第十六話・がさつなイエロートルマリン
「石碑ぃ?」
「そう。この近くで見たことないか?」
「うーん、知らねーな。おい、おめ知ってっか」
「わかんねな……」
尖った耳先が、申し訳なさそうに下がる。それを見て少年は頭をかいた。
釣りをしていた領民に聞き込みをしていたらしい。
「そうかぁ。作業中に失礼したな」
「力になれねで悪ぃ。これでも持ってけ」
「お! うまそー!」
男達に手を振って、少年・シオンは川を上っていく。
しばらくすると、岩の上に座っているヴィーが見えてきた。
彼女もシオンに気がついたらしく、ひらりと岩から降りてくる。
「どうだった?」
「結構昔から住んでる住民でも知らねぇみたいだ」
鍋を火にかけながら、アニタがぽつりと呟く。
「普段、住民の方が行かない場所なんでしょうか」
「多分そうだよな……」
屋敷に預けられていた荷物を漁り、少年は地図を取り出す。
ここ精霊郷は隠れ里のような場所だ。
精霊界との距離が最も近く、落とし子も生まれやすい。
そのため、許可無く外界から入れないよう、境界線には幻覚の術が敷かれている。
必然的に、領民はあまり他領との境目には近づかないが、
「……広いな!」
「七選帝侯の領邦だものね」
ヴィーとシオンはどうしたものかと首をひねる。
少年は領主に聞くことも考えたが、本来は正式に予約を取らないといけない。
それに夫婦の邪魔をするのも本意では無かった。
(単純に気まずいし)
悩む二人の鼻先を、温かな湯気がくすぐった。
ふと見れば、アニタが鍋の中身を椀に取り分けている。
「ひとまず、お昼にしましょう? 腹ぺこの時に考え事は良くないですから」
柔らかな少女の笑みに、彼らは同時に肩の力を抜いた。
近くの岩に布をかけ、一行は点々と座る。
『いただきます!』
言うが早いや、黒髪の少年はスープに口をつける。
きのこ類の独特の食感の後を、魚醤の香りが追いかける。
鶏肉のつみれと甘いキャベツを噛みしめて、シオンはほっと息を吐いた。
焚き火の脇では、彼がもらった魚が串に貫かれて焼かれている。
ヴィーは椀に浮かぶ葉っぱを不思議そうに見つめていた。
「魚醤と香草?」
「えへへ。昔、お師匠様に教えてもらったんです。遠征で食べたスープだって」
「ああ、仕事で色んなとこ行ってるよな師匠」
シオンは老父から聞いた数々の昔話を思い出す。
いつも肝心のところで話が終わるのが常だったが、幼心に楽しみだったのを覚えている。
今思えば、保護者としての接し方を模索した結果なのかもしれない。
(そういや、精霊郷のことも聞いたことあるな)
ヘルストランド領を訪れた際、立場上暗殺などを警戒して、鉱山地帯の洞窟を通って行った話だ。
シオンの記憶が確かなら――抜けた先に、天使像のような岩があったそうだ。
「あ――――っっ!!」
「火傷?」
怪訝そうな顔で、ヴィーはスープを啜った。
鉱山地帯に到着した頃には、日が傾き始めていた。
「それじゃあ俺達はあっち。ヴィーとオリバーはそっちから頼む」
「わかったわ」
「もし何かあったら、エラムが合図を」
「まかせテ!」
炎の精霊はシオンの肩に乗り、誇らしげに胸を張る。
二手に分かれた後、辺りを見渡していると、黒髪の少年はピクリと眉を上げた。
「……すすり泣きが聞こえた」
「え?」
少年少女は岩肌に身を隠し、周囲の様子を伺う。
さらに耳をすますと、小さな嗚咽が聞こえてきた。
一歩、一歩、慎重に声の主に近づいて行く。
とある洞窟の入り口が見えたその時――
「オメェ、自分が何しようとしたかわかるか?」
「ぅ、ひっ、ごめん、ごめんなさ、ぇぅ」
「勝手に他人の物を盗んじゃあだめだ。そうだろ?」
泣きじゃくる幼い子供と、しゃがんで向かい合っている女。
女性の方は、サバルトーラ教の常識――露出は避けるべき――から考えると、極めて珍しい格好をしていた。
胸部を布一枚で覆い、下は傷だらけの男物のズボンを履いている。
年頃の少年はじわじわと顔を赤くした。
ふと、彼女が顔を上げ、銀髪の少女と目が合う。
その瞳が宝石でできていることに気づき、アニタはぽかんと口を開けた。
当の女性は露骨に眉をひそめる。
「あぁん? ミカエルじゃあねぇか! なんの冗談だ?」
「へ……え、あっ」
少女は戸惑いながらも、彼女へと歩み寄って行く。
「ミカエルさんのお知り合い……なんですね?!」
アニタは両拳を握りしめ、緊張で固まっている。
その様子に、イエロートルマリンの華玉は口角をひくつかせた。
「なぁるほど。あんたはミカエルの今世ってわけか」
