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第七話 諦観の先



 青年に軽く手を振り、黒髪の少年は宿へと向かう。


 訛りのある喋り方の受付から鍵を渡され、廊下の奥に進んでいくと、給湯室の看板が見えた。

 どうやら宿泊客なら格安で利用できるらしい。


 ふとした気持ちで覗き込めば、シオンは見知った顔と目があった。


「あら、用事は終わったの?」

「ああ」


 桃髪の少女は足を組み、興味も無いだろう週刊誌を読んでいた。

 彼女の隣に腰を下ろしたところで、ガラス製のポットが運ばれてきた。


 紙コップに緑茶を注いだアニタが笑顔でシオンに差し出す。


「お、ありがとう」

「この地域の特産なんだって。結構美味しいよ」


 息を吹きかけてから一口啜り、舌の上で転がしてみる。

 ほんのり甘さのある緑茶のさっぱりとした香りが鼻に抜けた。

 茶葉の缶には『ビネ産』と町の名前が書いてある。


 互いの部屋番号を確認してから三人は次の目的地について語り合う。

 簡素でけれど穏やかな空気が流れて行った。


 それを幸福だと誰かが思った。




 個室に入り荷ほどきを済ませる。

 シオンが上着を脱ぐと、部屋に備え付けられた姿見に左肩甲骨を覆う模様が写った。


 彼の故郷の風習で、十三になると大抵の男子がいれる成人の証。

 彼はそれを、どこか冷たい目つきで眺めた。


 しかしすぐに視線をそらし机に向かう。

 先ほど二人の悪魔から得た情報を、現存する史料と照らし合わせる作業が待っている。

 その先の達成感を知る少年は、笑顔で手帳と分厚い文庫本を開いた。


 隣の部屋では、


「あ……雨が降ってる」


 アニタが窓から手を伸ばして手のひらを雫で濡らしている。

 少しくすぐったい感覚に、ふと微笑んでから、彼女は窓を閉めた。


 さらにその隣でヴィーが寝台に横になっていた。

 まだ寝るには早い時間だが、ただ仰向けで天井を見つめている。

 その様子は何かを考えているようで、その実何も考えていなかった。


 三者三様な夜を待つ時間は、着実に過ぎていく。




 市街地の外れ。

 雨の中、廃墟の脇に座り込んだ人影がある。

 先刻シオンに声をかけられた青年が、雨が止むのを待っていた。


 束ねた灰色の髪から水滴がこぼれ落ちる。


 廃墟の周囲に他者の気配は無い。

 懐から緩慢な動作で小さな飴玉を取り出す。

 水飴と練乳でできたよくある飴である。


 彼——オリバーは覚えていないが、彼の容姿によっておまけされた物だ。

 自分が見目の良い部類だという自覚はあるが、正直なぜそれで待遇が良くなるのか彼自身はわかっていない。


 (はた)から見ればその理由は明らかだった。

 熟した果実に似た両眼は優しげに垂れ、脱色されたはずの髪はそれでも艶がある。

 わずかに日に焼けた肌もはつらつとした印象を与えるだろう。

 そこに嫌味のない笑みを添えれば、好青年の出来上がりである。


 最も、オリバーにとっては考察する価値も無い。

 彼は使えるものを使って生き抜いているだけだ。


「……割ろうか」


 そう呟くと、つまみ上げた飴玉にほんの少し力を込める。

 ピキッと小気味良い音を立てて、乳白色の塊は粉砕された。


 手のひらに紙面を広げ、彼は自分のフードを脱いだ。

 乱雑に縛られた髪の間から小さな何かが飛び立つ。


「あメ? えらむノ?」


「うん。そうだよ」


「わーイ!」


 彼の手のひらでくるくると舞うそれは、俗に精霊と呼ばれる存在だった。


 全長は五センチメートルほど。

 (かんざし)でまとめられている真紅の髪に、同じ色の体毛で覆われた足先、背中にはトンボのような翼。

 黒い眼球の中では、よく見れば火の粉が踊っている。


 彼女は笑いながらミルク味の飴の欠片を頬張った。


「おいシー!」


「それはよかった」


 どこか慈愛に満ちた顔で、オリバーはエラムと名乗った精霊を見守る。


「ねエ、おりバー」


「うん?」


「さっきのコ、いいこでよかったネ」


「さっきの……ああ、あの人間か」


 赤いバンダナをした目つきの悪い少年。

 奇跡的にも記憶に残っていたその姿を思い起こす。

 不意にオリバーは疑問を抱いた。


 ——なぜこんなにしっかり覚えているのだろう?

