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黒い家  作者: そら07F
120/187

敷辺という人物

時刻が昼下がり、

場所は敷辺本宅の端


そこは、敷辺の寝所も兼ねている事から

屋敷に無数ある部屋の中でも、

敷辺が最も安寧を得る事のできる部屋だ


造りは畳敷きの実に簡素な和室

広さは八畳間といったところ


ここが屋敷の端というところもあり、

入り口である障子の先には廊下、

その先に屋敷を囲む高い塀を望む


残りの三面、うち二面の漆喰造りの壁

その壁には多くの棚が取り付けられ

様々な文献、蔵書本、著書が並び


残り一面は襖一枚を隔て

黒石の寝所となっている


この件に関しては

黒石からの突然の提案から始まった事ではある


当初は勿論、様々な懸念が飛び交った

その殆どの意見として、当然の事ながら

未婚の、それも年頃の、多感な時期の、男女がー

と、言うものだ


それもそのはず

当時、敷辺はまだ齢十四歳に満たず

対して黒石は二十歳、


万一にでも黒石が欲望に負けて

敷辺の寝込みに襲いかかるような事になれば

恐らく、敷辺に抵抗する術はない


だが、その反面

黒石はその頃、近衛隊隊長を拝命したばかり

つまり、

この美祭で最強の称号を得たと言って過言ではなく

護衛としては、この上ない人物だった


加えて、黒石は先代がその才能を見抜いた原石

幼い頃から天真爛漫だった敷辺の相手をさせられ

その為か黒石自身、

敷辺の気心を深く理解していた自負がある


またその頃、

敷辺も黒石を兄のように慕っていた時期があった


だが、先代が亡くなった頃からか

黒石は寝ても覚めても武を極める事に躍起になり


次第に敷辺のお守りの地位は

敷辺宅の使用人達へと移って行った


敷辺はというと

先代の急逝に数日間に渡り泣き腫らした後、

まるで何かに取り憑かれたの如く、

必死に様々な勉学に勤しんだ


そして、数年の後、

可憐な少女へ成長を遂げた敷辺は

名実共に美祭の領主の座へと就く


領主となった敷辺は

実に凄まじかった


まず敷辺の名前を他に知らしめたのは

まだ若輩の身でありながら、

その可憐な見た目からは到底想像できない程

丹念に練り込まれた戦略だった


諸々が経験不足なはずの敷辺が次々と繰り出す

様々な政策の数々


そのどれもが的確に機能し、

いつの間にか相互効果さえ生まれいく様は

否が応にも瞬く間に周辺の里まで噂となる程だった


後に敷辺の才と呼べる物は

数多くの伝説的な話として口伝されているが


その中でも特筆すべきは

まるで未来が視る事ができるか如き

機を測る才である


生き馬の目を抜く世界で

敷辺が目の前のどんな些細な勝機であろうとも

見逃す事など、まずあり得ない


それは例えるならば

並みの者が或る目的の為

多くの事を計算し、余多の策を労し

漸くの思いで結果を悟った時には


敷辺ならば、他が預かり知らぬ内に

既に勝利を、その手に納めている


そして、その事に他が気付く頃には

敷辺は美酒に舌鼓を打っている

と言う構図が完成している



【機を視るに敏】



とは、よく言ったものだが


敷辺に於いては、そんな安い言葉では

到底表す事など、出来ようはずもなく


それでも

無理矢理に言葉にするならば



全てを見通す【千里眼】



とでも言うべきが



ともかく敷辺は

生まれ持った非凡なる才覚を遺憾なく発揮し

数年の間、領主不在で没落しかかっていた美祭を

文字通り破竹の勢いで持ち直していった


その結果として、美祭は先代を凌ぐ勢いで

今尚、依然として発展を続けていると云われている



そして、敷辺が内政を整備し

外政に一先ずの安定を勝ち取り

美祭に暫しの安寧を勝ち取った頃


ほぼ時を同じくして

先代の近衛隊長を最終試験にて見事に打ち破り

新たに近衛隊長に就任したのが


黒石だった


こうして、

意図せず疎遠となっていた二人が

お互いの顔をしっかりと見つめ合い

実に数年ぶりに対峙した

黒石の近衛隊長就任式に於いて


他の隊員や観衆が見守る中という

実に華々しい式典で


突如として高らかに提案したのが


件の寝所の事だったのだから

その瞬間に会場は大いにどよめいた事は

言うまでもない


周りが酷くざわつく中

直後に、敷辺の目をしっかりと見つめ黒石が放った言葉は

激しい喧騒の中にあっても敷辺の耳には鮮明に届き



また敷辺は

決して忘れ得ぬ言葉となった



「私を、誰よりも貴女のお側に…

 私は貴女だけの刃であり、貴女の盾です 

