第十九話・泣きべそルベライト(下)
とっさにアニタは叫んでいた。
「断罪、執行ッ!」
頬を伝う汗と指先の震えを、少女は一拍遅れてから知覚する。
オリバーも反射的に距離を取っていた。
(なんで……なんで、それが成立する)
青年が戸惑ったのは他でもない――覆面の華玉から向けられた感情だ。
優れた五感はある程度までなら眼前の心情を察せる。
目の前の華玉から吹き出しているのは、歓喜と純然たる殺意だった。
そしてそこに心配と思いやりが同居している。
前者だけなら戦闘狂で説明が済む。
しかし後者が自然に隣り合っているのはどういうことか。
混乱するオリバーの前で、銀髪の少女の姿が変わる。
黒曜石のようなドレスに、深い青色の兜、そして両手に携えた短機関銃。
心の底の怒りを弾に込め、アニタはガブに発砲した。
迫り来る弾幕に対して、男は巨体を傾けて走り出す。
低い金属音が鳴る。
少女と青年の耳にその音が届いた途端ーー槌で弾かれた塊が、彼らの間を飛び交った。
なんとか避けたオリバーの眼前に土埃が舞う。
その向こうから、黒い鎧が姿を見せた。
振りかぶられた槌を躱し、青年は男の首を腕で掴んだ。
背後に回り、全体重を乗せて、動きを止めようと試みる。
(重たっ、このまま叩きつけるのは無理か)
思わず舌打ちがこぼれる。
その時、一発の弾頭が華玉のこめかみに迫った。
惜しくも跳ね返されたものの、銀髪の少女は拳銃に持ち替え、すぐ側にまで近づいている。
追撃は可能、そう青年は判断した。
しかし、組みついている相手は細かく体を震わせる。
「?」
「楽しいねぇ」
朗らかな声と共に、通常なら無理な角度で、ガブの肘がオリバーの脇腹にめり込んだ。
「がっ、ぅ」
反射的に拘束が緩む。追撃を両腕で防ぎながら、青年は思考を巡らせる。
(こいつ、肩を外したのか? それにしちゃ動きが滑らか過ぎる……けど)
当たり前のこと。
今相対しているのは己と同じ非人間ではないか。
体勢を整えた華玉を見上げて、巨人の青年は思わず笑っていた。
アニタは続けて鎧の隙間を狙い続ける。
中々両者共に踏み込めない中、ガブは体をひねって槌を少女の鳩尾に打ち込んだ。
小さな口から唾液が散り、ふわりと体が浮き上がる。
杉型の岩の根元から、彼女は空中に投げ出された。
(落下、海面、試練失格)
脳内で状況を理解した瞬間――少女は無意識の内に天に手を伸ばした。
背中が熱い。
あんぐりと口を開けたシオンと目が合った時、アニタは自分の状況に気が付いた。
「……え? ええぇ!? 飛んでるぅぅ!!」
三対の翼を広げて、少女は気流に乗って上空へと昇っていた。
眩しいほど真っ白な翼は、確かに感覚がある。
困惑する彼女の耳に硬い物が打ち合う音が聞こえる。
青年と男性は依然として足と槌をぶつけ合っていた。
大柄なガブが武器を使いがちなのは、おそらく鎧に傷をつけるのも合格になるからだろう。
(うん?)
ふと、島の頂に降り立った少女は考える。
背中の翼は自然と折りたたまれていた。
(もしかしたら……できるかも?)
オリバーと楽しげに打ち合っていた華玉は、ふと別の方向に向き直る。
彼を完全に覆うような弾幕。
今日二度目のそれと、奥の岩に立つ少女を視認して、ガブは槌を振るう。
彼女目がけて大量の弾が跳ね返る。
そんな中、アニタは――ミカエルに言われたことを思い出していた。
(『最適解は予測できる』それなら)
標的を覆っていた弾幕が無効化された、相手が油断している今だからできること。
少女は冷静に拳銃を構える。
一発。
一発だけを予定の位置に撃ち出した。
別の弾丸に接触し、少しずつ軌道が変わっていく。
連鎖した弾丸が行き着く先は、
「――届いた」
彼女の弾丸は着弾すると煙のように消えてしまう。
しかしそれも自分の武器の一部と捉えれば、弾頭を別の何かに変えられるのではないか。
思い浮かべたのは、青年が踏み込める隙を作るための物。
ガブが自分の足元に迫った弾に気付いた時には遅かった。
背後で擲弾が着弾する。
それを合図に、小規模の爆発で土埃が舞い上がった。
耳鳴りの先から、誰かが走ってくるのがわかった。
男がその方角を知覚した刹那、顎に強い衝撃が加わる。
青年の口から叫び声が漏れる。
「おっらぁぁぁぁぁあぁ――――ッ!!」
蹴り上げられた兜がずれ、ガブの体が後方に押し出された。
兜についた傷をそろそろと撫で、華玉の男性は体を起こした。
構えるアニタとオリバーに対して、ガブは嬉しそうに拍手を贈る。
「お疲れ様ぁ! 君らの勝ちだよぉ」
かくんと少女の膝から力が抜ける。青年は慌てて彼女に手を貸した。
華玉達は戦闘形態を解き、元の格好に姿を戻した。
しかし少女の翼はそのままだ。
「あれ、ガブさん、ハンマーは消えないんですか?」
「ああ、これはそこら辺で拾ったやつだよぉ」
少女と青年に戦慄が走る。
一方のガブは照れ臭そうに頬をかいた。
「試練で武器を使うのはどうかと思ってぇ」
(あれってそう呼ぶんだ……)
(何それ。本当に手を抜いてたってことじゃん)
安全地帯から腰を起こしたシオンとヴィーは、こそこそと互いに耳打ちする。
「拗ねてるわね」
「拗ねてるな」
「そこ、うるさいよ」
微笑ましそうな桃髪の少女に撫でられながら、灰髪の青年は頬を膨らませた。
少女のうなじに翼型の模様が増える。
これで最初に現れたものを合わせて三枚になった。
ふと、アニタの背から白い翼が姿を消す。
「これで好きに飛べるようになるよぉ。出すところまでは自分でできてたよね? すごいなぁ」
「あれはたまたまです……」
苦笑する少女の眼前で、男は震え始める。
「う、うぅ、みんな帰りは気をつけてねぇ……」
ぽろりと真紅の宝石が袋の隙間からこぼれ落ちる。
「近くに来ることがあったらまた遊ぼぉ。ルシファーによろしくねぇ」
「やっぱり最後はルシファーさんなんですね……」
気まずそうにアニタは俯く。
幼少期に見た夢が脳裏をよぎった。
それでもいつかは進まなくてはいけない。
(わたしも……ルシファーさんも)
決意を新たにした少女は、仲間達と共に、沖に見えた観光船に手を振った。