 考え込む彼の唇に、自分には大きい最後の一欠片をエラムが押し付ける。

 オリバーは微笑んで、大人しくそれを受け取った。


 上品な甘味が口の中に少しずつ漏れ出す。

 奥歯で飴を噛み砕きつつ思考を巡らせた。


 脳裏に浮かんだ少年のつんつんした黒髪に、ようやく合点がいった。


(一緒だったんだ。あの女性と)


 癖のある短い黒髪が自分の近親の女性と同じものだったのだ。

 おそらくは母なのだろう彼女とは、四つの時に死別した。


 背中に毒矢を受けた彼女の、苦しげな呼吸音ばかり耳に残っている。

 その矢は本来なら己に向けられたものだった。

 苦悩の表情で生き絶えた彼女の傍らで、幼いオリバーは動かなかった。

 動くという選択肢をまだ知らなかった。


 青紫色になった頰はかつて自分がすり寄ったもので、硬直し始めた手はかつて自分と繋いだもので、色を無くした唇はかつて愛おしそうに自分の名前を呼んだものだった。


 オリバーは何も言わず、何も思わなかった。

 当時何かを思ったのだとしても、今はもう覚えていない。

 覚えていないことに罪悪感を覚える程度には、彼は彼女が好きだった。



 雨は少しずつ止もうとしている。


 エラムをローブの中に戻して、彼は廃墟から離れた。

 自然といつも通りの微笑が貼り付けられる。

 当人に笑顔を作っているという自覚は無い。もはや習慣のようなものなのだ。


 閑散とした住宅街を進み、街の中心を目指す。

 とりあえずは自分の夕飯をどうにかしなければいけなかった。


 所持金はまだあるが、この後別所に移動すると思うと心もとない。


(この辺りは家庭持ちが多いな……人妻は後が面倒くさそうだ)


