自分の存在する意味 ②
黒石が去り際に残した、
ひどく儚げで、かくも優しい言葉達は
その場に置き去りにされた藍人の心中で
幾度となく繰り返し反響する
彼は様々な言葉を用いて、
二人へ
【生きろ】
と伝える
その姿が、どれ程までに情けなく見えようとも
結果として、暗い水底のような途方もない、
深い、深い悔恨に打たれようとも
たとえ、土や泥に、或いは血に罪に塗れ、
地を這い、泥水を啜るような未来が、
藍人達の行く末に待ちうけとも、
精一杯【生き続けろ】と
簡単には【死ぬな】と
黒石は、藍人達へ
不器用に
けれど、必死に伝えるのだった
知らなければ良かった
知るべきではなかった、と
二人が自らの愚かな選択を後悔するには、
最早、遅過ぎたのだ
それ程までに、告げられた事態の深刻さは、
藍人達の想像を遥かに超えている
突きつけられた、酷く残酷な事実に
二人は言葉を失くし、
静かに俯き、ただ立ち尽くすのみ
そして、嫌でも思い知るのは
自分達が、どれ程までに無力な存在なのかという事だ
人一人の力など、
たかが知れる
全てを守る事なんて
到底出来やしない
そんな事は、葵を選びとった【あの執務室】で
痛い程に理解したはずだった
【どんな手を使ったとしても
どれ程の力を身につけたとしても
私達、人の掌は小さ過ぎて
全てを掬いとる事など…決して出来やしない
私達は万能ではない、まして無論、神でもない
奇跡なども論じる価値すらない…
命を賭けようとも、命は一つしかもたず
それで救える命など、たかが知れている…
ならば優先すべきは最も大事に思う者であるべきで
その結果に出る多くの犠牲には、
私達は目を瞑るほかない…】
あの時、
敷辺が語った言葉が藍人の中で
ゆっくりと、その重みを増してゆく
そんな事、今では、
再び言われずとも
はっきりと理解出来ている
たとえ、
どれだけの命を見殺しにしようとも
どれだけの人に恨まれようとも
藍人にとって
選ばなければならない選択なんて、
考える余地もないはずだ
なのにー
遠くで響く夕刻前の煩い程の喧騒が
藍人の耳に届く度に、
やり場のない苦しみが、ふつふつと沸き上がり
心は酷く揺さられ、激しく搔き乱される
こんな…、結末なんて……
決して“認めたくない”と
心は悲しげに、叫ぶも
藍人が
どれだけ思考を巡らせようとも
最早、諦める以外の選択などないと思われ
唯一出来た事と言えば、俯き、固く瞼を閉じて
決して泣くまいと、奥歯を強く噛み締める事だけだった
だがー
そんな時だった
「こんな結末なんて……あっていいわけが、ない…」
消え入りそうな声、
けれど、明確な意思が含まれている言葉だった
突如として、葵の発した言葉によって
二人を包む重苦しい沈黙は、
ようやく、
破られた
その声に、藍人は、はっと顔を上げ
慌てて、声のした隣へと視線を移す
彼女はこの絶望の只中にありながらも
その潤む瞳の奥、揺るがない決意を宿している
先程の言葉、
一聞してみれば、葵らしからぬ言葉に思え
その為に、一瞬、藍人は自分の耳を疑った
藍人の瞳に映った葵は
次の瞬間、零れる涙を乱暴に拭うと
今度は藍人の瞳を真っ直ぐに見据えて
先程と違い、強く訴えかけるように、
はっきりとした口調で言葉を紡ぐ
「こんな結末なんて…
絶対に、あっていいわけがないじゃない!!」
その葵の非常に強い意思を含む言葉は
藍人の心を揺さぶるには十分だった
けれど、
そんな事ー
藍人はゆっくりと目を伏せて、努めて穏やかな口調
まるで葵へ言い聞かせるように口を開く
「そんな事は、俺だって同ー」
「藍人!」
葵は、反論する藍人の言葉を遮るように
藍人の名前を呼び、震える掌で藍人の頬にそっと触れる
そして、
諭すように、優しい口調で
こう続けるのだ
「話をしている時は、俯かないで…
こっちを…私を、見て…」
と
葵の言葉と、頬に触れた掌の優しい温もりに
漸く、ゆっくりと顔を上げた藍人の瞳に
穏やかに微笑む葵が映る
そして、葵は、
これまでで聞いた中でも
一際優しい口調で、こう続けるのだった
「まだ、諦めないで…」
と