第二十一話・魔女と息子
それは少年達が出港する前日のこと。
突然、皇帝の訃報がラジオで流れる。
涙する人々の脇を、仮面の商人は通り抜けた。
最初からそこには誰もいなかったように、彼の存在に気がついた者はいなかった。
仮面に書かれた不気味な笑みが闇市を闊歩する。
「クトーさん! おはようございます」
「おはよ〜」
「ロロの剥製戻ってきましたけど」
「あーやっぱり? 倉庫に入れておいて。厳重にね」
口々に報告を受けながら、青年は歩みを止めない。
荷馬車が立ち並ぶ闇市には、檻に入れられた人達の姿があった。
彼は『移植用臓器提供人』――の皮を被った、この国で最大の『奴隷商人』である。
「クトーぼっちャマ」
聞き慣れた高めの声に顔を上げると、彼の従者が馬車の前で立っている。
「爺やお疲れ様〜」
「お疲れだと思うなら、休日手当を出してくだサイ」
「そんなもんないよ? 爺やは体力とかないじゃん」
顔をしかめる美しい少年を無視して、商人・クトーは車に乗り込んだ。
従者はため息を吐き、御者兼馬として足を一歩踏み出す。
五本の兎に似た下半身が、重たい馬車を引き始めた。
異様なその風体に、慣れていない者は驚く。
そんな者達に向けて、少年型の何かは口角を吊り上げた。
帝国某所、入り組んだ集合住宅地――その一番深く暗い場所へと車輪は回る。
カラカラという音が止むと、馬車は従者の持っていたトランクに吸い込まれた。
空間に残されたクトーは靴底を鳴らして着地した。
青年が歩き出すと、後ろを従者がついてくる。
その下半身は人の少年の形に変わっていた。
「母さんのご機嫌は?」
「いつも通りデス」
「最悪かあ」
仮面の青年は鍵束を取り出す。
それをじゃらじゃらと揺らしながら、クトーは何枚もの分厚い扉を開けていった。
最後の一枚を開けた向こう。
そこは小さな執務室であった。
「――遅かったじゃない、愚息」
ソファーに寝っ転がっていた人物が体を起こした。
栗色の髪、緑と灰のオッドアイに、薄い服越しにわかる引き締まった体躯。
かつて旧世界に実在したイヴと瓜二つの女は、眉間に皺を寄せていた。
ふと、彼女の左手の指先が卓上を示す。
「うん? あ! スモモとイチジク。ひだりちゃんありがとう〜」
半分に切られていたスモモを青年は手に取る。
女性は不満そうに顔をしかめていたが、不意に何かを投げやった。
「クトー、これあげる」
広げるとそれが人型の皮であることがわかった。
中身は全て彼女が食べたのだろう。
「わーい。何作ろう?」
「そうそう。あとこれ――」
しなやかな指が打ち鳴らされ、青年の腹部にぽっかりと穴が空いた。
一瞬遅れて破裂音が部屋に響く。
「遅刻の分よ」
「ひどいよっ! 服まで破かなくても良いじゃんか!」
「あんた服も再生するでしょ。着てないのと同じよ」
「え、つまり…………常に露出状態?」
「気持ち悪い」
従者はやり取りを気にせず、静々と紅茶を淹れている。
青年は腹部をある程度修復してから、自分の母親に声をかけた。
「満腹になった? 母さん」
「ええ、十分よ。これなら兵を呼べる」
女性は愛おしそうに、祈るように両手を合わせる。
「恋文はもう送ったわ。明日、この世界を壊しましょう」
離れた手の隙間には、渦巻き状の小さな『夜』があった。
魔女は呟く。
アダムはその肉体を失い、魂は世界の奴隷となった。
カインとアベルは魂の自由を失い、肉体は悪魔へと変貌した。
末子のセトは生まれることなくその生を閉じ、余った肉体と魂は悪魔となった。
むかつくほどに潔白であったイヴの魂はどこかに姿を消し――
その肉体は夜の魔女・リリスの物となった。




