第十話・それを人は愛と呼んだ
日記を読み終え、少年達は再び二階の廊下を進んだ。
すると、不意に視界が開く。
眩しさに瞬いた先には、白い彼岸花が咲き誇る花壇があった。
花と花の間から陽光に照らされたテラスが覗いている。
そこでは一人の人物が紅茶を飲んでいた。
否——人ではない。
黒い羊の頭に、胴体のきつく絞られたコルセット、歯車が回る機械でできた蜘蛛のような脚、背中で揺れるぼろぼろの折れた翼。
それはおもむろに横向きの瞳孔を細めた。
「いらっしゃい。可愛い侵入者さん達」
穏やかな声に応えるように、シオンは片眉を上げた。
「失礼するぞ。俺はシオン。旅人だ」
「あらご丁寧にどうも。私はルフトゥ、一応憤怒の悪魔です」
おっとりとした喋り方で、彼女は三人に着席を促す。
全員が警戒しながら座ると、銀色の卓上にカップとバスケットが現れた。
バスケットからはふわりと蜂蜜の香りが漂っている。
「良ければどうぞ? 美味しいですよ」
「お、おん」
和やかな雰囲気に圧倒されつつ、シオンはバスケットの蓋を開けた。
中には綺麗な焼き目のついたカヌレが入っていた。
仲間に目配せしてから、黒髪の少年はそれに口をつける。
後を引く甘さが口内に広がり、思わず残りを一口で頬張った。
続いて紅茶を啜り満面の笑みを浮かべる。
「これ美味いな!」
「それは何より」
毒の有無を確認し終えて、シオンはアニタの方にカヌレを押しやった。
「良い香り……あ、オリバーさんもどうぞ」
「ありがとう」
幼馴染二人と違って、オリバーは甘党ではない。代わりに添え物のピクルスを手に取る。
「ところで侵入者さん達、この島は初めて?」
羊の口から優しげな声音が発される。
「俺とこの子はそうだぞ。オリバーは二回目か?」
「うん」
「そうでしたか、北島にようこそ……おや?」
不意にカップを置き、彼女は首を傾げた。
視線の先には灰髪の青年がいる。
「お久しぶりね、元気にしてました? エラムおばさま」
厳しい表情で精霊は机に降り立った。
「ひさしぶリ、そろそろよなきはなおったのかしラ? るふとゥ」
「幾つの頃の話ですか」
「……知り合いか?」
シオンは小声でオリバーに耳打ちをする。
悪魔と精霊、どちらも明らかに互いを知る口ぶりだ。
「さぁ? あ、でもエラムに会ったのは、ここの近くだったと思う。館の影がちょうど良かったから、昼寝してたんだ」
「なつかしーネ。ちっちゃいおりばーかわいかったヨ」
「ああ、なるほど、彼が巨人の子ですか。おっと可愛らしいお嬢さんお菓子がついてますよ」
「ふぇ、あ、ありがとうございます」
異形の者はそっと少女の頰をナプキンで拭く。
その様子を見ながら、少年はひとりごちた。
「悪魔だということは認めざるを得ないが、どうしてナイフが反応しないんだ?」
「簡単なことです。それは強欲のドゥジェンのものでしょう」
「おん!」
「彼はとても家族思いなの。私のように望んで居座っている者への配慮で、あくまでも反応するのは契約に対してなのではないですか?」
「そういえば……」
「私は前マスターとの契約解除は終了している。だから反応しなかったのです」
おそらくは微笑みながら、憤怒の悪魔はスカートのポケットから試験管を取り出す。
そこにはやけに保存状態の良い血液が入っていた。
「待ち続けた甲斐があった。前マスターとの約束が果たせます」
「約束?」
「ええ」
憤怒はどこからか一通の手紙を出す。
「『最低限の礼儀あり、深入りしない思慮あり、語り継ぐ意志あり』と、息子から推薦をいただいています。館の『こどもたち』のお眼鏡にも叶いました」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
