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第六話・色欲の御事情


 靄に包まれた意識は眠りの中へと落ちていく。


「——おん?」


 ふとシオンは辺りを見渡した。

 感覚からしておそらくこれが夢であるとわかる。

 しかし彼はいつも決まったパターンの夢しか見ないというのに、今は見たことのない白い空間にいた。


 不意に、誰かの気配が背後に現れた。

 瞬時に距離を取り、警戒を込めた目で振り返る。


 だがそこにいたのはよく見知った人物であった。


「シオン? 驚かせちゃったかな、ごめんね」


「ア、ニタ?」


 銀髪の少女は困ったようにはにかんで、小首を傾げた。


「よかったぁ……誰もいないかと思っちゃった」


 そう言って彼女はほっと胸を撫で下ろす。


「そ、そうか」


 少年は戸惑いながら、アニタの頭を両手で撫でる。


「ふぇ」


 さらりと流れる手触りの良い髪。そこにおかしな点は無かった。


(……マナグワチ(・・・・・)が化けてるわけじゃねぇな。そもそもアニタの見た目はあいつの好みどんぴしゃだから、自分が化けるくらいなら、俺をその姿にして愛でるだろう)


 彼の夢が固定された元凶を思い浮かべて、シオンは珍しく眉間に皺を寄せた。


「……どうしたの?」


「おん? なんでもないぞ」


 楽しそうな声音で、少年は続ける。


「それで——君は誰だ?」


 からりと何の疑念も無く、彼はただ事実を突きつけた。

 銀髪の少女の姿を取った侵入者は、素知らぬ様子で笑みを深めた。


 瞬間、視界が歪む。

 気がつけばシオンは地面に倒れ、少女はその脇に座っていた。なぜか少年は指先一つ動かせない。

 彼女の両眼部分は、見慣れない仮面で覆われている。


「心外ですね。こちらもちゃんと記憶を覗いて頑張ったんですよォ?」


 不満げに頰を膨らませて、それは少年の胸に擦り寄る。甘やかな香りが鼻をくすぐった。

 シオンはせめて目を閉じようとするがそれすらも構わない。茹だるように頰が熱くなる。


「あの、あ、あのちか、近いです」


「んー? だァめです。ほら、何が違ったのか教えてください」


「ええ……だって違うんだもん」


「曖昧〜」


 くすくすと笑いながら少女はシオンの頰に手を伸ばした。

 優しく触れられる感触。穏やかな声が耳に抜ける。


「気持ちよくしてあげられないけどごめんなさいね。ただこちらも……一人でも多くの精気が入り用でして」


「精気? ……生命力?」


「当たらず遠からずです!」


 偉い偉いと少年の頭が撫でられる。


「体力とは別に蓄積されていて、一度に莫大に奪われると肉体にも被害が出ます。そういう意味では精神力と近いかもしれません」


「ほほう」


「そういうわけで。支障の出ない程度に少しいただきますねェ」


「丁寧なのか強引なのかわかんねぇな」


 それは微笑みながらシオンの両肩を抑える。


(さて少しばかり頂きましょうか……うん?)


 少女の表情から笑みが消える。焦りからくる冷や汗が頰を伝った。


 ——ただの人間なのに、精気が抜き取れない。


 即座に原因を探る。

 彼は死体ではない。何かしらの魔術による障壁は感知されていない。精霊使いでもない。そうあれかしと生まれた聖人でもない。


(ならば)


