第二十九話・絹糸を辿れ
私兵団の臨時集合場所で、金髪の団長は深く考え込んでいた。
脇を歩いていた歩兵がびくっと彼を避ける。
「うわっ、彫刻かと思ったら団長だった」
「あるある」
「……巡回に行って来る」
『了解〜』
どこか緩い返事を背中に押されて、ラナンは辺りを見渡した。
なんとか主人であるニンファとは連絡が取れた。
しかし、後退を指示されたところで、電波が妨害されて繋がらなくなってしまったのだ。
小隊単位で移動を開始しているが、まだ爆破された第二小隊の安否は確認できない。
ラナンが恩人に報いるため、この私兵団を設立した時――一番最初に誘ったのが副団長だった。
ふと、彼は勢いよく両頬を叩く。
(ぼぅっとしている場合か。現状を確認したら、オレは一番最後に後退する。役目を全うしろ)
鋭く目を細めながら、青年は廃墟だらけの市街地に足を踏み入れる。
先ほど戦った魔女の従者を確認する必要もあった。
不意に、ラナンは空の異変に気がつく。
「……わっか?」
眉根を寄せた彼の視線の先に、緋色の炎でできた円が浮かんでいた。
一方、港町の岸辺で、銀髪の少女は少年の背中をさすっていた。
海水を吐いて、シオンが自分の口を拭う。
「シオンもう苦しくない?」
「おん、ありがとうな」
体を起こした彼に、アニタはほっとした様子で胸を撫で下ろした。
突然、少女の手が節くれだった手に包まれる。
俯いたまま、少年は口を開いた。
「本当に、助けられてばっかだ」
華奢な手を握られたまま、銀髪の少女は頬を紅潮させ、気まずそうに左右に顔を振る。
「おん? ……あれ飛行船じゃねぇか?」
「えっ!」
少年少女が見上げると、白い人工物が雲を裂いて現れる。
「随分と珍しい航路だな」
(みんなを止めるの終わってて良かった……)
そこでアニタは別の物を目にした。
緋色の炎の輪が、怪しげに火の粉を散らしている。
少しずつ広がった中央から、トカゲに似た何かが頭を出した。
隣にいる少年が「ドラゴン」と呟いた次の瞬間――新たな怪物は膜のような翼を広げ、太い喉奥から叫び声を上げた。
ビリビリと震える空気。
少女は頭のどこかで確信していた。
あれは、自分がやらなくては。
ふわりと白い翼が持ち上がる。
ふと、シオンがアニタの手を引いた。
少年の右目は依然として閉ざされている。
戸惑った表情の彼に、少女は満面の笑みを返した。
「わたしは大丈夫。シオンがいるから! だから、待ってて――」
アニタの体が地上から離れる。
少年から視線を外した途端、彼女の顔から笑みが消え失せた。
目に写っているのは飛行船へと向かうドラゴン。
「させない」
ぐんぐんと両者の距離が近づいた。
少女が両手を掲げる。生まれて初めて触る散弾銃を、まるで知り尽くしているように構えた。
狙うのは鱗で覆われていない眼球だ。
射程距離に入った瞬間、アニタは発砲した。
ドラゴンの瞬膜がしまわれたところに、三発着弾する。
しかし、苛立ちの声は上げたものの、こちらへ標的を変えるつもりはないらしい。
少女は速度を上げ、散弾銃を銃剣へと変貌させた。
突如として出現した怪物に、飛行船内の人々は震えていた。
他の者に怒号を浴びせ、無理に降りようとする者もいた。
その最中、牙を剥いた獣に対して、頭上から剣で突き刺した戦士がいた。
月に愛された銀髪に、朝日で洗ったかのような翼、隠されていてもわかる可憐さ。
誰からかはわからないが、小さなざわめきが広がった。
「――……天使様」
次第にその言葉は何人分も重なっていく。
やがて、船内は静寂で包まれる。
窓越しに奮戦する少女に、人々は膝をついて祈りを捧げ始めていた。
ただ一人を除いて。
(鱗の薄い部分は通るけど、すぐ塞がれちゃうっ)
自分の頭を踏みつけにされて、ようやくドラゴンはアニタを狙いに定めた。
下手に撃つと飛行船の方に弾が飛んでしまう。
どうしたものかと悩む少女に、刃の飛び出た尾が迫った。
「くっ、きゃぁあ!」
銃を盾代わりにしたものの、防ぎきれず片腕に大きな切り傷を負う。
ふと、アニタは戦闘形態を取る前、腰のポーチに入れていた物を思い出す。
(……できるかな)
手のひらの上に擲弾が転がる。
しかしその中身は火薬ではない。
ぼひゅんっと散らばった黒い粉。
ドラゴンは鼻先を蠢かし――特大のくしゃみをした。
「できた! 胡椒爆弾!」
瞬膜を閉じて混乱している怪物から、銀髪の少女は距離を取る。
痺れのような激痛に意識が掠れる。
彼女の指先から血が滴っていた。
(少し休まないと出血が……)
通常ならすぐに塞がる傷だが、何せ戦闘形態を長時間維持しすぎている。
不意に、飛行船の底から、子供の声が聞こえた。
「お姉さん捕まって!」
投げられた縄を取り、底にある出入り口で膝をつく。
顔を上げた先で、アニタは褐色肌の少女と目が合った。
「大変、血が出てるよ! 今手当するからね」
救急箱を開く彼女に、呆気に取られていた少女は正気に戻った。
「ニーシャちゃん?!」
「あ、覚えててくれた?」
嬉しそうに笑うその顔は、少し大人びてはいたが、確かに蚕の村で出会った少女であった。
包帯の端を結びながらニーシャは呟く。
「応急手当ね、たくさん練習したの。今度はニーシャが誰かを助けられるように」
思わず、アニタは微笑みを浮かべた。
一瞬、不安そうに眉根を寄せて、少女は顔を上げた。
「お姉さん」
「なぁに?」
「……あのね」
無理しないで――そんな台詞を飲み込んだ。
「ありがとう」
ニーシャの頭を、ぎこちなく華奢な手が撫でる。
アニタは飛行船の外へと羽ばたいた。
その背中を小柄な少女が見送る。
(わかってる)
彼女が出会った善き人が、別のどこかでは悪し人かもしれない。
同じように、彼女を傷つけた人が、いつか他の人を助けるかもしれない。
(だから、わたしは決めたんだ)
何万、何億という命が、この世界の終わりを望んだとしても、
(あがく一つの命があるのなら、わたしはその手を引いて共に歩む人になりたい)
そのために、怪物には退場してもらおう。
少女はまだ暴れているドラゴンの――口内に飛び込んだ。
脈打つ桃色の肉の奥へと、アニタはありったけの爆弾を撃つ。
上空で、トカゲのような怪物の胴体が破裂した。