小洞窟の内部。やけに整えられた空間で、女性はくつろいでいた。
「そんで、力の制御をあたしに教わりに来たと」
「はいっ」
意気込む少女の背後で、少年が気まずそうに座っている。
「俺も入って良かったんですか?」
「まぁ別に。拒む理由もねぇしな……なんで顔背けてんだ?」
「察してください」
不意に、アニタが小首を傾げた。
「えと、誰ですか?」
その視線の先には、先ほど泣いていた少年が震えていた。
女性は視線を泳がせる少年を抱き寄せ、ぐりぐりと顎置きにする。
「ま、このチビは気にすんな」
そう華玉は楽しげに口元を歪めた。
彼女はかつてこの地で亡くなり、その遺体のある場所に、数時間だけ顕現することができるのだと言う。
こうした具現化は少数の天使にしかできないそうだ。
「確かにあたしなら、『自分の意思で切り替えられる』ようにいじってやれる」
少女の頬が期待で熱くなる。
しばし思案した後、女はやれやれとため息を吐いた。
「面倒だが……ミカエルに貸しができると思えば悪くねぇな。一つ試練を出す」
「試練?」
「それに合格したら、制御法を組み込んでやるよ」
「! ぜひお願いします!」
「よし。あぁ、そうだ、言い忘れてたな」
女性は上着をはためかせる。その滑らかな腹部には魚の刺青があった。
「あたしはラフィーだ。以後よろしく」
一行は洞窟の奥へと進む。やがて道は二手に別れた。
「他の奴は右、あたしらは左に進むぜ。安心しな、出口では合流する」
緊張した面持ちのアニタに、シオンが声をかける。
「あっちで待ってるな」
「……うん。待ってて。すぐに行くから」
にっと笑顔を浮かべて、少年は首元の精霊に声をかけた。
「オリバー達にこのこと伝えてきてくれねぇか? 合流は予定の村で」
「りょーかイ」
飛び立つ精霊の背を見送って、少女はラフィーの後を追った。
進むに連れて、洞窟内はどんどん冷えていく。
不意に、先を歩いていたラフィーの背が止まった。
「試練とは関係ねぇ質問をするぜ」
これまでとは打って変わった、静かな声音が反響する。
「どうして今世の天使に、華玉に、力の制御法がつけられてないんだと思う?」
少女は息を飲んだ。
両者の間に重たい沈黙が流れる。
「……全力を出すってことは、『暴走』することは、この世界に――人類に見切りをつけたってことだから?」
「それもあるだろうな」
彼女は静かに色眼鏡をかけ直した。
「あたしらの本体は、心臓部にある宝石機関だ。三次元じゃ観測できねぇがな。それを覆う肉自体はあまり重要じゃねぇ」
自嘲するようにラフィーは続ける。
「そもそもが使い捨ての肉体ってわけだ。天界か地獄か、配属されてからが生の『本番』……さて、も一つ聞かせてもらおうか」
細長い指先が、アニタのことを指す。
ガラス越しの瞳は少女に問いかけた。
「なぜ、今の段階で力の制御を欲する?」
銀髪の少女は黙って俯いた。
この世界にとって華玉の『本番』はまだ先だ。
それより前に力を使えるようになってどうするのか。
元より断罪のため――人類の存続投票のための機能。
返答を待つ女性に、アニタは口を開いた。
「以前、『暴走』した時、わたしは幼馴染に銃を向けました」
「……それで?」
「彼は、かつてわたしを救ってくれました。今度はわたしがっ、隣で彼を救いたい。そのために、使えるものは全て使います」
小さな子供のわがままに、ラフィーは穏やかな笑みを浮かべた。
「はッ、上等だ! 一丁前に欲深いじゃねぇか」
「よ、よくぶか!?」
「あたしは好きだぜ。生き物らしくて」
ふと少女の手を取って、華玉は一歩後ろへ下がる。
「待たせたなぁ。試練の始まりだ」
ふわりと冷たい風が足首をくすぐる。
アニタが恐る恐る見下ろせば、自分が立っている場所が嫌でもわかった。
細い、細い岩の一本道。
足場はまばらに崩れ落ちている。
底は真っ暗な闇に飲まれていて、どれくらいの深さなのかは見えない。
「ひゃっ……」
「十秒後、この手を離す。この足場を渡って、あたしの背中に触れてみろ。機会は一回だけだ」
「せ、背中に?」
「そうだ」
するりと指が離れていく。
ラフィーは真剣な表情で続けた。
「安心しな、落ちたら助けてやる」
(……やっぱり優しい方だった)
アニタは静々と爪先をずらす。途端、ぱらぱらと小石が落ちた。
一歩、踏み出すもぐらりと体が揺れる。
なんとか平衡を保つが、生きた心地がしない。
慎重に進めていくが、その間にも華玉は遠ざかってしまう。
軽やかな動きでラフィーは細い足場を飛んでいく。
ふと、少女は気がついた。
(あれ、ラフィーさん……なんか、遠くを見てる?)
