第十話・灰になった手記
『これは、兄と慕ってくれた人さえ裏切った、ぼくの長ったらしい言い訳だ。許されない加害者が、ただ楽になりたくて、傲慢に吐き出す独白だ』
——帝国南東部の貧民街。
幼い少年が路地裏で倒れている。
飢えを紛らわそうと、すでにぼろぼろの服を食んでも、唾液も出てこない。
時折、通りかかった外の住民が、哀れみと納得の視線を投げかけていく。
彼は帝国において忌み嫌われる赤い髪をしていた。
少年の手に冷たい液体が触れる。雨が降り始めたのだ。
彼には屋根の下に這いよる気力も無かった。
不意に、頭上に影が広がる。
目の前で誰かがしゃがみ、自分に傘を傾けている。
眼球だけを動かして、少年はその誰かを見た。
そこには一人の神父が立っていた。
彼に名前は無く、神父から「ロイエ」と名付けられた。
赤髪の少年は両親からの暴力で、片目が斜視になっており、そのことをひどく気にしていた。
連れて行かれた教会は、彼にとって天国のような場所だった。
怒号も、諍いも、嘲りも無い。教会に集まる人々は、誰もが彼を受け入れようとしていた。
最初は疑心暗鬼になって、よく部屋に閉じこもったものだ。
神父はただ微笑んで見守っていた。
初めて少年が知った書物は、サバルトーラの聖典である。根気強く周囲が教えてくれた。
段々と、ロイエは恩人のようになりたいと願った。
そのために敬虔に日々を過ごし、必死で体を鍛えて剣技を覚えた。
勉強は苦手だったが、少しでもできることで周囲の役に立ちたかった。
教会に来た泥棒を一人で捕まえた時、神父はそれはそれは喜んでくれた。
拾われてから数年後、とある集会で、神父は悲しげに口を開いた。それは「大峡谷」にいる異教徒の話だった。
「邪教に染まってしまった、可哀想な人々です。サバルトーラの聖人の墓がある土地で、異教の神を祭り上げ穢しています」
心の底から哀れんで彼は続ける。
「聖墓を、引いては彼ら自身を……未開の妄想から解放しましょう」
ロイエは自ら偵察役に志願した。やっと皆の役に立てる。そう思っていた。
前日の夜は興奮と緊張で眠れなかったものだ。
出立する時、養父から小瓶を渡された。中には錠剤が入っていた。
「あちらで生活を始めたら、三ヶ月に一粒飲みなさい。お前の体を守ってくれる物だよ」
「わかりました。ありがとうございます神父様」
青年は何も疑わずにそれを受け取った。
必要最低限の荷物を背負い、ロイエは地図を片手に歩き出す。
その後ろ姿を、神父と信徒達は笑顔で見送っていた。
意気揚々と出発した彼は——さっそく行き倒れた。
目的の谷まであと少しというところで、食料と水を切らしてしまったのだ。
元々与えられた量が少なかったため、彼なりに計算してやりくりしていたが、すぐに胃袋の限界がやってきた。
「喉がかわいたよぉ……」
川の水を沸かして飲もうとしたものの、固形燃料を道中で落としてしまっていた。
「ぼくはどうしてこう……もうドジはしないって決めたばかりなのに」
すんすんと泣いていると、軽やかな足音が聞こえてきた。
素早く身構えれば、一人の子供がじっとこちらを見ている。
「こ、こんにちは」
「……」
「あっ……行っちゃった」
警戒されてしまったと落ち込んだが、少年はすぐに戻ってきた。
葉で作った袋を下ろし、中から透き通った水を掬い取った。
「水のめ。おちつくぞ」
「えっ、あ、ぼくお金も交換できる物も無くて……」
少年は小首を傾げて、大きな匙を頰に押し付けてくる。
青年がおずおずと口をつけると、黒髪の少年は微笑んだ。
急にロイエの腹が鳴る。
思わず顔を赤らめると、彼は別の袋を取り出した。
「肉もある。食べろ」
「あ、ありがとう」
「あんた学者さんか?」
「ううん。依頼されて生活調査に来たんだ」
