第三十一話・ありきたりな終着点
赤髪の青年、ジェイコブは冷たい表情で槍を振り下ろす。
鎧の隙間を抉られて、一体の霧の兵士が倒れていった。
(弱いけれど、いかんせん数が多いな)
背後の影がゆらりと揺れる。
そこから生えて来た兵士達に対し、青年は槍を構えた。
矛先を地面すれすれに走らせる。
チチッと火花が散った。
兵士の胴体に迫った槍の先端が、ごうごうと燃え上がる。
怯む兵士数体の頭を貫いて、ジェイコブは艶やかな顔をしかめる。
「全く……今は精霊の鱗粉は貴重品なんだよ?」
ふと、彼は意識だけで相棒の様子を伺う。
(あっちは大丈夫そうだね)
悪魔から、恩返しとして若返りの提案を飲んだのは、ジェイコブのわがままだった。
バゼット・レーウェンは豪気で底抜けに明るい。
いるだけで周囲がその背中を追うような皇帝であった。
しかし、一番近くにいた青年だけは知っている。
――少年が自分のことを「師匠」と呼ぶのだと、養子にとった少女が誕生祝いをくれたのだと、そうはにかむ姿はただの老人に過ぎなかった。
(だからこそ、僕が生きている限り、君を一人で戦場にやるものか)
頼まれたってごめんだ。そう思いながら、ジェイコブは槍で敵を穿つ。
鎌のような形状の影が、老父と一定の距離を保ちながら振り下ろされ続ける。
何本かは掴んで折りはしたものの、まだまだ数はあるようだ。
バゼットは笑顔のまま、一度その場に立ち止まった。
深呼吸と共に、ただ洗練された動きで拳を突き出す。
瞬間――正面にあった瓦礫が、影の鎌が、霧の兵士が、ついでに鼠までもが吹き飛ばされた。
足を土と同化していたクトーだけが、その風圧を耐え切った。
「うひゃー、君本当にこっち側なんじゃないの?」
「残念だったな。生まれも育ちも人の子さ」
自嘲するように鼻を鳴らして、バゼットは仮面の商人の懐へ踏み込んだ。
クトーは静かに両手を広げた。
確かに、老父の腕は青年の腹を貫いた。
しかし傷口から血が滴ることはない。
片眉を上げたバゼットの耳に、くつくつと笑う声が聞こえた。
ぐにょんと腕をすり抜けて、商人は自分に空いた穴を撫でる。
途端に、向こう側が見えなくなった。
「残念だったね。物理攻撃じゃダメでえ〜す!」
「ほォん? あんた個性的な身体してんな」
仰々しく手を胸に添え、クトーは顔をあげた。
「申し遅れました。移植用臓器売買人クトー。畏敬と不安と暗闇が固まってできた――悪霊でございます。どうぞお見知り置きを」
「ご丁寧にどうも」
笑い合いながら、バゼットは先ほど消えた傷口を見る。
(……完全な修復までは数秒かかるのか)
ならば、
(倒せんなら何も問題はねェな)
老父は静かに隙が訪れるのを待った。
上空、精霊界との門近く、銀髪の少女は髪を振り乱す。
先刻無理な特攻をしたためか、体の半分がまだ痺れていた。
ドラゴンはそんなことはつゆ知らず、口から火の玉を吐き出している。
不意に、アニタは門の異変に気がついた。
「っ、まだ来るの?」
中央から少しずつ、三頭目の顔が覗き始めていた。
飛行船は無事に離れていっているが、早く二頭目を仕留めなければ、また襲われてしまう危険性がある。
(どうしたら)
ふと、少女の脳裏にある単語が浮かび上がる。
――武器。
戦闘形態の華玉が用いる半身。
痺れている方の手を開閉する。
鈍くはあるが、動くようにはなっていた。
迫ってくるドラゴンと、精霊界の門が直線上に並んだ時、少女は両手を前に掲げた。
突然、彼女の意識が途切れる。
頭の奥の奥に投げ出される感覚と、懐かしささえある冷たい大地。
自らの深層に足先をつけ、アニタは――その氷を砕き散らした。黒い炎が少女を包む。
かつて目を閉ざした自分の怒りを、真っ直ぐに受け止めながら底を目指す。
魂の底深くに、他ならぬ天使が待っていた。
「ミカエルさん……」
彼女は無言で手を突き出す。
その上に、光の粒が集まったかと思うと、眩い装飾の槍が横たわっていた。
無意識のまま、アニタは両手をその矛先に差し出した。
パキッと先端が折れ、少女の手のひらへと落ちていく――
兜の中で瞳が瞬く。
アニタは自分が何かを握りしめているのがわかった。