 優しく彼の体を起こし、シャツとその下のタンクトップを持ち上げる。

 背中に広がる模様を視認した途端、夢の侵入者は憐憫を覚えずにはいられなかった。


「これは、これはなんと……痛ましい」


 そこにあったのはインクによる普通の刺青では無く、悪魔と同等以上の力を持つ何かが刻みつけた所有痕だった。


「ああ、大丈夫だぞ」


 そう言う少年の顔からは表情が完全に欠落していた。

 何も感じていない態度で、とうの昔に諦めたとでも言いたげに誓いを吐く。


「これは——俺が背負わなきゃいけねぇんだ」



 目的が果たせない以上長居する必要は無いはずだが、元々の性格が暢気なためか、二人は雑談を楽しんでいた。


「ふゥむ。それで旅を……では私も煉獄に返す対象になるということですね」


「あ、悪魔だったんだな!」


「気づいてなかった顔ですねェ」


「可能性としては考えたけど、ナイフがないから断言できなくて……」


 それは妙齢の女性のようにも、少年のようにも思える声音で名乗った。


「改めまして、十二の悪魔が一人——色欲のルー・ガルーと申します」



「そういやなんで精気を集めてるんだ?」


「現実でも先ほどのように人に化ける必要がありまして。ああ私自身は他の悪魔よりも人と変わりない姿ですが……ちょっと不便でしてェ」


 何かを思い出したのか、少女はいそいそと立ち上がる。


「そろそろお時間です。残念ですが、私はまだ煉獄に帰るわけにはいきません。ちゃんと事情は説明いたします」


 冷たい指先がシオンの額に押し付けられると、瞬時に地理情報が流れ込んできた。どうやらこの近辺の一軒家に住んでいるようだ。


「了解だ。仲間と一緒に行くぞ!」


「……あなたの宝物の姿を利用したことは、お怒りにならないのですか?」


「おー……」


 少年は頭をかいた。


「俺は昔から夢ってのを同じものしか見たことがないんだ」


「同じ、ですか」


「そう。理由はわかってるから、どうでもいいことだけど、そうだな……」


 シオンはどこか嬉しそうに目を細める。


「夢が笑って終わるのは初めてだ」


 色欲の悪魔は黙って彼の笑顔を見つめていたが、おもむろに両手を伸ばし——


「えいっ」


 無理やりふくよかな胸の間に少年の顔を押し込んだ。


「んもがっ!?」


「ふふ、精気をくれなかったお返しですよゥ。今晩も笑って終われませんでしたねェ」


 そう笑う楽しそうに声を最後に、シオンの意識は遠のいていった。




 翌日の朝、三人と一匹は民宿の広間で食事を取った。

 シオンは気まずそうにアニタから視線を背けている。

 思春期ゆえの理由を知らない彼女は、不思議に思いながら小鉢をつまむ。


 朝食は何種類かのおかずを好きに取るバイキング形式だ。

 少女の取った小鉢は、カイワレとチーズに柔らかい海草の塩漬けを和えたもの。これが程よい塩気でご飯とよく合う。


(美味しい! 今度作ってみたいな……レシピ教えてもらわなきゃ。最近美味しいものばかり食べて…………はっ!)


 今朝からのシオンのよそよそしい態度を受けて、彼女の思考は料理とは関係ない方へ飛んだ。


(もしかしてわたし……ちょっとだけ……太った?)


