不穏な影
藍人が深い眠りに落ち
藍人をがんじからめにしていた
過去の鎖との決別を果たした
その夜ー
敷辺の本宅では
美祭の人々による盛大な祭りが
続いている
久々に開かれた酒宴
それは、祭の主賓である藍人と葵が帰宅して尚
狂祭と呼ぶ事の出来る程に、
異常な盛り上がりを見せ
未だ、その熱を失う様子はない
敷辺本宅の広間や隣接する庭には
絶え間なく大袈裟な笑い声が響き、
加えて冗談混じりの言葉や
身近にあった笑えるような些細な出来事の話
その他には互いを労い称賛し合うような言葉達が
飛び交っている
だが、この一見すれば、
何の変鉄もない宴にすら
他の村々や里に見られない
美祭特有の一面がある
それは、
このような席に於いては
華ともいえる喧嘩はおろか
それ以前に、言い争う声や、
他人に対するに愚痴や、貶めるような言葉は
一切聞こえてこない事だった
他の村や里であれば
振る舞われる多量の酒や、
その熱狂的な雰囲気で正気を無くす者は
少なくない
それらの者の中には
箍が外れ、警備の目を盗み、
目の行き届かない場所での軽微な犯罪や、
または公共の場でであっても
村人同士の喧嘩があったとしても
無理もないと言えるだろう
或いは、
治安を守るべき者や、
また、その村や里の長などの権力を持つ者もが
それらに便乗して、罪を犯す事すらも
有り得る話だ
そして、大抵の権力者は
それらを黙認する
それらは、
ある種、発散方法と言えるからだ
仕方のない事であるとは事では言え
日々の重労働や、
対価として見合う事のない少ない糧
それらだけでも、不満は蓄積される
その一つ一つは、とるに足らない、
実に些細な、不満や不平である事が多い
例えば、嫉妬、嘲り、侮り、
等の負の感情
だが、知らず知らずの内に溜め込まれた
それらの行き場のない感情は
いずれ抱えきれない程に大きな物なり
やがて、あっという間に
暴発する
そして、
更なる問題としては
その怒りの矛先にある
何故ならば、
それらの感情の矛先は
経緯はどうあれ
権力主体へと向けられる場合が多い
村の長や兵役の者は
普段、泥にまみれた労働を強いられる事はなく
あまつさえ、その食事や身につける着物ですら
農作業の者とは比べ物にならない程に
豪勢な場合が多いとされるからだ
蜂起した農民は武器をとり
それを抑え込もうとする長人
または兵とぶつかる
里の分裂を引き起こす、
血なまぐさい争いが起こり
その結果は、
どちらに軍配が上がろうとも
多くの犠牲者を出す場合が多く
最悪の場合は、里の全滅すらありえるのだ
そして、たとえ全滅を免れたとしても
多くの労働力を失った村は
急速に力を失う事となり
やがて、そんな村の多くは、
ひっそりと、その歴史に幕を降ろす
だからこそ、
権力者の大半は、それらを恐れ
酒宴においての些細な喧嘩や、
軽微な犯罪を暗黙の了解として
処理する
言い換えるならば
自分に向けられる不満を
誰かが肩代わりする事を、願う
だが、この美祭に於いては
その心配は一切ないと言える
この美祭では、
誰もが、自らの役割をしっかりと自覚し
日々の労働に精を尽くす
仮に誰かが不満を抱けば、
それがいかに些細な物であっても
それらは敷辺を交えた
話合いによって
制度の改善を目指す仕組みが整えられている
そして、その結果、
改善する事柄があるならば
それはすぐに反映され
共有化される、この仕組みは
誰もが美祭の一員であるという
意識を育てると共に
今より、
より良い労働環境へと
誰もが願う事のできる仕組みを構築する
そして、
通常、不平の対象になりがちな兵にも
一工夫が施されている
この時代では、
他の里で取り入れられている
争いの時のみの農民徴兵制ではなく
美祭は先進的に
近衛のような部隊には専業兵を採用し
その他、守衛には
数年の兵役制を取り入れている
こうする事によって
美祭に住む男性の誰もが
一度は、兵になる事で、
その苦労や大変さを知ると共に
専業兵への敬意を育てる
また、誰もが
予備兵力であるという事で
結束力を高める副産物も生み出す
こうして、
練り上げられた様々な仕組みに依って
この代の美祭は、
他の里が羨む程に平和だった
けれど、この時の美祭を知る者は
こう語る
〃この美祭が繁栄出来たのは
敷辺の才によるものである〃
と
しかし、同時に
こうも語られている
〃この後、美祭が窮地に立たされたのは
敷辺の才のせいである〃
と
未だ祭りの熱が冷めぬ夜
広間や中庭では深夜になっても
多くの笑い声が生まれ続けている
その喧騒が遠くに響く
ある執務室
そこは、昼間に、
敷辺と藍人達の
例の問答があった部屋だった
その暗い執務室で
敷辺は一人、蝋燭の灯りを頼りにし
おもむろに壁を触り、何かを探している
すると、突然
敷辺は目当ての物を見つけたのか
「これ…か…」
と思わず声を漏らす
その壁にあったのは
小さいが真新しい傷痕
敷辺がその壁についた傷を