あらかじめ練習した通りに喋る。
幼い子供まで標準語を解していることに、青年は少しばかり驚いた。
シオンと名乗った少年の案内で、谷に挟まれた村に辿り着く。
「ここ、俺たちユグォンの村。もっといくと米くれるヤングワ、さらにいくと海辺のハイヨンの村がある」
基本的に遠縁の親戚で集落を形成しているそうだ。
それはロイエも事前に教わった内容だ。
彼ら三民族が一斉に集う、怪しい儀式があることも聞いている。
好奇心旺盛な少年の質問に答えながら、彼の家に連れて行かれた。
「うちは五人家族。姉貴は婚約者の家に行ってていねぇ」
小さい子が遊ぶ草人形を見つけて、ロイエは思わず顔をほころばせた。
「年下の兄弟がいるの?」
「妹と弟だ。友達の家に行ってるけど、そろそろ帰ってくるぞ」
シオンがそう言い終わると、青年は背後から視線を感じた。
恐る恐る振り向けば、そっくりな顔をした幼い男女が見上げている。
どうやら下の妹と弟は双子らしい。
『だれだ!』
「ロイエ。民俗学者の使いっぱしりだってよ」
「言い方がひどくない?」
ぎこちなく手を振ると、小さな彼らは満面の笑みを浮かべた。
滞在の許可を求めるため、ロイエは三人と村長の元へ向かう。
なんでも、ちょうど夕飯を獲りに行っているそうだ。
森の縁を歩いていると、不意に茂みが揺れた。
『母ちゃん! 客!』
「む」
鍛え上げられた肉体を有した女性が現れる。
ゴツゴツとした腕で大蛇を掴みながら、彼女は青年を見下ろした。
「あの、わ、私こちらの村の生活調査を依頼しゃ、されまひて」
盛大に舌を噛み慌てふためく青年に、彼らの母親は真顔で片手を差し伸べた。
「ここの、村長だ。歓迎、しよう」
「えっ」
「む?」
「い、いや何でもないです! よろしくお願いしまひゅ!」
「またかんでる」
こうしてロイエはシオンの家に居候することになった。
その代わり水汲みなどの家事を手伝い、少しずつではあるが村に馴染んでいった。
青年は事前情報との違いを、極力丁寧に文章にまとめ、定期的に神父に送り続けた。
教わった絵姿と違い、彼らは外部と交流を盛んに行っている。
生活に必要な狩りも、おそらく一日に五〜六時間もかけない。
文化の違いに驚くことはあれど、ロイエには彼らが野蛮人なのかわからなくなっていた。
そうして混乱するたび、彼は教会が懐かしくて胸が痛んだ。
二ヶ月ほど経った頃、例の儀式が行われることになった。
青年は学校帰りのシオンと、手を繋いで帰路を歩く。
学び舎は往復三時間のところにあるそうだ。
「明日はお祭りなんだよね?」
「そうだぞ! 俺も劇に出るから見てろよ」
「本当に? すごいじゃないか」
彼らはすっかり親しくなっていた。
それゆえにロイエは、彼が異教徒であることが残念で仕方なかった。
シオンに寝物語を乞われ、聖典を暗唱しても、少年にはそれが世界の真実だとわからないのだ。
そうした食い違いがあると、青年は彼を哀れんだ。
魂の救済を受けた経験が無いなんて可哀想だ、と。
夕焼け空を見上げながら、ロイエは呟いた。
「ずっと不思議なことがあるんだ」
「おん?」
「ここの人達は、僕の髪に対して何も言わないね」
かつてはその色が原因で、化け物と罵られ親に捨てられた。
教会では憐れみながらも、励まされたものだ。
この村では誰にも何も言われたことがない。
青年は少なからずそれが疑問だった。
シオンが呆気に取られた顔で口を開く。
「ロイエは何を言われたいんだ?」
「えっと……なんだろう」
「俺は好きだぞ」
「あ、ありがとう」
少年は少し考えてから微笑んだ。
「ちょっと寄り道して行こう!」
その笑顔は真っ直ぐで、どうしようもなく眩しかった。
連れてこられたのはユグォンの神殿だった。
