第三話 宝箱には宝石一つ
けたたましい小鳥のさえずりに起こされる。
「ん、うぅんー」
流れるような桃髪を揺らしながら、少女はテントの中で両腕を伸ばした。
彼女の呼び名はヴィー。
偽名である。
本人も偽名であることを隠す気は全くない。
財宝発掘屋という特殊な職業を考えれば妥当なことだからだ。
テントからのそのそと出る。まだ重たい眠気がまとわりついていた。
「顔洗おう……」
草をかき分けて川の淵へと近づくと、一人の少年が上半身裸で水浴びをしていた。
『あ』
こちらに気がついたのか、彼はわざとらしく高い声を上げる。
「きゃー! ヴィーのエッチー!」
「……うっざ」
「ひっど」
くつくつと笑う彼の名前はシオン。
本名である。
苗字は戸籍上存在するが、平民が生活する上で意識することは少ない。
普段身につけている赤いバンダナは外しているようだ。
ほどよく鍛えられた肢体が、惜しげも無く晒されている。
「タオル持って来ましょうか?」
「おん、頼むわ。ありがとうな」
「どういたしまして」
髪から滴る水滴が落ちて、彼の肩を伝う。
左の肩から肩甲骨にかけて、大きな模様が描かれていた。
いつもなら洋服で隠れている位置だ。
(炎と、一輪の花?)
ヴィーは刺青に詳しくない。
ただ、十五歳という年齢で彫っているのは稀であると思った。
朝の支度を済ませたヴィーがテントに戻ると、ちょうどシオンが鍋を火にかけていた。
「……あなた料理とかするの?」
「なんだよその顔」
「別に? 意外だったから」
「俺にも得意料理の一つぐらいはあるって……まぁ一つしかないけど」
鍋からはすでに良い香りが漂っている。
魚介類と干し肉がぶち込まれている鍋に、シオンは小さな味噌玉を投げ入れた。
食欲を刺激する香りが辺りに広がる。
得意料理というのは本当のようだ。
少女は自分の食器を鞄から取り出し、切り株に腰掛けた。
「ヴィーは料理できるのか?」
「は? できないけど?」
「えー」
「携帯食料があれば十分だもの」
腑に落ちないまま、シオンは彼女のお椀に汁をよそった。
「ほい。具沢山味噌ちゃんこ鍋だぞ!」
「ごった煮ってことね」
「おん」
鍋に灰が入らないように蓋をして、彼らは両手を合わせる。
『いただきます』
新緑の緑に囲まれながら朝食が始まった。
まずは一口汁だけ飲んでみる。
味噌の香りと具材の風味が、一気に口内に流れ込んだ。
「はぁ、美味しい……」
干し肉を噛むたび、脂の旨味が口の中に広がる。
白身魚は淡白な味で、ほどよいアクセントになっている。
暖かい日差しの下での温かい汁物。
これはこれでいいものだとヴィーは思った。
「魚介は昨日泊まった村で買ったのよね? 干し肉はどうしたの?」
「常備食は大切だぞ!」
「持ち歩いてるのね」
食事を存分に堪能したところで、二人は次の場所に歩いて行った。
ちょうど帝国の西端から中心へと向かっている。
まず、彼らは簡単な手続きを済ませて町に入った。
帝国内に残っている小国は名目上一つである。
しかし上級貴族の領地は、それ自体が一つの国のようになっているのだ。
「人が多いわね」
「休日だからな。広場で市場が開いてるみたいだ」
路地に入り、二人は空箱に腰掛けた。
人の大群が目線の先で流れていく。
人混みが苦手な桃髪の少女は顔をしかめ、黒髪の少年は無言で人々を観察している。
シオンは手帳を取り出し、日付と簡単な地図、町の第一印象を記入した。
そのまま市場の販売品を記録しようとするが、文字がいきなり掠れてしまう。
「あー、しまった」
「インク切れ?」
「前の村で文具店を探すの忘れてたんだよな……」
彼の言葉を受け、ヴィーは路地から顔を出して町中を探る。
目当てを見つけて、落ち込んでいるシオンのことに声をかけた。
「あったわ。多分あそこ、本屋兼文具屋ね。十字路の手前にある」
「マジで!?」
「復活するの早いわね」
彼女の判断通り、本のついでに文具を売っている店だった。
少年がインクを試し書きしている間、少女は暇つぶしに店内を回る。
ふとサバルトーラ教の聖典が目に入り、分厚いそれの革表紙をめくって目次を眺めた。
「『創世記』……楽園追放、ノアの箱舟。カインとアベル……」
淡々とした声で読み上げて、そっと表紙を閉じた。
幼い頃、飽きるほど読まされた内容だ。
部分的になら今でも暗唱できる。
静かな表情で見下ろしていると、背後から少年の声がした。
「ヴィー?」
「あら、もう買ったの」
「おん。そっちはどうする?」
「特に買う物は無いわ。結局藍色にしたの?」
「やっぱり慣れてる色がいいだろ?」
嬉しそうな彼につられてヴィーの表情も和らいだ。
店を出てすぐのベンチで、インクを万年筆に注ぎ込む。
慎重にキャップを閉じ、シオンはにっと口角を上げた。
「よしっ、できた」
「あら、これ郵便葉書?」
