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黒い家  作者: そら07F
153/187

正しい選択

気の遠くなる程に長い夜は

それでも、あっさりと明ける


陽は今日も、人の気持ちなど

一切気に止めぬといった顔つきで

それでも、

身勝手に挨拶を投げ掛けてくる



そんな一見、

ひどく乱暴で

押し売り的な親切


ともすれば迷惑だと

文句の一つでも言ってやりたくなるような

容赦のない陽光に照されて


藍人は堪らず瞼を

ゆっくりと開ける


朝霧で幾らか和らいだとはいえ

それでも、耐え難い陽の光に

数回の瞬きの後


次第に明瞭になった

藍人の視界の先


眼前には

敷辺別宅の庭が広がっていた


状況が分からず、

一瞬だけ戸惑うも


少しだけ思案し

昨夜の事を思い出せば

答えは簡単なもの


縁側で考え込んでいる内

そのまま眠ってしまったのだと

そう認識出来た



この季節特有の朝靄と

この先で朝露に煌めく葉

姿は見えずとも、

どこか近くで優しく囀ずる小鳥達


それらは紛れもなく

この国の自然が織り成す

美しい朝、その光景の一部である


そうして、

しばらく眺めていれば

昨夜に感じた、底知れぬ憂鬱も、

痛い程までに実感させられた無力さも


少しは

紛れてくれるというものだろう



この国には四季がある

事実、世界広しといえども

これは実に稀な事である


少しだけ話を逸らすと言うわけではないが

かつての古人達が詠ったように


「花の色は うつりにけりなー」や

「奥山の もみぢふみわけー」など


四季を詠うものは

数多く残されている


芽吹く草木や

この国の国花に称される花が満開を迎える春


山々が赤や黄に鮮やかに彩られ

更には人々の努力が実り、

それによってか、食物の季節とされる秋



また、

厳しいとされる夏や冬にですら


それらには各々の特徴があり

風物詩とでも言えばいいか


かくも美しいとされる風景が

少なからずあるというものである



それらは、

すべからく人の心を魅了し

また、励まし慰める




だが、

それらは自然が持つ、

所謂、良い側面に過ぎない


自然は、その本性に

ひどく残酷な一面をも重ね持つ



仮に、

もしも寒空の中、何の用意もなく

油断し眠ってしまったなら


その結果は、

推して知るべしだろう


運が良くても

高い確率で体調を崩す


悪ければ、そのまま

凍死してしまう事も

可能性としては少なからずだが、


十分にあり得る話だ



では今回、何故、

藍人がそうならなかったかと言えば


それは

実に簡単な話だった




藍人の身を包むように

背から掛けられた

温かな掛布団の存在


そして、

傍らで自らも同じ掛布団に包まり

藍人にぴったりと身を寄せ

安らかな寝息をたてる少女が一人


とても愛らしい寝顔に

藍人がそっと触れると

彼女は、ゆっくりと瞼を開く



……少し、勘違いをしてほしくないのだが、

藍人のこの行動は悪戯心が働いたとか

彼女の声が聞きたかったなどの

卑しい気持ちがあった訳ではない


単に、このままだと

身体を冷やして、

風邪等を引いてしまわないか?