 食いぶちを得るための客を探しながら、青年は夜の町を歩き回った。


 見事に鍛え上げられた肉体と、大人びた雰囲気のせいで騙されそうではあるが、彼はまだ十八歳——帝国では未成年である。

 ただしその基準も彼を人間とするならばだが。



 からりと晴れた晴天の下。

 少年少女は駅で馬車が来るのを待っていた。


 最近蒸気機関のバスも運行を始めたが、それは帝都のような中心地の話。

 民衆の間ではまだまだ徒歩か自転車、そして馬車が主な交通手段である。


 遠巻きに人の視線を集めている女子二人に、シオンは臆することなく話しかけた。


「ほい、二人の分の切符だぞ」


「ありがと。あ、アニタ、あんまり道路に乗り出しちゃダメよ」


 切符に書かれた次の目的地の名前はインクが滲んで読みづらい。

 アニタは惚けたままその文字列を撫でている。

 無理も無いだろう。彼女にとっては初体験ばかりだ。


 最後の華玉として保護された後も、単体の馬か特殊な護送車でしか運ばれたことがない。

 切符を使って馬車に乗る。それがどれだけ当たり前の日常であっても、アニタには大冒険なのだ。


 少年は優しい笑顔でそんな彼女の様子を見ていた。



 到着した馬車は大柄な馬二頭が引いていた。

 小さい子供などはその躯体に圧倒され、涙目で親の影に隠れてしまう。


 馬車は二階建てだが、風の強い今日、わざわざ二階という名の屋根の上に行く者はいない。


 窓から外を見れる位置に座ったアニタは、すでに手荷物を抱えて窓枠に手をかけている。

 白い頰に紅がさしているを見ると、爛々と目を輝かせているようだ。

 ヴィーは早々に目を閉じて、寝起きの体を休めている。


 出発までは十分に余裕があった。

 シオンは古本屋で見繕った文庫本を取り出し、ぱらぱらと読み始めた。

 カバーも無く表紙も色落ちしているそれは、どうやら暗号開発者の伝記を集めて要約した物らしい。

 思ったより興味深い内容にのめり込んでいると、


「失礼。お隣いいかな」


 ふと声をかける者がいた。

 聞き覚えのある声音に顔をあげれば、思わず二人揃って目を見開いた。


「……あ、どうも」


「どうも」


 オリバーとシオンは目を合わせ、照れるようにそっと口角を持ち上げる。

 軽く頭を下げてから青年はシオンの隣に座った。

 アニタは人見知りを発揮して顔を伏せ、ヴィーは一度だけ片目を開いた。


 御者が騒々しく鈴をかき鳴らす。

 出発の合図が馬車の中に響き渡った。



「ふわぁぁ……」


 銀髪の少女はゆっくり流れていく景色に見とれている。

 馬車は生活感のある歓楽街から、その外に広がる茶畑の区画に移った。


 アニタの前髪が風に揺れ、その下に巻きつけられた黒い布が覗いた。


 畑の間の狭い道を進み、少し開けた野原にたどり着く。

 土と草の匂いにシオンも本を閉じて窓枠に手をかけた。


 馬車の内部では、赤ん坊をあやす声や、苛立った舌打ちに、誰かの鼻歌が入り混じっている。


 オリバーはフードで口の周りを覆った。

 ヴィーはそれをさりげなく観察していた。


(…………気持ちはわからなくもない)


