表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大罪人が語る夢  作者: ぬらくらげ
最終章
64/94

第八話・その慟哭は白紙に残らず


 ガリガリと音を立てて、少女は地面に天使を描いた。翼のあるヒトの姿。

 不意に、彼女は思った。

 「これ」はどのように使われるのかと。


 天使という概念知っている。両親から聞いた話では、カインとアベルのお産には、それに近い「使い」が来たという。

 「使い」は光の粒であるという以外は、少女の知る天使そのものだった。


 今描いているこれも、その一部に加わるのだろうか。

 もし、長い時間を過ごすのであれば、どれだけの命を見送るのだろう。

 そもそも「断罪」がどういうことかも知らされていない。


「……」


 ルフトゥは、そのヒトの目に横線を引いた。


(君は、『罪』を見なくて良い。いずれは等しく終わるものだから)


 彼女は自然とそれに名前をつけていた。

 かつて故郷に実在した、一神教の天使の名。


「——ミカエル」




 一方、アダムは告げられた地点へと歩き始めていた。

 脳内に示された場所は、大陸の端、楽園が見える海岸線だ。


 一定の歩幅で淡々と進む。

 時折水筒の口を噛み、干し肉を飲み下した。

 生まれてしまった疑念を追い出そうとしても、それは濃さを増すばかりであった。それは創造主へのわずかな反感だ。


 彼は、アダムは土と「主の息吹」から生まれた生命である。

 楽園から追放された時、最初の神託があった。

 ——この大地に仕えよ、と。


 その言葉の通り、アダムと家族は地の恵みを受ける代わりに、肥料作りや消毒、定期的な居住区の移動、そしてその知識の共有や革新に従事した。

 与えられた役割に疑問は無かった。やりがいさえ感じていた。

 勝手にではあるが、大地は自分の母のような存在だとも思っていたのだ。

 けれど、突然告げられた「破棄」という単語が、うまく飲み込めないままでいる。


 自分は役割を間違えたのか?

 それとも、初めから次の世界が想定されていたのだろうか。

 ぐるりぐるりと思考は巡り、冷たい風に顔を上げれば、すっかり夜が更けていた。



 アダムは思う。

 己にできることはきっと何もない。

 創造主の宣言通り、この世界は消えるのだろう。


(それでも)


 己は忘れてはいけない。

 自分は今から、残された家族も失うのだ。また、失うのだ。

 否——終わりを知りながら、無力さ故に見捨てるのだと。


 暗い夜空の下、男はナイフを握りしめる。


(たとえ、僕そのものが消えた後でも、忘れちゃダメだ)