慣れた様子で火を起こし、シオンはそれを扉の脇にある灯台に移した。
しばらくすると触れずとも両開きの扉が動く。
「よし、こっちだぞ!」
「ちょっ、ここ神殿なんだろう? 勝手に入っちゃあ」
「入るぐらいなら、別に誰も怒らねぇよ」
「ええ……」
少年から松明を受け取り、暗闇の中に入ると、三体の像が鎮座していた。
——円環状に線を伸ばす球体。
——一つ目の笑う狼。
——優美な龍のような魚。
「順番に、太陽神・ミヤウ、月神・マナグワチ、海洋神・ヤム。俺たちが信仰してるのはマナグワチだな」
そう言って順番に像を指差していく。
「その三、柱? の後ろにあるのは何?」
一目見ただけでは壁の汚れのように見える。
しかし確かにそれは一枚の点描画であった。
「あれは『はじまりの空』。サバルトーラ教とかが信じてる全能の神ってやつだ」
(そういう存在はいるんだ……)
黒髪の少年はにっと口角を上げる。
「天体は、それが浮かぶ空は、俺らを見守る神さまだ。ロイエは髪も目も神さまの色をしてるんだぞ」
青年は息を飲んだ。
聖典において、赤髪は悪役の象徴だ。
人類最初の加害者と同じ色なのだから。
「あ、ちなみにここの裏には、サバルトーラの神父の墓があるぞ!」
「えっ?!」
「ずっと昔に学校を作った人なんだ。村のために尽力してくれたから、彼の教義通りに土葬したんだって」
「そ、そうなんだ……」
肝心の祭りの夜。三民族はヤングワ族の集会場に集っていた。
公平を期すために、開催する場所は年々変えるのだ。
収穫祭としての側面があり、多種多様な料理が並べられる。
壇上では次々に催しが進む。
青年が来る前に聞いた、幼子の生贄などはいなかった。
やがてシオンが登場する劇の番になった。
彼の姉がきつい目つきで、神話の一節を語り出した。
彼女の語りに合わせ、役者達は無言で演技をし始める。
「世界を作った『はじまりの空』は、天を二柱の神に任せた。
生真面目だが色事に弱い太陽神・ミヤウと、その正妻である月神・マナグワチである。
ある日のことだ。銀糸のような髪を持つ少女に、ミヤウは心を奪われた。
彼女に贈り物をし恋文を交換して、こっそりと交際を始めた。
それを知った正妻は『自分だけ可愛い子を愛でるなんて』と怒り、夫もかくやの美青年に化けて、少女を口説き落とす。
一晩を共にした後、本来の姿に戻ったマナグワチは少女に説教をして、反省した彼女に幸運の祝福を授けてから下界に返した。
その際、少女から詫びとして豊かな髪を一房もらう。
それを見たマナグワチは夫へのいたずらを思いついた。
見事な銀糸を自身の姿に似た一頭の狼へ変え、それを連れて、少女に振られて悲しんでいるミヤウの元へ。
『見てちょうだい。立派な子でしょう? 私一人で誠実な神に育ててみせますから、あなたはとっとと引退なさったら?』
それを聞いたミヤウは大慌て。
妻の神殿の前で一週間土下座し謝罪の言葉を繰り返して、ようやく許してもらえた。
このことから、ミヤウはマナグワチに頭が上がらなくなったのである。
子狼は、月の神殿から下界を覗いた時に落ちてしまい、今でも母の神殿が見えるたびに、自分の成長を知らせようと吠えている」
それまで語りと音楽だけで紡がれていたところに、狼のような遠吠えが響く。
白い毛皮を纏った少年が吠えていた。
太鼓が終わり、一瞬の静寂の後、人々は惜しみなく拍手を注いだ。
狼の顔の下で、シオンは満面の笑みを浮かべた。
(あれ)
周りと同じように手を叩きながら、
(異教徒の儀式なのに……普通に楽しかった……)
青年の額に冷や汗が伝った。
その日の夜、いつものように手紙を書こうとしたが、インクが滲むばかりで筆が進まない。
(彼らは本当に……未開の妄想に浸っている、狂信者なのか?)