 息苦しいと感じるほど、ここには人々の気配が充満している。


「あれ? 今のウサギ?」



「隠れてて見えないなー」


 シオンが目を細めたその瞬間、


「おい、一旦止めろ!」


 複数人の男が立ち上がり、乱暴に御者の肩を掴んだ。

 彼らが刃物を持っているのを見て御者は渋々馬車を止める。


 満足そうに口を歪めた男は、手にしたナイフの先をオリバーに向けた。


「大人しくついてきてもらおうか。最後の巨人さんよぉ」


 後ろにいた別の男が、手にした手配書とオリバーとを見比べる。


「兄貴、手配書と髪の色が違いますぜ」


「アホォ! それを変えるくらいの脳は巨人にもあんだろ」


 賞金稼ぎらしき集団に対し、青年は小さく首を傾げた。

 その口には見惚れるほど美しい微笑みが浮かんでいる。


「嫌だと言ったら?」


 兄貴と呼ばれたリーダー格が、向かいに座っていた母子を顎で指す。

 緊張が伝わったのか赤ん坊が泣き出した。


「ああ、それは困るな」


 小さくため息を吐いて、オリバーは立ち上がった。

 揃えて差し出された両手に鉄の手枷がはめられる。


 その背中が外へ出て行ったところで、


「……巨人って言ってたよな?」


「言ってたわね」


「うん……」


 三人は一瞬視線を絡めると、シオンを筆頭に窓から飛び出した。

 少年は着地とともに全速力で走り出す。


 一瞬馬車の中はざわついたものの、再び動き始めると、少しずつ静まっていった。




 賞金稼ぎは後ろからついて来ていた他の仲間と合流した。

 長身の男性に囲まれているオリバーにリーダー格の男が口を開く。


「しっかし随分と紳士だったなぁ? 巨人様も、ガキ相手だと弱いのか?」


 下卑た嘲りの笑みに、


「まさか」


 青年はただ目を細めた。


「だって、子供の泣き声って頭に響くじゃないか」


 鉄の破片が宙を舞う。


 呆気に取られる男達の眼前で、重たい鉄枷は完全に破壊された。


「は?」


 たった一度の膝蹴りで鉄製のそれを粉砕し、オリバーは爽やかに微笑んでいる。

 経験豊富なならず者共はすぐに武器を構えた。叫び声を上げながら、彼らの中で一番大柄な男が斧を振り下ろし、途端に土埃が舞い上がり周囲を覆う。


 その中心部から呆れたような声がした。


「ねぇ、あまりなめないで欲しいな」


 声の主は斧の刃を片手で受け止めていた。


 さらに力を込めようと力む男の額へ、細い指先が伸びる。

 指を弾く乾いた音と共に巨体が後方へ吹き飛ばされる。

 衝撃で斧はひび割れオリバーの足元に落ちた。


 不意に一人の男が呟く。


「デコ……ピン?」


 ふと青年と目が合った。

 その瞬間彼は頭を傾け、口角を釣り上げた。


 巨人族。華玉とは異なるもう一つの人類亜種。

 巨人ノアの子孫だと主張する優れた五感と怪力の持ち主達。


 その見た目からしても、明らかに華玉よりも人間に近い彼らは、未だに人権を有さない。

 差別による排斥から身を隠す一方、彼らは人と交わりその血を薄めた。


 オリバーは——その最後の純血なのである。


「う、うわあああああぁぁぁぁぁあ!」


「ば、おい逃げてんじゃねぇ!」


 走り出した数名は足をもつれさせている。

 笑顔を絶やさぬ青年はそっとフードを外した。


「増援を呼ばれたら面倒だな。エラム、お願いしていい?」


「がってんしょうチ! まっかせとケ!」


 うなじから飛び立った精霊は両拳に火を纏わせると、祈るように打ち付けた。


 野原に鮮やかな赤色と熱気が立ち込め、男達を閉じ込める炎の壁が地を這い広がる。


「……精霊使いたぁ、聞いてねぇぞ」


「だって言ってないからね」


 青筋を震わせてリーダー格はナイフを振りかぶる。

 瞬間、オリバーの笑みが剥がれた。


「吠えるな。人間」


 底の見えない瞳の奥には、諦めにも良く似た蔑みがあった。




「ぐぎ、あ、がぁっ……」


 男の腹に青年の握り拳が食い込む。

 そのまま地面にどさりと倒れ伏した。

 周囲には同じように気絶した体が散乱していた。


 オリバーは男性の上着をあさり、がま口の財布を見つけ出した。


「結構入ってるね。少しもらっていくよ」


「……バケ、モノめ」


「ん? ああ、褒め言葉どうもありがとう」


 そう嫌味の一つも無い表情で返す。

 精霊の炎は草に燃え移ることも無く段々と収まっていった。


 青年の整った横顔を狙う銃口が光る。


 岩陰で火縄銃を構えた男は、緊張で冷や汗をかいている。

 逃げ遅れてしまい静かに好機を伺っていたのだ。


 引き金に指をかけると、手の甲に尖った石が食い込んだ。