 肉体に、魂に、刻みつけ共にいけ。

 忘れるな。自分が失う者を。

 一人、一人、赤い線で名前を書いていった。


 痛む両腕に包帯を巻きつけて、彼は嗚咽(おえつ)をこぼした。


「ごめんよ、ごめん……ご、めん」


 アダムの愛情深さは、そのまま喪失の悲哀になる。

 重たいその感情に溺れながら、膝を抱えて男は震えていた。


 絶対の神託を前に、できることならここから進みたくないと、そんなことを思ってしまった。




 数日かけて海外線にたどり着くと、奇妙な箱舟が目に飛び込んできた。


「……これは?」


 思わずアダムが近寄って、指先を伸ばした時、聞き慣れた地響きがした。


「まだ、作り途中だ」


 顔を上げた先には、木材を運ぶ巨人が立っていた。

 ふっと下手くそに微笑んで、


「酷い顔だぞ、我が友」


 ノアはその手を差し伸べた。


 こみ上げる涙を押し込めて、彼は親友に首を振る。


「ちょっと、この近くに用があって、それだけなんだ」


「そうか」


「そうだよ」


「……この舟、何のためかわかるか」


 突然の問いかけに、アダムは目を見開いた。

 巨大な文字通り「箱」の舟が砂浜に鎮座している。


「引っ越すのかい?」


「ほぼ、正解だ」


「ほぼかぁ……」


 そう言って、男はくせっ毛をいじった。

 彼の手に巻かれた包帯には血が滲んでいた。


「次の世界」


 ぽつりとノアがこぼした言葉に、アダムの肩が跳ねる。


「今、なんて」


「この舟に乗せた生き物が、行く先だ」


 動揺する男に巨人は続ける。


「そこに、ヒトは含まれない」


 勿論、俺もだと大きな躯体は笑った。


 神託は随分前に来ていたらしい。

 全文を他者に共有することはできないが、その口ぶりから、ノアが破棄のことを知っているのは明らかだった。


 少なくとも一人、自分と同じ結末を知っている。

 そのことに一瞬安堵のため息をつき、直後に眉根を寄せた。


(何を安心しているんだ……)


 厳しい表情のアダムに、巨人はそっと声をかけた。


「俺の名は入れたか」


 指差した先には、血塗れの包帯。

 ローブに隠すもすでに遅い。

 彼は気まずそうに口を開いた。


「な、んのこと」


「入れてないようだな」


「……」


「大方、腕が埋まったから、足に入れるつもりだったか」


「…………」


 重たい沈黙は肯定であった。

 ノアは静かに青い目を細めた。


「友よ。俺のことは背負わないでくれ。できれば俺の妻も」


 穏やかで有無を言わさぬ声音。

 そろりと硬質な手でアダムを包む。


「良いんだ。俺たちは互いに背負うと決めている。野暮なことはやめておけ」


 「使い」とヒトの間の子である、巨人の一人は微笑んだ。


「……お」


 御幸せにと言おうとして、それは今言う台詞かと踏みとどまる。

 それでも、幸せになって欲しかった。

 親友に、失楽園の直後に助けてくれた恩人に、報いる方法が考えても見当たらない。


 なにせもうすぐ、終わりが訪れる。



 簡素な別れを告げて、海岸線をたどって行く。

 海を隔てた向こう側には、懐かしい楽園の地が見えた。


 所定の位置に着くまで、そう時間はかからなかった。

 杭はアダムが用意した。指定通り、少しずつ木を削って作った物だ。


 唇を噛み締めながら、原初の人類は、地面に杭を打ち付けた。



 一瞬、世界の時間が止まった。



 杭を中心として、ずるりと何かが持ち上がる。

 その整った形の宝石は、少しずつ組み替えるように姿を変えた。


 呆気にとられる男の眼前で、断罪の天使が顕現した。


 白い甲冑に反して、上半身の防御が心もとない。

 しかしその素肌に指一本触れることも叶わないだろう。

 そんな殺意を感じながら、アダムは思わずへたり込んだ。

 興味がないのか気づいてないのか、彼を無視したまま、天使は三対の翼を広げる。


(あ……あれは、目が無い、のか?)


 窪んだ瞼を空に向けて、それは強く歯ぎしりをした。

 刹那、地を這うような慟哭が溢れる。

 翼をいびつに伸ばして、あちこちに突き刺していく。

 その衝撃が次第に収まると、それは下手くそに頰を掻いた。


 ふと、アダムは気がついた。

 組み立てが上手くいかなかったのか、白い二の腕がひび割れている。


 ほぼ無自覚に近い行動だった。

 度重なった家族の死をきっかけに、彼は少し壊れてしまっていたのかもしれない。


 自分のローブを破り、それの二の腕に巻きつける。

 ピタリと、天使は動きを止めた。


 警戒とは違う、観察するような視線を向けられる。


「はい、できた」


 縛られた布の匂いをふんふんと嗅いで、それは一言も発さず、かといって男に攻撃もせずに、天へと昇って行った。



(あれが、天使? だとするならば……始まるのか)


