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黒い家  作者: そら07F
136/187

知るという事 ⑥

「視界を得るにはー」


暫く待ってはみたものの

敷辺はそう口にしたきり

それ以上は一向に語り出す素振りを見せない


彼女の、その様子は

どこか藍人達の行動を待っているかのようー


「視界を、得るには……」


藍人は敷辺の言葉を反芻し

思考を巡らせる


敷辺は、その性分からか

或いは別の物からかは定かではないが


意味のない事は、

決して口にしない


つまりは

この状況は、彼女の意図が多分に含まれている

ここまで考えたなら

彼女の言わんとしている事は明白


彼女は

「視界を得ろ」

そう言ったのだ


そう理解はしたものの

問題はある


藍人は振り返り

今しがた自分達が通ってきた

この部屋の入口


隠し扉となっていた書棚を

注意深く観察する


正直に言えば、藍人は

暗闇において、完全ではないが、

素早く視界を確保する方法は

知っている


それこそ、

今は亡き育ての親である

二人の教えてくれた知恵


そのお陰で、

あの頃、あの森で

その身を何度となく救われたー


人間の感覚というものは

他の動物と比べても格段に劣る


聴覚や嗅覚に至っては、

まるで話にもならない次元である


無論、

視力も例外ではない


同等な条件のもとで対峙したなら

無力な人間が

獣に勝つ術などない


人間には、鋭い爪も牙もない

また、危険を嗅ぎ分ける鼻も、

察知する耳もない


情報収集能力に大きな役割を振り当てる

頼りの視力も、他の動物の前では

無力といっていいだろう


それでも人が獣に勝ってきたのは

食物連鎖の頂点に立つ事が出来たのは


火に歩み寄る事を覚えたから

武器を手にする事を覚えたから


常に思考し、失敗を繰り返しながらも

地道に成功体験を積み重ね、

口伝や書物に依って、それらを後世へ伝え

教養し、学習を繰り返す


その知恵を手に入れたから


獣は火を極端に怖がる習性をもつ

だからこそ、暗い森で夜営をする時は

火を絶やさない事は鉄則とされる


明らかな獣対策


実際、

藍人もあの頃そうしていた


だが、例外的に

それでも近付いてくる者達がいる


それは、大抵

藍人と同じ人間達だった

彼らは時折、特に危険だといわれる

深い森へと分け入ってくる


明らかな人道を避けて、

獣道へと、足を踏み入れる


彼らの目的かは定かではないが

善良な目的でないのは確かだ


見つかったなら、きっと

ろくな目には合わない


そんな時

藍人は素早く火を消して

闇に紛れ、彼らをやり過ごす


視界を確保し

彼らの一挙手一投足を見逃さず

脅威の去るその瞬間まで

一瞬たりとも気を抜く事は許されない


そして、そのまま

彼らの姿を視界に捉え続ける


つまりは藍人にとって

暗闇での素早い暗順応は

危機回避の最重要として

位置付けられるものだった


そもそも通常

眼を暗順応させるだけなら

一切の光源を消して

暗闇に身を置くだけで良い


暗闇の中、

初めは見えずとも、暫く待てば

物の方から、自ずと輪郭を現してくる


藍人の知る方法

それは瞼を閉じる事だ


そうする事で、暗順応を

少しだけ早める事が期待できる


尤も、あの頃の藍人は片眼を閉じて

暗順応を早めていた

暗い森では、火を消し、

一切の光源を絶った瞬間に

辺りは闇に包まれ、視界を失ってしまう


危機が迫る状況では

たとえ距離感が上手く掴めなくとも

片眼だけでも、素早く視界を得る必要があったのだ



さてー



一転して、

この状況である


背後の机には、弱々しいとはいえ、

いまも煌々と灯されている洋灯と行灯


こんな状況では、いつまで経っても

眼が暗順応する事はない


人の眼は、脳は

実に不完全な造りであり

灯りがあるうちは無意識のうちに

それを頼りにしてしまう


とは言え、先程の部屋に戻り

光源を絶つ事は論外だ


帰りの道標なしに

あの暗い洞を歩く事はおろか、下手をすれば

方向さえ見失いかねない


残された方法は

この後ろの隠し扉、書棚を動かす他ない



だが、この扉ー

内側からでも、ちゃんと開くのだろうかー?



「安心しろ、その扉は内側からでも

 開けられる…」



扉の観察に集中していた藍人

ふいに掛けられた敷辺の言葉に

慌てて振り返ると


なんと、

敷辺は既に両眼を瞑っていた


その敷辺の様子

その言葉に藍人は、漸く覚悟を決める


「葵、眼を瞑って…」


「えっ…?」


突然の藍人の指示に

葵は不安を帯びた、戸惑いの声をあげる


当然の事だった


こんな訳のわからない場所で

眼を瞑れと、不安を覚えるのは当たり前だ

繋いだ葵の手は僅かに震えている


だが、

これを口で説明するのは難しい


“眼を瞑る事で、暗闇でも見えるようになる”

なんて


どんな言葉を尽くすより、

体験したが早いのだ


“百聞は一見にしかず”

であり、

“百見は百行にしかず”

なのだ


いろいろと考え、漸く藍人が口にできたのは

「俺を、信じて…」という

何の説明にもなっていない懇願だった


そんな言葉を信じる事は

通常では常軌を逸している事は確かだった


だが、

それでも葵は藍人の顔を見上げる


そして、一瞬の間をおいて、

「わかった…」

と、藍人の手を強く握り直して

ゆっくりと、その大きな眼を閉じるのだった



藍人は葵が、自分の言葉を信じてくれた事に

心から歓喜すると共に、

愛おしさで胸が一杯になる


同時にどこか申し訳ないような

チクリとした罪悪感に苛まれながらも


自らも片眼を閉じて

この空間の隠し扉である、書棚に手をかける


そして、少し引くと

扉はガコンとした僅かな手応えの後

思ったよりも簡単に動き出した


次第に細くなっていく光の帯

やがて、扉は完全に閉じられ

辺りは真の暗闇に包まれた


それを確認した藍人

そして、藍人もまた

ゆっくりと残った片眼の瞼をとじるのだった



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