 発せられた呻き声はごく小さいが巨人の耳なら十分だ。

 大柄な体に似合わない俊敏さで岩に足をかけ、男の顎を殴り飛ばす。


 オリバーが速やかに顔を向けた先に、


「おーん、もうちょい上手く当てられたな」


 バンダナで作った即席の投石機を回す少年がいた。オリバーは彼の方へと一歩足を進めた。


「助けてくれてありがとう、それで……狙いはなんだい?」


 その言葉に少年は笑顔を浮かべる。


「俺はシオン。歴史家の端くれだ。差し支えがなければ君のこれまでの人生を聞かせて貰いたい」


「君が僕を裏切って売らない保証は?」


「そうだな。もし裏切ったら殺してくれていいぞ。あ、後ろの二人は関係無いから俺だけな!」


 わずかな迷いも無く告げられたそれは、嘘だとは思えなかった。

 思えないことが、本音であるという事実が、ただただ歪んでいる。


「ふっ」


 先に沈黙を破ったのは灰髪の青年だった。


「なっ、何それ。くっ、ふっ、くくっ」


 腹を抱えくつくつ笑う様子に、その場の誰よりもエラムが驚いた。

 本人も知らないことだが、それは彼の素の笑い方だからだ。


「そ、そうだね、ふっ、それならいいよ」


「本当か!」


「君しつこそうだし」


「え」


 硬直した少年の目の前で、オリバーは自分の親指の腹を噛んだ。

 すぐにじんわりと血の玉が浮かぶ。

 彼の意図を察したシオンが自前のナイフで同じく指に傷を作る。


 不思議がっているアニタにヴィーが耳打ちした。


「血の契約よ。たまに傭兵達がやる、まあ固い約束ね」


「はぁ……ゆびきりげんまんみたいなものですか?」


「そういう感じ」


 二人が見守る中、二つの傷口が重ねられた。


 混ざり合った血が一滴、溢れて土に染み込んでいく。

 その誓いに言葉は不要だった。



 そんなやりとりの間にも周りは薄暗くなる。

 彼らは共に焚き火を囲んだ。


 簡素な自己紹介を交わし、大人しくお湯が沸くのを待つ。


「うーん、何から話そうか」


「何か話したくねぇことがあるなら好きに省略してくれな」


「ああそうじゃないよ。ただ、記憶をあさるのって、結構大変なんだねぇ」


 新鮮な感覚を味わいながら、オリバーはぽつぽつと語り出した。



 数年前母が亡くなった時、少年はその傍らで(たたず)んでいた。

 それは悲しみから来る行動ではなく、無知ゆえの反応だった。


 彼は「死」がわからなかったのだ。


 数日経って、薄い腹がくるくると鳴る。

 ふと、母の背骨の凹凸の上で、うごめく白い粒に気がつく。


 それはついさっき孵化したばかりの蛆だった。


 そういえば蝿が飛んでいるなと思いつつ、彼は細い指先で蛆をつまみ上げ、奥歯で潰した。


 無心で口へと運び胃に落としていく。

 次第に蛆は彼の手を避けて、女性の服の中へと潜り込んで行った。

 それを追ってひっかくと驚くほどすんなり表面が剥れた。


 そのまま肉を裂いた先に、赤々とした塊が待ち受けていた。


 命の象徴とも言える臓器は、毒々しくも鮮やかだ。

 呆然とその光景を目に焼き付けて、少年はようやく口を開いた。


『いきて』


 彼は母の言葉を繰り返す。


『しあわせに、なって』


 確かめるように、刻み付けるように、淡々と呟く。

 そうして、幼いオリバーは歩き始めた。


 目的地なんて彼には無かった。



 一息ついて白湯を啜る。


「それで各地を転々として、その途中でエラムに会ったんだ」


「あってすぐニ、けいやくしたのヨ」


「ふむふむ……どこかで定住するとかは考えなかったのか?」


「ああ、それは」


 唐突にシオンの腹が鳴った。

 きゅーっという可愛らしい音に肩の力が抜ける。


「一旦食事にしましょうか」


「おん……すまん」


 恥ずかしかったらしく耳が赤くなっている。


「謝ることないよ。今作るからね」


 そう言うと、鍋に残っていたお湯に米を注ぐ。

 手際良く動くその手元を、オリバーが警戒の目で見ていた。


 しばらくして鍋の中に味噌雑炊が出来上がった。

 具材は刻んだ菜っ葉とネギだけの素朴なもので、丁寧に溶いたふわふわの卵液でとじてある。


 不思議と落ち着く香りが四人を包み込んだ。


 青年は一足先に食べ終わり、シオンに微笑みかける。


「さっき言いかけたことだけど」


「ふぉん?」


「一度だけ、ある集落に滞在したことがあるよ」


「へぇ、なんてところだ?」


「名前はちょっと覚えてないなぁ」


 旅の途中に立ち寄った村落。

 オリバーはそこで初めて人の善心に触れた。



 集落の人々は身寄りのない少年に同情して空き家を貸し与えた。

