第一話・貴族達の酒盛り
小話。
(……何回見ても、地味な顔)
七選帝侯が一人、ワーナー・ヘルストランドは肩をすくめた。
目の前の鏡には陰気臭い表情の自分が写っている。
トイレから出て廊下を歩いていると、人々のざわめきが耳に飛び込んできた。
どうやら大広間で何かあったらしい。
ワーナーは人混みの合間を縫って、こっそりと様子を伺った。
バラバラな話をつなぎ合わせると、この場で急に子供が姿を消したのだという。
悪魔と契約している者は今王宮におらず、精霊使いも複数人の転移など不可能だ。
混乱している群衆に、よく通る穏やかな声音が響く。
「——心配ありません」
現皇帝、ヤン・ド・レーウェンは優しく微笑んでいた。
彼はガラスケースを開き、ブローチを手袋越しに拾い上げる。
「先ほどの彼らは、叔父上……先代皇帝が派遣した調査隊です。御息女の姿があったでしょう? 悪魔のブローチについてとのことで、今朝早馬が」
そう言って、獅子の家紋が刻まれた封筒をちらつかせる。
国営研究所を管轄とするレーウェン家の紋章だ。
今ひとつ腑に落ちない様子の民衆に、皇帝は両手を広げた。
「急に消えたとのことですが、悲鳴はなかったそうですね。この後はわかりませんが、そこまでは調査隊の推測通りだったのでしょう。一つの家が勝手に動いたことについての謝罪は後日、緊急会議でさせてください」
微笑みながら彼は両手を叩き、人々は大広間から追い出された。
不満を持ったらしき者も当然いるが、大半は珍しい現皇帝の独断に驚いている。
(どうして)
堂々たる態度のヤンを見ながら、ワーナーは一人下唇を噛んだ。
自分と彼はどうしてこうも違うのか。
(……双子、なのに)
血が繋がっているとはいえ、他人同士、違うのは当たり前である。
そう言ってしまえば済むのかもしれない。
だとしても、納得できないことはある。
生まれた順番だけなら自分の方が早かったというのに。
ふと、ワーナーはエッシェンホルスト嬢を思い出した。
周囲からの悪意も、足元に転がる骸も気にかけず、ただ前を向く茨の女王。
(他人がどうのじゃない……僕には、意思も力もなかった)
胸元に手を置く、さらし木綿で押し潰された胸が悲鳴を上げている。
(反骨せずにきたのは自分だ)
——彼女は、レーウェン家に生まれた双子の姉だった。
この大陸の因習で、男女の双子は不吉とされる。特に先に生まれた者は人食いの化け物になると言われていた。
昔は秘密裏に殺されるか売られていたそうだ。
悩んだ母は彼女を養子に出すことにした。
全ては因習に固執する者達から赤子を守るために。
最初の貴族と呼ばれるヘルストランド家に預けられ、少女は当主になるために男装を強いられた。
ワーナーにとって男物を着ることは別に苦ではなかった。
ただ、常に何かを偽っているような気分に襲われた。
その感覚を拭えぬまま、彼女は中途半端に大人になってしまった。
「おや? ヘルストランド卿ではないか!」
廊下の先から、メガネをかけ背筋をピンと伸ばした男性が歩いてきた。
「ス、スペンドラヴ卿。これから領邦に戻られるので?」
「ああ、その前に酒場にでもと思いましてな! よければどうです?」
大柄な彼は朗らかに口角を上げる。
七選帝侯同士ではあるが、これまで交流する機会は無かった。
人脈はあるに越したことはない。
ワーナーはこくこくと頷いた。
二人が馬車で向かったのは帝都の大衆酒場だ。
護衛を一人連れて、賑わいの中に身を投じる。
どうやらスペンドラヴがよく通っている場所のようで、いざという時裏口から出られる席に通された。
ハムカツと串焼きに、エールを二杯頼んで、ようやく彼らは一息ついた。
(……話題がないなぁ)
はっとワーナーは顔を上げて口を開く。
「あの、御息女は、今おいくつで?」
「こういう場だ、口調は気にしないでくれ……娘は今年で六つだ。この前家族写真を撮ったんだが、見るか? 見るよな? よし見よう」
「は、はぁ」
差し出された写真には笑っている少女とふくよかな女性、そして緊張でガチガチになっている眼前の男性が写っていた。
「素敵な笑顔だね」
「そうだろう! 娘も妻も年々さらに愛らしくなって、側に居られる時間が少ないのが惜しまれる!」
今にも立ち上がりそうな興奮した彼の前に、皿とコップが置かれる。
湯気を立てている揚げたてのハムカツは、断面からハムの間にポテトサラダが挟まっているのがわかる。
焼きたての鶏肉からは炭火の香りがした。
エールはワーナーが知っている物より、とろりとしているようだ。
「乾杯!」
「か、乾杯!」
一口飲んでみると、蜜のような濃厚な風味が口いっぱいに広がった。
彼らが食事と飲酒を楽しむ合間にも、気弱な彼女は時計を気にしている。
それに気づいたのか、スペンドラヴは申し訳なさそうに目尻を下げた。
「やはり何か用事でも?」
「え」
「時計が気になる様子で」
「あ、えっと、違うんだ。あまり遅くなると妻が」
ワーナーの脳内に、目が全く笑っていない伴侶が浮かんだ。
同じ光景が想像ついたのか、男性は口元を引きつらせる。
「……怒ると怖いのか……精霊姫は」
「……怒っても怖くない人の方が少ないですよ」
「……二人共、なんの話です?」
よく知る声に慌てて振り向けば、マントに身を包んだ皇帝陛下が立っていた。
「こんにちは」
二人が滑るように周囲を見渡すと、平民に扮した警備隊員の姿がある。
どうやらお忍びの市中散策の真っ最中らしい。
軽く頭を下げ、彼女は青年が座れるよう席をずれようとする。
しかし細い腕にやんわりと遮られた。
「大丈夫。預け物が終わったら出ます」
(預け物?)
小首を傾げたワーナーに、ヤンは小さな木箱を渡してきた。
「これの保管を頼みたいんです」
「え、僕がですか」
「はい。あなたにお願いしたい」
「わ、わかりました」
そっと木箱を受け取って彼女は眉根を寄せる。
(ヤンは僕が姉だって知らないはず……個人的な頼みなんて初めてだ。確かにヘルストランド領は帝国で一番安全だけど……)
納得できないワーナーが皇帝を見上げると、優しげな微笑みだけがあった。
「急に子供達が飛び出したらごめんね」
彼の言葉に数秒呆けた後、自分の手にある物の正体を察し、彼女の顔面は一気に青白くなった。
「お、そういえば」
スペンドラヴは思い出したようにヤンに問いかけた。
「先ほどの叔父上からの手紙、随分と厚かったが、内容を聞いても?」
青年は足を止め、ぱちくりと両目を瞬かせる。
こちらを振り向くと、彼は人差し指の先を唇に当てた。
「——白紙さ。即興にしては上々だろ?」
悪戯めいた笑顔を浮かべて、青年は酒場から立ち去った。
それが彼を見る最後になるとは、この時はまだ誰も知らなかった。




