第十三話・急転直下は誰の手で
宮殿の執務室に、一人の男性が入って来る。
現皇帝であるヤン・ド・レーウェンは、肩を回しながら、安堵のため息をこぼした。
(緊急会議、無事に終わって良かったな)
両脇を歩いていた護衛が、静かに扉の脇で足を止める。
ガラガラという音が耳に届く。
ヤンが振り返ると、見慣れた侍女が紅茶を淹れに来ていた。
「あぁ、ありがとう」
青年の礼に、侍女は微笑みを返す。
ふと、彼は思った。
ーー彼女は先日から休暇をとってはいなかったか?
違和感が確信に変わった瞬間、鋭い冷たさが横隔膜に刺さる。
次いで、刃の角度を変えて引き抜き、女性は青年の心臓を突き刺した。
「か、っはっ」
戸惑いながらヤンは膝から崩れ落ちる。
室内にいる護衛二人は、口の端から唾液を垂らして、恍惚とした表情を浮かべている。
静寂の中、侍女がくすりと笑った。
「初めましてかしらぁ? 皇帝陛下」
青年の眼球に写る顔は、先ほどとは違う誰かになっていた。
「なにがっ、もくて、き」
「んー、教える義理は無いのよね」
退屈そうに息を吐いて、その女は柔らかな茶髪を弄ぶ。
ヤンは辺りの様子を伺うが、助けは見込めそうにない。
床に倒れた彼を無視して、彼女は机の引き出しに手を伸ばした。
鼻歌交じりに開けると、そこには丁寧に編まれた糸の入った「イヴのブローチ」が鎮座している。
「みぃっけた」
嘲笑するような声音で、女はブローチをすくい上げる。
「会いたかったわぁ! 随分と手間をかけさせてくれたじゃない」
鼻で笑いながら、艶やかな宝玉を指で弾く。
その時、彼女の顔から笑みが消え失せた。
地面に伏せていた皇帝がくつくつと声を吐いている。
「やってくれたわね、人間」
女は偽物のブローチから手を離した。
ゆっくりと落下したそれは、衝撃で細かく砕け散る。
青年の背に革靴のつま先がめり込んだ。
嗜虐的な笑みをたたえ、彼女は――旧世界のイヴそのものの顔で、ヤンの背骨を踏み折った。
誰かが呟く。
アダムはその肉体を失い、魂は神の使徒となった。
カインとアベルは魂の自由を奪われ、肉体は悪魔へと変貌した。
末子のセトは生まれることなくその生を閉じたが、肉体と魂は残った。
唯一、清廉潔白であったイヴの魂は、ただ一人天へ昇った、と。
まるで願望のように。




