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第四話・絶望は退屈している


 中心街のざわつきを横目に、少年少女は握り飯を頬張っていた。


「この卵のやつ美味いな」


「本当? やったぁ。それ卵黄の醤油漬けだよ」


「一口ちょうだい。僕のもあげる」


「良いぞ!」


 交換された梅肉に頬をすぼめてから、シオンは周囲を見渡した。

 報道上伏せられはしたものの、領地内で何か起きたという確信だけはすぐに伝搬する。噂は憶測まみれで駆け回り、人々は口々に無責任な言葉を散りばめて、言い知れぬ不安だけが確かなものとして広まっていた。


「まぁ、今何が起きてるにしろ、把握できない以上、俺らのやることは変わらないけどな」


 口元の米粒を取って、少年は表情を引き締めた。


 ここはホイストン領の首都、彼らの狙いはホイストンのラジオ放送局だ。

 その放送内容に、民間から募った興味深い情報に関して吟味するという番組がある。情報の提供は放送の二週間前から行われる。

 なお大陸のラジオは北島と違い上流から中級の貴族、大きな都市の役所程度にしか置かれていないが、帝国における重要な情報革命の一つだ。

 握り飯を嚥下して、灰髪の青年は肩をすくめる。


「ちゃんと放送されるのかな」


「自分とこの領主の批判も通した番組みたいだから……大丈夫だと信じたいぞ」


「ダメだったら別の方法考えようね」


「裏付けのために北島にいた一ヶ月とこっちで一ヶ月、アルベルトの人となりの証言をかき集めた文章も同封したし、上手くいくと良いな」


 幸いにも、北島には『子供達』が独り立ちした先や、里親についての書類も残されていた。

 七十年以上前ということもあり、本人が存命のところは一箇所しか見つからなかったが、他の遺族達も快く協力してくれた。

 ギリギリまで確認した史料を、少年は笑顔で麻袋にしまう。


「ぃよっし! 食後の散歩でもしよう!」


 立ち上がり、足を踏み出した瞬間、


『—や—、——いてね』


 シオンは覚えのある声を聞いたような気がした。

 振り向いても雑踏が広がるばかりで、見知った人影はない。


 首を傾げながら、仲間とともに歩き始める。



 ——誰の目にも映らないまま、銀髪の幼女は微笑んだ。

『はやく、きづいてね』




 街中を歩き回っていたその時だった。

 少年の腰のナイフが強く光る。

 彼らは人目を避けて慌てて路地に隠れた。


「おーん。随分と急だな」


 シオンがそれを鞘から抜くと、不意に彼らの頭上で光の鎖が走った。


 少年が背にしている建物の内部と、遠く、南にある何かを繋ぐ鎖。

 背後の家屋を見上げれば、しっかりした造りの大きな家である。オリバーが耳を壁につけて、すぐに離れた。


「今は留守みたいだね。入る?」


「家宅侵入はちょっとなぁ」


「今更じゃないかい?」


「頼んでも普通は会わせてもらえないよね」


「使用人の募集とかしてねぇかな……」


 頭をひねる銀髪の少女の後ろで、窓の表面が不自然に歪んだ。

 紅茶に注がれたミルクのように斑になったそれは、微細に震え——柔らかく姿を変えてアニタを包み込んだ。


「はぇ?」


『えっ』


 呆気に取られている少女の両手を、それぞれ少年達が掴む。迅速な対応も抗えない力の前では無意味だった。


 不安が蔓延する昼下がり、路地裏で少年少女の姿が消えた。




 どれぐらいたゆたっていただろうか。

 灰髪の青年は両目を開けた。

 辺りを見渡して、ここが現実ではないことを確信する。


 唐突に頭の中で抑揚のない声音が響いた。


『こんにちは』


「……エラムも、二人もいないな」


『あれ、こんにちは』


「一体どうしたものか」


『ん、これはもしや無視。無視されているのでは』


「で、君は誰?」


『びっくりしたー』


 わざとらしい喋り方に、青年は少し苛立った。


『初めまして。ぼくはセト、見えないだろうけどこの子はパンドラ。あのね、ぼくもパンドラもそれはそれは退屈しているんだ』


「……何をしろと?」


『簡単さ。そうだな、かくれんぼをしよう。君らの内一人でもぼくらに見つからず、砂時計が落ち切ったら、無事に帰してあげよう』


(拉致したくせに上からだな。嘘はついてないみたいだし、別に良いか)