と、

危惧した為である



…などと、

尤もらしい事を語ってはみたが

全ては想像に任せる事とする




さて、そんな藍人の気持ちを

知ってか知らずか

ゆっくりと瞼を開けた少女は


数回の瞬きの後

優しい微笑みを一つ

藍人へ送り



それから



「おはよう、藍人…」




優しく

朝を告げてくる



藍人が美祭に来てからの毎日というものは

決まって、この少女の

穏やかで優しい声から始まる


我が物顔の太陽の

押し売り的な親切とは

全く比べ物にもならない程

穏やかで、曇りなき愛情に満ちている



もちろん、

それが誰の声かなど

今更説明するまでもないが




「あぁ、おはよう

 葵…」


藍人は気恥ずかしさに

思わず顔を逸らしてしまいそうになるのを

寸でのところで抑えて


敢えて、そんな気持ちは真逆に

彼女の顔を、しっかりと見てから

挨拶を返した



その藍人の態度が

予想外のものだったのか


途端に、

頬を桃色に赤らめながら

少しだけ顔を背ける仕草は

この上なく可愛らしい


そして、次の瞬間には、

愛しく思う感情に堪らなくなり

彼女の身体を強く抱いてみれば



「藍人!?ちょっと…」


と、そんな声を上げ

彼女は、一瞬だけ戸惑うも


それでも、

その直後には


葵も藍人を優しく受け入れ、

その背中に、ゆっくりと腕を回してくる


そして、暫くの間、

二人は互いに

優しい温もりを甘受し合った


二人を包んだ掛け布団は滑り落ち

朝の冷気が背中を刺そうとも


最早、そんな事は

些細な問題に思えた





そもそも、

の論ではあるのだが、



こんな一場面は

何も特別な図などではない


この世に、ありふれた

どこにでもあるはずの一幕


そうあって

然るべきでの物ある



限りなく平和で、平穏で

たとえ何かを間違ったとしても

誰かに命を脅かされる事のない



そんな当たり前で

ありきたりの日常の風景




そして、そんな時

隣にいる者は、必然的に

掛け替えのない存在である



祖父母、両親、兄弟姉妹、

娘に息子

そして、



添い遂げると誓った者




それら者の為なら、

命を懸けられる


少なからず

藍人ならば、そうだ




心の底では、きっと

そうだと信じている





だからこそ、

藍人が導き出した結論


それこそは、紛れもなく

【正しい選択】なのだ


今更、迷う理由なんて…

どこにもないはずである



だから…、


「…」


それを言葉にして

葵に告げなくてはならない



「……」



けれど、

何故か、それらは

何一つ言葉になってはくれなくて…




「……………」







そんな時だった



「…………ねぇ、藍人…」 



不意に

葵が藍人の名を呼んだ


「お願いが、あるの……」




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



それから


二回目の明け方


まだ陽も昇りきらぬ

早朝


相変わらず厳しい寒空にも関わらず

美祭と外界を隔てる大扉の前には


三人の男女の姿があった



この日は

敷辺が藍人達に告げた

所謂“追放の期限”


その日である



その為なのか


普段であれば、この時間は、

まだ閉じてあるはずの大扉は開かれ


また、

如何なる時も扉を守護しているはずの兵の姿は

見渡す限りだが、確認できなかった



それでは、

あまりにも無用心ではないか?

と、知り得た美祭の状況を思えば

そんな事を片隅で考えなくもないが


それすらも

敷辺の“気遣い”である事は

今更ながら考えるまでもない事だ



敷辺には恐らく

藍人達の出すであろう結論など


既に、

わかっているのであろう



その証拠、とでも言うべきか

門の周囲は周到に人払いがされているのか

凡そ確認できる範囲には

何人の姿も見えず、

それどころか気配すらない


何より、

誰よりも藍人達の身を案じているはずの

敷辺が姿すらも見せないでいる事が

全てを物語っている


無論、

別れを愁いてなどではない


ましてや、

決して、三人の事が

煩わしかったからというわけでも

ありはしない



全ては、

三人に、いや

藍人と葵に、と言った方が正確だが



ともかくは

水を差したくなかったのだろう




加えて、だが


これもまた、

葵達の身に降りかかるかもしれない危機

その可能性を、限りなく排除する為の

謂わば“気遣い”とでもなる


何せ、

まだ戦端こそは開かれていないとはいえ

実体には、既に有事といっても過言ではない


故に

近くに偵察が潜伏していても不思議ではない


その状態で

三人を盛大に送り出す事は

敵に藍人達の重要性を無駄に印象付ける


実際、万一にも藍人達が敵の手に落ちれば

それ即ち、藍人達の死だけではなく

敵に利する事と変わらないのだ



さて、漸くではあるが

少し三人の様子に目を向けてみる事としようか




「準備は、出来たか…?」


そんな蒼雲の問いに

「うん、大丈夫」


と、葵は明るく返す

その声は、少しだけ上ずっていて

少しだけでも注意深く観察さえすれば

無理に明るく振る舞っている事は

最早、明白であろう



そんな二人を

少しだけ遠巻きに

見る事しか出来ずにいる事は



多分、藍人にとって

一生忘れえぬ傷となる


それが分かっていながら、

尚も「俺も行く」とは、

決して言い出せない



何故なら、

それが彼女の“願い”であるからだ



「藍人は、ここに残って…」


あの時、

彼女は絞り出すように

そう口にした



全てを見捨てて

たった一人を選ぶ覚悟をしていた

それが【正しい選択】だと

そう確信していた


…いや、そうやって思い込み

自らを騙し、心を殺し


全てを【諦め】ようとした



そんな藍人の

本心(まよい)