浮かんだ疑念を無理やり押し込める。
それを考えるのは神父を疑うこと、すなわち彼にとって恩人への侮辱であった。
そうしている間に、二年もの歳月が過ぎた。
(すっかり慣れたなぁ)
いつの間にか幼い少年は、自分のことを兄貴と呼ぶようになった。
最初はくすぐったかったものの、すぐにそれは日常へと変わった。
大きな変化と言えば、シオンの姉が村に戻ってきたぐらいだ。
結婚した相手が事故で亡くなったのだという。
『それなら、慣れてるこっちで産んで育てたいもの』
彼女はそう言って、落ち着いた様子で腹を撫でていた。
それでも毎日ヤングワの方へ、亡くなった夫の墓へ一心に祈っている。
冷たく見えて情が厚い人だとロイエは思っている。
彼自身はなよなよしている奴は嫌いだ、と切り捨てられたばかりだが。
今日も青年は手紙を送る。
神父からの返事は三、四ヶ月に一度来るぐらいだが、なにせ距離が離れている。贅沢は言ってはいけない。
それに次第に寂しさは感じなくなった。
青年はシオンの母から、釣りや狩りを教わった。
彼女は不器用なロイエが覚えるまでじっと待っていた。
双子は彼らの遊びに混ぜてくれ、姉も色々言いつつ彼らの固有語を説明してくれる。
そしてシオンは、どこへ行くにも共にいた。
彼にだけは頼まれて、自分の斜視を見せたこともある。
そんな中で、自然と彼らの父のことが気になった。
子供達は時々、教科書を置いてある本棚を「父ちゃん」と呼ぶ。
不思議がってるのが顔に出ていたのか、母親が珍しく微笑んだ。
「夫は、学者だった。土について、調べて、いたよ。その棚と、書物は、彼が置いた、んだ」
「学者さんですか」
確かに、本棚には難しそうな本が並んでいる。
最もロイエのいた教会には聖典以外無く、他の本は神父の書斎にあったため、それらの難しさはよくわからない。
「双子が生まれて、一年経った、頃だ。彼は国から、依頼されて、外国に行く、ことになった。悩んでいたが、国命を、断るのは、困難だ。わたしと長女が、後押しをして、彼は船に、乗った」
彼女の穏やかな笑みが消える。
「船は、沈んだ」
淡々とした、遠い日を懐かしむような声音だった。
「ロイエにぃにのおてがみきたー」「きたよー」
「ありがとう」
ある日届いた封書の内容は、普段以上に短文で、たった一文であった。
『今夜決行する』
「……え」
思わず驚きの声が漏れる。
彼という偵察役は、聖墓の奪還のための視察である。
それはその奪還の必要性を判断する役割でもあった。
彼はこの二年をかけて、この村の実情を伝えた。
そこに自分の考えがあっては余計だろうと、事実だけを並べ立ててきた。
しかし判断に関しては『聖墓は当人の信仰を尊重されて作られたもので、決して侮辱的な扱いはされていない』と早々に書いて送っているはずだ。
そもそも今夜ということは、もしや信徒達がすでに近くにいるのではないか。
ぐるぐると青年の頭がかき乱される。
家の中からすすり泣きが聞こえてきた。
慌てて駆け寄れば、具合の悪そうなシオンと、厳しい表情の母親が向かい合っている。
どうやら少年が風邪をひいてしまったらしい。
この二年で初めてのことだ。
そう言えば村の人々も、ここ最近元気が無い。
(まさか……)
ロイエはポケットに入った小瓶を握りしめた。錠剤は残り二粒だ。
寝台に戻ったシオンに水差しを持っていく。どうやら眠ってしまったようだ。
台所近くの揺り椅子で姉がくつろいでいる。
「ちょっとあんた。こっちに来て」
「う、うん。どうしたの?」
「私か母さんが作った方が早いんだけどさ、立ち仕事は辛いから、代わりに砂糖煮を作ってちょうだい。体調悪い日のお約束なの」
「わかった! 頑張るね」
「何にこにこしてんのよ」
(なんだかんだで、家族に甘い人なんだよなぁ)
彼女の指示に従って、果物を切って鍋に入れる。
途中、母親が今日の狩りに出かけていった。
いつも通りの時間が、刻一刻と過ぎて行く。
「ロイエ」
「うん?」
「あんた、本当に気持ち悪い奴よね」
「えぇん急な悪口……」
彼女は眉根を寄せた。
「私達と一緒に笑って、喜んで、心地よさそうに眠る癖して、いつも何かに謝ってる」
