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黒い家  作者: そら07F
129/187

奇跡の起こし方 ④

遠ざかる彼の寂しげな背中


藍人達は、それを

ただただ見送る事しか出来ずにいた


藍人の胸中を重く満たしているのは

深い後悔、拭えぬ罪悪感


当たり前である


先程に目の前で起こった出来事

六太と翠の喧嘩の原因が、自分にあるという事、

それは、恐らく間違いない


その上で、彼に慰みの言葉の一つさえも

藍人は掛ける事が、出来なかったのだ


藍人は、

唇を強く噛み締める


全く、

なんと不甲斐ない事だろうか


これは、藍人が

守る為の【力】ばかりを追い求めた結果

“こういう事”は全く成長できていない事を

改めて実感させられる出来事だった


そして、

それは葵も、また同じだった


“あれは、藍人だけのせいじゃない”

“悪い事が重なっただけ”


頭に浮かぶ言葉なんて、

どれも薄っぺらい、白々しい言葉達だけ


その場を、上っ面を取り繕う

耳障りの良い“だけ”の物


それらは、今の藍人には、

きっと届かない


それだけは分かるのだ


だからこそ葵は

自責に駆られている藍人を目の前にしても

そんな藍人の顔を見上げる事以外


何も出来やしない


まったくの、

無力だったー



冷たい、重苦しい沈黙が

二人を包む


どれだけそうしていただろうか


気付けば、空を茜色に染め上げた夕陽は

いつの間にか西の空へと、その姿を隠した


藍色に変わった空は

次第に深みを増していく


この期に及んで、

藍人の脳裏に浮かんだ

当初の目的



敷辺との面会



焦る気持ちが、

全くないわけじゃない


だが、最早

既に時間切れなどという事は

明白だった


そもそもがして、二人共に、

そんな精神状態でない


徐々に冷たくなる風でさえ

容赦なく責め立てるように感じる


そんな

歪んだ被害妄想じみた考えばかりが浮かぶのは


多分、

どうしようもない自分の弱さのせいー


そして、それらを自覚して尚

その場を一歩も動く事が出来ずにいるのは


きっと、今更になっても、

何かを期待してしまっているからだ




そんな時だった



「おい、お前達…」



突如として背後から響いた

溜め息混じりの呆れ返った様な、


低く発せられた声だった


「ーっ!」


瞬間、

我に返った藍人達は慌てて振り返る



聞き慣れた声


改めずとも分かる

最早、確認までもない


何度聞いても思う

よく通る声


その声の主は

いつの間にか開いていた屋敷の戸の少し奥

真っ暗の玄関の中


まるで入口を塞ぐ様に立っていた


「敷、辺……」


藍人は漏らすように

その人物の名を口にする


彼女の表情は、暗くてよく見えないが

藍人達の顔を順に見ているのだけは分かる


その後、


彼女は、藍人達が何かを口にせずとも

まるで、その心を覗き見た様に、

心底呆れた様子で、大仰な

深い溜め息をつく



そして、


敷辺は、特に何かを口にする事もなく

踵を返し屋敷の中へと戻って行った


その際、

彼女が屋敷の戸を閉めなかったのは


きっとー


瞬間、藍人と葵は

顔を見合わせる


二人の瞳に映るのは、迷い

互いの、隠しきれない不安の滲む表情



簡単に揺らぐ心



自分等の決心など

何とも脆い物だったのかと

嫌でも実感させられる


つくづく自分に嫌気がさす

自己嫌悪でどうにかなりそうだった


一人だったなら

きっと、動けなかった





そう、





自分一人、

だったならー




「……行こう…」


藍人は、

葵へ力強く告げる


葵は藍人の身体から、

ゆっくりと自らの身体を放し

返事の代わりに藍人の隣に並び立ち

藍人の手を優しく握る


再び繋がれる手


二人は、顔を上げ

前を向き


同時に一歩を

踏み出した


掌から伝わる確かな温もり

隣ににいる、身命を賭しても守りたい

何より大事な人


その事実は、藍人に前へ進む為の、

確かな力を与える


藍人達は、

しっかりとした足取りで敷辺の後を追った


灯りの全くない

薄暗く、長い廊下


それにしてもー


と、思う事が二つ


一つ目は


暗闇に目が慣れ

物の輪郭がぼんやりと分かるとはいえ


少し先を歩く敷辺の足取りに

全く迷いはない


恐らく、彼女の中で

目的地は決まっているのだろう


それと、もう一つ


今はまだ、

それ程、夜の深い時間でもないというのに

屋敷には、人の気配はおろか

物音一つしない事だった


藍人がそんな事を考えている内に

敷辺は突然、歩みを止める


彼女に習い

慌てて足を止めた藍人達だったが

そこは一見して、ただの廊下


藍人がいくら思い返しても、

ここには何もない


はずだったー


次の瞬間

敷辺は“壁”へと向き直ると

懐から何かを取り出す


そして、それを壁にぶら下がる

小さな箱状の物へと差し込む



途端に

ガチャンと金属音が辺りに響く


その音で、

藍人達は理解する


敷辺が取り出した物は鍵であり

それに依って、今、錠前が解錠された事をー


「…え……?」


藍人は、この敷辺の一連の行動に

思わず声を上げる


藍人達は、幾度となくこの屋敷へ訪れている

そんな藍人でさえも、ここに部屋がある事は

今まで気づく事はなかった


そして、何より今まで

藍人達の知る限りではあるものの

敷辺の屋敷で施錠されている場所なんて

一ヶ所として、見た事がなかったのだ




無論だが


敷辺はこの里の領主、依って

この敷辺本宅は里の最重要施設といっても

決して過言ではない


普通に考えるなら

機密情報を扱う場所や、武器庫など

施錠して厳重に管理する場所があっても

何ら不思議ではないのだが


敷辺本宅に於ては

それらの場所にすらも

施錠されてはいないらしい


それどころか、

敷辺自身の寝所でさえ

錠すらないのだと、黒石から伝え聞いた


そして、

それを伝い聞いた藍人は

「さすがに無用心では?」

と、疑問を敷辺にぶつけてみたが


彼女から返ってきたのは、

大袈裟だが、嫌味の全くない笑い


それと、

言葉が一つ


「この里が不利になる情報を

 他に漏らす人間など、この里にはいない」


と、彼女の語った


彼女の言葉の意味

それは平たく言うなれば“民度の違い”


