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大罪人が語る夢  作者: ぬらくらげ
最終章
65/94

第九話・新世界


 男は歩みを進める。

 背後では羽毛のように儚い大地が欠けていく。

 がくんと落ちた足を、しがみついてどうにか引き上げた。

 ぽっかり空いた暗闇を見下ろして、アダムは一人思う。

 なぜ自分は今、落ちないようにあがいたのか。

 どうしていまだに、生にしがみついているのだろうか。


 本能と言えばそれまでだが、彼は体を起こして足を踏み出した。

 現状、空腹も眠気も無く、しかしその時点で固定されているのか、両腕に刻んだ傷口はずきりと痛む。


 その痛みを抱きかかえながら、彼は進んだ。

 「自分以外の存在」というほのかな期待を打ち消すように、冷たい靄が体を包んでいた。




 ふと視界の端で、何かが光った。


 最初は気のせいかと思ったが、もう一度、弱々しく火花が散った。

 アダムは目を見開き、そちらへと駆け寄る。


 二、三個ほどの黒い火花が、埋もれるようにそこにあった。


(……間違いない)


 確信のままに手を伸ばす。

 その小さな温もりは、彼も良く知る——家族のものだった。


 アダムは知らない。異世界から来た少女が望んだ報酬のことを、そしてそれが叶えられていたということも。


 火花は次第にその光を弱めていく。


「ぁ、だめ、まって」


 それらが消えかかっているのは、本来なら既にここが漂白された星だからだろう。

 アダムは目に見える範囲の火花をかき集め、胸にかきいだくも、温もりは少しずつ着実に失われていった。


(だめだ。だめ、お願いだから、いかないで……)


