第六話・蒼玉の翼
きらびやかに飾り付けられたテントで、人々がバタバタと走り回っている。
「昼公演本番まであと二時間でーす!」
「ちょっと、口紅かしてよ」「順番なのだわ」
演者達の控え室では、とある双子が化粧をしていた。
彼らの皺が浮いた肌にはどこか気品さえ感じられる。このサーカス団の有名歌手だ。
ふと、慌ただしく一人の若者が駆け込んで来た。
「ジェ、ジェムさん! メアリさん!」
「何よぉ、転んじゃうわよ」「気をつけなさいな」
「今、今! ラジオで——」
演目は順調に進み、拍手が溢れる中、二人の女性は現れた。
涙をこらえ微笑みながら、彼女達は歌い始めた。
娘の独り立ちをめぐる親子の曲が流れていく。
音楽が終わり、会場全体が余韻に包まれる。
ジェムとメアリは恍惚とした表情で壇上に立っていた。
その横顔は誇りに満ちたもののように見える。
しかし、彼女達は確かに今、家族と過ごしたあの時間に浸っていた。
三人が目を覚ますと、そこは悪魔がいた屋敷ではなかった。
青々とした森の中、最初に動いたのはオリバーだった。
鼻をひくつかせて、灰髪の青年は眉根を寄せる。
火薬と血の匂いが鼻腔を刺激していた。
警戒しながら少年少女と精霊に出立を促す。
やけに静かな森を歩き進むと、森と外部を繋ぐ道を見つけた。
しかし、オリバーは再び顔をしかめ、黒髪の少年に耳打ちした。
「人の肉が、腐った匂いがする」
彼らは慎重に一本道を辿る。
視界が開けたその瞬間、目の前に広がる光景に、少年は理解が追いつかなかった。
そこは内乱による避難勧告を拒絶し、多くの村民が残っていた小さな村。
地面の血だまりに、怯え逃げ惑う人々の顔が映った。
泣きわめく者。
武器を手に振り回す者。
祈り始める者。
それらを無作為に襲う、腐った動く死体。
何体かの腐肉兵が、どす黒い皮膚を地面にこぼしながら、少年少女に振り向いた。
焦りを必死で抑えながら、シオンはアニタを背中に庇って周囲を見渡した。
壊れた家財を盾にして、どうにか逃げようとしている村人が残っている。
「オリバー、あの人達を村の外まで逃がしてくれ! 俺は怪我人が残されてねぇか探すから!」
「えー……」
なぜわざわざ自分がそんなことを、と青年は不満を隠そうともしない。
黒髪の少年は懸命に頭を回した。
「このまま放置して、治安維持隊に囲まれると面倒事になるぞ!」
納得したのか軽く頷き、オリバーは逃げ惑う団体に近づいた腐肉を蹴り壊した。
(よし……あいつの実力なら、誰かを守ることは負担にならねぇだろ)
村人総出で倒したらしい腐肉兵の残骸を見るに、おそらく弱点は頭部。
そこまで把握した途端、誰かの甲高い悲鳴が聞こえた。
一人の女が鍬を片手に走り、腐肉の脇腹に振り下ろす。
しかしそれは気にも止めず、へたり込んでいた少女に手を伸ばす。
女は少女を、自分の娘を抱き上げ駆け出すも、地面に落ちていた腐った手に足首を掴まれてしまった。
シオンは慌てて農具を手に取る。それでも間に合わないと理性が確信していた。
銀髪の少女は声を上げなかった。
彼女の視界で、全ての動きはゆっくりと進んだ。
いつの間にか、アニタの瞼は固く閉ざされていた。
じわじわと持ち上げれば、少女の意識は暗闇に放り出されていた。
ただ自分の奥へ奥へと落ちていく。
ひたっと、足先が冷たい何かに触れた。
そこは一面氷で覆われた大地であった。
「ここは……」
「——君の深層だよ」
思わず振り向いた先では、長い銀糸のような髪を揺らして、誰かが立っていた。
それは顔や体の節々が歪み、まともに視認することもできない。
それでも少女は知っている。
——答えてはいけない。彼が差し出す木槌を、受け取ってはいけない。
口から自然と怯えた声音がもれる。
その人物はやはり木槌を差し出してきた。
少女が幼い頃に一度見た夢と、全く同じ仕草で。
「いっ、いやっ!」
はたき落とされた木槌が、薄氷にヒビを入れ、儚い大地を砕く。
地底から黒い炎が吹き出した。
黒髪の少年が教えてくれた暖かさとは全く違う、喉が、肺が痛くなるような熱気。
思わず苦しさによろめけば、アニタの体は炎へと倒れ込む。
恐怖から伸ばした片手を、名前も知らない彼が取った。
「もう認める時が来たんだよ」
どこまでも優しい声だった。
「……違う」
「ずっと優しさで抑えてきたのだろう? その限界が来たのさ」
「違う!」
「君は、人間を嫌悪している」
少女の息がつまる。
その誰かは愛おしそうに続けた。
「少しだけ眠りなさい。大丈夫。嫌なことは私が代わるから——ミカエル」
そう、この人物はなぜか少女のことを、大天使の名で呼ぶのだ。
母子の悲鳴が辺りに響き渡る。
アニタは片手を持ち上げた。上手い使い方は体が知っていた。
やけに静かな破裂音。
それを放った武器は、少女の華奢な手の中にあった。
黒髪の少年は、頰に冷や汗を浮かべる。
「なんだ……そんな物、知らねぇぞ」
それは黒い鉄の塊だった。
抑制機のついた拳銃を持つアニタの表情は、サファイアの兜に覆われて見えない。