少年は冷や汗をかきながら声をあげた。
「息子さんの猫要素はどこから……?」
「それいまきク?」
「あらあら」
「さて、話を戻しましょう」
悪魔は大仰に両手を広げた。八本の足が軋む。
「貴方方の手で後年に伝えて欲しい事実があります。人間、巨人、ひいては華玉まで、集められ笑った家族がいたことを」
同族の名が上がり、オリバーとアニタは表情を引き締めた。
シオンはしばしの沈黙の後にしかと頷いた。
「きっと名前も残らない、そんな人々が生きた証を伝え残す、それが歴史家としての俺の仕事だ。聞かせてくれ」
「ありがとう。かつてのマスターの願いに沿って、お見せします」
彼岸花を一本手折ると、彼女はそれを煙管のように咥え、端を小さくかじった。
花弁の奥から、何かが込み上げ吹き出されていく。
白い、温かな煙が彼らを包んだ。
× × ×
それは今から七十五年前、北島の空港。
がたつく石畳の上を馬車が進んでいる。
そこそこ広いそれの内部には、一人の少年が座っていた。
彼の名前はジリアン。
生まれつき両腕が無く、見世物小屋を転々としていたが、とうとう今日かの『北島の狂領主』に買われた。
諦めのため息を吐きながら、少年は辺りを見渡す。
窓が無いためか閉塞感で押しつぶされそうだ。
しばらくして馬車は止まった。
「着いたぞ」
自分を買った赤髪の男は無表情のまま、背中を押して促してくる。
目前の白亜の館はひどく冷たく見えた。
内部は薄暗い。ジリアンは思わず両脇のガラスケースから目をそらす。これがお前の末路だと言われている気がした。
男性は階段脇の戸を開けて、無言で少年を手招く。
下手に抵抗して殴られるのは避けたい。
大人しく従って覗き込むと、そこは浴槽のある風呂場だった。
後々知ったことだが、安定した水の確保が難しい当時の北島において、浴槽があるということは富豪の証である。
「湯を持ってくる。顔を足を洗え」
言うだけ言って彼は出て行ってしまう。
戸惑いながらも靴を脱ぎ、ジリアンは風呂場に足を踏み入れる。
男はすぐに桶とタオルを持って戻ってきた。
顔を暖かい濡れタオルで拭かれ、削った石鹸で濁った桶で足を洗われる。
その手際はかなり手慣れているように見えた。
「よし、ついて来い」
少年は呆気にとられながら彼の後を追う。
リビングの扉が開くと、明るい光と子供の話し声が聞こえてきた。
そこでは——
「あー! お前、自分の分だけハム厚く切ってるだろ!」
「ずるいわ!」「そうよ、どう見てもおかしいのだわ!」
「俺はみんなより年上だからよく食うの。言うほど取ってねぇよ」
「喧嘩はだめだよ。あ、パパ。おかえりなさい」
五人の子供達がやかましく騒ぎながら夕食の準備をしていた。
「ただいま」
そう一言だけ返して、男は鍋からラタトゥイユをよそい、そっと机に置いた。
ジリアンを見ながら皿の正面の椅子を指差す。
少年がぽかんと口を開けて立っていると、ポニーテールの男児が声をかけてきた。
「君の分だよ。お食べ」
「えっ、う、うん」
渡されたスプーンで慎重に口へ運ぶ。くたくたに煮込まれた野菜の味が舌の上で転がる。熱さに驚きながら、彼は必死に平らげた。
そうしている間に、車椅子に座っている男児、シャム双生児の少女達、尻尾のはえた巨人族の少年、両性具有の子供、後から来た寡黙な子も席に着き、一斉に食事を始めた。
食後、一番大きな椅子に腰掛けていた男性は口を開いた。
「俺はアルベルト・ダーナー。この島の領主だ。研究に協力するなら、衣食住と最低限の教育、および里親、就職支援までは約束する」
逡巡してからジリアンは小さく頷く。
