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黒い家  作者: そら07F
175/187

ある日の出来事 黒 番外編⑦

息を殺し

身を隠している

父を欠いた一組の【家族】


それが、

俺達だった



力のない自分達は

身の僅かな震えや、

鼓動の音さえもが

聞こえてしまうかもしれない


そう、

怯え続けるしかない



蹄の音が聞こえるだけで

通り過ぎるだけで

文字通り身を固くする



俺達は結局、

逃げる事は出来なかった


竦んだわけじゃない

勿論、逃げようとはした


だが、逃げようとする度

向かおうとする方向から

逃げてくる者達が居て


それらに惑わされ

右往左往している内に

出産直後で体力の戻っていない母と

元々が高齢で体力のない祖母は疲労し


結果として、

手近な家屋の物陰に

一時的に身を隠すしかなくなった



これが最も悪手なのは

火を見るより明らかだった


ここらの外は、

先程から随分と静かになったとは言え

遠くでは、未だに悲鳴と、怒号、

狂喜の嗤い声が断続的に響く


赤子である妹が泣けば

間違いなく、見つかる


他に逃げる者でも居ない限り

見つかれば狙われ

追い立てられる


赤子を抱いた母と

老いた祖母は

相手がたとえ馬に乗っていなくとも


到底、

逃げられはしないだろう


隠れる事が

【最もの悪手】と言ったが



それは本当だ



一度でも隠れてしまえば

そこから出て、

動くのは難しい


何より精神的に、だ


時間経過と共に

恐怖は瞬く間に肥大化していき

逃げる気力を削いでいく


本来なら

鳥や鹿の群れが逃げるように

逃げる人々に紛れるのが望ましい


敵の人数次第だが

逃げる人々の数が多ければ

取り逃がす可能性は高まる


俺は母達の顔を

それとなく覗き見る



二人ともの

青ざめた表情から、

言うまでもないが

余裕などは全く感じられない


さて…


ここからどうするか



とても最良ではなく

また善手とも呼べないが


次の手は

既に思い付いている


「二人とも…

 よく聞いてー」



俺は、

隠れていた家屋の物陰から

一度外を見渡し

近くに誰も居ない事を確認すると


後は、二人の必死の制止を振り切り

勢いよく飛び出し

そのまま、駆け出した


そうして、もう一度

辺りを見回す

万が一、俺が

家屋から出る瞬間を見られていれば

最早、囮とはなり得ない


そう


【囮】

である


最良ではなく

また最善ですらないが


思い付く限り、悪手の中で

比較的にでも成功率の高い手だ


未だ、

惨劇の谺は

遠くで鳴り止む気配はない



つまり、

【敵】はこの集落を

気の向くままに略奪し、

最後は全滅させる気に違いない


いや【全滅】と言えば

少し語弊があるもしれない


正確には

全滅なんて

【生優しい】ものじゃない


特に女性にとっては

もっと、ずっと酷い

まさに、

この世の【地獄】の様相だ


俺は、この時点では

まだ全力で駆ける事は

極力避けて


周囲を隈無く警戒する事に

全神経を注ぐ


物音の一つも

聞き逃すまいと

感覚を研ぎ澄ませる


【囮】は

すぐに捕まっては意味はない

また【囮】だと

悟られてもいけない


敵の鼻先を掠め

補足された状態を維持しつつ

どこまででも逃げ続ける事で

残してきた母と妹、祖母の

逃走の為の時間を可能な限り稼ぐ


【幸いな事】に

敵は昂揚している

謂わば、視野が狭まっている状態だ


俺の真意である

【囮】である事に気付く可能性は

恐らく低いとは思うけど、

もし不明行動の意図を見破られれば

母達に危険が及ぶ事となる


「ハハハ…」


何とも…

笑ってしまう…


敵は【昂揚している】

敵の【視野が狭まっている】


なんてー


それが、

その代償が


どれ程の量の

命と、血と涙の

結晶なのだろか?


勿論、その全て

見知った者達の物だ


そして、その中には

父も含まれているかもしれないのに



俺は、仇を討つわけではなく

まして、武器を手に取り

抵抗するわけでもない

その全てを【他人事】として切り捨て

あまつさえ利用しようとさえしている



「酷い、人間なんだな…」

口からぽつりと零れた言葉が


俺という人間を

如実に表している




今更になって


手が、脚が

震えている

心臓が高鳴る


選択せざるを得なかったとは言え

死ぬかもしれない状況を前にして

怖くないわけがない



俺は一度、

適当な家屋の外壁を背に

息を整える


深く息を吸って、

吐く


一つ、二つ、


生き残るには

思考を常に透明に保ち

冷静に行動しなくてはならない


繰り返す

三つ、四つ、五つ


たが、一度でも

染まった心には、

恐怖は居座り続け

一向に離れていこうとはしない


決して視界にはない

だが確かにあるだろう地獄が

絶えず邪魔をしてくる


それくらいの事でも

心に決めたはずの覚悟は

いとも簡単に揺らぐ



いっその事






このまま、一人

逃げてしまえばー







そう考えてしまうのは

ごく自然な事である



そうして

揺らいだ結果


そう、深く

考えもせずに


踏み出した

一歩は



あまりにも

不用心で


無自覚で


極めて危険な

一歩となった



その瞬間、

すぐ側


丁度、

今まで俺が背を預けていた

家屋の壁の切れ目から


一頭の馬が

荒い鼻息と共に

現れたのだ


生まれて初めて見た馬という生き物

何か、と考えるより

それ見えた瞬時には

俺の身体は固く

微塵も動けなくなってしまった



無論の事だが、

単に空馬だけが現れた訳ではない



その背には

決して見た事のない人物が乗っている



僅か数十人しかいない

この里では

俺が顔を知らぬ者は


一人としていない


しかし、その者は

一度として見た事のない者だった


それだけでも、考える間もなく

その者が【敵】であると

断定出来る


加えると

この里には、

農耕用に里共用で所有している

少数の牛は存在しているが


馬は一頭もいない


勿論、

騒乱を聞き付けた

通りすがりの善者の可能性もある


しかし、

現れた者の表情を一瞬でも見れば

そんな儚い希望すら

いとも簡単に打ち砕かれる


興奮物質が脳内に満ち溢れ

まるで薬で狂ったように焦点が合っていない

血走った眼は、それでも

確実に俺を補足している


手にした武器、とはいえない

農具には

誰の者とも言えない血が付着している


付着した血は誰の者とは言えないが

図らずも威嚇の為か、

その者が【武器】を振った時に

理解した


乾いていない血が

飛び散る


きっと、この里の

誰かの血である


つまり、目の前にいる

この者は

俺の見知った誰かを殺めたのだ



憎しみ、が沸かない訳でない

その上、この状況は

ある意味では願ったり叶ったりな状況である


当初の目的である

【囮】になる

という目的に沿った

謂わば最高の状況だった


だがー



未だ齢、

十にも満たない

ただの子供が


敵意、殺意とも呼べるそれを

一身に受けて

正気でいられるはずなど

なかったのだ



恐怖に染まり

固まった身体は

指先すら動かす事も儘ならない


そんな俺の目の前で

その者は

馬に合図を送る


大きく嘶き、

敵を乗せた馬が駆け出す


初めて目の当たりにした

その速度は

人のそれとは、とてもじゃないが

比べ物にもならない程に速い



敵の手が、瞬く間に

すぐ目の前まで伸びてくる




漸く我に返った時には

既に、全てが遅かったのだった





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