第二十五話・そうして悪魔は魔女を知る
鈍い音を立てながら、透けるような肌と銀糸を持つ死骸が倒れる。
本来ならば宝玉の埋まっている眼孔は空っぽだ。
その胸部に鉄柵を押し込んだ少女は、きつく奥歯を噛み締めた。
「……埒が明かないわねっ」
敵側の性質によって、少年少女は一方的に体力を消耗していた。
黒髪の少年は脇から伸びてきた手に向け、二本目のナイフ――強欲のナイフを振り抜く。
ぷつん。
「お?」
奇妙な感触にシオンは手を止める。
見れば、死骸人形の片腕が不自然に脱力している。
一瞬思案して、少年は別々のナイフを両手に、遺体の背後に回り込んだ。
ぷつん、と二度目の感覚。
シオンは確信してヴィーとオリバーに叫ぶ。
「透明な糸だ! 多分悪魔や精霊の力なら干渉できるぞ!」
「なるほどね……エラム」
「ほいやっサ!」
青年はその拳に縄状の炎を纏った。
瓦礫が散らばる廃墟の片隅。
ぶぉん、ぶぉんと、糸に振動が走る。
指先をしきりに踊らせていた何者かは、ふと笑みを浮かべた。
「これは残念、気づかれてしまいましタカ」
少年型の従者はトランクに腰掛けながら、どこか楽しげに糸を操る。
「サテ、何分持たせましょうカネ……」
片眼鏡のレンズ越しに、水晶系の華玉の眼球が覗いた。
オリバーに続いてヴィーが――アダムが悪魔の姿になろうとした時だった。
その両肩に静かに手が添えられる。
呆気に取られた彼らに、仮面の商人は囁いた。
「一名様ご案内〜」
「ヴィー!」
手を伸ばしたシオンと共に、桃髪の少女は煙になって消えた。
商人・クトーは楽しそうに口笛を吹く。
「よーし。次はあっちの準備〜って危なっ!」
その顔のすぐ横を、炎の縄が一直線に振り下ろされた。
空き家の壁に亀裂が走る。
巨人の青年は生まれて初めて、怒りの滲んだ声を吐いた。
「二人をどこにやった?」
「さあてね、言わせてみたら? 最も僕は君と遊ぶ気はないよ。その担当は別にいるからね」
「……担当?」
答えの代わりか、クトーは周りを示すように両手を広げた。
残っている大量の華玉の死骸人形と、生々しい奇怪な怪物達が、オリバーのことを囲んでいた。
「わっぷ!」
「うわっ! ここは……船の上?」
ヴィーは体を起こし周囲を伺う。どうやらあの幽霊船に転移されたらしい。
(さっきのは、悪魔とも精霊とも天使とも違った)
どれとも近くどれからも遠い、神界の神々の力と似たものを感じた。
黒髪の少年も立ち上がり、状況を把握したようだ。
「ヴィー、怪我は無いか?」
「大丈夫よ」
シオンが一歩進んだ途端、彼の足元で床が抜けた。
『え』
驚いた表情が船内へと落ちていく。
「何をしてるの……」
呆れた様子で心配しながら、少女は縄梯子が無いか見渡す。
不意に、頭上から懐かしい声が降った。
「――アダム」
その一言で体も心も動きを止めた。
掠れていく記憶の中で、腕の痛みがいつだって彼女のことを縫い止めていた。
少女の白い肌を冷や汗が伝う。
ゆっくりと持ち上がった視界に、それは鮮明に笑っていた。
折れた帆柱から甲板を見下ろす女性に、自然と口からこぼれる言葉。
「イヴ……?」
その栗色の柔らかな髪が好きだった。
光に透かした木の葉のような目が好きだった。
凛としたその声が好きだった。
孤独のアダムは妻の全てを愛していた。
だから、だからこそ、彼はきつく眉根を寄せる。
黒いペストマスクが口元を置い、ボロボロの裾のマントがその背を包む。
マントの一部を剣に変えて、その切っ先で女性を指し示す。
「誰だ」
理性的な思考の中で導き出されたのは、彼にとって許すわけにはいけない答えだ。
――旧世界で眠った彼女の肉体が、何者かによって盗まれた。
女性はすっと両目を細める。
「あの女の体でもダメなのね……ああでも、嬉しい、嬉しいわ!」
ふわりと帆柱から飛び降りた体が、戸惑う彼の眼前に現れる。
紅潮した頬で魔女は叫んだ。
「貴方の瞳に――私だけが写っている!!」
アダムに向けて、霧状のナイフの雨が降り注いだ。
どさりと華玉の肉体が地に伏す。
肩で荒く息をしながら、オリバーは顔の汗を拭った。
陸地にいる死骸人形は残りわずか。
しかし、不気味な怪物はそうもいかない。
ぶよぶよした肉の塊に過ぎないのに、衝撃を上手く流される。
(エラムに大技を頼む? ……いや、それは逃走経路の確保にとっておかなきゃ)
どう攻めるか考えていた彼は、ふと馬の匂いと車輪の音に気がついた。
はっと顔を上げれば、けたたましく馬車が走って来る。
「何あれキモッ。生理的に無理」
「これは賞与が出るな」
「わ〜食べれるかな〜?」
『食うなっ!!』
状況にそぐわない軽口を聞いて、オリバーは思わず肩の力が抜けた。
「……は?」
港の全体が見渡せる高台で、一人の少女が無線機に声を変えた。
「第二小隊、報告を」
『――隊舎設立完了。全隊指定の位置に向かっています』
「良し。今回は防衛戦である。敵の素性は依然不明」
『了解』
無線が切れてから、水色の髪の少女――ニンファ・エッシェンホルストは地図を見下ろした。
「誰だか知らないけど……ここはうちの港よ。好き勝手は許さないんだから」




