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幕間・とある凡人の贖罪



 ——帝都。宮殿の端にある国営科学研究所の所長室。


 妙齢の女性が椅子の背もたれに寄りかかった。

 彼女はグスタフ・アプリコット、この研究所の所長である。


「あ〜、さっさと終わらせて酒飲みてぇ……」


 灰皿にタバコの灰を落とし、グスタフは独りごちた。

 楽しいことと疲れることは両立する。ましてや面倒な報告書作りならなおさらだ。


 他の者達はふらふらと遅めの昼を食べに出て行った。


 自分も行こうかと思ったが、まだあまり空腹感はない。


 静かな部屋で一人作業を続けていると、頭が余計なことまで思い出す。



 ——彼女には助けられなかった子供が三人いる。




 一人目は華玉の子供だ。

 世界中探しても、もう彼女の同胞は一人もいないだろう。


 当時の皇帝に保護され、銀髪の少女は研究所で暮らし始めた。

 暮らすと言っても、ほぼ軟禁状態であったが。


 鉱物学者として彼女の目を調べながら、グスタフは少女と比較的良好な関係を築いていた。


 しかし、ある夜のことだ。


 彼女が見回りをしている最中のこと、ふとすすり泣きが聞こえてきた。

 慌てて少女の部屋に入る。白いシーツの上で、月光に照らされた宝玉が散らばっていた。

 駆け寄って肩に触れれば、汗で冷たくなっていた。


 声をかけると、真っ青な顔には怯えの色が浮かんでいた。

 背中をさすり、枕元の水を飲ませる。


『どうした? 悪い夢でも見たのか?』


『なにも、おぼえてません』


 そう言ってあからさまに視線を泳がせるばかり。

 銀髪の少女は嘘をついたり隠し事をするのが苦手なのだ。


 グスタフは諦めて彼女を寝かしつけた。


 これ以降、時折夜中にうなされたり、泣きながら起きることが増えたが、その原因はわからなかった。


 先代皇帝に引き取られた先では、そのような様子は見られなくなったらしい。




 二人目は孤独な少年である。

 タンポポみたいな瞳を濁らせて、自らの師に連れられてやってきた。


 『大峡谷』の焼け跡で見つかったという、黒曜石のナイフを渡してもらうのには苦労した。

 少年は床に丸まってそれを抱きかかえ、中々離そうとしなかった。


 彼は自分と同じく、同胞を失った華玉と引き合わされ、少しずつ表情がほどけていった。


「あん時はまだ小さかったなぁ、あいつ」


 昔、昼ご飯を作って欲しいと頼まれた時は驚いたものだ。

 幸い酒のつまみに持ち込んだチーズがあったため、得意のチーズリゾットを作ってやった。


 その後、お礼と共に初めて笑顔を見て、グスタフは思った。



 自分が彼らにしてやれることなんて、ほとんど存在しないのだ、と。



 彼女は恵まれた貴族家に生まれ、良識のある両親に育てられた。

 学問の道に進むことも、家族は応援してくれた。

 多少の反感はかったが、問題なく今の地位まで辿り着いた。


 そんな自分に、当たり前にこの世界を生きていけた者に、その当たり前の中で傷つけられる気持ちなどわからない。


 わからないから、想像するしかないのだ。


 少年少女は今でも、姉のように彼女を慕い尋ねてくる。

 グスタフは勉強を教えてたり、こっそり菓子をあげるくらいのことしかしていない。

 しかし、彼らはそれが嬉しかったと言う。


 憐れみも蔑みもせず、ただ目線を合わせて見守ってくれることが、ありがたかった。

 まだ若い少女と少年がそう言うのだ。


 まるでそれが貴重なことであるかのように。




 三人目はあまりに苦々しい思い出だ。

 できれば忘れてしまいたいが、知ることの放棄もまた無責任だと理性が拒絶する。


 十五歳の少年は、ひどく衰弱した状態で運び込まれた。

 当時すでに所長だったグスタフと、隣接する総合病院の医師が呼び出された。


 少年を連れてきた張本人はサルバトーラ最高司教と、その従者達。



 苦しげな息を漏らす彼は、陰茎(いんけい)陰嚢(いんのう)を切り取られていた。



 応急処置として傷口を煙で燻されたようだが、粗雑だと言わざるを得ない。

 当然、医師達による緊急手術が始まった。


 廊下で彼女は拳を握りしめ声を震わせた。


『恐れながら、彼の経緯を聞いてもよろしいでしょうか』


 グスタフは無宗教だが、サルバトーラが世界宗教であることと、その影響力は重々承知している。

 従者の向こうから落ち着いた声音が聞こえた。


『自ら天国に行くために去勢者になることで、神に無欲を示すことは聖典にもある手段だ。彼は自ら選んだ』


『自ら……?』


 彼女は鋭い目で男性を睨みつけた。

 すでに医師から、切り口からして他者によるものだと判断されている。

 何より聖職者の去勢行為はもう過去の話だ。


 教会近くの診療所ではなく、帝都まで運んできたことも不可解である。



 数時間後、彼女が少年と相対すると、彼は痛む体を起こそうとした。


『大丈夫よ。楽にして』


『ありがとうございます』


 苦痛から冷や汗を浮かべながら、彼は穏やかに微笑む。

 ふと少年は桜色の唇を開いた。


『こうすることが必要だったのです。痛々しく見えるかもしれませんが、これも私が至らぬことが原因なのです』


 彼はどこまでも純真な瞳で、あまりにも不自然な綺麗事を吐く。


『だから司教様を責めないで下さいね。彼も可哀想な人なのです』


 体を走る激痛はまだ収まっていないだろう。

 それでも少年は優しく微笑んでいた。


 背後から司教の声が聞こえる。


『回復し次第迎えに来る。丁重に扱っておくれ。それは我々の汚点を受け入れるために生まれた聖人なのだから』


 気づけば口から言葉が漏れていた。


『……ふざけるな』


 目の前で首を傾げる少年を、グスタフはそっと抱きしめる。

 整いすぎている仕草で、彼は彼女の背中を撫でた。


 彼女の頭の中で、最近聞いた噂話が浮かび上がる。


 なんてことはない、最高司教が秘密裏に孤児院から何名も引き取って、神父として教育しているというだけの噂。


 もしそれが——人工的に聖人を育てるためだったとしたら?

 きつく歯を噛み締めて、彼女は大きく声を張り上げた。



『子供から子供でいる自由を奪っておいて、何が聖人だッ!』



 その叫びに、誰からも返事は来なかった。




 タバコを灰皿に押し付けて火を消す。


「……はぁ〜」


 凝り固まった肩を回して、グスタフはペンを取った。


 これが彼女の選んだ人生。彼女が自分で望んで、歩き出した道。

 その中で出会った彼らに、祝福を願うことはできない。


 だってグスタフは神を信じていない。


「さて、今日もお仕事しますか」


 それでも、どうか少しでも健やかであってくれと、無力ながらに思うのだ。




三章中盤に来たので一旦推敲します。続きは四月に出します

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