第二十七話・箱船の遺産
肥え太った肉塊が積まれていく。
巨人の青年は髪を乱したまま、怪物の腹部に爪先を打ち込んだ。
大きな改造人間は、口らしき箇所から体液を散らし、後方の空き家に激突した。
斬馬刀を地面に突き刺して、黒髪の幼女は無線機を指先で叩く。
「? じゅちんきのちょーちがわゆい?」
「どうしたのグエンちゃん」
「ほうこきゅができにゃい……」
不思議がる少女と青年の元に、小規模の爆発音が届いた。
顔を上げた先ではもくもくと煙が立ち上っている。
動揺で少女の瞳が揺れる。
しかし、何度も教わったことが頭をよぎった。
『通信の要である第二小隊の隊舎が襲われた場合、救護に回るのは特定の小隊のみ』
『小型無線機が無効化された状況下では、事前に決められた場所で篭城すること』
『各自が、生き残ることを優先すること』
グレンは救援担当ではない。
地面から斬馬刀を抜き取り肩に担ぐ。
「おいばーしゃん、ちょっちょいてきましゅ」
「ああ、気をつけてね」
幼女は他の団員を急かしに向かった。
固まって状況がわかっていない者がいる可能性がある。
最も、強かな団員達ならすぐに動いているだろう。
それでも今自分がすべきなのは、隊長としての役割を全うすることだ。
ぐっと目を細めて、グレンは走る速度を上げた。
爆撃を受けた団員達の――引いてはその場にいる副団長の無事を願いながら。
残されたオリバーは鼻先をひくつかせる。
近くにいるのはあと一体だけのようだ。
ゆっくりと歩いている振動が伝わる。
(結構でかいな……)
辺りには怪物の遺体を観察している兵士がいた。
彼らの脇を抜けて、青年は改造人間を探し始めた。
緊急事態のためか、指名手配犯の自分を気にする暇は無いらしい。
匂いを辿って、瓦礫の隙間を縫っていく。
やがてそれは眼前に現れた。
ブヨブヨと巨体を揺らしながら、醜悪な怪物が姿を見せる。
その肉の隙間からは、浮浪者のものと思しき腕がぶら下がっている。
少しずつ飲み込まれていくそれに顔をしかめ、オリバーはただ拳を握った。
不意に、思わず考える。
――なぜこんなことをしているのか。
すぐにでも逃げてしまえば良いのに、どうしてわざわざ面倒な道を選んでいるのか。
(三人と、まだ合流できてないから?)
それのどこが問題なのだろう。
目の前の怪物が動き出し、青年の喉からは笑い声が漏れた。
(僕は、変になった……彼らと過ごす内に)
大きく口を開けて笑いながら、オリバーは向かってきた肉塊の顔を掴み――岩肌へと叩きつける。
一瞬浮かした手のひらをそのまま叩き込むと、肉片が辺りに散らばった。
巨人の青年はふと思う。
それも悪くない、と。
数分もしない間に、改造人間はぴくぴくと痙攣するだけになった。
手足も感覚器官も砕かれ、炎の縄で地面に拘束されている。
「でかすぎて腕が疲れるんだ。しばらくそうしててよ」
オリバーの肩の上で、エラムが誇らしげに胸を張っている。
(……やけに動きが悪かった)
突然、青年は空き家の屋根を見上げた。
「お前っ」
「お疲れ様〜」
ひらひらと手を振りながら、仮面の商人は海を眺める。
「爺やの時間稼ぎは上手くいったみたいだね。ほら、君の担当が来たよ」
「さっきから何を言ってるのかな」
「あれのことー」
クトーが指差した先で、海岸線にあった岩が持ち上がった。
一つ、一つ、積み重なったと思えば、それは柔軟に形を変えていく。
やがて岩の巨人は首を曲げて、オリバー達を見下ろした。
「それじゃあ頑張ってね〜」
商人の声を合図に、巨体の腕が青年に振り下ろされた。
半ば風圧に飛ばされる形で、オリバーは後方に飛ばされる。
「あれはやりづらいな。エラム、頼める? ……エラム?」
青年の声にハッとした様子で精霊は頷く。
エラムは動揺しているのか、珍しく震えながら彼の髪を掴んでいた。
その黒い目には岩の巨人の顔が写り込んでいる。
不意に、背後から足音が聞こえて来た。
「おいばーしゃぁん!」
「グエンちゃん!」
「だんたいたいひできまち――えーっ! きょじーん!?」
あんぐりと口を開けると、斬馬刀を持った幼女は立ち止まる。
しかし、岩の巨人が青年に拳を向けたのを見て、グレンは大きく体を捻った。
「よっこいっせ!」
巨人の指の隙間めがけ、鉄の塊が射出される。
突き刺さったそこから小石がこぼれ落ちる。
わずかに拳の直進が遅くなった。
(! 物理攻撃が効く!)
オリバーは巨人の手に飛び乗って、そのまま腕を駆け上がった。
きゅっと口を結んだエラムが、両拳を合わせた瞬間、青年の片手が炎で包まれる。
迫る岩の巨人の手を避けながら、彫刻のような額を殴りつける。
途端に巨体の首元から、関節から、眼球から、炎の花が咲き乱れた。
岩石でできた膝が地面につく。
ぷすぷすと焦げた匂いを放つ口。
そこから覗いた先端が――オリバーの肩を貫いた。
「ぃっ!」
即座に精霊の火で焼かれたそれを拾う。
蔓植物にも似た見た目である。
(本体は植物だったか……って、あ、れ?)
ぐらりと視界がぶれる。
焦る脳内で一つの結論が出た。
屈強な巨人族を殺せる、人工の毒。
現在は製造禁止になっている代物だ。
倒れる直前に、長い間共にいた精霊が、しきりに彼の名前を呼んでいた。
『仮想分身との肉体同期を実行。六次元地球より干渉を開始する』
紅色の炎が爆ぜた。
妙齢の女性が厳しい表情でその場に降り立つ。
赤髪が風にたなびいていた。
精霊界の管理者――精霊王の顕現である。
彼女は青年を見下ろしながら、ただ静かに手をかざした。
オリバーの体を柔らかな炎が覆い始める。
「……貴女」
「あいっ?」
状況を見守っていた幼女に、精霊王は優しく手招いた。
少し考えてから、グレンは散らばっている岩の間を進んだ。
「彼も連れて、ここから退避しなさい」
依然として燃えている青年は、しかし火傷を負う様子は無い。
治療のための精霊術だろうと判断し、黒髪の少女は彼をなんとか背負い上げた。
走り行く背中を見送って、エラムは岩の巨人を見やる。
正確には、その顔を。
「久しぶりに怒ったわね」
彼女はどこか懐かしそうに巨人の顔を眺めた。
それは、かつて旧世界で愛した男と全く同じものだった。
(偶然、にしては似すぎてる)
眉根を寄せるエラムに、ふと声をかける者がいた。
「――似てるでしょ? ねえ、エムザラ」
振り向く間も与えられずに、華奢な手が胸部を貫く。
「は?」
「あの日、あの舟に私も乗っていたのよ。こっそりね」
「あん、たは……」
くすりと背後で誰かが笑った。
「良かったわあ。貴女と同等の力を溜めておいて」
艶やかに指先を動かして、彼女の胸元から腕が抜かれた。
「門になって頂戴よ。エムザラ」
「ふざけないでっ!」
炎の花と共に振り返った先で、よく知っている顔が微笑んでいた。
一瞬の戸惑いに飲まれて、精霊王は影の手に包まれる。
彼女の炎は、知り合いの皮を被った誰かの髪と、太ももの一部を焼き焦がして消えた。