 不意に彼は、疲労を訴える足を強引に動かした。

 ふらふらと進みながら、アダムの理性は思った。

 きっと、破棄の瞬間に側にいても、自分は何もできやしないと。

 それでも、それでも彼は地面を踏みしめる。


 ただ家族の元に帰りたい。それだけだった。




 上空で、天使・ミカエルはある者と出会った。


 ゆったりとした服装の自分以外の天使。

 杭の突き刺さった先、世界の反対側で生まれた、己の半身。

 最初からそうあるのが自然であったように、二人は隣に並んで飛び始めた。

 その後ろを、羽から生まれた天使達が続いた。



 白い軍勢の中、他の天使とは明らかに違う者がいた。

 空の大半を覆っていた、彼の大きな翼が収束する。

 彼は瑠璃色の眼球を転がして、まっすぐに降下し——その拳を大地に打ち付ける。


『断罪、執行』


 そんな低い声が、全員の頭に響き渡った。

 華奢で美しい指先に、続々と武器が握られる。



 彼らは断罪の天使。

 主から罪ありきとされた存在を打ち砕く者。

 この世界の生命は、その八割が「罪人」として認定された。




「う、ぐぅぅっ!」


 突然の地震に、アダムの足はもつれて倒れこむ。

 視界の向こうで、逃げていた鹿が、何かに切り伏せられた。


 戸惑いつつも辺りを見渡すと、先ほど見た天使と似た存在が、動植物を淡々と殺していた。

 涼やかな無表情で、義務的に動作を進めていく。

 家から走ってきたのか、老いたヒトが貫かれ、赤黒い血がアダムに降り注いだ。


 死はこの世界でひどく身近だ。

 だとしてもその光景は異様だった。

 興奮も抵抗も悲哀も無く、天使は命を奪っていく。

 慈悲さえ感じられる表情で、彼らは純粋に仕事をこなしていた。


(……急がなくては)


 痺れる腕で体を引きずって、少しでも前へ進む。

 自分には守れないと知っていても、守りたかった。


 不意に、体の下に亀裂が入る。

 それは徐々にずれていき、簡単に彼の体は投げ出された。

 息を飲み、浮遊感を覚えた瞬間、彼の首元を何かが掴み上げる。


「うぁっ、ぶっ」


 投げ出された先で目を開けば、ローブの切れ端を与えた天使が立っていた。


 どうでも良さそうにその場から離れて行く。

 単純に進行方向にあって邪魔だったのかもしれない。

 しかし、偶然にも投げられたところには、まだ柔らかな草が茂っていた。




「今日は風が変な感じだね」


「何も無いと良いけど」


「去年は虫がひどかったな!!」


 兄弟姉妹がその日の仕事を終え、家の中で奇妙な静けさに耐えていると、ふと窓を眺めていた次女が声を上げた。


「父さん!」


「え、本当?」


 父に気づいた子供達が、玄関扉を開け、ほっとしたような笑顔で手を振る。

 アダムは大きく口を開けた。

 急いで呼びかけなくてはいけない。そんな気がした。

 しかし、なんと声をかければ良かったのか。



 伸ばした手は、望む者には届かない。

 頭上から降り注いだ白い光は、瞬きの内に家族を飲み込んだ。



 その日、一つの世界が幕を下ろした。




「……っあ、れ?」


 白い(もや)が立ち込める、羽を敷き詰めたような地面に、アダムは立っていた。


 そっと歩みを進めると、背後でぼろぼろと大地が崩れる。

 どうやら強度はあまりなく、踏みしめた端から消えてしまうようだ。

 暗い闇に飲み込まれた欠片(かけら)の行く末はわからない。


(奇妙な場所だな)


 破棄・漂白で死んだのだろうと彼は結論づける。

 であればここは死後の世界かと、辺りを見渡した瞬間、両腕に鋭い痛みが走る。

 よく見てみれば、アダムの姿形は全く変わっていない。

 辺りには靄が広がっている。

 じわりと、嫌な予感が背中を伝った。


 残念なことに、それは当たることとなる。

 創造主は、忠実で謙虚で誠実な従僕に報酬を残した。



 家も、大切な家族も、大元なる土も、慣れ親しんだ空気さえも無い。



 おそらくは善意に近い何かで、主は男に——長い、永い孤独を与えたのだ。



 世界の残りカスに膝をついて、アダムはなけなしの涙をこぼしていた。

 叫び声すら、あげられなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