 そろそろと腹部を撫で「大丈夫、だよね、うん」と呟く少女に、少年二人は首を傾げるのだった。



 食後、破壊の悪魔はひょっこりと宿の受付に顔を出していた。彼の体躯では向こうからだと頭の先しか見えない。


「おやどうしたんだい?」


 管理人の女性は優しく声をかける。


「……昨日のやつ、無いの?」


「昨日?」


「丸くて芋の味がする美味いやつ」


「ああ、あれかい。ごめんねぇ、切らしちまったよ」


「……そう」


 残念そうに帽子の縁を下げて振り向くと、微笑ましいものを見る目のアニタがいた。

 破壊はわざと目を逸らし脇を通り抜けようとする。


 しかしそんな彼の態度に気がつくことなく、少女は話しかけてきた。


「クコアさんジャガイモお好きなんですか?」


「別に」


「どうやって食べるのが一番好きですか? 今日材料を買って、明日にでも作りますよ」


「……芋がゴロゴロ入ってるカレー」


「はわぁ〜……」


「なんだその顔」


「かわいいですね」


「かわっ!?」


 彼女の満面の笑顔に対し、破壊は不満げに頬を膨らませた。


「オレの方が兄ちゃんなのに…………」




 雪の落ち着いた合間を縫って、彼らは宿を出発した。目的地は件の悪魔がいる家だ。

 示された情報通りに進めば、古いながらも丁寧に手入れされている一軒家が見つかった。


 扉の前に吊るされた鈴を鳴らすと、全員の脳内に中性的な声音が響き渡った。


『玄関の鍵は開けてあります。どうぞお入りください』


 促されるままにシオンが扉を引いた。



 室内は清潔感のあり明るい光が差し込んでいる。

 この近辺の土地代が安価であるためか、かなり広い二階建ての建物だ。


「——お待ちしておりました」


 夢で見た仮面をつけた男性が階段から降りてくる。

 臙脂色の執事服、純白の手袋、優しげな笑みを身につけた二十代半ばの青年だ。


「ルー・ガルー……」


 少年の視線の先で色欲は——右手に幼児用がらがらを持ち、左手には赤ん坊を抱きかかえていた。


「……あかちゃん?」


 呆気に取られていた銀髪の少女が首を傾げる。

 にこやかな態度で悪魔は口を開いた。


「私は色欲のルー・ガルー、こちらはますたぁです」


「あぶぶっ」


 乳幼児は自分に客人の顔を見せろと言わんばかりに、せわしなく手足を動かしている。


「あ、あかちゃんが召喚者なんですか?」


「世の中には色々なケースがありうるということですねェ」


「どういう状況だ? っておいオリバー、なんで俺を盾にしてるんだ」


「……子供は何するかわからないから苦手だよ」


「ガル兄ちゃん!」


 嬉しそうに口角を上げて、破壊は色欲に駆け寄った。


「おやクコア、貴方も召喚されていたのですか?」


「うん。兄ちゃんが元気そうで良かった」


「私もクコアに会えて嬉しいですよ」


 穏やかに笑い合う二人に、シオンはふと疑問が沸いた。


「……兄弟なのか?」


「ううん、違う」


「ふふ、我々十二の悪魔は皆家族なのです。血の繋がりが無い場合もありますが。ああそうだ。どうぞ皆様応接室に。客人を立たせっぱなしにするなど言語道断です」


 色欲の悪魔がそう言った瞬間、彼の腕の中で赤ん坊がぐずり始めた。


「ああいけない。お食事の時間ですね。すいません少しの間お願いします」


「ふぇ?」


 アニタに自身のマスターを手渡し、青年は台所に走った。


「え。え??」


 託された少女は困惑した様子で仲間を見渡す。


「どどどどうしよう!? あかちゃんのあやし方なんてわかんないよぉ!」


「お、落ち着けアニタ! 大丈夫! 俺が交代するから」


 赤ん坊は「我、大変遺憾である」と泣く準備を済ませたようだ。

 すんでのところで黒髪の少年と交代する。

 シオンは幼児の背中を優しく叩きながらゆっくりと揺らし、息を大きく吸い込んだかと思えば子守唄を歌い始めた。


 しばらくすると、機嫌が直ったのかもちもちの顔に笑みが現れた。


「かわいい……」


「あ、静かになった。すごいね」


「弟と妹が小さい時よく子守してたんだぞ。同じ方法が通用する子で良かった」


「人の子って変な形してるな」


「——クコアも昔はこうでしたよ」


 いつの間にか、哺乳瓶を片手に持った色欲が戻ってきていた。