張り詰めた弦、青い矢尻、異様なほど巨大なそれに彼女は囁いた。
「ボウガン?」
そうだと応えるように、矢の輝きが増した。
喉奥で炎を渦巻かせるドラゴンに、少女はきゅっと口を結んだ。
指を引く――重たい弦が弾けた。
きっと、大陸の東方に一筋の流れ星が見えたと、どこかの誰かがそう言うだろう。
矢は進むに連れて羽を重ね、旋回しながら怪物に激突した。
丸い鮮血が辺りに舞う。
木っ端微塵になったドラゴンの死体は、海の中へと落下していった。
それでも矢は止まらない。
門の中央から出ていた頭が砕け散る。
(あ……まだ壊れてない……)
かくんと全身の力が抜ける。
武器を展開した瞬間に、少女の傷は治癒していたが、反動もまた大きいものだった。
ゆっくりと視界が逆さまになる。
くら、くら、回る世界で、精霊界への門が震えていた。
門――改め、精霊エラムは炎を吹き出した。
精霊界との繋ぎに使われているのは、彼女自身の力であった。
それ故、限界まで使い切ってしまえば、自動的に繋ぎも切れることになる。
魔女と、魔女の息子からつけられた枷も、先ほどより弱くなってきていた。
「……舐めてんじゃないわよクソババア」
彼女は出力を上げる。
限界まで使うということは、人で言えばギリギリまで血を抜かれるということ。
脳裏に少年少女の笑顔がよぎる。
仮装実体の消滅を覚悟して、エラムは叫んだ。
「エムザラは死んだの! 間違えないで欲しいわねぇ? ここにいるのは、精霊王よ!!」
門が中心へと収束し、付近に炎の円が放たれたかと思うと、後には青空だけが残された。
少女は翼で勢いを殺しながら海に落下する。
その視線の先で、ひらりと小柄な何かが姿を見せた。
目を回しているその塊に、思わず少女はあんぐりと口を開けた。
「え、えっ、エラ、エラムちゃぁん!?」
慌てて掴めば、精霊は両手両足が焼け焦げている、
「きゃあ――――――――!」
「うぉウ……」
「はわー! 生き、いっ、生きてるぅ!」
固まりつつある翼を動かして、アニタはエラムと自分を覆い隠す。
海面から水飛沫が上がった。
バゼットがふと顔を上げると、青い流星が目に入った。
「おォ、派手にやってやがる。こっちも仕上げと行くか?」
方々に影を伸ばしながら、仮面の商人は首を傾けた。
両者どちらも無傷である。
正確には老父は胸元を傷つけられ、服が破けているようだが、皮膚に切り傷一つ残っていない。
「母さんはまだ本懐を遂げてない、か」
「うん?」
「こっちの話だよ。仕上げって言うけど、お互い停滞状態じゃな〜い?」
「それはそうだな」
バゼットは笑みを深め、その拳を再び握りしめる。
背後で何体目かもわからない兵士達を散らす槍兵が、不意に、歯痒そうな顔でこちらを見た。
「一つ、話をしよう」
老父は穏やかな声音で続ける。
「いつか人間は、『心の闇から出た悪霊を克服する』」
「克服?」
「向き合えるようになるって言うべきかもなァ」
からからと笑う老人に対して、なぜかクトーは背筋に寒気が走った。
先代皇帝バゼット・レーウェンは、歴史に名を刻む人物である。
それは優れていたからというのもあるが、何よりも凡夫に敬われ、恐れられたが故だ。
彼の偉業を目の当たりにした者は、口々にこう言い伝えた。
「俺ァ、その未来を信じよう」
彼こそが――――人類讃歌の体現者。
老父の拳が商人の腹にめり込む。
先刻までと全く同じ動き、速度、強さである。
しかし、クトーの体はすり抜けなかった。
衝撃に咳き込む彼を、バゼットは眉根を寄せて見下ろしていた。
帝位に就いてから数年して、彼は自分の体の異常さを隠せなくなった。
彼が心の底から一片の疑いもなく信じた『人類の未来』を、その肉体に体現できるようになっていた。
例えるなら、バゼットが『いつか人類は月に降り立つ』と信じれば、彼は一足飛びで月に行くことができるのだ。
それがわかってから、老父は早急に引退の準備を進めた。
(……久々だがな、使うのは)
目の前に吹き飛ばされた青年を、彼は更に追撃した。
拳の嵐の中――クトーは粉砕された。
しかし、欠片は見当たらない。
悪霊であったとしても、それを構成する最小単位になるまで破壊すれば、再生にも相当の時間がかかるはずだ。
