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黒い家  作者: そら07F
166/187

矛盾 ②

「人は、

【矛盾だらけの生き物】」



そんな言葉を

一度でも聞いた事が

あるだろうか



敷辺との対話を終えて

別宅に戻る道中


そんな

どこで誰に聞いたか、或いは

本か何かで見聞きした一節が

幾度も脳裏を巡った



「もう少しだけ話そう」

そう言って始まった

先程の敷辺との

一対一の対話


いや、

対話ですらなかったとも言える



彼女は箇条書きの様に

言いたい事だけを伝え

話を早々に切り上げた


文字通り、藍人は

それらを“聞く”だけだった


反論も、質問すらも

挟む余地を与えてくれなかった



その中で

聞けた事の全てを

一様に余さず列挙したとしても

これと言って、目新しい物は少ない


勿論、

一つもないとまでは言わないまでも

これまでに比べれば

極めて少ない


これについては、

他の未だ選択を終えていない者達と比べれば

現時点で既に与えられている情報量が

今の段階でも多い為

仕方がないと言えば、それまでなのだが



それにしても、

今回に限って言って


敷辺の伝えられた言葉達は

現に言われている事柄の

大筋は、これまでの繰り返し



例えば、

「死ぬな」であったり

「戦闘、それも

 一対一の戦闘は極力避けろ」

「【逃げる事】は決して恥ではなく

 常に、選択肢の一つだ」


などの

言ってしまえば、

今更な言葉達の多さが際立つ



だが、これは

何とも言えない

違和感をも覚えるものだった



【違和感】



まさに、

そんな言葉が

何より正確だ



それをもって語るが

藍人が知る限り、


敷辺という人物の

行う事、口にする事に

無駄な事は一つも存在しない


つまる所、

彼女は【分かりきった事】

それも、同じ助言を

二度も言う人物でない



そうは言っても

全く進展がないわけではないのだが



本心を言ってしまえばー




「おい、小僧

 少し待て」



先程から背後にいる人物から

不意に声を掛けられる


声のした方へ

藍人が振り返ると

そこには一人の男がいた


返事なく

その者と視線を交わす為に

藍人は少し視線を落とす


格好として、

見下す形になるのは

その者が、いつの間にか道の端に

腰かけてたからだ


藍人は、

その場に立ち止まったまま

その者の言葉を待つ



その者、へきというらしいが

細身で、美祭に住む大人の男性と比べても

平均より、少し小柄な体躯の男は

敷辺に言われでもない限り

とても戦闘の熟練者とは思えない


ただ歩いているだけなら

例えば、すれ違ったとしても

気にも留めず、

記憶にすら残らないかもしれない


しかし、

その者が手に持つ行灯が照らし出す

その顔には皺が刻まれ

歳を想像するに五十を少し超えた辺り


この年齢まで

まだ兵として現役であるなら

また、敷辺が認めるのなら

藍人としても実力は認めざるを得ない



さて、碧は

自分から声を掛けたのにも関わらず

そんな藍人の事など

全く気にも留めない様子で


懐から煙管を取り出し

一服つく準備を始める


懐から小さな袋を取り出し

煙草を丸めた物を火皿に詰め、


それから、

そこら辺に生えている

適当な草をむしると

その草に行灯の火を取り

火皿の煙草に火をつける


二度、三度と吸っては

肺に煙を満たす


男が吐く息に

気温の低下からくる白い物と

明らかに別の物が混じる



声を掛けられてから

数を数え始めたとして

時間にして六十は優に数えている


声を掛けて

人を待たせておいて

この所業である



実に癖のある人間だ

偏屈者と言ってもいい


敷辺との話の終わり

この者と暫く組むよう言われてから

ほんの僅かな時間しか共に過ごしてはいないが


それでも、



この者は

どうも好きになれそうにない



暫しの間、

碧は煙を堪能してから

漸く口を開く


「今から、

 どこへ帰るのだ?」



少し、

間が空いて


「は?」

と、

間の抜けた返事を

藍人は返す


出し抜けに

何を言うかと思えば

そんな言い草である


加えて、当然の事だが

問いの意味は依然として分からない


藍人の

返事とも言えない返事に

碧は見て分かる程に

不愉快そうな表情を浮かべ

そして、大きく舌打ちをしてから


「俺は、

 お前を鍛える様に言われている

 生き残る様に

 いや、生き残れる様にな」


大仰な溜め息混じりに

そう、言い放つと

煙管から煙草を落として

未だ火の付いた煙草を踏み潰し


つまりは喫煙を終わらせ

立ち上がりながら、

続けて、


「このままでは一日と持たず

 お前は死ぬ事になる」


「そんー」


藍人が、

思わず口を挟もうとした瞬間



碧の姿が

藍人の視界から消える



そして、

驚く間もなく




軽い衝撃があったと思ったら

次の瞬間には




自分の身体が