 生涯、他に何があろうとも、何者が相手であろうとも

 たとえ命を懸けてでも貴女だけはお守りしてみせます」



そして、小さく


「私は、その為だけに強くなると

 ずっと誓っていましたから…」


と、


黒石は、震える声で

愚直に、必死に、

敷辺だけに伝えたのだった



直後、即答を避け

袖へと下がった敷辺


高鳴る鼓動は、

暫くの間、収まる事を知らず

また頬の熱が引いたのは

それから実に半日間経ってからだった



この黒石からの突然の提案には正直

敷辺自身も驚きを隠せなかった

何せ全くもって予想外だったからだ


敷辺ともあろう者でさえ、黒石の言葉の真意を図りかね

検討に数日の時間を要した事からも

伺い知る事ができる


敷辺は色々と必死に考えた末

数日後、


結果として周りの反対を押し切る形で

黒石は見事に敷辺の隣の寝所を使う権利を

敷辺より賜ったのだった


だが


「平時、私が休む時

 襖を一寸でも開ける事があれば

 お前を殺す」


との何とも恐ろしい条件付きではあるのだが



さて、

敷辺の私室の話に戻るが


壁や取り付けられた棚板、

襖、障子や畳に至るまで


飾り気は勿論、上物の呼べる物がないどころか

庶民が使うような一般に多く流通する物が

多用されている


それらは領主という立場から考えれば

いささか質素に過ぎるという印象を受ける


だが、

これは贅沢を嫌う敷辺という人物を考えれば

然も当然の事と言えば当然の事

彼女が重視するのは何よりも

利便性や機能性という物であるのだ


更に、と語るならば

これは彼女が尊敬する先代領主の話まで遡るが


彼女に残る少ない記憶の中で

先代領主は、口煩くこう語っていた


「身の丈に合わぬは、いつか身を滅ぼす」

「平家を滅ぼすは平家である」

「足るを知れ」


今考えてみれば、医学以外の勉学が何より嫌いで

学がない先代なりに焦りを覚えたか、

様々な文献を読み漁り、

参考になりそうな言葉を調べては

したり顔で幼い敷辺に伝えたに過ぎない


そんな先代を、まだ無垢だった敷辺は憧れに満ちた

キラキラとした視線で見上げていた


だが、先代の死語

彼女の愛用していた机から見つかった

無数の付箋付きの様々なボロボロの哲学書の中

付箋紙が付いている頁から


彼女が自信満々に語った格言と同じ物が

多数散見できた事で、呆れにも似た、

残念なような何とも言えない感情が沸き上がり

思わず苦笑してしまったが


直後、それよりも、読書嫌いの彼女が

幼い自分の為にと、努力する様を考え

思わず胸を熱くしてしまった


それらは敷辺という人物を語る上で

欠かせない、先代とのかけがえのない思い出であるのは

決して間違いない


また、そんな先代を反面教師にして

敷辺が独学に近い形で寝る間を惜しむ程に

勉学に勤しんだ事は言うまでもない


斯くして話を戻すと


心地好い静寂が訪れた私室で

敷辺は一人、畳の上

仰向けに寝転び天井を見上げて小休止


敷辺の辺りの床には読み散らかした

有象無象の本が散乱し

目の前の私室用の低い和机には

書きかけの書物や筆などが広げられている


冬の足音が間近に聞こえ出す

この季節、部屋に吹き込む冷たい風が

パラパラと辺りの本の頁を捲っている


敷辺は紙擦れの心地のいい効果音を聴きながら

ゆっくりと瞳を閉じて意識を少し遠くへ向ける


遠くでは夕刻前独特の里の賑わいと

近衛達の鍛練の声が響いている


そのまま意識を更に深くへ持っていくと

次第に鼻腔には夕餉の炊ける米の匂いや

その他のいい香りが届き始め

否が応にでも空腹を助長させる


だが、この時ふと微かに響いた不協和音に気付き

敷辺は怪訝そうに顔を僅かに歪ませる


バタバタとした足音が二人分

声を張り上げ自分の名前を呼ぶ、男女の声


家人達の静止を呼び掛ける声が混じり

オロオロと少し狼狽えているのが伝わってくる


敷辺は深い、

何より深い溜め息を一つ


そして、

心労と疲労感で重たい身体をゆっくりと起こす


正直、この訪問は

無論予見済みの出来事ではある

が、訪問者の、あの慌てぶりである


予想外の様子に

いささか不安を覚える


しかし、

まぁ…何だ、

どっちにしてもだ


「誤差の範囲…だよな……」


そう、小さく呟く



見れば陽は傾き

あと半刻もあれば、

鮮やかな夕焼けに変わる頃か、と確認し




足場なく散乱した本の海を抜け

掛けられていた外套を羽織ると


足早に部屋を後にするのだった





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