『くっ! 俺の右手が疼く! 離れてくれ!』『病院で脳を検査しましょう』『え?』
『くうっ! 俺の右手が疼く! 勝手に動く! 封印された力があ!』
はいはい、中二病、おっつー。
という話では無くて。
この右手が動くのを左手が止める、というのは実はあってもおかしく無いこと。暴れる右手を左手が押さえつける、ということは脳の仕業ということもあるわけで。
てんかんの発作を押さえる治療として、脳梁離断術がある。左右の大脳半球を結合している脳梁を取り除く方法で、発作波が一気に脳全体に広がることを防ぐ、というもの。
この脳梁とは簡単に説明すると、右脳と左脳を繋ぐ器官。この部分を切断すると、人の脳は右脳と左脳で連絡が取れない状態になる。
左脳は右半身を動かし、右脳が左半身を動かす。なので右脳と左脳の連結を切断すると、左脳が動かそうとする右腕を、右脳が動かす左手が押さえつけて止める、という状態にもなる。
暴れだす右手を左手が押さえつけて止める。
端から見るとちょっと驚くような光景かもしれない。
言わば、人の脳とは右脳と左脳で別々のことを考えているようなもの。右脳と左脳はそれぞれが別人ともいえる。それで、連絡が上手くつかないときは、それぞれが勝手に動こうともする。
ひとつの脳の中にいくつもの思考、いくつもの人格がある、とも言えるわけで。
これを手術で繋がるところを切ってしまうと、脳内での繋がりが切れ、右手と左手がケンカすることもある。報連相が大事というのは、一人の人間の脳の中でも大事なのだ。
一人の人間がひとつの思想やひとつの主義、ひとつの人格であって欲しい、というのは個人の都合。実際は一人の人間にはいくつもの人格、性格、思想に思考がある。
ただ、約束や契約を結ぼうという相手が、そのときの気分で言うことがころころ変わると、そいつは信用できない、となる。
なので、一人の人には人格、性格、思想というのはひとつであって欲しい。変化しないで欲しい。
契約と約束を重視する社会では、以前に言うことと後になって言うことの違う、朝令暮改な人は信用されなくなる。
しかし、固定し一本化した意思というのは変化しないこと。これは時に人の変化まで否定することになる。これは人の成長と進歩を否定することが安心に繋がる、という考え方にもなる。
これが極端に走ると他人の思想まで自分の思想で一本化したいとか、逆に自分の思想が他人の説得で変化させられるのは、自我が消えるという恐怖から受け入れられない、ともなる。
『四十歳を過ぎると、自分の習慣と結婚してしまう』というのはイギリスの小説から出た名言。
経験で得たイメージを優先する思考になってしまうのは、人の思考のクセでもある。また、慣れたイメージであってくれると混乱せずに安心もできる。
脳の処理で言うと視覚と聴覚で得る情報は全く違う。
耳で『ワン』と聞こえたなら犬の鳴き声だし、『ニャー』と聞こえたなら猫の鳴き声になる。
なので目の前に見える犬が『ニャー』と鳴き、猫が『ワン』と鳴けば、首を傾げたり驚いたりすることになる。
犬はワンと吠え、猫がニャーと鳴くのに慣れていれば、そこは変化して欲しくは無いとなる。
これは、人は自分の持つイメージに合わせて世の中を見ようという思考のクセになる。
犬はワンと吠えろ、猫はニャーと鳴け、というのも特徴という個性の否定に繋がり、現状を変化させたくない人の思考のクセとも言える。
さて、脳で言うと男脳、女脳、という話がある。男と女では脳の造りが違い、そこが男女のモノの考え方の違いに繋がる、という説だ。
この説をもとにしていくつも本が書かれた。
男と女では脳の構造に違いがあり、それが男女の違い、性格や考え方の違いに通じる、というもの。
女性は男性に比べ大脳半球を繋ぐ脳梁が太い。海馬に性差がある。
ここから地図が読める脳、読めない脳、は男脳と女脳の違いから。男性脳はシングルタスク、女性脳はマルチタスク。男脳は論理的、女脳は感情的など。コミュニケーションの取り方の男女の違いも、脳の構造の違いから、という書かれ方をされていたりする。
また、男性の同性愛者は女性のように脳梁が太いから、という珍説もある。
過去にはハーバード大学の学長が『科学の世界で大きな成功をおさめる女性が少ないのは、脳の構造による可能性がある』とスピーチして、顰蹙を買った。
女性の脳は、家事や子育てに向いている。一つの分野を極めることができるのは男性の脳だ、と差別的な説に使われることもある。
ところが、2015年にイギリスのグループが報告した調査によれば、脳梁にも海馬にも、従来言われていたような男女差はほとんど見られないという。
リーセ・エリオットが率いる英国のロザリンド・フランクリン医科学大学の研究。6000件を超えるSMRI(構造的核磁気共鳴画像法)検査の結果、これまで『男性脳』『女性脳』の違いの根拠とされてきた脳の性差は、実際には存在しないという研究成果が発表された。
■脳の海馬の大きさに、大きな男女差は無い。
■脳梁の太さに、大きな男女差は無い。
■脳の半球による言語処理の方法に、大きな男女差は無い。
以上三つ、これまで男女の脳の性差と言われる説の根拠が、否定される結果が出た。
加えて、長くタクシー運転手をしていた人物は、脳の空間把握領域が鍛えられ肥大するように、人間の脳は、経験に応じて変化する可塑性がある。
このことから、脳においては男女の性差よりも、個人の差の方が大きいことが分かってきた。男と女での違いよりも、同性での個人差の方が違いが大きいことになる。その差異も先天的なものでは無く、後天的な環境や経験の違いで変化する要素が大きいことがわかってきた。
では何故、これまで男女の性差は脳にある。生まれつきの脳の構造に、男女で大きな違いがある、という学説が支持されてきたのか?
