第十一話・カインとアベル
上級貴族専用の監獄施設。その廊下を進む看守達がいた。
看守長、リンド・ファン・ベネッツァーリは、微笑みを浮かべている。
彼らはある格子戸の前で立ち止まった。
「キース・ホイストン様。居心地はいかがでしょうか〜」
男は部屋の床にへたり込み、ぶつぶつと何かを呟いている。
リンドは困り顔で小首を傾げた。
「無視は困ります〜」
「……なぜだ。なぜ、邪魔をした。お前らが介入しなければ、すぐに収束させたのに」
「そうですね〜。ホイストンの私兵と、反乱軍の力量差は明白でした」
「ならなぜ! 他領にかまける暇などないだろう!」
「帝国が立憲君主制である限り、法は絶対の正義です〜。もちろん時代に沿った改定は必要ですが〜」
看守長は、心の底から蔑んだ表情で続ける。
「悪者を拘禁するのが僕の仕事。そこに地位も場所も関係ない。貴方の粗末な脳みそじゃ、ちょっと難しいでちゅか〜?」
キースは顔を赤くして、少年にコップの水をぶちまけた。
紫紺の髪に水滴がつたう。
剣を抜こうとした部下を片手で諌め、リンドは小さな麻袋を取り出した。
「そうそう、キースくんにお土産だよ〜! 僕が用意したんだぁ」
ニコニコと笑いながら、少年は無邪気にそれを差し出した。
それは新品の幼児用がらがらであった。
きゃっきゃとはしゃいで揺らし、彼は光の無い目で呟く。
「北島まで行って作ってもらってきたよ〜。息子さんのご協力でできたんだ」
張った皮に包まれた、硬い何かがぶつかり合う。
「お医者様だなんてすごいねぇ」
彼は笑いながらそのおもちゃを投げ入れた。
何を想像したのか、キースはそれを抱き寄せて泣き叫んだ。
厳しい表情で部下が問う。
「リンド様、先ほどのあれは……」
「息子さんに今回のこと知らせに行ったら、豚の解剖やっててね、その皮と骨をもらってきたんだよ〜。色々聞かせてくれてね〜、お父さんに勘当された日に、大学に進んでも余る大金を、トランクに入れて渡されたんだって」
「は、はぁ」
どこかほっとしている部下に、看守長は首を傾げた。
「それにしてもお疲れ様です。これでひと段落ですね」
「ん〜? 全然違うかな」
「え」
「南方の村の復興はこれからだし、何より工場の後始末と、病にかかった人々への医療支援は、エッシェンホルストや医療団体と合同でやるけど、相当時間はかかるよ〜」
肩をすくめながら少年は呟いた。
「利用しちゃった責任は取らなきゃね」
執務室に戻ってすぐに、ニンファから無線で連絡が来た。
リンドは嬉しそうに顔をほころばせる。
「はいは〜い」
『リンド? 今回の報酬にあった鉱山地帯のことだけど、私兵団員を視察に派遣するわ。二ヶ月後ぐらいになるかしら』
「了解〜」
『……貴方』
「ん〜?」
『また徹夜したわね』
少年はごまかすように、下手くそな口笛を吹いた。
『わっかりやすい……』
「あはは。ごめんごめん。今度そっちに泊まる時は恋バナしよ〜」
『いやよ。貴方と男の趣味合わないんだもの』
軽口を叩き合って、幼馴染達は会話を終えた。
高級宿泊施設の一室に、落ち着かない様子で、銀髪の少女が座っている。
灰髪の青年はあくびをこぼし、ついでに扉の向こうを伺った。
(手練れが二名か……)
シオンは机に置いてあった果物の山を完食したところだ。
不意に扉が開かれる。
「待たせたわね」
優美な仕草でニンファは腰を下ろす。即座に少年が立ち上がった。
「ご迷惑をおかけしました!」
「気にしないで頂戴。こちらも調べが足りなかったわ」
少年の学者名、すなわち苗字を知っているからには、八年前の事件の生き残りであることもわかっていたのだろう。
「いいや」
黒髪の少年は微笑んだ。
「あに……彼は、あの集団の中で最年少だったから、実名報道は避けられた。知らなくても無理はねぇ」
まだ彼の両目はわずかに腫れている。
相対した少女は何も答えず、ただ紅茶のカップを持ち上げた。
無言が続く中、シオンはふと顔を上げた。
「そういえば、北島のダーナー家領主のことだが、捏造などは考えなかったのか?」
「勿論、それも含めて精査したわ。元々疑ってたことがあったから、納得する点が多かったわね」
「疑ってた?」
「ええ」
ニンファは口元に笑みを浮かべる。
「印字機がね、アルベルト・ダーナーが生前、国に提出した文と、医療団体ファントムが公表した文面の両方で、同じ文字が反転してたのよ。それで同じ人が書いたんじゃないかって気になってたの。まあ偶然でもおかしくないけど」
少年は目の前の少女はじっと見つめる。
歳は自分よりも上だが、まだ成人はしていないだろう。
それで重要な立ち位置にいるというだけあって、彼女は些細なことを見逃さない。
シオンはしばし考え込む。
彼がずっと欲して来た機会が、ようやく与えられたのだ。
黒髪の少年はもう一度立ち上がり、深々とその頭を下げる。
「不躾ながら、エッシェンホルスト様に提案がございます」
「……あら、何かしら」