蝋燭の灯りで照らしてみると
その傷の奥で、鈍く反射する塊が見てとれる
敷辺は懐からナイフを取り出し
壁の傷にあてがうと
その塊を確認する為、
ガリガリと、無心のままに壁を削る
数分後
漸くポロリと落ちた塊は
床に落ちコロコロと転がった
敷辺はすかさず塊を拾い上げ
確認すると、苦々しく一笑した
敷辺が拾い上げた物
それは鈍く光を反射する
弾丸だった
敷辺は弾丸を強く握りしめると
立ち上がり、
昼間に自分が藍人達と対峙した時に
座っていた場所へと移動し
腰を降ろす
それから、
ふぅ、と溜め息を一つつくと
引き出しから一丁の拳銃を取り出し
昼間と同じように構える
そして、目を閉じて
深く意識を集中し
昼間の光景を鮮明に思い出す
蒼雲、藍人、葵
と、その位置関係を寸分の狂いもなく
思い出す
そして、
思い出した葵、藍人へと
銃口と殺意を向ける
怯えた葵の顔を
決意をもって、こちらを睨み付ける藍人を
思い出す
そして、
次の瞬間
敷辺は、先程より深い溜め息を吐くと
ゆっくりと銃口を下ろす
そして、
おもむろに拳銃の薬室を開くと
込められた弾丸の数を確認する
この動作に、
意味がない事くらいは
敷辺本人が知っているが
それでも、否定したい一心で
一発づつ、確実に拳銃から弾丸を抜いていく
一つ、また一つとー
計四発を抜いた
この拳銃の最大装弾数は五発
しかし、昼間一発撃っている事を考慮すれば
残りは四発
しかし、重要なのは
残りの弾数などではなく
その全てが
空砲などではなく
実弾だと言う事だった
それは、昼間、敷辺が藍人を撃った時も
それは空砲などではなく、実弾だった事は
先程壁から発見された鉛弾が証明している
では、何故
発射された弾丸は
葵に当たらなかったのか
無論、敷辺が外したと言えば
それまでの話なのだが
先程、弾丸が発見された場所は
昼間、葵達がいた場所の
丁度背後に位置する場所だった
つまりはこうだ
昼間、敷辺は二人を実弾で撃ったが
発射された弾丸は
現実として、あり得ない軌道を描き
二人の背後の壁へと着弾した
という事になる
敷辺はハハハと乾いた笑いを溢し
次の瞬間には
目の前の執務机に散らかった道具類を
力任せに凪ぎ払う
部屋にガチャガチャ、ガランガランと
盛大な音が響き渡る
そして
「くそ……」
と苦々しく漏らした
昼間の、一見、
説明の出来ない現象
それが何を意味するかを
敷辺は正しく知っているのだ
そして、直後
そんな敷辺に追い討ちをかけるような知らせが
舞い込む事となる
敷辺が呆然と座り尽くしていると
実務室の扉がゆっくりと開けられ
その瞬間、我に返った敷辺は
「誰だ!?」と
声を強ばらせ、問う
敷辺の警戒した問いに
「俺です……」と酷く落ち着いた、
しかし、
どこか感情を噛み殺したような
不安を覚える声と共に現れた人物
それは、黒石だった
敷辺は思わぬ人物の登場に
拍子抜けしたのか、
剥き出しにしていた警戒を解き
「お前か……何だ?
皆と飲まなくていいのか?
明日からは、また禁酒だぞ?」
と茶化してみるも
黒石のは表情を明らかに暗くし
敷辺の問いに黙ったまま
一向に口を開こうとしない
その明らかに様子のおかしい黒石の姿に
敷辺は、なにか事の重大さを感じとり
緊張し、恐る恐る問う
「何か……あったのか…?」
敷辺の緊張が伝わったのか
黒石は俯き、伝えるべき報告を
ポツリポツリと言葉にしだす
「今……隣の里にやった者から…
報告が、来ました…」
黒石が口にした事を要約すれば
隣の村に潜入させている者からの急報がある
という事だった
敷辺は首を傾げる
その事事態は、さほど珍しい事ではないからだ
もともと、この美祭は
その肥沃な土地柄と、
シキサイ村の入り口に位置している事も相まって
その利権を狙う、二つの隣村と犬猿の仲である
以前までは、
その為に、武力を使い争った事もあるが
美祭の歴代の領主の才もあり
幾度もの侵攻を退けてきた歴史をもつ
その為、今では互いに協定を結び
薄いながらも交流を持ち
共生関係になって久しい、この頃
その隣村からの報告と言えば
隣村が食糧不足であるだとか
疫病の兆しがあるといった
救難要請が殆どで、
その度に何代前の敷辺からか、
惜しみ無い援助を施し
外交的に貸しを作る事で
無用な衝突を避けてきた
〃どうせ、
今回も食料の無心か何かだろう?〃
黒石の様子に、沸き上がる
不安な気持ちを圧し殺すように
自分にそう言い聞かせ
黒石からの伝令の手紙を受け取り、開く
しかし、直後
黒石からもたらされた急報に
敷辺は戦慄する事になる
「な……に……」
血の乾いたような茶色の文字
殴り書きのような乱暴な書体に相応しい
荒々しい文章
『隣村共ニ、武装蜂起ノ兆シアリ
尚、非公式ナレド、二ツの村結託の恐レ』
手紙の内容に言葉を失った敷辺に
黒石は苦々しく補足するように
言葉を続けた
「それと同じ物が…もう一枚、
届いたんです……」