この日、少年は彼と契約をしたのだ。
その翌日からジリアンは非日常に直面することになった。
時間割は渡されたが遵守できなくても誰も怒らない。
研究と称して義手が与えられ、風邪を引けば無料で治療を受けられる。
何より、時折喧嘩はあるけども、誰しもがこの家を気に入っていた。
ここには下卑た態度や化け物と罵る口、同情した悲しげな目は無い。
やがて二年程経った頃、ジリアンもアルベルトのことを「パパ」と呼ぶようになった。
父親というものはわからないが、短くて呼びやすく、それに親しげな呼称である気がしたのだ。
また新しい子供が来ることもあった。
「フィンだ。仲良くするように」
そう言って連れてこられた両眼のない少年は、怖々と俯き、銀髪で顔を隠していた。
彼はジリアンと同室になった。後輩ができて嬉しかったのか、少年は嬉々として世話を焼いた。
ずっと何かに怯えていたフィンは、段々と笑うようになった。
きっとここにいる誰しもがそうだっただろう。
アルベルトは時々、書斎ではなくリビングで仕事をしていた。
一度子供達が騒がしくないかと問うたが、それが良いのだと返ってきた。
その日もいつも通りだった。
「よし時間通りだな。今日は健康診断だ。各自準備をするように」
『はーい』
「……なぁパパ」
「どうしたジリアン」
「後ろのそれ何?」
黒い羊のぬいぐるみのような物がふよふよと浮かんでいた。
少年と目が合うと、それはくるりと一回転をする。
「……何もいない」
「嘘つけ」
「ないものはない」
「めっちゃ浮いてるじゃん!」
「羊さんよ!」「かわいいのだわ!」
不思議な生き物が増えたが、生活に大きな変化はなく。彼らは思い思いに過ごしていた。
その日の午後、ジリアンが庭のブランコに乗っていると、アルベルトが花壇をいじっていた。
「何を植えてるんだ?」
「球根だ。石老国の商人が持ってきた。秋に花が咲く」
「どんな花?」
「リコリスアルビフローラ」
「リコ、アウ、んぇぇ?」
「くくっ」
「あー! 笑うな!」
「すまん。どんな花が咲くか、一緒に見れるといいな」
男がそんなに嬉しそうに笑っているところを、少年はその日初めて見た。
唐突に場面は変わり、厳粛な雰囲気に包まれた。
そこは帝国裁判院。貴族家としての法的特権の認定や、権力絡みの特殊な裁判を執り行う中立機関である。
壇上の裁判官は公平を期すために仮面とローブで個人を隠し、静々と話し始めた。
「原告、被告の両者出席を確認しました。それではこれより、第二回口頭弁論を開始します」
アルベルトは被告席にいた。
彼のことを七選帝侯として不適切であると糾弾したのは、同じ上級貴族であるクリスタン・ホイストン。その初老の男は原告席で杖を片手に座っている。
不適切と主張された理由は『巨人や華玉という非人間ならいざしらず、医学上人間とされる同族をも用いて非人道的行為をしている』というもの。
クリスタンは唾を飛ばしながら迫真した表情でそう断言した。
おかしさを感じた理由として、年間何人もの子供を買い漁っているのに、館の増築申請が行われていない点が指摘された。
アルベルトはずっと下を向いていたが、名前を呼ばれて立ち上がると、鋭い目つきであたりを見渡した。
「……馬鹿馬鹿しい」
「今なんと?」
裁判官には目もくれず、男は声を荒げた。
「七選帝侯の席などいらない。どうとでもすればいい! 私はお前と同じ空気を吸っていると思うだけで吐き気がする!!」
射抜くように叫んで、彼は踵を返して裁判院を後にする。
その場にはざわめきで満たされる人々と、怒りに任せ地面を杖で叩く男性だけが残された。
× × ×
シオンがはっと気が付けば、そこは先ほどと同じテラスであった。