 小さな畑を作りたいと言うと、古い農具まで譲ってくれた。


 その空き家の持ち主の家には女の子がいた。

 彼よりも少し年下で、笑顔の綺麗な少女。たまに気まぐれで遊びに誘ってきた。

 彼女にだけはこっそりエラムのことを教えてあげた。


 当時は気がつかなかったが、彼の胸には淡い恋心が芽生えていた。


 そんなある日のこと。

 急にその少女が集落から姿を消した。

 彼女の父母は家の中で息を殺して泣いていた。


 そこで彼は知ることになる。

 この集落の領主は、旧時代にあった初夜税を、未だに実行しているのだと。


『そうか、あの子は領主の館に連れていかれたのか』


 オリバーは早速迎えに行くことにした。

 大理石の壁も彼にとっては脆く、侵入するのは簡単だった。


 幸運なことに領主の寝室はすぐに見つけられた。

 女の子に跨ろうとしていた男に声をかけ、振り返って伸ばして来た腕をへし折って、大きな体を床に叩きつけた。


 寝台の上で震える彼女に手を差し出す。


 いつものように、一緒に帰ろうと。


『……や…………たすけ、て……いや』


 しかし彼女の怯えきった目には、きょとんとしたオリバーが写っている。


 ああ、そうだ。

 彼女は人間で、自分はそうではないのだった。


 少年は無言で集落に戻った。

 少女と領主をその場に置き去りにして。


 戻った先では、オリバーの借りていた空き家は燃やされ、集落の人間達は武器を持っていた。

 誰かが館の壁を壊すところを見ていたらしい。


 大量の畏怖の目にさらされながらも彼は、


『燃え上がる炎って綺麗だなぁ』


 意図的に、人々のことを頭から打ち消していた。


 ——所詮彼らも人間だった。

 巨人の少年の期待は、こうして音も無く砕かれた。


 放たれた矢を受け止めて自己防衛を開始する。


 まさしく過剰防衛なそれによって集落は半壊。彼は指名手配犯になった。




「で、こうやって賞金稼ぎから逃げながら暮らしてるんだ」


「……そういえばやばい額がかけられてたわね」


「領主と民間の生物研究所が合同で出してるんだって。暇人だよね」


「オリバーさん、おかわりいかがですか?」


「あ、もらってもいいかな?」


「勿論です」


 アニタは鍋の蓋を外してお玉を手にした。

 両目を覆う黒い布に、オリバーは唐突に尋ねた。


「君、目どうかしたの? 怪我?」


「えっと、そういうわけでは……」


 助けを求めて幼馴染に視線を向ける。彼はそれに気がついてにぱっと笑った。


「大丈夫だぞ。今周りに人の気配はねぇ」


 自分が言い訳を用意してしまっては彼女が成長できない。

 シオンは励ましを込めて親指を立てた。


「え、えぅぅぅ……」


 少女は唾を飲み込んで、衣擦れをたてながら布を解く。


 前髪を真ん中でかき分け、長い銀の睫毛が露わになる。


 持ち上げられた瞼の奥に蒼玉が覗いた。


 海とも空とも違う青色に、透けた視神経が花弁のように咲き誇る。

 人の介入を良しとせぬ自然が設計した美しさがそこに鎮座していた。


「…………華玉」


 自分と同じ人類亜種。

 存在が周知の事実である己とは違って、今や絶滅したと言われる種族。


 オリバーも一度だけ人身売買の裏市場で見かけたことがある。

 その時の男性の目はイエローダイアモンドであったが。


 呆然とするオリバーに、アニタははにかみつつお椀を差し出す。


「えっと、おかわりよそいましたよ」


「ああ、ありがとう」


 オリバーは匙を持ち上げて、三人のことを見渡した。

 歴史家に、トレジャーハンター、そして最後の華玉。

 本来なら出会う機会も無いはずの彼らがこうして一緒に旅をしている。


 その奇妙さと不思議な安定感に、オリバーは少し興味を覚えた。




 次の町まで同行することになり、彼らは焚き火の番をくじ引きで決めた。

 一番最初はオリバーだった。小枝を足しながら火の面倒を見る。


 肩の上でエラムが船を漕ぎ始めた。


「エラム、先に寝てもいいんだよ」


「ン……おりバー、きになるノ? このこたチ」


「すごい。よくわかったね」


「もうじゅうにねんモ、いっしょにいるからネ」


「そんなになるのかぁ」


 オリバーはそろりと彼女の柔らかい真紅の髪を撫でる。


「うん。こんな人は初めてだよ」


 微笑みを浮かべるのも忘れて巨人の青年はそう呟く。

 自分でも自分の感情を図り切れていないようだ。


 エラムはそんな彼の頰に、ありったけの情愛を込めた接吻をした。




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