 オリバーの視線の先に、小ぶりな砂時計が浮かぶ。


『半分落ちたら探し始めるよ。頑張ってねー』


 一方的に喋り続けた声音は、これまた一方的に切られた。

 珍しく青年は頭を抱える。


(……かくれんぼって何? 「かくれ」、「探す」って言うくらいだし、どこか物陰に隠れるのかな)


 改めて自分のいる場所を見ながら、オリバーは眉根を寄せた。


「どこに?」


 彼がいるのは小さなテントの中。おそらくだが彼が母親と旅をしている際に使っていたものだ。母が生計を立てていた楽器や、売ってしまった祖母の指輪も置いてある。


 しかし長身の部類である彼が隠れられる場所は見当たらない。



「ど、どうしよう」


 サラサラと流れていく砂に焦りながら、アニタはそこらにある物を確かめた。

 少女が閉じ込められているの湿り気の多い地下牢。牢からは出られず、内部にあるのは藁と薄い布切れ、壁の首枷くらいだ。

 間違いなく、幼い頃を過ごした場所だった。


(でもお母さんも怖い人たちもいない……)


 彼女は自分に言い聞かせるように呟いた。


「幻、だよね。それなら」


 壁の煉瓦に手をかける。ひやりとした感触に思わず身震いした。


「これをずらせたりしないかな…………ふっっぅくっ!」


 そうしている間にも、無情に砂は落ちていく。



 黒髪の少年は困った様子で頭をかいた。


「どこに隠れるべきか……」


 辺りには彼の背よりはるかに高い本棚が立ち並んでいた。

 この場所のことはよく知っている。彼の師匠が所蔵している大書庫だ。

 幸運にも身を隠せるところは多い。慎重に行動すれば見つからないだろう。


 とりあえずは掃除用具入れを開けてみた。


「お、空っぽだ」


 少し肘がぶつかるが問題はない。シオンはひっそり身を隠した。

 砂時計に視線を向ければ、もう半分以上の砂が落ちている。

 そろりと指を伸ばし時計に触ろうとするも、静電気のような膜に妨げられる。


 光が漏れないようシャツで包んでいるナイフに変化はなく、先ほどと同様に光ったままだ。


(……一人でも隠れ通せば、悪魔に会う機会があるかもしれない)


 少年は緊張をほぐすように深呼吸した。

 まだ出会っていないのは、怠惰、傲慢、そして絶望の三名。

 もう少しで彼と悪魔の約束が果たされる。


 シオンはそっと膝を抱き寄せて、念入りに気配を殺した。



 けたたましいベルが鳴り響く。ひたひたと足音が聞こえて来た。


(来た!)


 少年はこの奇妙な状況に少なからず楽しんでいた。

 最もすぐにそれは噛み砕かれることになるのだが。


「——シオン、どこだ」


 鳥肌が立つ。シオンは柔らかな表情を地に落とした。


(ここにいるわけねぇ)


「どこにいる。ユクキまでは戻れと言っただろう」


(いるわけねぇのに……)