落ちるのを怖がるあまり、アニタはずっと真下を見下ろしていた。
試しに少し先を見ながら歩みを進める。
(あそこは崩れそう。ちょっと右にずれて、次は等間隔で三回跳ねる! それで――)
背後の気配を探りながら、華玉は口角を吊り上げた。
ほんの少しずつ、両者の距離が近づいていく。
洞窟の入り口から眩い光が差し込んだ瞬間――
「捕まえった!!」
華奢な手は黒い革の背中に増えた。
その時。少女のうなじに翼のような跡が増えた。
翼を視認して、ラフィーは彼女の背中を軽く叩く。
「お疲れさん」
銀髪の少女は嬉しそうに両拳を握りしめた。
少年少女はその手を繋いで歩き出した。
華玉の女性はだるそうに肩を回している。
「で? お前はいつまでいるんだ?」
二人の背中を、一人の少年が頬を紅潮させながら見送っていた。
先刻、石碑の宝玉を取ろうとして叱られていた子供。
アニタの試練をこっそり後ろから見ていたようだ。
なぜ顔が熱くなっているのか、彼にもわからなかった。
(あたしが助けなかったら落ちてたってわかってんのか?)
その横顔を見下ろして、華玉はふんっと鼻を鳴らす。
「ほら、もう夜になるぜ。村の近くまで送ってやっから。行くぞ」
「……僕にも、できるかな」
うつむく少年に、ラフィーは片手を伸ばし――半ばがさつにその頭を撫でた。
「あんなぁ。これまでのことは変えられねぇんだ」
「……ぅ」
「でも、それをどう意味付けるかは、お前自身だぜ」
優しい声に顔を上げれば、柔らかく慈しむような笑顔があった。
「ま、応援はしてやるよ」
慈悲深い笑みはすぐに消え、彼女は少年に艶やかな宝玉を押し付ける。
彼は唾を飲み込んで、恐る恐るそれを受け取った。
村の外れで、青年達が不意に顔を上げた。
「お、チビが戻ってきた!」
「おせーんだよ」
「ちゃんと取ってきたか?」
「……」
「返事くらいしろよ」
楽しげに見下ろしてくる彼らに、少年は喉奥から声を絞り出した。
「ぃ……だ」
「あ?」
「いや、だっ!」
――洞窟の入り口にある宝石を取ってきたら、自分達の仲間に入れてやる。
そう言ってきたのは、弱虫と馬鹿にしてくる青年達だった。
彼らの仲間内に入れたら、きっともう子供達の中で孤立することもない。そう思っていた。
それでも少年は弱々しい声音をぶつけた。
「これっは、返す、から……やらない!」
「は?」
胸倉を掴まれて、小さな体は簡単に地面から離れる。
ああ、また殴られる。そう思って少年は固く目を閉じた。
その瞬間だった。
「――オイゴラァァァッ!! 何してんだクソガキ共ォ!! おっさんはこの目で見たぞぉぉ!?」
「やべ」
「魚屋のジジイだッ」
「なんでこんなところに……!」
かけてきた男性は、投げ出された少年を起こす。
「大丈夫か? 坊主」
「……ぅん」
少年が慎重に手のひらを開くと、宝石の表面を月明かりが滑り、小さな瞳に反射する。
そこでは黄色の宝石が、彼を労うように輝いていた。




