奇跡の起こし方 ③
目の前の六太は、
実に飾らない笑顔を藍人達へと向ける
歳相応の、いや、一見すると
それよりも少しだけ幼く見える様な
そんな、
屈託のない笑顔だった
一方、藍人が浮かべる笑顔は
どこか、ぎこちない物
それもそのはず、
藍人は彼の事を見た事があるが
所詮はその程度の見解でしかない
別段、知らない人物と言う訳ではないが、
決して知り合いと呼べるものではない
まして、彼と言葉を交わす事自体、
これが初めて
多少なりの緊張はあるのだ
加えて、現況が現況である
藍人達は、この後に控える敷辺との対話の事で
あれこれと思いを巡らせてる最中
心に余裕など殆どと言って良い程になかった
六太と少女はというと、
そんな二人のただならぬ雰囲気を察してなのか
思わず口を噤んだ様子だった
そして、二組の男女の間には
自然的に重い沈黙の時間が生まれる
その場にいた誰もが口を閉ざす中
時が経つにつれ、次第に暗く重苦しくなってゆく雰囲気
堪えきれなかったのは、彼だった
六太は突然、
大きく、背伸びでもするように身体を広げて
実に大袈裟な動作で深呼吸を一つして見せ
それから、藍人の瞳を真っ直ぐに見つめ
直後、再び飾らない
けれど、とびきりと思える様な、
そんな、
笑顔を見せる
そして
「俺は六太、それで、
この子は俺の幼なじみの翠だ」
突然始まった、彼の、
一見間抜けとも言える大袈裟な深呼吸と
何とも大雑把な自己紹介
六太の余りにも雑とも思える自分の紹介に
翠と呼ばれた少女は多少不満げな表情を浮かべるも
一転して、実に丁寧な動作で藍人達へ深々と頭を下げると
短く「翠と言います」と
藍人達へと挨拶を作る
そして、翠は顔を上げた直後、
六太へのありったけの不満を込めて
「腐れ縁で、この馬鹿の幼なじみをしています」
と冷ややかな笑顔で捕捉をした
彼女、
名を翠と言うらしい
一見、見た目はどこにでもいるような村娘という印象
といえば、少し語弊があるか
だが、よく見れば、すらっとした長身、
この国の緑のような、鮮やかな碧色の着物を身に纏い
袖口から伸びた細い指先までも、
手荒れの一切ない、透き通るような白い肌が覗く
顔立ちは、その一つ、一つの部位の均整が取れ
全体的に非常に整っている
その中でも一際目を惹く腰の辺りまである長い髪、
一つに纏められていても分かる事だが
その一本、一本が絹糸のような艶を持つ
有り体に言うならば
葵とは系統は全く違うが
かなりの美人である
ここで、どちらがー
といった不毛な議論は差し控える
それは、まるで百や千ある花から
どれが一番かと問うようなもの
桜と梅、菊と椿
どちらが美しいかと論じるは、
あまりにも無意味であるのだ
それから、藍人は六太へと視線を移す
誤解を恐れずに言うなれば
彼の見た目は、冴えないとまでは言わないものの
その幼さの残る顔立ちは、決して美形とは言えない
二人が並び立つと、どうしても
美女と野獣であるとか、提灯に釣鐘
といった言葉が思い浮かんでしまう
まぁ、これに関していうならば
藍人と葵にも言えてしまう事かもしれないのだがー
さて、一方で、藍人は二人が揃って口にした
【幼なじみ】という単語にも、多少の違和感を覚える
少々、穿った見方かもしれないが
並び立つ二人の姿はそう、まるでー
次の瞬間、
藍人は自分が黙り込んでしまっている事に
漸く気付いた
あれこれと考え込んでしまっている内に
相当な時間を労してしまったらしい
今、自分が挨拶を受けている事にも関わらず、
である
すぐさま、はっと我に返るように
慌てて言葉を返すが、それが
あまりにも咄嗟の事過ぎて、
藍人の口から漏れるように出た言葉は
なんとも短い
「あぁ」といった相槌だけとなってしまった
再び途切れてしまった会話
藍人は直後、
内心で、この自分の対応に後悔する
名乗り返すでもない、この藍人の対応は、
この場を少しでも和ませようとする
そんな相手の気遣いを無下にしてしまうような対応
本来であれば、非礼にあたるといっても
なんら過言ではない
さて、次に彼から発される言葉は
咎めか、或いは謗り、罵りの言葉かー
何れにせよ甘受する以外には
藍人には選択の余地はない
繰り出されるであろう叱責に
無意識に身構える藍人
たが、その後に彼から返された言動は
恐らくは、それらから一番遠い言葉と行動だった
彼は藍人の失礼な対応など、全く意に介す事なく、
再び無邪気にニッと笑い、「よろしくな」と、
藍人に向けて手を差し出し、握手を求めるのだった
彼の、度重なる予測を越えた言動は
幾度となく藍人を驚かせるも
その全てから、藍人に対して敵意や害意といったものは
全くもって感じる事はない
それどころか、
寧ろ、それは好意ともとれる
藍人は差し出された手を慌てて握る
しっかりと、固く握手を交わす二人
「へぇ…」と、先に声を発したのは
またもや、彼の方だった
「さっきも思ったけどー」と前置きをした上で
彼は目を細め、続けてこう口にする
「皮の分厚い、固い掌…お前