 呼吸が無意識の内に荒くなる。依然温度のない無表情のまま、彼は震える両手で口を覆い、小さく呟いた。


「母ちゃん」


 そう口にした瞬間、彼の隠れていた扉が開かれた。


『はい、君の負け』


 その人物の姿を認識する間も無く、彼はふわりとした浮遊感を覚えた。

 掃除用具入れの底が外れて、上下もわからぬ闇に放り投げ出される。


 もがいた手は、何にも届かなかった。




 しばしの落下の後、地面らしき場所が見えてきた。

 衝撃に備えて少年は頭をかばう。しかしなんの痛みもなく、シオンは木製の机の上に転がった。


「……あれ」


 起き上がって周囲を伺うと、そこはどす黒い川だった。一面に浮かぶ家具達は流れに乗って動き、時折互いにぶつかり合っている。

 見上げれば金糸で飾られた重たそうなカーテンがひらめいていた。

 無数に折り重なった布の間から、小さな声が聞こえた。


「おん?」


「ぃ……ひぃやぁぁぁぁぁっ!」


 声の主である銀髪の少女を視認した瞬間、少年は思わず両腕を伸ばした。


 アニタはぶつかると思ったのだろう、体を固く縮こませていたが、いつまでたってもこない刺激にふと疑問を抱いた。

 彼女が恐る恐る目を開けると、心配そうなシオンの顔がすぐ近くにあった。


「大丈夫か?」


「へ?」


 ようやく自分の体勢に気がつく。黒髪の少年に抱き上げられた状態だった。

 頰に熱が集まるのがわかって、少女は慌てて髪で隠した。

 二人が一旦机に座った時、それは声をかけてきた。


「おい、何勝手に乗ってんだ」


 その声音は確かに、今座り込んでいる机から聞こえた。



 少年少女は目を見合わせる。机の言葉を皮切りにざわめきが広がった。


「ちょっとぉ、今あんたぶつかったわよ」「うるさいわね。お互い様じゃない」「ねー誰かおれの引き出し知らない?」「だから高次元に関しての前提を共有しないと議論が成り立たなくて」「ここだよー」「それは何年も前から擦り合わせて共通見解に至っただろう。ボケたのか」


 口々に家具達が語らい始める。

 否、最初から二人が気づいていなかっただけかもしれない。


 ふと脳内に雑音が流れる。


『ここでは有機も無機も関係ない、来るのは難しく、そしてひどく簡単だ』


 頼りない歩みの音が辺りに響く。


「——だって、ここはみんなの世界だからね。自分の内側を問い続けたら、誰でも気づける場所なのさ」


 川の流れに逆らって、それは歩いて来た。

 簡素な寝巻きに身を包んだ、虚ろな目に、青白い頬の少女。


「初めまして、十二の悪魔が一人——絶望のセト、この子はパンドラ。よろしくね」


 まるで硬質な関節であるかのように、それはぎこちなく身体を動かし、不器用にスカートをつまんで礼をする。


 その肢体を操る武骨な手が、楽しげに宙を舞っていた。



「……セト?」


「うん。僕がセト」


 巨大な二つの手がひらひらと手を振る。


「彼女はパンドラ。僕単体だと声が出せないからね、この子を作ったんだ」


 そう言って肉体がかくんと首を傾ける。

 興味深そうに観察し始めたシオンの隣で、アニタがそろりと手を挙げた。


「あの……オリバーさんはどちらに?」


 虚ろな少女の目が細められる。不敵な笑みを浮かべ、絶望は口を開いた。


「ゲームは君らの勝ちだよ。巨人の子を時間内に見つけられなかった」


 悪魔の背後から、家具の上を飛び越えて、灰髪の青年が姿を見せた。

 いつも通りの微笑みの脇で、炎の精霊は不満そうにしている。

 『人の子と遊びたいから』という理由で、彼女はこの暗闇に放置されていたのである。


「オリバー! すごいな、どうやって隠れたんだ?」


「小さくなって、リュートの中に入ってたよ」


「自分自身も変えられたんですね……」


「夢と同じならできるでしょ」


「壁をずらして隙間を作るので精一杯でしたよ」


「二人共すごいな。俺すぐ見つかっちまったぞ」


 少年少女の語らいを聞くこともせず、悪魔は体を震わせる。


「ああ……楽しかったぁ」


 小さな呟きが少年の耳に届いた時には、絶望は自らナイフを抜いて、契約の鎖を断ち切っていた。

 両目を見開くシオンに彼らは言った。


「遊んでくれて、ありがとうね」



 落ち着いて会話できるようになったところで、少年は話を切り出す。


「君らの主人は誰だったんだ?」


「オイスターみたいな、ホルスタインみたいな名前だよ」


「覚えてねぇじゃん」


「ほぼ完璧だよ。そうだ。南のとり、とりなんだっけ……まあ良いや。離れた方が良いよ。頼まれて作ったけど、何に使うんだろうね。あんな腐肉」


 心底わからないと宙に浮いた両手は身振りして見せた。



 黒髪の少年は自分で指を切り、血を零してから、絶望の悪魔に声をかけた。


「一つ聞きたいんだが」


「うん、なんだい」


「煉獄に、生きた人間が行く方法はあるか?」


 それは友人に再会するという彼らの目的に必要なこと。

 決意をしてから出会った悪魔達に、シオンはこっそりとその方法を聞いていた。内容が危険なものであれば、二人に知らせる前に他の手を考えたかったからだ。

 しかし返って来た返事は、これまで全て一緒だった。



「……考え事をする時は、事の発端に戻るのが重要だよ。頑張ってね」



 そう言い残して、絶望は黒い門を潜って行った。




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