第一話・会議は踊らずされど進まず
絹糸を名産とする天糸の村で、一人の少女が元気そうに走り回っていた。
「ほら! こっちこっち〜」
「待てよニーシャ!」
楽しげに笑いながら、子供達は鬼ごっこをしている。
ニーシャと呼ばれた彼女の二の腕には包帯が巻かれ、片手の親指には補助具の姿がある。
息を荒くしながら、彼女は自分の父、この村の村長の元へと走った。
村長は村の入り口で、帝都の役人と話し合いをしている。
役人が帰ったのを見計らって、少女は父親の脇腹に飛びつく。
「おっと、鬼ごっこは終わりか?」
「うん! お父さんはなんの話をしてたの?」
「ああ、これさ」
彼は一枚の文書を取り出した。
「七選帝侯と皇帝陛下の会議が帝都で行われるんだ。それにかこつけて海外の商人が来るだろう? 商売時ってわけだな!」
「へぇぇ……」
少女は渡された紙面をじっと見つめる。
そこには七つの家紋が円を描くように並べられていた。
ところ変わって帝都の中心街。
大きな馬車が宮殿へと続く道で止まった。
興味本位の野次馬が見つめる中、馬車の扉がゆっくりと開く。
小さな靴が石畳を踏みつけ、淡い水色の髪が揺れた。
愛らしい顔立ちに小柄な体躯、どこか陶器製の人形を思わせるが、鋭い瞳に紅色の頰は確かに生者のものであった。
彼女の手を取ったメイドは軽く礼をして、馬車の側面をさらに開ける。壁面全体が扉になっていたのだ。
荒々しい足音が追従する。
見物人の誰かが、畏敬を込めた呟きをこぼした。
「エッシェンホルストの『茨の女王』と私兵団」
しかりとでも言うように兵士達は口角を上げた。
彼らは帝国各地から集められた、少数精鋭の戦闘集団である。もっとも他に行き場所のない奴らの吹き溜まりとも言える。
曲者揃いの連中を率いる主人こそ、
「到着は時間通りね。全く遠いったらありゃあしない」
——ニンファ・エッシェンホルスト。帝国史上初、女性の七選帝侯当主である。
まず次期皇帝の座につくことはないだろうと嘲りを込めて、多くの貴族や新聞記事が彼女を「茨の女王」と呼んでいる。
ふと、ニンファの視界で白い巨体が空を泳いだ。
(北島からの飛行船かしら……帝都行きだなんて珍しい)
その隙のことだった。
人混みから、一つの影が飛び出してくる。
それはまっすぐに少女に向かって走った。刃物を握りしめたその人物は——ようやく頭上に現れた影に気づいた。
どこからか投げられた看板にひるんだ一瞬、縫うような精密な蹴りが顎に伝わる。
「……お嬢様に近寄るな」
淡々とした声音と共に、包丁を持った手は踏みつけられ、関節を固定される。
野次馬の悲鳴は収まっていた。
その場にいる全員が、不意に現れた青年を見つめていた。
上着についていたフードが脱げて、端正な顔が露わになっている。
無愛想な表情にも関わらず、反感や嫌悪を持とうとさえ思えない。この世に存在する美を固めたような男だった。
その涼やかな目元を細め、彼は自身の上司に問いかけた。
「お怪我は」
「だ、大丈夫よ。感謝するわ……ありがとう」
袖で口元を隠しながらニンファは呟く。
それに返事することなく、私兵団の団長は捕縛した人物を警備隊に受け渡していた。
少女は静かに思案した。
(やっぱりこっちには反対派も多いわね。馬鹿馬鹿しい)
突然降りかかった暴力への恐怖を押し込めて、ニンファは歩き始めた。
(関係ないわ。人が私を女王と呼ぶなら、それらしい態度で目的を叶えるだけ)
その後ろ姿に忠実な兵士達がつき従った。
少女は宮殿の一室に案内された。
ここには部下を連れて入ることはできない。内部は簡素ながらも荘厳な家具で統一されている。
円卓にはすでに五名の顔見知りが腰掛けていた。
皇帝が座る石造りの椅子にはまだ誰もいない。君主を交えるのは六人の中で話し合いが終わってからとなる。
裁判院から派遣された調停官が室内を見渡し、恭しく頭を下げる。
「——七選帝侯ご当主様、全員の出席を確認いたしました。これより定例会議を開始いたします」
各々の目的や野望を胸に、油断ならぬ腹の探り合いが始まった。
繊細な装飾が施された椅子に腰を下ろす。
軽く顔を上げると、自分に向けられた刺さるような視線に気がついた。
ニンファは臆することなくあえて微笑む。
貴族の当主として生きていく上で、とうに覚悟は決めている。
七選帝侯はその名の通り七つの貴族家だ。
しかし今代においては選定権を持つのは六家のみとなる。
除外された家柄からは、二代連続で皇帝が選出されているのだ。
この制度自体、一つの一族に権力が集中するのを避けるために考案されたもの。そうした対処も当然といえよう。
定例会議の議題は、通年の資金繰りや外交についてが大半だ。
それとは別に話し合いたい問題に関して、個々人は事前に裁判院に議案を送ってある。それぞれにかける時間は決まっており、押し通したい意見があるならば、極力発言を練ってから話す必要がある。
勿論、その日に突発的に生じる問題もあるが。
