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黒い家  作者: そら07F
132/187

知るという事 ②

敷辺の手にする灯りが

少し前を歩く彼女の背中越しに、

ゆらゆらと揺れて、

辺りを頼りなく照らし出す


下へ下へと

どこまでも続くように感じる、

この暗く狭い階段は


小柄な藍人でさえ、

そこまで手を伸ばす事がなくとも、

容易に両壁に触れる事ができるだろう


もっとも、

今となっては触れる気が、

全くと言って良い程に起きない



と言うのも、その両壁からは、

酷い悪臭が漂ってきていたのだった




辺りに立ち込める

異常なまでの悪臭


その正体は、

ようとして知れない


地下だからこその

カビ特有の臭いとは全く違うものだった




先程まで居た部屋では

こんな臭気は微塵もなかった


藍人が不自然な臭いに気付いたのは

階段を下り始めて少ししてから


始めのうちは、

あまり気にならなかった


下から上がってくる風に

僅かに臭気が混ざっている


そんな感覚だった



だが、

悪臭は階段を下れば下るほど

みるみる内に、その強さを増していった


実に

耐え難い悪臭だと感じていた


今では、正直なところ

失礼にあたるので、

そういう行動はとるべきでないと

頭では理解しているが


許されるならば、

両手で鼻を覆いたくなるほどに強烈になっていた



ここまでになってしまえば、その発生源が

両の壁や床である事は容易に認識できる


何故なら、床はぬめり気を帯び始め

敷辺の持つ灯りに照らされた壁や天井でさえ、

気付けば、いつの間にか照らされている部分が

テラテラと反射をしている


その事から、成る程、

この悪臭の発生源が

両の壁と床、下手をすれば天井すらも、 

となるわけである


安直な気持ちではおろか、

たとえ頼まれたとしても、

進んで、壁や床に触ろうとは

到底思えない


その悪臭はどこか生臭いような、

はたまた腐乱臭のような

そんな不快な刺激臭である


それが、そこここから臭ってきては

藍人達の鼻腔を容赦なく攻撃する


油断をすれば

吐き気を催してしまうのではないか


そう思える程だった





それにしても、

である


先程まで居た、

洋机以外に何もない部屋もさることながら

そこから更に、

巧妙な隠し扉と、厳重な鋼鉄の扉で守られた

この空間は間違いなく


美祭における

最重要の禁足地であろう



果して、

何の用途で作られた空間であるのか


この先に、

何が待つのか


この時の藍人などでは

想像もつかない



だが、

敷辺は言った



「知る【覚悟】は、あるか?」



敷辺をもってしても、

【覚悟】と


そう言わしめたほどの事柄である



よもや、

この悪臭の事ではあるまいー




恐らくは、知ってしまったら最後、

後戻りができなくなってしまうような物であり

下手をすれば、

知らなければよかったと後悔する事すら

あり得るということだろう


今からでも、

引き返すべきではないのか?