宙に舞っていた


何が起こったか分からないまま

引き伸ばされた時間の様に

見える世界が、景色が

後ろから前へと、ゆっくり流れる


つまり、真後ろへ飛ばされているのだから

本来は一瞬であるはずの滞空時間であるが


この時は、実に

十数秒にも感じられた


程なくして

地面が近づき


たとえ、藍人であっても混乱の中

満足に受け身を取る事も出来ず

無造作に地面へ転がる



満足に、ではなくとも

最低限の受け身は取れたものの


咄嗟の事で着地の体勢が

僅かに悪かったからか


藍人は

掌と腕に擦過傷を負った

傷から、少し遅れて血が滲む



痛みを覚える前に

其を超えて心が憤りに満たされ


相手が年上であるとか

諸々の一切を忘れて

藍人が顔を上げた





その瞬間

だった





つい先程まで、

確かに心を満たした憤りは

一瞬にも満たない時間の間に


別の物へと

塗り変わった



藍人が

顔を上げた瞬間


藍人のすぐ目の前には

足があり


視界の端には

鋭く光る物が映った




そして、





見上げるより先に

藍人は目の前の足によって


後ろへ蹴り倒される



「あぁ、駄目だ」


「お前は、何もかもが

 不適格だ」



瞬間、低く冷たい声が

鈍く耳に届く


見るともなしに見上げる形となった

藍人の視界に

碧の冷たい視線が落ちる



この瞬間、

抵抗の一つも出来ないのは


碧の足が、

藍人の胸を押さえているから

だけではない



明確な、

恐怖



それも、

確実な死への恐怖に

指の一つも動かす事は出来なかった



碧の視線から

伝わってくるのは

【殺意】なんて生ぬるいものではない



表現するなら

【無】だった



命を奪うという

禁忌に対して

躊躇も、後悔も、そういった雑念は

一切ない


先程は否定したが

敢えて【殺意】という言葉を用いるなら


極めて、

純粋な【殺意】である




背筋が冷たくなる

心臓が高鳴る


息が

速くなり苦しい



藍人は何も出来ない

抵抗したところで


勝ち目が全くない


そう思わされる




【諦め】それに近い感情で

心が満たされてゆく




だが、




満たされる事はなかった


いや、


満たされる事を

許されなかったのだ


「諦めないで」


何度も、聞き馴染んだ

彼女が必死で叫ぶ声


こちらの都合など一切考えない

身勝手で一方的な

ある種【呪い】ともいうべき言葉


だが、

決して耳障りなどではなく


優しく甘い残響を残す



そんな言葉が


幾度となく

反響しながら


響き

満たしてゆく



死への恐怖は未だ消えない

だが、そこにあるだけだった


冷静になりさえすれば

その上で、

しっかりと見据えてさえいれば



【恐怖自体】は決して

直接は襲ってはこない


殺そうとはしてこない


ただ、

そこにあるだけだ



それを無理やり

消そうとしなくても

見ないようにしなくても構わない



寧ろ【恐怖】があるからこそ

人は最後の瞬間まで

精一杯、足掻く事が出来る


思考が、ゆっくりと

たが確実に回転を始める



大事なのは

必ずしも【勝つ事】ではない


“必ず”や“決して”と言う言葉を

枕に付けるなら

【死なない】である



打開策は

何時だって

必ずある



今はそれを

必死の思いで模索する



藍人のそんな思いを

知ってか知らずか

目の前の碧は、表情すらも変えず

手にした刃物を高く振り上げる


その構えから

藍人は刃物の軌道と狙いを予測する




構え方から

刃の軌道は恐らく

横なぎでなく

真っ直ぐ振り下ろされる、


だとして狙いは

ある程度絞り込める


腹、胸、首、眉間

その辺りの

所謂、急所だろう


どの場所であれ

受ければ

致命傷は避けられない



ならば、

致命傷でさえ

“なければ”いいのだ



幸い、

“あの時”の様に

片腕が使えない状態でもない


藍人は、静かに

覚悟を決める



ここでの問題は

狙いは、考えた所で

直前まで分からない事だ


ある程度、刃先が降りてくれば

狙いは絞り込める



一瞬も、

見落とす事は出来ない



碧の足に力が隠った

その次の瞬間



刃先が、

凄まじい速度で振り下ろされる



その速度から

碧の振り下ろす刃は

確実に藍人の命を奪うものである

と、確信できる


藍人は

左手の掌を刃の軌道に重ねる


同時に

右手で道の土を握りしめ

機を待った



左手は文字通り、肉の盾

少し違うが【肉を切らせて骨を断つ】だ

未熟な藍人は

最終的にそれに行き着いたのだった


それに、

失うのが左手ならば

代償として、決して安くはないが

利き手よりは、

格段にましである



襲いくる痛みに耐え

右手に握られた土で

確実に視界を奪う





藍人は、目を大きく

奥歯を噛み締めた





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