正しい選択 ④
優しい残り香だけを微かに残し
ふわりと遠ざかる
聞き慣れた、柔らかい足音
藍人の、
いや、葵との
“正しい選択”
暫しの後に訪れた
痛々しい程の静寂は
それで得た産物に他ならない
辛くない、と言えば
それは全くの嘘である
彼女が残した言葉は
とても曖昧で
抽象的だと言わざるを得ない
それと同時に、
希望的な約束である
再会出来た暁にはー
「『もう、二度と離れる事なく
生きていこうね……』
なんて…」
思わず、
笑ってしまう
もしかしたら、この先、
二度と会う事も叶わないかもしれないのに
これから先、
自らが向かう先は、正に【暗雲】
その実体は熾烈な戦闘である
数えきれない、多くの者が
命を落とす戦場
そこに向かう自分に
彼女は真っ直ぐな瞳で
「決して死なないで」
と、再び
そう言うのだ
そして、彼女は
それを純粋に信じている
そんな事ー
そんな馬鹿げた話は……
「上等じゃないか…」
思わず口をついて
そんな言葉が漏れ出る
彼女の言葉通り
彼女が強くなる為に選んだ
一時の別れ道ならば
それを喜んで見送れない程に
狭量ではいられない
それに、だ
この先、再び訪れるかもしれない苦難に
今のままでは
きっと到底抗えない
不本意ながらも
得られた時間ならば
一瞬たりとも無駄にする訳にはいかない
その為に
具体的には何をすればいいか
それはすぐには思い付かなくとも
目指さなければならない標だけは
何より明確に理解できている
そうー
「俺も…強く、ならなきゃ…」
葵と道が交わる地点まで
その先、ずっとずっと先まで
何があっても生きていけるように
葵と肩を並べて
同じ物を見れるように
降りかかる難は、全て
打ち砕けるように
生きて、
生き続けていく必要があるのだ
藍人は
少し乱暴に涙を拭い
迷いや憂いを出来るだけ遠く、
彼方へ振り払う
前述した通り
何をすれば目標に近付けるか
自らじゃ分からない
でも、まぁ…
恐らくは心配いらないだろう
いつの間にか
背後より近付く足音
わざわざ振り返らなくても
それが誰なのか、解る
「やはり、お前は…
いや、お前達は
そういう選択をするのだな…」
ふと、藍人の肩に手が置かれる
「敷辺…“様”…」
藍人の言葉から、一瞬の間を置き、
フフフと堪えられない含みの後
無作法に飾らない、声を出した笑いを上げる
一見、不快にも捉えられるような態度
だが、彼女を知れば
その笑いには他意がない事は明らかである
そして、一頻りの後
「何だ?唐突に…」
藍人が敢えて意図して口にした
敬称
たとえ嗤われようとも
そんな事は藍人にとってすれば
最早、どうでもいい事だった
藍人は敷辺に向き直り
ゆっくりと両膝を地に付き、
続けて両手をも地に付けて
深く頭を擦り付ける
「俺に…、いや、
私に、本当の戦い方を
教授してください…」
と、敷辺に
乞うのだった
対して、敷辺は、再びだが、
先程の間とは全く意味の違う
置いてから
「その選択は、これまでとは、
比べ物にもならない程
辛い物になるだろう…」
とだけ、
告げるのだった
その声色は、敷辺らしからぬ
言い得ない苦しみに満ちている事は
藍人にも解る程だったが
藍人は敢えて、
その事を見なかった事とするのだった
揺るがぬ覚悟
弛まぬ努力からくる自信、
そして、葵との再会の約束
それらによって
何があろうとも
“自分は大丈夫である”との過信
藍人の根源にある
前に進むための原動力は
そこから来ている事は
最早、
言うまでもない事だが
その後、
藍人が思い知った事実として
敷辺が告げた
「比べ物にならない程、辛い」
という言葉が紛れもない真実だった
そうして、藍人達の選択の
本当の意味を知る事となるのだが
この時の藍人が、当然
その事を知る由もなかった
いや、後にして思えば
この時に気付くべきだったのだ
敷辺を以てして
【辛い】と警告せざるを得なかった
その事実に
そして、
彼女の真意にー
藍人は、
気付くべきだった
いや、
思い出すべきだった
と、言うべきだろうか
一人の人間の力なんて物が
どれ程非力か、それどころか
無力に等しいかを
人の身では
対処できない
どうしようもない事態は
必ずある事を
そして、その前では、
如何なる努力も
また、如何なる覚悟であっても
無意味に帰すのかを
この時の藍人は、
“忘れて”いたのだった
敷辺は、静かに瞳を閉じて
全ての感情を含み
ただ一言
「わかった」
とだけ
答えたのだった
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藍人達の下した選択
それは一見すれば、
合理的で
決して満点ではなくとも
非の打ちようはない
藍人の終着点を
既に知っている私は
同時に
藍人と葵の再会が、
約束されている事も
また、知っている
二人の“互いを想い合う気持ち”には
ここまで、全くと言っていい程に
微かな一片すらも
翳りや、曇りなんてものはない
だったら…、
あの時の藍人の言葉を
全て信じるのであれば…
葵は、藍人の手によって
殺されてしまった
原因は
葵の裏切り
そこまでは分かっていても
今の二人からは
そんな馬鹿げた結果に行き着くなんて
私には、とても想像できなかった
「葵…、貴女は何故………」
藍人を裏切ったの………?
きっかけは、何?
この時の私は
その答えが
どうしても
わからなかったのだった
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