青年は、何も言えなかった。
彼女はため息を吐いて、毛布に包まった。
ロイエが少年の介抱をしていたその時だった。
甲高い悲鳴に驚きながら部屋を離れた。
なんとなく、扉を壁の飾り布で隠しておいた。
走っていった先、まさに収穫祭の最中の広場は、彼が嫌いだった赤色で埋まっていた。
人体が入り混じった池から湯気が立っている。
祭りは神聖な儀礼だから、刃物は持ち込めないのだと、手紙に書いたのは青年だった。
「——やぁロイエ。お疲れ様」
「神父様……」
「心細かったろう。邪教の者に何もされなかったかい。お前の顔が見れて嬉しいよ。ちゃんと薬を飲んでいたんだね、偉い偉い」
「神父!」
青年の頭を撫でようとした手が止まる。
荒い息をそのままに、ロイエは叫んだ。
「これは、どうしてこんな、こんな酷いことを!」
「ああ、ここに来るまでに共感者が増えたのだけどね、我々は清貧を良しとし、彼らに与えられるものが無かった。だから今異教徒の民からいただいているのさ」
神父は微笑みを絶やさずに、聞き分けのない子供をなだめるように言った。
「どのみち彼らは地獄に落ちるのだから。さあ、お前も仕事をしよう」
一本の剣を渡される。それはかつてよりも重たい気がした。
後ろには馬と鎧も用意されていた。
「これだけがお前の取り柄だものね?」
「——ぁ、がはっ」
兵士の首を片手で掴み上げ、シオンの母は呟いた。
「あちこちの家で、子供が泡を吹き、動かなくなった。わたしの、息子もだ」
「ぎ、ぐぇ、ぅ」
「お前達か?」
彼女の瞳孔が狭まり、兵士の首がへし折れる。その脇腹に槍が刺さった。
「よ、よし!」
「……む」
鍛えられた足先が相手の顎に迫る。
脳を揺らす衝撃を受け、兵は倒れていった。
しかし次から次へと侵入者達はやって来る。
(キリがないな)
そう考えた彼女に毒矢が突き刺さる。
それを強引に抜いた隙に、三本の槍が心臓を突いた。
黒い鎧に身を纏った青年が戻ると、玄関口で母親が倒れていた。
ロイエは声も出せないまま近寄る。
兜を取ると、金の瞳と目があった。
「……ぉ、ぃげ」
——お逃げ。
優しく赤髪を撫でて、彼女は絶命した。
(僕は、僕が信じたものは……)
間違いに気がついた時には全てが遅かった。
少年とその妹は、家のどこにも見当たらなかった。
十中八九、かくれんぼで使っていた裏道だ。青年は必死で馬を走らせた。
(せめて、せめて二人だけでも)
予想通りの場所にいた少年は、心の底からの殺意を持って自分を睨んだ。
その青白い顔色を見て、青年は毒物の存在を確信する。
(ならやっぱり、僕が与えられたこれは……)
無理やりシオンの口に解毒剤を押し込む。
ここから逃がしても、このままでは毒で死んでしまうだろう。
続いて少女の体を起こす。しかし脱力したそれは生気が無かった。
兜の隙間から雫が落ちる。
自分は何を嘆いているのか。
これは、この惨劇は己が招いたものだろう。
少年を逃がしてから広場へ戻る。
森には火が放たれ、あっさりと燃え上がった。
焚き火の前に神父が、青年の命の恩人が立っていた。
彼は手にした肉塊を、嘲りながら火の中に落としていた。
腹部を切られた女性が、シオンの姉が、強引に体をくねらせる。
塊はゆっくりと炭に変わっていく。
気がつけばロイエは、剣を片手に走り出していた。
叫びを体の底から絞り出す。
彼の二度目の産声と共に、神父の首元に刃が食い込んだ。
一瞬、その場で時間が止まった。
はっとした周囲は、青年を殴り飛ばし拘束した。
顔見知りの信徒達は泣き叫んだ。
殴られ蹴られる中で、黒い兜が外れる。
死にかけの姉は目を見開き、じわじわとにじりよった。
彼女は怒りと憎悪に満ちた目で、呆れを込めた微笑みを浮かべていた。
「——じごくでまってる」
その一言を残して彼女の鼓動は止まった。
冷たい格子戸が開く。看守が青年に声をかけた。
「時間だ」
「はい」
「それはどうする?」
彼はそう言って机の上にある手記を指差した。
「ああ……燃やしてください」
お手数をおかけしますと呟いて、囚人は断頭台へと歩き始めた。




