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第九話・届かなくたってあいらぶゆー


 黒髪の少年がそっと声をかける。


「失礼しまーす」


 当然のことながら中に人はおらず、隙間風できらきらと埃が舞った。

 彼らを出迎えるようにガラスケースの表面が光る。

 玄関に入ってすぐ、二階への両階段の脇に、いくつかのケースが並んでいた。

 その先にはリビングに続くらしき扉があった。


 シオンはそれらを確認すると、麻袋から布マスクと薄い手袋を取り出し二人に渡した。


「あ、ありがとう……へくちっ」


「随分と準備がいいね」


「こういうのはいくらあっても困らねぇからな」


 一歩近づけば、ケースの内部の者と目があった。


 それらは標本だった。どれも年端もいかぬ新生児のものだろう。

 シャム双生児や骨格形成不全に、退化した翼のある者。数十年前まで帝国内で、悪魔や神の落とし子として扱われていた者達であった。

 少年はその内の一つに木の札が立てかけてあることに気が付いた。

 麻袋から柔らかな筆を取り出し、そっと表面の埃を落とす。


『サシェ 推定生後七ヶ月』


(これは……後からつけられた名前か?)


 ケースによっては金属の名札が設置されているものもある。

 そのような名札が無い、おそらくは孤児や捨て子のところには、一様に木札が置かれているようだ。

 リビングらしき場所の扉を見ると、防犯のためか鍵がかかっている。


「ねぇシオン」


「おん?」


「あれ、階段のところにあるのどっちも扉じゃない?」


 言われてみれば、両脇の二階へと続く階段には引き戸がついていた。

 慎重に開けると、片方は小さな風呂場で、片方は台所となっていた。

 どちらも人の出入りが途絶え、所々蜘蛛の巣が張っている。

 台所の棚には輸入品のスパイスや紅茶の缶が並び、古びてはいても多くの立派な食器類が目についた。



 アニタとシオンが缶詰等を物色している間、オリバーは退屈そうに玄関ホールを闊歩していた。

 ふと彼の髪がもぞもぞと動き、エラムが顔を出した。


「おりばーあきたノ?」


「うん。暇になっちゃった」


「にかいはみタ?」


 悪戯めいた笑みを浮かべて、炎の精霊は告げた。


「あのこえのぬシ、うえにいるヨ」


 それを聞いた青年はしばし考え込む。単独行動しても別に怒る同行者ではない。

 しかし何者かが潜んでいるこの状況で、彼らを放置した結果、加害を受けては大変不本意だ。

 階段の強度だけでも確かめて戻ろうと、彼が踏み出した瞬間だった。


 至極薄い膜にその足は弾かれた。


 思わず、オリバーは両の目を見開く。

 まるで侵入を拒むかのように、透明な何かがそこにある。

 逡巡の後、青年は拳を握り、力を一点に絞って叩き込んだ。

 しかし膜はたわむばかり。


「……へぇ」


 彼は新鮮な気分で口元を吊り上げた。

 生まれて初めて壊せない物質に出会ったのだ。


(でもまぁ、これがエラムの言う声の主の仕業かな。なら壊すのは正攻法とは言えないか)


 同族であるなら彼女は慈しみを持ってそう告げるだろう。

 だとすれば答えは一つ。

 すっと目をひそめた青年の背後で、少年少女の小さな悲鳴が聞こえた。


 瞬時にそちらへと走る。

 狭い台所の中で、倒れかけた食器棚を、シオンが顔を赤くしながら支えていた。


「ぐぬぬぬ……あ、ちょ、手伝ってオリバー」


「はいはい」


 棚を片手間に戻し、驚いて地面に転んでしまったらしいアニタに手を差し伸べる。

 けれど少女はなぜか床を見つめて動かない。


「アニタちゃん?」


「アニタ?」


「……これもしかして」


 タイルの割れ目を指先でなぞり、彼女は落ちてきたナイフを拾うと、床の隙間に差し込んだ。


「よいっしょ!」


 テコの原理でタイルを外した下には——鍵の束がしまわれていた。



 ハンカチで包みながら少年は鍵を手に持つ。

 ゆっくりと鍵穴に差し込むと、確かな手応えが返ってきた。

 静寂に支配された屋敷の中で、かすかに金属の擦れる音が響く。



 館の中央に位置するその部屋は、彼らの予想通りリビングだった。

 楕円形の広い机に、見るからに劣化している何脚もの椅子。

 そして、一番大きな椅子に腰掛ける人影。

 虚空を見つめる眼孔から隙間風が入り、からからと乾いた音が鳴る。

 白骨死体がそこにあった。


 骸骨の手の下に一枚の古びた写真がある。初期のスタジオカメラによるものだろう。

 少年は慎重にそれを覗き込んだ。

 指の間から見えたのは——幸せそうな笑顔を浮かべた八人の子供達と、しかめっ面をした赤毛の男だった。


 ふと、玄関の方からガタンと大きな物音がした。


「……誰かいるのか?」


 シオンがそう問うた先で、ぼんやりとした光が溢れ出した。

 それは蛍のようにも、空から落ちる雪にも見える。

 か細く、頼りない、小さな声音が零れる。


『まってた』


 舌ったらずな子供の喋り声。


『にかい、いっていいよ』


 感情の薄い淡々とした、されど明確な歓喜。


『あなたたちならきっと、つたえてくれる』


 男女どちらとも取れる、無性的ないくつもの響きが溢れる。


『よかった』


『ときがきたのね』


『ずっとずっと、だいすきよ、パパ』


 無邪気な愛の言葉を残し、幽霊と呼ばれるかも怪しい残滓は、ふわりと溶けて姿を消した。



 階段の辺りで膜が破裂する音がした。三人は顔を見合わせ、一歩踏み出した。

 二階には寝室が並んでおり目立つものはない。

 やがて書斎らしき一室にたどり着いた。

 扉のプレートには『パパの部屋』と書かれていた。


 鍵を差し込みゆっくりと開く。少年の目に大量の紙の山が飛び込んできた。

 論文の束が種類別にラベリングされ、分けられているようだ。

 何枚かめくっていってから、黒髪の少年は感嘆の声を漏らした。


「すげぇ、どれも今医療現場で使われてる理論だ」


「いっぱい書いてたんだねこの人」


「あ、これ義手?」


 オリバーが何となく取り出した金属の腕の後ろ、棚の隅に一冊の手帳があった。

 悩む間も無くシオンはそれを手に取る。

 どうやらそれはアルベルト・ダーナー本人の日記のようだった。

 最後のページに数文の走り書きがある。

 多少古い筆記体ではあるが、少年はなぞりながら読み上げた。


「おそらく、私の名前では悪評のため普及が遅くなってしまうだろう。そのためこれらの論文の著者名には偽名を使い、信頼できる友人に託すことにした。偽名はファントム——父方の祖父の名だ。それをもじって、友人二人と私で設立した医療団体はファントムと名乗ることにする……」




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