男女の脳の違いについては、1982年に『サイエンス』誌で発表された。
女性の方が男性よりも脳梁が太かった、というもの。
しかし、この論文ではサンプル数が男性9人、女性5人の、計14人。根拠となるデータが少ないものだった。
その後、検査機器が発達し多くのサンプルを調べられるようになったことで、違う結果が確認されたことになる。
しかし、この男女の脳の違いはサンプル数が少なく、根拠が曖昧でありながらも、広く支持された。
また、この論文をもとにして多くの『男性脳と女性脳の違い』について、解説するものや、男女のモノの考え方の違い、コミュニケーションの取り方、という本がいくつも書かれることになった。
新たな研究結果が示されたことにより、長く間違った論が多くの人に支持されていたことが解ってきた。
ここに人の思考のクセがある。
文化的に染みついた男女の違い。環境や風土に作られた価値観は、男女の性差を『先天的な脳の構造の違い』であって欲しい、という期待がある。
『海馬は、短期及び長期の記憶に関わり、感情を感覚に結びつける脳の部位。海馬は女性は男性に比べてかなり大きく、その為に女性が男性よりも感情表現が豊かで、言葉を記憶する能力が高いという』
この海馬の性差も発表されてから長く信じられていた説だが、このように説明されると、なるほど、と、人は感じてしまう。
男と女は身体的には大きく違う。
だが、言葉使いに男らしさ、女らしさ。コミュニケーションの取り方の違いに、思考の違い。男と女で別れるグループの違いで作られる環境の違い。これらは経験と習慣で形作られるもの。
それが先天的な脳の構造の違い、と説明されると安心する。と、いうのが根拠の甘い間違った説を信じる動機となったのではないだろうか。
近くて遠い男と女。
人はどこかで、男と女という違いすぎる生き物に対して、先天的に脳の構造から違っていて欲しい、と考えるようだ。
人とは、難解で理解するのは難しい正解を探すよりも、理解しやすく納得しやすい間違った答えに飛びつきやすい。
間違った学説が支持を得、その説をもとにした本がベストセラーにもなった。
1982年に発表された男女の脳の性差は、2015年に否定された。しかし、今もまだこの説を信じている人は多い。
単純化された答えは脳に入りやすいが、それが正解か間違いかは怪しいもの。
まわりの人が信じているから、正しい、というのも人の安心に繋がる。
また、脳に入る情報によって世界の見え方も変わる。ひとつの物語に感銘を受けて、意見が真反対に変わることも珍しくは無い。
思考や意識が矛盾した存在ならば、一人の人間が常に首尾一貫している方がどうかしているのだろう。
人は右脳と左脳で別人でもある。ひとつの脳の中で幾人かの別人が討論することが、思考であり思索でもある。
人の話はちゃんと聞きなさい、とは誰しも聞いたことがある言葉だろう。ならば他人の話を聞くように、ときには自分の頭の中の別人の話も、ちゃんと聞いてみてはどうだろうか?
同調圧力の高まる現代。自分の頭で考えない偽凡こそが生きやすい、という風潮もある。
一方で子供の自殺は増加している。
文部科学省のまとめによると2018年度に自殺した小・中・高校生は前年比33%増の332人。
1988年に現在の方法で統計を取り始めて以来、過去最多となった。内訳は小学生5人、中学生100人、高校生227人。高校生は前年比42%増。
■対他過敏性『これだけ努力したのだから満足』と自己の達成したことを認められずに、評価の尺度はつねに外部の世界にある。そのため『自分の行いが他者からどのように評価されているのか』という点ばかりに関心が向いている。
鬱に傾きやすい典型的な性格傾向のひとつ。
他人の話に合わせてばかりでは自殺へと追い込まれることがある。
他人の話を聞くのも大事だが、自分の話を聞くのも大事なこと。たまには孤独の中で、自分の頭の中の別人と話をすることも、人には必要なことだろう。
自分の中の別人の話を聞けるのは、あなたしかいないのだから。