 彼は一礼してから乳児を抱き上げ、ミルクを与えながら話し続ける。


「ますたぁは今生後五ヶ月でいらっしゃいますが、クコアは生まれてすぐにこの重量まで成長して、煉獄中がてんやわんやで……ふふ、懐かしい」


 微笑みを絶やさずに、彼は少年達に話を振る。


「ますたぁを見てていただきありがとうございます。お礼になるかはわかりませんが、軽食をお出しします。苦手な食べ物等はありますか?」


「やったー! 俺はライスプディングくらいだな」


「特に無いよ」


「わたしも無いです」


「ガル兄ちゃんの料理なら無いよ」


「かしこまりました。応接室にご案内いたしますね」


 案内された部屋は茶色の布張りのソファに木の机、クリーム色の絨毯と落ち着いた色合いで統一された部屋だった。

 しばらくするとノックの音が響いた。


「どうぞ。ミレネー諸島風サンドイッチでございます」


 銀の皿の上には切り分けられたバゲットのサンドイッチが乗っている。

 その断面からは漬け焼きされた豚肉のスライス、ニンジンとダイコンの千切り、輪切りの唐辛子と香草が見えた。

 かぶりつけば魚醤の風味が口いっぱいに広がる。



 食事を終え、少年少女と色欲の悪魔は、ソファに座り対面した。

 口火を切ったのはシオンだった。


「まだ煉獄には帰れないって言ってたよな。その理由はその子か?」


「ええ。彼女がせめて自分で生活できるようになるまでは戻れません。従者としての責務ですから」


「おーん、この家とかはどうしたんだ?」


「こちらは、元々空き家だったのを譲っていただこうと交渉していましたら、居合わせた親切な方が買い与えてくださったのです。だからここは正式なますたぁのお屋敷ですよ」


 突っ込みどころが満載である。

 今この場に桃髪の少女がいたら、喉を枯らしていたかもしれない。


「……まあ、そういう事情なら仕方ないわな。ドゥジェンにはなんて言おう」


「オレが言っとくよ。どうせ用事終わったらすぐ帰るし」


「おお! 本当か!」


 シオンが破壊の頭を撫でると、彼は嫌そうな表情を浮かべたが、抵抗はしなかった。

 その様子を、色欲の悪魔は穏やかな笑みをたたえて見ていた。


 思い出したようにシオンが問いかける。


「そういや化けるってのは……なんのために?」


「私の本体はこの面や服を含めてでしてね。流石に外では目立つでしょう、毎日カーニバルというわけでも無いですし」


「なるほど……」



 話を聞き終えてお茶をご馳走になると、少年達は早々に屋敷を出た。

 行き先の予定上、足を早める必要があったのだ。


 色欲の悪魔に手を振って黒髪の少年は歩き始める。

 破壊と出会ったマクガーン領を超えて、次なる目的地は帝国の北端・ウォレス領。


 北の浮島への飛行船が出る、唯一の空港がある場所である。



「彼は……変わった子でしたね、ますたぁ」


「あぅ?」


 幼児のお気に入りのおもちゃを揺らしながら、色欲は少年の精神で見たものを思い出した。


 彼の心は広がるなだらかな草原の姿をしていた。

 そこを歩きながら少年の記憶を探っている時のことだ。


『こんにちは!』


 突如、明るい声音が聞こえた。


 声の主は風景の中に突如として現れた幼い少女だ。

 青い花冠を乗せた銀髪が陽光できらめいている。


「……こんにちは。何をしているのですか?」


『かれをまってるの! かれがここにくるのを、まつことしかできないから』


 笑いながら彼女はくるりと回った。

 その笑顔を見ながら、色欲の悪魔はとあることに気がついた。


 草原に散らばる記憶は明らかに数が足りない。

 そして、喜怒哀楽と分類された感情の内、「怒」と「哀」だけが見当たらなかった。それのように見える興奮や演技はあれど、少年の内から湧いたそれらの姿がない。


「これは、一体どうして」


 銀髪の少女は寂しそうな笑みで人差し指を立てた。


『ないしょ。かれがじぶんできづくまで、ないしょなの』


 そう呟く足元は、わずかに薄れ始めていた。




新年明けましておめでとうございます。なんとか『大罪人が語る夢』一周年を無事迎えられました。今年中の完結を目指したいと思います。

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