葵は正確に見抜き

その上で、


許さなかったのだった



やがて、出立前の確認は

滞りなく終わる


旅慣れた蒼雲と葵である


手荷物は元々少なく

美祭にて譲り受けた品々は

嵩張るとの理由で自ら持ち帰る事はせず


敷辺の提案で

後に送り届ける事が約束された



時が熟して尚

二人の顔を見れず

少しだけ俯く藍人


主に、蒼雲の顔は

とてもじゃないが

直視する事が出来ない



「葵を必ず守る」と誓ったが

それを理由の如何はあれど

反故にする【藍人の選択】を


藍人の義父となった身として、

とてもじゃないが

受け入れられる訳がない



それを証するように

今になっても、蒼雲は

藍人を一瞥すらする事なく

藍人に背を向けている


殴られるとか叱責などがなかっただけ

幸いだと言えようか


いや、場合によっては

それらがあった方が

幾分ましだったかもしれない



だが、それはあくまでも

“葵の父親”としての

体面からの心情であり


藍人の選択の意味

全てを否定するものではない


事実、藍人と葵から

この選択について話をされた時

蒼雲は二人の話を最後まで黙って聞き

その上で「わかった」

と、だけ了承した


無論、

反感や反発する心はあったが

それらを、敢えてしなかったのだ



二人が誰に言われる事なく、

独自に考え、導き出した“選択”ならば

それに水を刺すなど

この上なく無粋である


そう、

感じたからだった



だが、

拮抗する感情を抑えて

何かを発すれば

意図せず二人に

不要な迷いを生じさせる恐れがある


そう思えばこそ

多少空気を悪くしても

固く口を閉ざす事が

最善であると考えた結果が


不本意ながら

このような、感動的でない

別れの場面を作ってしまっていた事は


後に待つ、

決して取り返しのつかない後悔に

繋がる事となるのだが


この時は誰も、

知る由がなかった





そうして、

そんな蒼雲と藍人の間に流れる

微妙な空気の事などを

肌で感じていても


そんな事は

一切意に介さないといった


いつもと変わらない

明るい歩調で、

葵は藍人に歩み寄る




藍人は未だ少し俯いている


そんな藍人に、

葵は優しい口調で

声を掛ける




「顔、上げて…」



彼女にそう促され、しかし尚も

顔を上げる事を躊躇する

藍人の頬を、


まるで包むように

葵はそっと優しく触れる



そして、



「顔、上げてよ…

 ね?」




そこまで来て、

藍人は、少しだけ顔を上げる事が出来たが


視界は、溜まった涙で滲み

酷く歪んでしまい


彼女の顔すらも

まともに見る事は叶わず

視線を彼女の口元にもってゆくのが

精一杯だった



自らの【選択】に

後悔しかないはずなのに


それでも、何故か

覆す事は出来なくてー




そんな時だった




「ねぇ、藍人…」


不意に葵が

静かな声で呼び掛ける


それでも藍人は

何一つ、反応出来ずにいる



それでも構わず

葵が続ける



「私達は、これで終わり?」



それは、

余りにも唐突な問い


藍人は驚きのあまり

咄嗟に

「違ッー」




そこで藍人が言葉を止めたのは


その瞬間

意図せず上げた視線の先


柔らかく、だが

どこか悪戯に微笑む葵と、

漸く目が合ったからだった


そして、

葵は


「やっと、顔上げてくれたね…」



斯くして

その葵の言葉から


一つ前の葵の問い、それ自体が

謀りだった事に気付いた



藍人の顔を上げさせる


ただその目的の為だけに

葵は心にもない事を

口にし、


結果には

それは功を奏した



“不合理な問い”

と、捉える者もいる事だろう


先程の葵の問いは

あまりに言葉足らずであり

解釈の如何によっては

所謂、不和の口火とも成り得る


たとえ冗談だとしても

ひどく安直で、不遜

無用心な物言いだ


一つ間違えば

何らかの禍根を残しても

おかしくはない




だがー



これらは、葵は

当てはまらない



葵は何も考えずに

その問いを口にしたわけじゃない



どういう事かー


いや、

ここでは敢えて全てを語らない



ただ一つだけ

葵は、この半年の間

【藍人だけを見てきた】のだ





その事を踏まえて

もう少しだけ見ていく事にしようー





「ねぇ、藍人…

 私の気持ちは何があっても変わらないよ…

 何をしてても、何を見ても

 それに…どこにいても、ね」



葵は語る


「私…私ね、

 少し考えてみたの」



「何を?」と言いかけて

寸でのところで、藍人は口をつむぐ


直感的に、だが

“急かすべきでない”

と、そう感じたからだ



それは、葵に

何らかの形でも伝わったらしく

葵は優しく微笑んで

「ありがとう」と感謝を口にした



そして、

葵は続ける



「ねぇ、藍人…

 このまま私達が三人で

 ここを“逃げ出した”ならー

 一体どうなると思う?」



「それはー……」


藍人は、思わず言い淀む

脳裏に浮かんだ“それ”は

【その光景】は、

あまりにも悲惨で、残虐で

その片鱗を想像するだけでも耐え難い


そんな【光景】

であったからからだ



藍人が何を想像したのか

それを葵は正確に見透かし

その上で、小さく

フフフと笑って見せる


そして、

「ごめんなさい」と

「そういう事じゃないの」

と藍人の浮かべた光景を

少し遠くへ追いやると




「私が言っているのは、

 私達自身の事だよ」











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