なかなかに努力したみたいだな…」
彼の口にする“先程”とは
彼が藍人を立たせた瞬間だという事は明白
一見すると嫌味にもとれる、その言葉だが
藍人には、その言葉に限り、
真意を正しく読み取る事が出来た
だからこそ、
藍人はこう返すのだった
「お前も、な…」と
藍人は、美祭に来てからというもの
全く足りないとはいえ、人並みには努力した自負がある
決して勝利とは呼べないが、試験を通過した自尊心はある
その過程で、幾度も擦り切れた掌の皮は
美祭に来る前とは、比べ物にならぬ程厚く丈夫になった
が、反して、反応や攻撃の速度を重視した藍人の身体は
育ち盛りとはいえ、体格は小柄ではあるものの
よく絞られている
つまるところ、
藍人は見た目では、
歳相応の青年に見えるという事で、先の藍人はの言葉は
ある種、六太から侮りを受けたと言う事だった
だが、それを含んだ言葉を受けても
藍人が憤慨しなかった背景には
藍人から見た六太の見た目の印象も
全く同じだったからだった
六太もまた、
見た目は、歳相応の青年
体格は藍人とそう違わない
どちらかと言えば小柄な方である
だが、その固い掌からは度重なる努力が、
容易に読み取る事が出来たからだ
二人は互いに不敵な笑みを漏らす、その心に
『是非に試合ってみたい』
との感情が沸き起こる事は必然だ
恐らくは、戦い方として
同系統の速度戦術同士
まして、同年代の相手
いわずもなが、
接戦になる事は必至だろう
どちらともなく
繋いだ握手の掌に力がこもってゆく
まさに
一触即発の雰囲気である
が、
次の瞬間だった
「痛てててて…」
と突如として六太が間抜けな声をあげる
瞬間、解する握手
藍人が何事かと六太を見ると
彼の後ろに控えていた翠が、冷ややかな表情を浮かべて
六太の耳を思いきりにつねり上げていた
藍人が目の前で起こった
突然の出来事に呆気にとられていると
次の瞬間、横から衝撃を受け、そのまま強く包まれる
「!!」
藍人は突然の事で、よろめきながらも
それを受け止め、改めて何事であるか確認すると
それは葵だった
彼女は俯き、無言のまま藍人に抱きつき、
まるで藍人の行動を自制するようにしがみついているのだ
藍人が思考が追い付かずにいると
葵は怒ったような、悲しげな表情を浮かべて
未だ無言のまま藍人の顔を見上げてきた
そこで漸く、藍人は我に返る
“自分は【今】何をしようとしていたか?”
考えるだけで、
心底、ゾッとした
完全に理性を失ってしまっていた
突然現れた好敵手に成り得るであろう
相手の登場に完全に浮かれ
全てを見失ってしまっていたのだ
藍人は、襲いくる酷い後悔に打たれ
項垂れるように俯き、葵へ
「ごめん…」
と漏らす
葵はその言葉を聞き、
漸く心安を得たのか、表情を柔らかくし
首をゆっくりと振ると
「おかえり…」と優しく微笑んだのだった
そんな藍人と葵のやり取りを尻目に
一方、六太達は、また違ったやり取りを繰り広げる
耳をつねり上げられた痛みに悲鳴を上げる六太
苦痛に耐え兼ねて許しを乞う様に
「わかった…わかったから…」と漏らし
漸く翠は、六太への折檻を止める
六太は少し涙目になり真っ赤になった耳を摩りながら
無言で翠へ不満げな目線を送り、
あらん限りの憤慨を訴えるも
当の翠は一切動じることはなく
未だ冷ややかな表情を浮かべ、
六太を見下ろす様にして、六太の不躾を叱責する
互いに言葉がない分
ともすれば、激しい罵り合いよりも
二人の間に流れる雰囲気は怖い物だったと言えよう
暫くして、先に目線を反らしたのは六太だった
彼は無言のまま、藍人達へとその視線を向ける
釣られて翠の視線もまた、藍人達へと注がれる
「いいなぁ…」
それは、あまりの待遇の違いから
思わず漏れてしまったであろう、六太の心の声
決して本心ではないだろう
言ってしまってから六太はハッと我に返り
恐る恐る翠へと視線を移すと
翠は俯いてしまっている
直後、顔を上げた翠の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる
耳まで真っ赤になっているのは、多分
夕陽のせいではない
「翠…」
彼女の心中を慎重に窺うように
また、宥めるように六太が名前を呼ぶも
その声は、恐らく彼女には届いていない
やがて、瞳に溜まった涙が、
一つ、また一つと白い肌を伝い落ちる
そして、次の瞬間、
とうとう堪えきれなくなってしまったか
翠は無言のまま、藍人達へ深く頭を下げると
彼女の腕を掴もうと伸ばされた六太の手を
彼女は、力の限りに振り払い
六太の必死の制止を振り切って、
とうとう、敷辺宅の中へと戻ってしまったのだった
手を振り払われた六太
伸ばされた腕は虚しく宙を掴む
そして、その後も六太は
その場を動く事が出来ずに
暫くの間、呆然と立ち尽くしたが
その後「悪いが…失礼する…」
と、力ない挨拶を藍人達へと伝え、
慌てる藍人達からの返事を待つ事もなく、
一方的な深い一礼を残して
とぼとぼと屋敷の門へと歩き去っていったのだった