バゼットはため息を吐いて、こきりと肩を鳴らした。
港の岸辺に幽霊船がのしかかる。
その船上で二人は向き合っていた。
桃髪を風に揺らしながら、孤独の悪魔は肩で荒く息をしていた。
マント越しに突き刺さったナイフからは血が滴っている。
恍惚とした表情で彼を見下ろす女性は、左腕と右足を失っていた。
足の傷口を覆う黒い霧が、刃物状になって甲板をなぞる。
「僕は」
「あら、どうしたの?」
「君のことを何も知らないけど……」
アダムは足元の縄を引く。
リリスの頭上にいくつもの樽が倒れてきた。
彼女が物ともせずに大鎌で切り分けると、その隙に悪魔は姿を消した。
目を丸く見開く魔女に、孤独のアダムは吐き捨てた。
「世界で一番、君が嫌いだ」
マストを駆け上がった勢いのまま、彼は太い剣を突き下ろす。
リリスはくしゃりと顔を歪め、
「嬉しい……ずっとずっと――それが欲しかったの」
両手を広げると、彼女は最愛のヒトの手で心臓を貫かれた。
その呆気なさに愕然としながら、アダムは船上に膝をつく。
リリスは掠れていく声で告げる。
「あいしてるわ」
「僕は、嫌いだ」
苦しげな表情で、彼は「嫌いだ」と繰り返していた。
彼女の安らかな笑顔には、喜びが溢れていた。
そう、全ては愛した者のため。
彼の心を傷つけてできたこの世界を許せなかった。
だから壊してあげたかったのだ。
しかしリリスの願いはそれだけではない。
愛したヒトの、一番になりたかった。
もしそれになれるなら、ただその思い出を抱いて眠りたかった。
そんな魔女の思惑を悪魔は知らず、しかし遺体を抱きしめながら、自然と涙を流していた。
幽霊船に外から手を触れて、黒髪の少年はぐっと膝に力を込める。
「ヴィー……」
シオンは代償で失った片目を押さえ、船に上がる方法を考えていた。
悪魔の憑依で変貌した反動で膝がまだ震えている。
ふと、彼の腕を掴んで支える者がいた。
「おっ、と」
「大丈夫?」
瞳に写った灰色の髪に、シオンは満面の笑みを浮かべた。
船の上で寄り添う、桃髪の少女と栗毛の女性。
彼らの近くで木にヒビが入る音がした。
少女はゆっくりと目線を動かす。
その先では、折れた帆柱が二人の方へと傾いていた。
このままだと、間違いなく押し潰されるだろう。
依り代であるヴィーは死ぬことはない。
彼女は静かに目を閉じた。
帆柱は想像通り遺体を潰した。
右手だけがだらりと投げ出されている。
少女は、孤独の悪魔は大きく両目を見開いていた。
彼女の体を後ろに引いた者達は、総じて焦りと緊張に飲まれた顔をしている。
銀髪の少女は泣きそうな顔でヴィーにそっと抱きついた。
灰髪の青年は珍しく安堵のため息をこぼしていた。
黒髪の少年は、不機嫌そうに三白眼を細める。
「今、避けれるのに避けなかっただろ」
簡潔な事実だった。
「……ごめん」
シオンは一瞬何か声をかけようとして、やめた。
不意に、桃髪の少女は倒れた帆柱へと向かう。
無意識の内の行動であった。
遺体の側に腰を下ろし、彼女は黙ってそれを見つめていた。
刹那、魔女の右手がピクリと動き、ヴィーの方へとにじり寄る。
少年はナイフ片手に立ち上がった。
が、その手はゆっくりと下ろされた。
彼の目にだけは、もう一人分の姿が写っていたからだ。
リリスの右手は動きを止めている。
半透明な手のひらが、そこには重ねられていた。
ふわりと浮く体は少女の背中に寄り添っている。
ただ、甘やかに微笑む『彼女』を見て、シオンは視界が滲むのがわかった。
大粒の涙がいくつも、いくつもこぼれていく。
それを見て彼女は――――イヴは優しく声を発した。
『ありがとう』
少年は首を横に振る。
亡くなった日から変わらず、彼女は愛するヒトの側にいた。
目が合うことはなく、触れられることもなく、言葉が届くこともない。
それでもただそこにいた。
自分では救ってあげられない彼を、支えてくれた少年達に、イヴはひたすらに感謝を覚えた。
『忘れないで、アダム』
背中を撫でても返事が無いのには慣れている。
『あなたはもう大丈夫。だから、自分を許してあげて?』
それなのに、彼女は少年につられて泣いていた。
シオンは何も言えなかった。




