい唯一のもの。そこにはそれがあった。
鵺は視線を上げるとまっすぐにマリーに向き直った。
「わかった」
短く応えて胸ポケットから取り出す。
それは、小さなナイフだった。
きっとこういう時のために託された鱗だったのだが、なぜか出すことはできなかった。でも、これでいい。
刃を起こして手の甲に当てる。そして、引こうとした瞬間。
「コーケコッコー!」
突然の鶏の鳴き声に、鵺もマリーも動きを止めた。開けっ放しだった玄関ドアのすぐ外側で、もの凄い勢いで鶏が騒いでいる。
鵺はトラハで買った鶏の存在を思い出すと、びっくりして固まっているマリーをおいて玄関を出た。
鶏はこれまでの落ち着きようが嘘のように鳴き続け、羽を散らして暴れている。鵺は訳がわからずも、とりあえず銅の籠を持って再び家の中へ入った。
中に戻ると、鶏は鳴くのを止めてまた静かになる。
「……なんなんだ」
不可解な鶏の反応に、鵺はわずかに首を傾げて籠を床に置いた。
他の動物に襲われでもしたかと思ったが何もいなかった。それなら腹でも減っているのだろうかと考え、腰ポケットから食料を取り出そうとしたところで、マリーに突き飛ばされた。
「かっ、かわいいー!」
マリーは籠の前に四つん這いになって叫ぶと、食い入るように鶏を見つめ頬を赤らめた。
鵺は不覚にも本の山に激突して紙と本に埋まってしまい、衝撃で舞い上がった紙が降る中、ゆっくりと身体を起こしている。
「なんてかわいい鶏なの……」
うっとりと目をハートにしていたマリーだったが、はっと我に返ると怯えた様子で鵺を見た。鵺はやっと本からぬけ出してコートの裾を払っていたが、視線に気付き顔を上げた。
「ま、まさかあなた、グエルみたいに脅す気なんじゃ……!」
鵺はまたしても意味がわからず、眉間の皺をどんどん深くしていく。
青ざめていたマリーだったが、素早く鶏を籠ごと抱き抱えると、鵺から距離を取って勝ち誇ったように叫んだ。
「このこを人質にしようったって、そうはいかないわよ」
吐き捨てるように言われたセリフに、鵺はつい先ほど聞いたマリーの愚痴を思い出した。グエルは動物を人質にして魔具を奪っていったと言ったのだ。
宿屋の女に言われるまま、理由もわからずに鶏を買いここまで連れてきたのだが、それが交渉手段だったのだと今更ながらに気づいた。
「待ってて、今自由にしてあげるから」
マリーは優しい声で鶏に話し掛けると、籠の扉を開けてそっと外へ出した。
鶏はマリーの腕に抱かれて、やはりおとなしくしている。
「動物をこんな風に扱うなんて、許せないわ」
以前はどんな脅され方をしたのか、怒り心頭のマリーは一つだけ指輪の嵌められた右手を鵺に向けた。
まずい状況になった。魔術を使えない今の状況では魔術師の相手などできない。
それでも鵺は、攻撃に備えて銃に手を掛けるしかなかった。
しかし、その時また鶏が暴れだした。
「きゃああ!どうしたの!」
鶏はバサバサと羽を動かすと、マリーの腕から逃れて床へ飛び降りた。そしてそのまま鵺を背に庇うようにしてマリーに向かって鳴き出す。これには鵺も驚いた。
それでもその驚きはマリーほどではなく、マリーは放心したまま動かなくなってしまった。
鶏は暴れるのをやめて、何かを訴え掛けるようにマリーを見ている。
見つめ合う少女と鶏。
鵺は待つしかない。
「……そう、きみはこのひとが好きなのね」
長い沈黙を越えてマリーが囁いた言葉に、鶏はひと鳴きして応えた。展開においていかれ、傍観していた鵺も鶏を見る。
マリーはがくりとその場に座り込み、大きな溜め息を吐いた。
「あぁもう!これじゃ、私がわるものみたいじゃない!」
腹いっぱい息を吸い込んでそう叫ぶと、鵺を見上げて言った。
「いいわ。このこに免じてタダで教えてあげるわよ」
こうして鵺は、意図せずも鶏のお陰で目的を果たしたのだった。
マリーは近くにあった椅子の上から本と紙をばさりと床へ落とすと、鵺にその椅子へ座るように促し、自分もその前に数冊の本を積んで腰かけた。
鶏はマリーの膝の上で優しく撫でられ満足そうにしている。
「もう一度、腕を見せてもらえるかしら」
鵺はマリーに従って椅子に座ると腕を出した。
マリーは点けたばかりの蝋燭をそこへかざし、慎重に紋様を観察する。
「この模様に何か変化はなかった?」
そう言われ、森で初めて見た時を思い出して比較してみると、模様自体は同じだが色が薄くなっているように見えた。あの時は真っ白な文字がくっきりと浮き出ていたが、今は少し肌の色に近づいて文字もぼやけて見える気がする。
「やっぱりね」
それを伝えると、マリーは何か確信したように頷いて説明を始めた。
「この魔術はね、もともと動物と仲良くなるために作ったものなの。だから動物たちに害の残るようには作ってないわ」
鵺の腕から身体を離したマリーは、蝋燭をテーブルの隅に置いた。
「うちに来てすぐのこは、みんな緊張と警戒心でとても疲れやすくなっているから、それをその魔術で少しのあいだだけ封じて楽にしていたのよ」
マリーは膝に乗った鶏に視線を落として優しく撫でる。
「でも、ずっと感情を抑えるということは逆に負担にもなるわ。心のバランスが崩れてしまうのよ。だから、私はこの魔具を作るときに制限時間を設定したの」
そこまで言うと、テーブルの下をガラクタのように転がっていた透明な硝子瓶に手を伸ばし、拾って鵺に差し出した。その中には少量のピンク色の液体が入っている。
「これに力を込めてみて」
鵺はそれを黙って受け取り、言われるままに力を込める。まだいつもの感覚とはほど遠いが、言われてみれば身体の中から確かに感じるものがあった。
風に揺られて漂う蜘蛛の糸を手繰り寄せるように、ゆっくりとやり方を思い出しながら力を込めていくと、瓶の中の液体が次第に揺れ動き、形を成していった。
「ね、わかったでしょ。もうあなたの呪いは解けてきているのよ」
瓶の中に造形された薔薇の花を指して、マリーは微笑んだ。




