始動 ②
「立ち去れ…
領主様は今、
そう言ったか?」
「あぁ、しかし…
逃げる奴なんて…」
散々に煽った挙げ句
直後に発された
誰もが思いもよらなかった
敷辺の言葉
僅かだった、
ざわめきは
愚かな群集心理を経て
瞬く間に
どよめきに変わる
その言葉の意味を群集が
正しく受け取ったかは
定かではないが
戸惑う者、
疑念を抱く者、
真っ赤に染まりかけていた
熱が、空気の色が
忽ちの内に
移ろい
変わる
「少しだけ、
冷静になって欲しい」
敷辺は静かに語り出す
群集から言葉が消え
誰もが、敷辺の言葉に耳を傾ける
再び、
静まり返る
「この度の戦闘は奴等が始めた
つまりは、私達の意思には
全く関係ない
しかし、私達は今、
自らの意思で武器を取ると
“ほぼ”全会一致で決めた
ならば、それならばだがー」
「全ての者が…
これは“望まぬ者”
“戦う事に適さない者”であっても
という意味だが、そんな者達を含め
全員が無理矢理にでも武器を取り
命の限り戦う事
果たして、それが正しいと
そう言えるだろうか?
先程に賛成した者でも
もう一度、よく考えて欲しい」
「勿論、
故郷を憂う事は是である、そして、
その気持ちは尊重されるべきだが
だからと言って、
望まぬ死を肯定するものではない
まして、それを何人であっても
誰かに強制させるものではない」
「先程も言ったが、この戦いは
紛れもなく多くの、
決して、少なくない犠牲を伴う
これが必然である以上
恐れる事もまた、必然である」
「私は、逃げ出したい者達
逃げた者達を咎めたりしない
その者達が生き延びる為に
また、生き延びさせる為にした
行動を、選択を
決して咎めたりしない」
「そして、その者等も
自らが生き延びる為の選択を
恥じないで欲しい」
敷辺は要点を的確に
そして明確伝える為か
短く切っては
息を入れる様に
一呼吸づつ間を空ける
口調は先程とは
うって変わり
極めて穏やかで
まるで、一人ひとりが
自らに直接語りかけられている様な
そんな錯覚さえ
覚えるものだった
故に、
あくまで藍人の受ける印象として、
ではあるが
敷辺という大樹の根幹
その最も基礎になる物
まさに土台とも言うべき
【信念】
それを、
まざまざと見せつけられた
そんな気分に陥った
そして、それは
何時如何なる時であっても
たとえ、自らを犠牲にしても
ここ【美祭】に住む全ての者の事を
一番に考えている
それを、何度も
何度でも
明瞭に感じさせる
そんな言葉達だった
だからこそ、
あれ程までに慕われ
あれ程までに信頼される
決して打算などと
そんか陳腐な言葉などでは
到底語れない
その上で、
彼女は常に最も危険な矢面に
皆の先頭に立ち続ける
逃げたい者は逃げろ
そう言った
逃げた者を咎めない
そうも言った
しかし、彼女は
決して逃げる事なく立ち向かう
たとえ、
如何に不利になろうと
たとえ、
独りきりだろうと
たとえ、これが
愚策だと歴史に笑われる結果になろうとも
彼女は
自らの命惜しさに逃げ出す事は
決してない
それを、
敢えて言葉にはしないが
暗にそう語る彼女の姿が
そこに在った
気付けば、
どこからか声を殺し
それでも堪らえきれない
啜り泣く声が
漏れ聞こえる
この戦いは、
過程はどうであれ
最後は間違いなく
総力戦となる
それが何を意味するかなど
考えるまでもなく
女子供であろうと
武器を手に取らねばならないだろう
ただ、本当に
それが正しい事か
何としても守るべき対象は
本来、【何】か
【里】を命懸けで、
場合によっては命を捨て
守りきる事
それは本来であれば
矛盾ではないだろうか
敷辺は問いかける
選択を委ねる
「今夜一晩、
じっくりと考えてみてくれ」
この場合、恐らく、
どちらを選択しようとも
後悔は付きまとう
他ならぬ藍人は
自身の経験から
そう確信している
逃げる事は悪ではない
恥じる事ですらない
これは藍人も理解しているし
敷辺は何度も強調した
ただ、
これが八六一、
彼女が見せたかった
“根拠”だと言われれば
正直、
拍子抜けした気分でもある
これだけじゃ
ないはずだー
これが一番の印象だった
しかし
「私から伝える事は
以上だ
各自解散し、各々の答えのもと
速やかに行動したまえ」