「北島で得た情報を、全てお渡しすると言いましたが、その際に条件をつけさせて頂きたく」
少年は慎重に言葉を紡ぐ。
絶対にこの好機を逃すわけにはいかない。
「私は現在『強欲』の悪魔と契約しています。届出は契約当時にしてあります。その悪魔との約束で、私は十二の悪魔を探して回っています」
数秒の沈黙。
「悪魔との契約目録をお求めで?」
「いえ、そうではありません」
シオンはゆっくりと顔を上げた。
「彼らから聞いた歴史を……いつか編纂して世に出版するために、どうかご助力を」
少女は黙って少年を見つめ返す。。
ずっと警戒していたオリバーは両目を細め、アニタは心配そうに両者の間で視線を泳がせた。
「——その契約、飲みましょう」
ニンファは穏やかな表情で続ける。
「ただし、私から依頼する遺跡調査や、古物鑑定を優先的に受けること。その期間は後で決めましょう。あとそこの赤目の貴方。お友達に危害を加えたりはしないから、殺気を静めてくださらない?」
「……ふん」
「ほ、本当か?」
「貴方が言って来たのよ?」
少女は肩をすくめながら頭を回す。
(編纂を禁止する法律は、私の代になって、まだ議題に上がったことがない。あれは絶対王政期の遺物同然。そこを突いてる間に、本命を押し通せるかもしれない……その上、情報収集能力が高い者を自陣に引き込めた……悪くないわね)
こっそりと口角を持ち上げて、ニンファはシオンの手を取った。
二人の契約が終わると、オリバーは早々に港へと向かった。
船は私兵団が用意してくれたが、その安全性を確かめるためである。
灰髪の彼にはよくわからなかったが、先ほど仲間にとって喜ばしいことがあったらしい。それ自体は正直どうでもいい。
ただ今朝のように、情けなく泣いている姿は見たくないと思った。
どこか腹落ちしない気分で、青年は船にたどり着いた。
大きさや丈夫さは十分に見える。
「あ、あにょ……」
声の方を見下ろせば、幼い少女がもじもじと頰を赤くしている。
「おいばーしゃんでちよね」
「……僕を知ってるの?」
自分と同じ色の目を開き、彼女は手帳とペンを差し出す。
「しゃっ、さいん、くだち!」
そう言って黒髪赤目の幼女は鼻を鳴らした。
その頃、銀髪の少女は戸惑っていた。
出発に際して退室しようとした時、年上の少女に手を掴まれたのだ。
「ど、どうなさいました?」
「……ちょっと、お時間いいかしら」
宿の外で、シオンは少女二人を待つ。
彼の隣には私兵団の団長、ラナンが立っている。
(……気まずい! なんかこの人無言だし! めっちゃ見てくるし!)
少年がせめて挨拶だけでも口を開いた瞬間、ぱたぱたと二人分の足音が聞こえてきた。
「おー、何してたんっ……」
振り向いた先では、アニタは恥じらいながら、白いドレスの裾を抑えていた。
「キギッシェン!!」
「急に叫ばないで頂戴」
ニンファが楽しそうに跳ねる。
「石老風のドレスよ。やっぱりこの子似合うわ。せっかくだし着て行ったら?」
「ニ、ニンファちゃん」
「ちゃ、ちゃん!?」
「こんなに可愛いお洋服、嬉しいです……! ありがとう」
「ふ、ふんっ! 別に貴方のためじゃないから。私の自己満足よ」
微笑ましい表情のシオンを小突いて、少女達は一歩先を駆け出した。
その後ろ姿を追いながら、
「アニタめっちゃ可愛い……」
「お嬢様なんて愛らしい……」
彼らは同時に言葉を吐いた。
ふと男達は顔を見合わせる。
「あのー、もしかして当主様が?」
「そっちもあの子が?」
「……実はそうなんです」
「なんと」
予想外の片思いの同志に、少年と青年は少なからず喜んだ。
探り探りで互いの心境を語り始める。
「伝える勇気が無くて……」
「わかる。超わかる。オレと恋仲なんてならなくていいから幸せになってほしい。妄想する贅沢は許されたい」
「急に長文喋るのな? わかる」
「時々殺される側か、その人の最期を見守る側、どっちが良いかなって悩むよな」
「ごめんわかんねぇ」
「そうか」
無表情のまま、青年は再び口を閉ざした。
少年が再び気まずい静けさを味わっていると、ラナンが声をかけてきた。
「謝罪は不要だった」
「おん?」
「わからないのは普通だ。他人だから」
「……そうだな」
「着いたぞ」
港にある小型の船に少女二人にメイド長、そして——
「君、喋り方が変わってるね」
「ちょっとむかち、やぁれちゃって」
「ふぅん」
少女と歓談するオリバーの姿があった。
シオンも船に乗り込み、ニンファに耳打ちする。
「あの子は?」
「混血よ。うちの団員」
「それでか」
青年の態度は常日頃よりも柔らかく、演技には見えなかった。
私兵団の団長、副団長、特攻隊長に見送られて、船は出港した。
遠ざかるそれをラナンはじっと見ていた。
「団長、宿に戻るぞ」
「おにゃかしゅいた〜」
「ん」
こくりと頷いて青年は歩き出す。
一度だけ海に振り返り、静かで寂しげな声音を零した。
「……カイン兄さん。覚えてないのか」
その呟きを聞いた者は一人もいなかった。