「これでおしまい。これが前マスター、アルベルト・ダーナーという人物です」
「今のはなんだ……」
「脳に直接映写しただけですよ」
なんてことはないと、憤怒は手をひらひらさせた。
アニタは小さく微笑んでから呟いた。
「みんなの、お父さんだったんですね」
「おーん……」
「おや、何かご不満でも?」
「いやぁ、当時を知る農民から寡黙と称され、あの論文を書き、ましてやこの手記や追想の口調だ。かなり冷静で淡白な人物だろ。それが裁判所という公の場で、怒号を上げるのは想像しがたいぞ。むしろ、淡々と事実を報告して冤罪を主張するんじゃねぇか?」
「ほう、なるほど」
「ただの想像だけどな」
「なるほどなるほど?」
悪魔は嬉しそうな声を出し、
「で、あるならば」
そう言ってもう一本彼岸花を手折った。
真っ白だったそれは血を流すように赤黒く染まっていく。
愛おしそうに眺めながら彼女は呟いた。
「世界から消えた証明できない、一日にも満たぬ歴史も、特別に教えて差し上げましょう」
今度は一切口をつけることなく、彼女は花を蝋燭で燃やした。
「誰が望むのだろう。善良な魂を。誰が愛すのだろう。愚かな大罪人を。我が名は——憤怒の悪魔・ルフトゥ」
赤く、甘い、煙が流れる。
× × ×
赤毛の男は馬上で揺られていた。
ちょうど口頭弁論を終えた帰りである。
(少し、疲れた)
当然ながら穴だらけの主張に対し、アルベルトは務めて冷静に返答した。
おそらくだがこのままいけば和解で終わるだろう。
相手の狙いが七選帝侯の選帝権であることはすぐにわかった。
(確かに、今の七家の中で一番つつきやすいのは俺だろうな)
元をたどればダーナー家は死刑執行人の家系。それもあって帝国貴族間で排斥され、北島に移り住んだのだ。
そのせいか悪評が後を絶たない。
もっとも今代の己に関しては、口下手で面倒くさがりなことが原因の大半だが。
(それにしても、快楽目的に子供を惨殺している医者とは……よくそんなもの想像できたな)
不意に脇を見慣れぬ馬車が通っていく。
そちらの御者がアルベルトを見た瞬間、微かに口角を上げたのを見て、自分が退室する際のクリスタンの笑みを思い出した。
嫌な予感が体中を走る。
早く屋敷に帰らねばならない。
男は慌てて馬を急かした。
館は静寂に支配されていた。
頼りなく揺れていた玄関扉を開けると、いつもなら聞こえる「おかえり」が来ない。
ガラスケースに赤色が反射した。
助けを求めるように伸ばされた手を取る。少年達は顔を上げない。
「……フィン、バーミット」
見たくもない、リビングに足を入れる。
きっと彼らは昼食を取っていたのだろう。
冷たくなったビーフシチューと皿の破片が床に散らばっている。
そして、
「イーサン、ジェム、メアリ、ラン、ベル……」
呼んだ名前に返事は無いのはわかっていた。
頭でわかっていても、理解したくないと身体中が警鐘を鳴らす。
彼は膝からがくりと床に倒れる。
部屋の端から、棚の戸が開く音がした。
「いるのかジリアン、まだ、せめて」
戸に手をかけると、何かの重みでするりと開き、生暖かい塊がアルベルトの手中に落ちてきた。
昨日、共に花を見ようと語った彼は、ピクリとも動かない。
「あ、ぁあっ」
自身にもたれかかる小さな体を抱きしめて、彼はぎこちなく振り返る。
気が狂いそうな光景は、残念ながら白昼夢では無く、依然として生々しく横たわっていた。
まるで、自然の産み落とした失敗を正してやったと言わんばかりに、理不尽な悪意をぶつけられた死体の海を前にして、無力な男はただ吠えた。
その慟哭を応える者は、その場に一人もいなかった。