つまりそういう事だろう


それは実際、藍人自身も美祭に住んでみて

随分、思い知った事だった


この美祭に住む者は、

他と比べられない程に理性的で

極めて人情味に富んでいる


“他人の為に”という利他的な考えを持つ者が

圧倒的多勢を占めている



顕著に物語る事柄として、

犯罪件数の件数の少なさが挙げられる


近衛隊が夜警をしているとはいえ

住民同士の揉め事など、

藍人が知る限り、全くなかったと言える


これは専ら、

敷辺の功績とも言えるだろう


住民は揉め事に発展する様なが起こると

その問題の大小に関わらず

敷辺に仲裁を求める事としている


その際、

敷辺はそれがどんなに些細な問題であれ

解決に向けて尽力する


敷辺の下す判決の内容に対して

不服を唱える者は皆無だ


それは敷辺の権力の為ではない


彼女の下す判決事由は

事態に応じて思慮深く考え尽くされた理論、

臨機応変かつ柔軟な発想に、

反論の余地などない


と言うより、

反論する意味がない程に完璧だと、

皆、口々に語る


だがー


それでもである


万が一にも

自らに理不尽な不幸が降り掛かった住民が

いわれのない理由で、

敷辺の命を狙ったとすればー


そして、

その人物に武や策の才があった場合

惨劇は避けられず、

果ては暴動に発展する可能性すら孕んでいる


その可能性は

限りなく低くとも

完全に否定する事はできないはずだー


そう問題提起した藍人にも

敷辺は少し困った様に笑うと


「そんな可能性は零なんだ……

【残念】ながら、な」


その、彼女の発した言葉は

彼女らしからぬ、根拠のないものだった


追求の余地はあった

だが藍人は、そこで問う事を止めた


なんと言うか、彼女の浮かべた悲しげな笑顔が

それ以上追求する事を躊躇わせたのだった




藍人がそうして

いつかの一幕に思いを巡らしている間にも

敷辺は行動を止める気配はない


そうこうしている内に

今しがた解錠された錠前を

敷辺は実に慣れた手付きで外し

ゆっくりと引戸を開けて中へ入る


この時も、

先程と同様


敷辺が戸を開けたままにしている事から

“入って来い”との意思表示であろう


藍人達は、

そう理解した


藍人は深く息を吸い込むと

ゆっくりと一歩を踏み出した


開け放たれた戸からは

心なしか冷たい空気が漂ってくるように感じる


正直、

躊躇いがなかったと言えば嘘である

ともすれば、この場から

今すぐにでも逃げ出してしまいたい

そんな気持ちさえもが沸き起こる


知ってしまえば、

決して戻れない


得体の知れない不安が過り

それが足を重く鈍らせ、

戸までの僅かな距離さえ

ひどく遠いものに感じさせる


酷い葛藤の中

それでも二人が歩を進める事が出来たのは

多分、互いの存在を糧にしたから


そして、追い求めた解が、

そこにしかないと確信していたからだ


暫しの時間を掛け

二人は漸く部屋の前に立つ事が出来た


藍人達は同時に部屋の中を見る



「ーっ」


思わず息を呑んだのも

ほぼ同時だった


開け放たれた戸の先にある部屋は

更なる暗闇が続いている


視界は僅か先

今いる仄暗い廊下より更に暗く感じる、

多分、部屋には窓などがないためだろう


暗闇に目が慣れているはずなのに

部屋の全容は杳として知れない


先に一体何があるか

分からない状況で、進む事は躊躇われる

明らかに異質とさえ感じるのだから

尚更である


すっかり竦んでしまった足は

進もうとする藍人の意思に反して

一向に動こうとしてはくれなかった


そんな時だった


真っ暗な部屋の中央辺りから

カン、カンと乾いた打撃音が響き渡る


藍人達が慌てて音のした方に目をやると

火花がちらついていた事から

それが火打石だという事が分かる


敷辺はいつ、どこから取り出したのか

それらを使い素早く火を起こし、

予め用意していた行灯、その灯芯に火を灯す


部屋の中で火を起こすなど

危なくないのか?

等という懸念は議論に値しない


彼女は事前に

火花の受け皿まで用意するのを忘れる程に

愚かではないのだ


こうして、穏やかな光が、

部屋の全容を優しく照らし出す


こうして灯りが灯ってしまえば

先程までの不気味さは

すっかり影を潜めていった



だが、

である



視界が開けたからこそ、

見えてくる異質さもあった


敷辺が灯した行灯が照らし出した室内

広さは六畳といったところ、さほど広くない


全面の壁は板張りで、

そこそこの年季が経っているのか

こそここに僅かな痛みは見えるが

決して致命的なものはない


そして、

何より二人の目を惹いたのは

部屋の中央に堂々と陣取っていた

美しい洋風の机だった


それは、

必然といえば必然の事だ

何せ、この部屋にはその机以外の物はないのだ

その上、この国にはまだ珍しい洋机である


目を惹くのは、

至極、当然であろう


とはいえ、

それを差し引いたとしても


なんて…



「すごく…綺麗な、机…」



思わず、

そう漏らしたのは



葵だった



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