そういった考えは、

今に始まった事ではなく


敷辺が開いた鉄扉の先

この地下への入り口


その真っ暗な通路を見た瞬間から


本能が【今すぐ戻れ】【引き返せ】と

そう警鐘を鳴らし続けている



だが、

それでも藍人は

知りたい、と思ってしまったのだ


好奇心、と言えば、

多少の語弊があるかもしれない


だが、

それ以上に相応しい表現がないのだから


仕方がない


ここまで来て

全てを見て見ぬ振りをして

敷辺の指示に従い、このまま美祭を去れば、

一生後悔する事となる


同じ後悔ならば、

全てを知って後悔する


藍人は、自らそういう選択をして、

一歩を踏み出したのだった



さて、

どれくらい歩いただろう


とはいえ、唯一の光源は頼りない行灯のみ

しかも、先頭を歩く敷辺が持つのだから

その背中越しにあるわけである


暗闇に多少目が慣れてきたとはいえ

視界は決して開けているわけでなく

むしろ酷く悪い


おまけに階段の床は、

相変わらず湿り気を帯びていて

何とも歩きにくい


おまけに、藍人のすぐ背後には葵がおり

光源から一番遠い葵の頼りとなるのは

すぐ前を歩く藍人の背中のみとなる



彼女は、藍人の着物の袖を掴み

転ばぬよう気をつけて

慎重に歩を進めている



彼女の手は

先で待つ得体の知れない物や

この奇妙な状況への不安からか


または、先程から絶え間なく登ってくる

冷たい風に身体を冷やしてしまったのか


或いはその両方か、


いずれにせよ、


その手が僅かに震えているのが

藍人には否応なしに感じ取れてしまう



そんな葵の様子に、

心配にかられた藍人は時折振り返り、

葵を気に掛けるも

目が合うと彼女は

弱々しくも、微笑み返してくる


彼女の、その儚い姿は、

酷く痛々しくも見え


その度に藍人は

自らの選択を、

少し後悔するのだった




ともあれ

今は、この状況に集中すべきである


自分が足を滑らせて、転倒でもしようものなら

間違いなく葵までも巻き添えにしてしまう事だろう


加えて、

仮に葵が足を滑らせたならば

藍人はいつでも、その身体を受け止められるよう

彼女の一つ一つの挙動を注視する必要がある


とは言え、

背後で起こる出来事である事は

言うまでもないことだが


加えて

それは恐らく、


突然で一瞬の事


僅かな判断の遅れが大惨事を呼ぶ事は

想像に難くない


下手をすれば

敷辺をも巻き込み、

縺れながら階段を転げ落ちる事となる


その場合は、

怪我で済めば幸運であろう


もしも

打ち所が悪かったならばー


そんな想像が

脳裏を過り、藍人はゴクリと生唾を飲み下す



藍人は彼女の息遣い、

その足音に神経を集中させる


一瞬たりとも気を抜く事など不可能だった


そして、その事は敷辺も、

よく理解しているのだろう


階段を降りてる最中

彼女が振り返る事はなかった為

その表情を確認する事は出来ないものの


歩みの遅さから、後に続く藍人達を気遣い

慎重に歩を進めている様子が窺える


そして、そんな状態で、

そのような場所を歩いたなら、


道のりは体感的に、

実際よりも遥かに長く感じてしまう事は

当たり前の事


一歩一歩が、一瞬一瞬が、

まるで永遠のように思えて

藍人の神経を容赦なく削ってゆく




だが、

そんな辛い時間も、

やがて終わりが訪れる


実際、この階段は

言うほどに長くはない


その証拠に

藍人が気付いた時には、

いつの間にか階段を降りきった敷辺が

振り返り、手に持つ行灯で

藍人達の足元を照らしてくれていた


そして、

二人が階段を下りきった時

何も不慮な事が起きなかった事に

三人の口々からは、自然と安堵の息が漏れた


それから、

安心した事からか、

どっと疲労感に襲われ、


藍人は階段の正面、

すぐそばにあった胸の高さ程の岩に

寄りかかる様にして、身を支えた


岩に触れた瞬間、

ただ濡れているとは違う

ぬるっとした嫌な感触が藍人の手に伝わる


何とも不快な感触である


恐らくは、階段の床や壁も

触れれば同様の感触がしたであろう


あれほどまでに、

触れたくはないと思っていたが


心身ともに

すっかり疲弊してしまっていた藍人には

着物や自らの手が、多少汚れてしまう事など


最早、

どうでも良かった


たかが

階段を下っただけ

ただそれだけだと言うのに、

このザマである


一体、

どれだけ気を張ってしまっていたのだろうか


「取り敢えずは、

 最大の難所は越えたな…」


そんな敷辺の声に、藍人は

顔を上げて敷辺を見る


それは藍人が、敷辺の声に

ある違和感を抱いた為だった


と、


その瞬間だった


「…こ、れは……」


藍人の口からは

思わず驚愕のあまり、

そんな声が漏れる


敷辺の姿の先、

そこには、


先程の狭い階段からは凡そ想像もつかない程に

広大な空間が広がっていた


その空間は、高さ幅共に、

人丈に換算しても

悠に五人分以上はあるだろうか


現時点で辛うじて解るのは

その程度だけである


空間は遥か先まで続いていて

長さは、とてもじゃないが計り知れない


正確な広さが解らないのは、

敷辺の持つ灯りの頼りなさのせいか


いや、恐らく、

それだけではない


藍人が抱いた違和感とは

敷辺の声の反響が異常だったのだ



「…ここは…一体、何なんだ……?」


思わず口にした藍人


その声すらも、小さな声量に反して

大きく反響して

暗闇に吸い込まれていった



当然といえば

当然の疑問である



普段は人目から隠された扉の先

この先にあった、謎に包まれた奇妙な空間は


ここは下手をすれば、

敷辺の本宅である屋敷、その地上部分よりも、

余程、広いのかもしれない


「ここは…、いや、それはまた後で説明しよう

 今は、ひとまず先へ急ごう」


敷辺は何故か

説明の言を不自然に切ってしまった


一方、藍人達はというと

てっきり敷辺から、ここについての

何かしらの説明があると思っていたのだが


何故か肩透かしを食らってしまった

そんな気分である


そうして、呆気にとられている藍人達を尻目に

敷辺は二人へ、すっと背を向けると

そのまま長く続く暗闇の空間の奥へと体を向ける


そして、敷辺は

背中越しに「焦らずとも、じきに解るさ」などと

何とも意味深長な言葉を二人へ投げ掛けては


ますます混乱極まる二人へ対して

「さぁ、行くぞ」と、

進む事を半ば強引に促すのだった





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