ある日の出来事 紫と白 番外④
馬に跨がり
少し高めの視線から眺める
見渡す限りの
一面の草原は
言わずもなが、
普段より遠くまで見渡せる
無論、
そうは言っても、
全てを見渡せるわけではない
僅かな起伏もあれば
小高い丘や、少し遠いが森もある
それらは平時であれば
気に留める事もない
丘や起伏も
一度、戦時となれば
ある種の勝利条件とすら成り得る
だからこそ、
この一見なんでもない風景も
記憶する必要がある
勿論、全ては到底無理であっても
記憶の片隅に置いておく必要がある
私の立場から言っても
いつでも見に来れるわけではない
先程まで行っていた
壱識、二彩との定期会合
二つの里と美祭は
もともと、
不仲であるが
今回に限って言えば
とりあえずの
『不可侵協定の継続』は
勝ち得た
あくまでも【とりあえず】
極度の綱渡り感は否めない
私の世代は、交戦を避けて
平穏が保たれるかもしれないが
娘の世代では、
まるっきり
わからない
その為、
限られた機会で
最大限の情報を【遺す】必要がある
そんな時だった
頬を撫でる風に混じる
実に嫌な臭いを感じとる
私は手綱を引いて
馬の方向を変える
そして、
その臭いの原因を見つける
草原の中、
立ち登る一筋の煙
狼煙、合図の類い
その可能性は
すぐにでも排除出来た
何故なら、
合図の類であれば
煙の量を出すため
含水量の多い木材を用いる
その為、立ち登る煙は
大抵は白か灰色となる
対して、見える煙の色味は黒、
想像するに雑多な物を燃やした煙だ
それと、臭い
極めて低い温度で焼かれた
【それ】は
独特の臭いを発する
柳を燃やした時の臭いに類似した
たんぱく質の燃える臭い
私は、
記憶を掘り起こす
煙の発生しているであろう地に
【何が】あったか
たしか……、
七、八世帯
三十人にも満たない集落が
あったはずだー
そこまで考えた所で
隣に来た者の存在に気付く
私は、
その者の名を呼ぶ
「珀」
私に名を呼ばれた者
【珀】は愛称であり
正確ではない
名を琥珀という
その者、その可愛らしい名前とは
似ても似つかない
屈強な身体付きの男性だ
歳は私の三つ上で
今年、三十三になる
昔は身分の違いなど気にせずに
それこそ『腕白に』遊んだものだが
ある時を切っ掛けに
ただの幼馴染みという関係は
終わりを迎えた
今ではー
「領主様、何度も申し上げますが
俺の事は『琥珀』か
近衛隊長とお呼びください」
この通りである
【ある時】とは
私の母だった
前領主が亡くなり
私が領主となった日の事だ
ただ、
「呼び慣れないのだから
仕方ないだろう?
何年の付き合いだと思っている?
だいたい、琥珀が近衛隊長になって
今年で、まだ何年目だ?」
「ぐッ…、そ、そうは言っても…
ですがー…」
痛い所を突かれたように
琥珀は口ごもる
それでも私に対して
反論しようと試みていたので
私は
核心を突いた一言を言い放つ
「この私、領主様を
一体何年の間
待たせたと思っている?」
「……………」
その私の言葉に
琥珀は反論の術を
遂に失ったように
俯いてしまった
私は心の中で
「よし、勝った」と
勝ち誇る
私は、それから
視線を例の煙に移し
自らの中では既に至っている解答の
答え合わせを求める
「琥珀、あれは
どうゆう物だと思う?
葬儀の為の火葬の煙か、或いはー」
「それは、そう思いたいのですか?
だとすれば違います
あれは恐らく…もっと残酷な」
そこまで聞いた所で
私は「そうか」との言葉と共に
馬の視界制限用の布の準備を始める
馬は個体によっては
繊細かつ臆病な生き物だ
その上で、
草食動物であるが故に
視界が広い
無論、そういう訓練をされた馬
或いは、生来勇猛な性格の個体であれば
戦地を駆けても問題はない
だが、
それ自体は稀な事
私の愛馬は
そうではない
この仔は
特に臆病な仔だ
その為、もし戦地を駆けるなら
ある程度の視界の制限は必要なのだ
馬など、
『道具に過ぎない』と
誰かは言う
怪我をすれば使えない
たとえ死んだところで
それはそこまでだと言うこと
けれど私は、
どうも、そうは思えない
私は特に名を与えていないが
家族と同等、
たとえ、そこまでは言わずとも
大切な友人であると考えている
その愛馬の首を
私は優しく撫でる
もしかしたら
死なせてしまうかもしれない
私の一連の行動を見て
全てを察しながら、尚
琥珀は私の次の行動を尋ねてくる
「何をお考えですか?」と
そんな事
私の答えを聞かずとも
解る事だと言うのに
私はそれには答えず
無言のまま
愛馬の腰に携えた
馬上用の小柄な弓と、
その弓用に作られた
少し短めの矢を手に取る
ここまで来れば
琥珀や、その他隊員の
「お止めください」
「もう手遅れです」の言葉達など
聞く意味はない
私は、ゆっくりと
一呼吸おいて
愛馬に合図を出す
いななきの後
瞬時に走り出す愛馬
流れてゆく風景
規則的に響く
心地よい拍子の爪音
ふと気付けば
私に並び掛けるように走る
もう一頭の馬の存在
特に意図せず
視線を向ければ
自ず視線が交差する
幼馴染み
込み上げる笑いを堪え
目の前に集中する
六十秒にも満たない時間で
集落が目に入る
見る限り
大まかに数えて
敵は十人にも満たない
個々の装備品から
農民崩れの盗賊といったところか
私は、弓を構え
その中の一人に矢を向ける
子供を相手に
刃物を振り上げ
今まさに振り下ろさんとしている
その男に
揺れる馬上
愛馬が跳んだ
その瞬間
「さぁ、開幕だ」
その一言を添えて
私は矢を放った