拳銃。
当代の最新式は一発ずつ弾丸を装填して用いる。そのため再装填に時間がかかることが特徴である。
しかし、彼女の持つそれは明らかに異質だった。
腐肉兵は地面にべしゃりと倒れる。
奇妙な破裂音を聞きつけて、辺りを徘徊していた者達が一斉に走りよる。
「アニタ!」
思わず声を上げたシオンの足元に、一発の弾丸がめり込んだ。
それを警告と受け取り、少年は少し悩んでから、母子を立たせに行った。
(まさかあれが『暴走』? ……いや師匠が言ってた服装の変化が無い)
少年が思案する間にも、銀髪の少女は向かってきた腐肉兵を淡々と沈めていく。
発砲音が十を超えても、弾丸を装填する様子はない。迷うことなく一つ一つ確実に当てていた。
瞬間——地面が円を描いて盛り上がる。
地中に隠れていたのか、腐肉の大群が飛び出す。
少女は髪を揺らしながら、その場でくるりと回った。
それに合わせて細かい肉片が飛び散る。
彼女は先ほどの拳銃では無く、それよりも大きく重たそうな、後の時代に短機関銃と呼ばれる物を二丁握っていた。
とても片手で扱う銃器ではない。
しかし少女はそれらを軽々と振り、弾幕を逃れた腐肉兵の口に、冷たい銃口を押し込んだ。
やがて立ち上がる者は一頭もいなくなった。
倒れた柱をどかして、シオンは閉じ込められていた村人を救出する。
彼らの応急処置を済ませてから、アニタの方に駆け寄ると、素早く銃口を向けられた。
反射的に少年の両手が上がる。
ナイフに触れないよう気を遣いながら、敵意はないと笑ってみせる。
彼は続けて少女に声をかけた。わずかな戸惑いを込めて、
「初めまして、だよな?」
オリバーは腐った死骸を見下ろす。彼の知る死体よりも異様に丈夫だ。
悪魔の落とし子かと思ったが、服装は一般的な人間である。
それに集落の者達とよく似た匂いがする。
少し疑問を覚えたが、青年はすぐに興味を失った。
もう集団は大通りに出るところだ。
やけに人が多く、医療用のテントなども見える。この状況では好都合だろう。
オリバーはさっさと踵を返した。
「おにーちゃん」
呼ばれた方を振り返れば、小さな子供がマントを掴んでいる。
無理に振り払って泣かれても困る。
青年は笑顔でゆっくりとしゃがんだ。
「なぁに? どこか痛いのかい?」
「おにーちゃんも……」
そう言って子供は自分達の集団を指差す。
どうやら共に保護してもらおうと言いたいらしい。
最も村民からしたら、オリバーもまた正体不明の脅威。
子供の親らしき人物が、身振り手振りで戻るよう促している。おそらくは青年を刺激したくないのだろう。
それがどこか滑稽で、青年は笑うのを堪えた。
「僕はいいの。ほら、早くお行き」
「でも……」
「良い加減にしなさい。その人にも行くところがあるんでしょ」
一人の少女が子供の手を取った。
「まーごさん……」
彼女は厳しい表情のまま、こちらと目を合わせる。
「……守ってくれてありがとう」
短い感謝の言葉を残して去ろうとした瞬間、少女ははっとした顔で再び彼の方を向いた。
彼女にはなんと言うべきかわからなかったのか、ただ口を震わせている。
青年はとても優しく微笑んだ。
「元気でね」
オリバーは村へと走った。首元でエラムが呟く。
「あそこにとついだのかナ」
「さあね」
「いいノ?」
「言いたかったことは言えたよ」
初恋の少女が瞼の裏に浮かぶ。
かつて見惚れた笑顔は見られなかったが、それを自分が覚えているということに、オリバーは少なからず驚いていた。
一方でシオンはーーアニタに詰め寄られていた。
(いやなんで)
まじまじと観察されながら、少年は気まずそうに目を泳がせた。少年少女の体はぴったりと密着している。
ぽつりと、声が聞こえた。
「どうして?」
聞き慣れた幼馴染の声音は、なぜか全く別人のように思えた。
少年は確信を込めて口を開く。
「警告の一発は、ちゃんと俺に当たらないよう配慮されていた。それに、逃げる怪我人は狙わず、死体の停止を優先するのは、『暴走』している華玉としてはおかしい行動だ。そこまで理性的であるなら、配慮した上であっても、アニタは俺に撃たねぇ」
それは信頼というよりも信奉のようだった。
まっすぐな少年の視線を受け止めて、少女は穏やかに微笑んだ。
「初めましてで、合っているよ」
「……あなたは誰だ?」
銀髪の少女は銃を離し、ゆったりと両腕を広げた。
「君らに通じる単語で言うならば、私、引いては我々華玉は……この世界の全てを断ずる——『断罪の天使』である」
彼女の背中に、真っ白な三対の翼が広がる。
「いやそういうのじゃなくて」
「あれ?」
「誰かって聞いたんだけど……」
「うーん、私の個人名をご所望と」
少女は困り顔で首を傾げる。それに合わせて、翼は半透明な羽を散らして消えていった。
「君はちゃんと内緒にできるかな?」
「隠し事は苦手だぞ!」
「素直だねー」
軽く肩をすくめてから彼女は呟いた。
「私はルシファー。君の大事な大事なこの子の魂の片割れさ」
兜の奥に深紫の光が見えた。
(紫水晶……?)