「帝都警備隊への資金は去年通りの額で可決いたします。続いては監獄の増築についてですね。管理者による詳細説明をお願いします。ベネッツァーリ様」
「はぁい。犯罪率に関しては提出した図の通り、年々下がっています。しかし、依然囚人の収容先は足りていません。せめて上級貴族用の方だけでも増築費用を一部公費で負担いただければと」
配られた資料に目を通し、ニンファは賛成側に票を入れた。
不意に、壁にかけられた鈴が鳴らされる。調停官は扉のノブに手をかけた。
「陛下のご入室です」
その場の全員が席から立った。
重々しい蝶番の軋みの後、素朴な人物が部屋に足を踏み入れた。
当代の皇帝は悪く言えば地味な、良く言えば安定した統治をする人物だ。人柄にもそれがにじみ出ている。
彼が椅子に着いたのを見て、円卓の端にいた老人から口を開く。
「冠する美徳は『節制』、アルファーロでございます」
「『勤勉』! スペンドラヴ。御身の前に!」
「『謙譲』、ベネッツァーリ。ここに〜」
「『忍耐』のヘルストランド。こ、光栄です」
「冠すは『慈悲』、ホイストンでございます陛下」
「『純潔』のエッシェンホルスト。ここに」
通例の名乗りが終わると皇帝はそっと笑みを浮かべた。
穏やかな丁寧な所作で、それとなく着席を促す。
「承認しました。久しぶりに皆の顔が見れて嬉しく思います。どうぞ、座ってください」
調停官の号令を最後に会議は終了した。
少女はこっそりとため息をこぼす。彼女が事前に提出した草案は取り上げられなかった。
(これは後で突き返されるわね……裁判院の壁は厚いわ……)
肩を落としたことが気取られぬように、少女は凛と立ち上がる。
廊下に出ると軽く肩を叩かれた。
「ニンファ久しぶり〜」
どこか間延びした口調に思わず体の力が抜ける。。
振り返れば幼馴染の少年が笑っていた。彼は仕事柄ピッタリとした生地の看守服に身を包んでいる。
「リンド、いつぶりかしらね」
「二ヶ月と八日と六時間四十二分ぶりだね!」
「ごめん。正確にいつぶりか知りたかったんじゃなくてね? そういう常套句っていうか……」
幼馴染二人が廊下の隅によると、
「ほほっ、二人とも元気そうだ」
「アルファーロ様!?」
慌てて下げようとした頭を優しく静止される。
「かしこまらんでも良い良い。もう会議は終わった。ほら、若者達には飴ちゃんをやろう」
「わぁい! ありがとうございます〜」
「そ、そういうわけにはいきません」
七選帝侯は同じ上級貴族のくくりであるが、その中でも権力差は存在する。
アルファーロ家当主・ジェイコブは先代皇帝の時代に補佐官を務めた人物。そのこともあって、皇帝に一番最初に名乗ることが許されている。
経験の浅い者からすればかしこまらずにはいられない。
「はい、いちご味で良かったかな?」
「ありがとうございます……」
断れるはずもなく、清潔な紙面で包まれた飴玉を受け取る。
隣ではリンドが早速口に含んでいた。
微笑む老人の背後で、杖を加えた介護犬が尾を振っている。
ふと、鼻につく葉巻の匂いがした。
「いやぁ、皆様先程はありがとうございました」
「ホイストン卿、それはこちらの台詞ですよ」
「私はまだまだですよ」
五十代半ばの男、キース・ホイストンは口先だけの笑みを浮かべた。
「アルファーロ様のように、後継者を削る勇気はとてもとても……」
ニンファは思わず眉根を寄せた。
ジェイコブは自分の妻子を事故で亡くしている。心無い者はそれを、権力にしがみついた彼自身が仕組んだことだと噂したのだ。
面と向かって侮辱を吐いたキースに、老夫は優しい笑顔を返した。
「おや、そちらが一人息子を勘当したと聞いたばかりだよ。貴方にもあるじゃないか、ご立派な勇気とやらが」
睨み合いに巻き込まれたニンファが抜ける機会を探っていると、不意に片手を引かれた。
どうやら幼馴染は飴を食べ終え、この場のやりとりにも飽きたらしい。
飛び火を食らう前に。二人は一礼をしてその場を去った。
馬車に乗り込み、少女は軽く肩の力を抜いた。
目の前に部下がいる以上、くつろぐわけにはいかないが、宮殿内で他の貴族と接するよりは気持ちが楽だ。
(リンドとアルファーロ様がいるからまだましね……別に他と対立してるわけじゃないけど)
口々に取り留めのない会話が飛び交う。私兵団の隊長達は会議の間ずっと馬車に押し込まれていたようだ。
「帝都の酒屋行きて〜」「腹減ったな!」「領邦から遠すぎんだろぉ」「めーし! めーし!」
「……少し静かにしてちょうだい! この後の夕食代は私が出すから!!」
少女が目を吊り上げて叫ぶと、待ってましたと言わんばかりに歓声が上がった。
そんな中でも美丈夫の団長だけは、無表情で外を眺めていた。
「——おん?」
「宿あってよかったね。シオン? どうしたの?」
「いや……誰かに見られてた気がしたんだが、気のせいみたいだ」
黒髪の少年はにっと口角を上げて、大きな馬車の脇を通り過ぎた。