 困惑する頭に、金属音が響いた。


 本来ならあるはずのない、男のナイフ。

 目の前に横たわるそれに、父親は手を伸ばした。


 アダムの体はこの場で唯一固定されている。

 つまり、その一部になれば、魂の火花は保持されるはずだった。


 ゆっくりと腹を裂いていく。

 腕の時の比ではない激痛に苛まれながら、男は傷口に黒い塊を押し込んだ。

 腹の中で、温もりを取り戻した炎が爆ぜる。


 彼はわかっていた。これが自分の身勝手な欲に過ぎないということを。




 歩みを進める中で、彼の体は徐々に崩れ始めた。

 しかし周囲の靄と同化したり、散りじりになることはなく、ただ少しずつ、少しずつ削れていった。


 その状態はひどく動きにくかった。彼は服を破いて包帯がわりにし、ぐるぐると巻きつける。

 星の名残は次第に小さくなって行った。

 それでも彼は足を止めない。

 まだ、アベルとカイン、そしてイヴが見つかっていないのだ。


 羽がふわりと崩れ、闇に飲み込まれていく。

 孤独な生に(すが)った先に何があるのか、アダムは知る由もなかった。




 進む。

 ただ、進む。

 至った場所は星の極点。もうどこにも踏みしめる大地は無い。


 男の包帯の隙間から覗く眼球が震え、口からは呻くような声が漏れた。


 そこには——胎児が眠っていた。

 薄い膜に守られて、静かにそこで丸まっていた。

 彼は慎重に手を差し出し、数秒ためらってから持ち上げた。

 ふるりと、繭の中でそれは身を震わせる。

 触れたからこそわかる、それの正体は、とても信じ難いものだ。


 イヴと共に亡くなったと思われた、彼らの最後の子供。

 もう涙腺は機能しておらず、アダムは泣くことは無かった。黙ってその子を抱きしめる。


 ふと、何かの気配がした。

 それはその場の全てにあり、しかしどこにも姿は見えない。

 アダムの周囲の靄が晴れる。

 極点を囲むように、無限の夜空が広がっていた。


 その何かは急に語りかけて来た。

 とても言葉と呼べるものではなく、強制的な理解と言うしかないが、アダムは確かにそれの——創造主の一端に触れた。



 告げる。終わりし世界の原点よ。

 お前に任を与える。

 受けるか、受けないか。

 消えるか、残るか。

 感情として表すなら、敬意はあれど、お前に選択権はない。


 告げる。次なる世界の浄化者よ。

 愛を持って、哀を持って、相を持って、その腕なき腕で抱えた全てと共に、煉獄の門を築き上げるといい。



「……我らが主よ」


 アダムは口を開こうとしたが、とうに舌は形を無くしており、中性的な声音は喉の隙間から溢れた。


「これが、ここまでが運命だと言うのならば、なぜ私なのですか。なぜ、原罪を背負った私を生かし、なおかつ役割までお与えになるのですか?」


 一瞬、言葉が詰まる。


「……なぜ、この星は、この世界は終わりを、迎えたのです……最初から終わると決まっていたのなら、どうして」


 その先は紡がれず、また返答はない。


 かくして世界は流転する。




 気がつけば彼は黒衣をまとい、木々の根元で目が覚めた。


 起き上がると両腕が依然痛んだ。思わず顔をしかめた時、自分が何か仮面のような物をつけているのがわかった。

 見渡す限り、林が続いている。

 牧歌的な光景にアダムが驚いていると、その先に何かがあることがわかった。

 ふらふらとそちらに歩いていく。


 不意に目の前を、薄灰色の何かが通り過ぎる。

 警戒の視線を向けたところから、まるで怯えるようにそれは姿を表した。


「火の玉……?」


 怖がらせないように、その場にしゃがみ込む。

 それは恐る恐るといった様子で近づいてきた。

 差し伸べた手に火の玉が触れた瞬間、アダムの中に誰かの記憶が流れ込んできた。

 どうやらそれは目の前にいる、幼くして亡くなった「人」のもののようだ。


「……大丈夫。もう、大丈夫だ」


 無根拠にそう言って、彼は火の玉を優しく撫でる。

 最も、炎に触れるのは不可能で、熱くはないがこれといった感触も無かった。

 じわりとそれの灰色が落ち、柔らかな白い火の粉を飛ばし始めた。


 先に見えた物は、近づけばその正体がはっきりとわかった。


「逆さまの建物?」


 重力に逆らって浮かんだ城は、主人の登場に門を開く。

 瞬きの内に、彼と白色の火は城内にいた。


 混乱と同時に直感する。ここが新しい「役割」を果たす場なのだ。


 ぴくっと跳ねて、火の玉はどこかへ飛んでいく。


「あ、こら、まだ何があるか……」


 追いかけると、何やら頼りない階段があった。

 そこに近寄った炎はその姿を変える。

 アダムが見た記憶そのままの形になって、振り向くことなくその子は階段を登っていく。

 その光景はどこか眩しく、美しいものだった。


 彼がそっと手を伸ばすと、階段があった場所は扉に変わってしまう。

 固く閉ざされた扉にはただ『三界二獄・会議場』とだけ書かれていた。




 徐々に、薄灰色の魂は溜まっていった。

 アダムが記憶を読み取ってからではないと、階段に通せないからだ。

 苦肉の策として、男は煉獄を地区で分け、その地区ごとに順番を設けた。

 城内の管理機器をいじると、木々に彼らが休む空間を作ることができた。


 アダムは創造主の残した「浄化者」という言葉から、与えられた役割をほぼ理解した。

 新しい世界で生まれた魂、特に罪の薄いものを、一旦浄化する部署の管理人といったところか。


 仕事の内容はわかったが、一人では時間がかかり過ぎる。

 そう悩んでいた時、彼の腹が燃えるように痛んだ。


 激しく苛むような、それでいて愛おしいような痛みに、男は一つ案を思いついた。

 しかしそれは、彼の愛した、救えなかった者を利用することに思えた。

 十月十日悩みに悩んで、アダムは子供達の魂を腹から取り出す。



 器は煉獄の土から練った。

 不恰好なヒト型の中に、ぱちぱちと爆ぜる火花を埋めていく。

 アイトワラス、ルワン、ルフトゥ、ルー・ガルー、アクルト、ドゥジェン、そこまで数えたところで、父の指が止まる。


 ヒト型が一つ余っている。


 兄弟と妻は見つからなかった。せめて正しく逝ったのだと信じたい。

 しかし、あの時確かに動いていた、あの極点にいたはずの胎児はどこか。


 ここまでその違和感に気がつかなかったという事実が胸を抉る。

 同じく忘れてはいけない存在なのに、と。

 城の床に膝をついた瞬間。背後から声がした。


「しかたないよ……だってわたしはぁ……主に隠されてたし……名前がないから呼べないじゃん……?」


 振り向いた先には、半透明の少女がいた。

 正確にはその胴体より下は、ぶよぶよに溶けて震えている。

 アダムは困惑したまま、ただ、ローブを脱いで少女にかけた。


「……あつぅい」


「すまない。そうだな、名前を、考えないとな」


 押し黙った父親に、「胎児の肉体」は口を開いた。


「わたしの体はここ……わたしの心は……どこにいくかわかんにゃい……から、それいらないよ」


 そう言って余っていたヒト型を指差す。

 どうやら最後の子供は、煉獄に送られた際に、肉体と精神が乖離してしまったらしい。

 めんどくさそうに彼女は続ける。


「あと、これ……持ってきた……これ以上は、無理……おやすみ」


 少女は手のひらから、ぼとりぼとりと何かの肉を落とした。

 それが何なのかはわからなかったが、アダムは慎重に拾い上げる。

 「胎児の肉体」を近くの椅子に座らせてから、彼は肉片をまじまじと見た。

 どうやら、何がか包まれているようだ。


 恐る恐る開いてみると、それぞれ赤髪と金髪が入っていた。


「ぁ、ぁっ……そうか、そうかぁ。君が、抱えていてくれたのか……」


 少女は微かな寝息と共に溶けて、次第にただの楕円になった。

 アダムは意味をなさない謝罪を飲み込む。

 二つの肉片も同じように土に包んだ。


 再度ヒト型に向き直り、ひゅるりと言葉を紡ぎ始めた。


「誰が望むのだろう。善良な魂を。

 誰が愛すのだろう。愚かな大罪人を。

 比翼の鳥は息絶えて、連理の枝は枯れ落ちた。

 後戻りできる道はない」


 ふと、耳元で妻の声がする。


『愛してるわ、アダム』


「……たとえ己を失っても、懐かしい声があなたを縛る」


 原罪者の呪いは、正常に起動した。

 ヒト型を食い破るように、ヒトに近い姿の異形達が顕現する。


 憤怒・暴食・嫉妬・色欲・強欲・傲慢・絶望・無垢の八名。

 そして創造主によって生まれた怠惰と孤独の二名。

 加えてアダムは、永遠の空席として「破壊のイヴ」の席を用意した。



 光の線で、城門に文字が刻まれていく。

 ここまでが創造主の想定であったのかもしれない。



『魂に染み付いた悪を滅せ。我らは魔を司り制す者』



 その日、煉獄に悪魔が誕生し——新世界は産声(うぶごえ)をあげることとなる。




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