少女は指先を少年の額に当てる。一連の記憶を消すためだ。
しかし、ルシファーの思惑は失敗した。
ごきりと鈍い音を立ててアニタの肩が外れる。
シオンはぎょっとした顔で、慌てて手を伸ばし、彼女の肩をはめ直した。
苦痛に顔を歪めもせず、少女は労わるように二の腕を撫でた。
(……自分の意識が無くても、彼への危害は許さないと。わかったよ)
ルシファーは穏やかに笑いながら、少年の唇に人差し指を押し付ける。
「私のことは、君と私だけの秘密だよ。隠し事、頑張れるかな?」
シオンはこくこくとうなずく。自分はこの存在に敵わないという、言い知れぬ圧があった。
少女の笑顔と共に兜が薄れ、完全に消える頃には、彼女は気を失った。
内乱の終結は、公的には開戦から一時間と記録された。
おそらく依頼者の予想通りなのだろうと、ニンファ・エッシェンホルストは眉間に皺を寄せる。
彼女は密閉されたテントに足を踏み入れた。
中には死者が横たわり、白いシーツがかけられている。ブーツについた認識標が、彼らの所在を示す唯一の物だ。
待機していた団員が敬礼してから報告を始める。
「団員の死者は八名、負傷者は四十五名です」
「……死亡者の内、遺族のいる者は?」
「はっ! 三名であります」
「後で認識標を送って頂戴。私が通達書を用意します」
しばし黙祷してから、ニンファはテントを出た。
叶うことなら念入りに弔ってやりたいが、ホイストン内乱の後処理に追われている内は、そうもいかないだろう。
少女は曇り空を見上げ、ため息をついた。
肝心のキース・ホイストンは、領地全体に放送されたラジオ番組の件で、リンド側の特殊捕縛部隊に連れられて行かれた。
自室で腐肉兵に襲われているのを、私兵団が一時的に保護をした。
その腐肉もおそらくではあるが領民であることがわかっている。
帰巣本能で、自分の家に戻ろうとすることも。
先先代の領主クリスタンがなんの目的で彼らを作り、そして閉じ込めたのかは、今となっては想像するしかない。
「さて、報告書を作らなきゃね……」
今回の件はリンドとニンファがキースを弾劾し、反乱民に助力した、という内容になるだろう。
——エッシェンホルスト私兵団の休憩所。
上司が忙しくしている中、部下も部下で対応に追われていた。
「ぶ、びぇぇぇっぇぇぇぇぇん!! ちろいのやぁぁぁあぁ!!」
「おい誰だグレン隊長に白衣見せたの!」
「こら、今その単語を出すな!」
「やぁらぁぁあぁぁのぉぉぉ!!」
「ああ! 隊長の地団駄で地面! 地面が!」
周囲を傷つけないよう、幼い少女はきつく自分を抱きしめている。泣きじゃくりながら咳き込み、顔も喉も真っ赤になっていた。
団員がおろおろしている後ろを、ラナンが通り過ぎて行く。
「だ、団長! 助けてください!」
「……ん?」
青年は一目で状況を把握し、小さな布包みを取り出した。
幼女に近づきそれの中身を差し出す。
それは、布製のおしゃぶりであった。
反射的にグレンは口を開き、力強く吸い付き始める。
「ぢゅっ」
「よしッ」
シオン達は合流を果たし、こっそり大通りの人混みに紛れ込んだ。
「アニタちゃん大丈夫?」
「『暴走』は体に負担がかかるって言われてるけど無傷だぞ。肩も治ってた。でもゆっくり休ませてやりたいな……どこかに宿があれば良いんだが」
アニタはシオンに背負われて、静かに寝息を立てている。
不意に彼らは声をかけられた。
「おにーちゃ!」
「げ」
「おん?」
幼い子供が嬉しそうにオリバーのマントを引っ張っている。
先ほど経緯を聞いていた少年は、にっこりと笑顔を浮かべた。
「オリバー、ご指名だな」
「えぇ……面倒」
「口に出てるぞ」
「このおにーちゃん、たすけてくれたの」
そういってその子は背後に笑いかけた。
「あらそう、では私からもお礼を言わなくてはね」
にこやかに小首を傾げ、メイドに付き添われながら、ニンファ・エッシェンホルストがそこに立っていた。