買い物袋からのぞいていた白い紙面を摘まみ上げる。
帝国の基準に則った通常葉書だ。
切手もすでにしっかりと貼ってある。
「おん。そうだぞ」
「随分とカラフルな切手ねぇ」
「綺麗だろ? この先にある山の紅葉だってさ」
「ふぅん。誰に送るの?」
「幼馴染に。定期的に送ってるんだ」
目を見開くヴィーを見て、シオンはへらりと笑った。
「帝都の外れ……別の領地との境目ぐらいに住んでる」
「ここからだと二週間ぐらいかかるわね」
「そうなんだ。久々に寄りたいんだけど、事前に伝えとかないと迷惑だろー?」
(多分、こいつに振り回されてきたんだろうな)
シオン自身が「顔が見たい」と言う幼馴染。
一体どんな人物なのか、ヴィーは頭の中で想像するしかない。
やはり歴史学を含む学問関係の知り合いなのだろうか。
不意に、彼女は気がついた。
「寄るだけ? 泊まりがけで話せばいいのに。積もる話もあるでしょ」
「……あー」
「もしかしてその人、人見知りなの?」
「…………おん、そんな感じ」
「あれだったら私手前の村に泊まっとくわよ」
「いや、ヴィーは良い奴だしな、きっと大丈夫だ。俺とヴィーの二人が泊まりたいって送っておく」
「そう? なんか悪いわね。そうだ! その人男の子? 女の子?」
「女の子だけど」
「ああ」
彼女の脳内で『楽園少女』がお土産である理由がやっと繋がった。
「でも、あなたに女の子の幼馴染ねぇ」
「なんでにやけてんだよ」
「いや。あなた研究・調査が楽しくて仕方ないって感じで、友達少なそうだと思ってたから」
「……ぐぬぅ」
「急にどうしたの」
「俺の歴史学の師匠が、その幼馴染の保護者」
「納得の交友関係ね」
否定しないところを見るに、友達が少ないのも図星であるようだ。
必要な備品を買い足してから、夕刻には町を出て、野宿することとなった。
勿論忘れずに郵便葉書を投函してからだ。
野宿を提案したのはヴィーの方である。
葉書に書いた予定日より遅れては申し訳ない。
道中、ザクロの花を見上げてシオンが呟いた。
「実が取れるのは秋だよな?」
「そうよ。まだ花が開いたばかりみたい」
「果物食べたい」
「あなたそういうのばっかりね……」
気楽な会話を楽しみながらも彼らは足を進める。
約二週間後、二人はある山の麓にたどり着いた。
チャカモコ山。
帝都の西の境界線。帝都と村落側の領地を大きく分断する象徴でもある。
少年少女は山麓にある村の井戸を借りて水筒を満たした。
「どのくらい登るの?」
「山の中腹までだ。木の根が多いから、足元には気をつけてな」
「わかったわ」
――とは言ったものの、その山はヴィーの想像以上に難儀であった。
山道は木の根と岩だらけで、人が通るには細すぎる獣道ばかりだ。
そもそもまともな整備の形跡さえない。
膝が笑わないように彼らは休み休み登り続ける。
途中雨に降られ、開けた場所に出た時、空には虹がかかっていた。
その虹の下、優しい色合いをした家を少年は指差す。
「あれだぞー」
「なんか……可愛いお家ね」
一人住まいにしては大きいが、下級貴族の屋敷ほどではない。
ベージュの壁に、ココア色の玄関扉と、落ち着いた赤色の屋根の家。
少女は昔帝都の玩具屋で見たドールハウスを思い出した。
シオンが駆け寄って扉をノックする。
「おーい。いるかー?」
幼馴染の名前を呼ぶも、返事が無い。
「アニター?」
彼はもう一度ノックする。
しばらくするとおずおずと扉が開かれた。
「シオン……?」
そこに立っていたのは、シオンと同年代の少女だった。
少し癖があるのか、空気を含んでふんわりと膨らんだ銀髪。
長い前髪が両目を完全に隠していて、その下にある目の色はわからない。
桜色の唇は緊張で閉ざされ、豊満な胸の前では固く拳を握っている。
そんな彼女の肌は透き通るような白だった。
訪問者がシオンだとわかると、安心したのか顔をほころばせた。
「ひ、久しぶりだね。ケガとかしてない?」
「キギッシェン! 健康体だぞ。安心しろ」
聞き慣れない単語だ。
聞き間違えたかとヴィーが不思議に思っていると、
「ヴィーさん、ですよね。あの、は、初めまして……」
耳まで赤くしたアニタが挨拶をしてくる。
他人に声をかける難易度が高いのか、シオンの背中に半分隠れている。
桃髪の少女は優しく微笑みを浮かべた。
「初めまして。お会いできて嬉しいです」
「あ、えと、わたしの方が年下だそうなので……敬語は、大丈夫です」
「そう? わかったわ。よろしくねアニタ」
「よっ……よろしくお願いします……」
銀髪の彼女は恥ずかしそうに目線を逸らした。
「あ、あそこがお風呂場で、ここがヴィーさんの寝室です。こっちは台所でリビングも兼ねてます」
少女の住む家を簡単に案内してもらう。
予想通り一人用にしては部屋が多い
しかし掃除こそ行き届いているが、使っている形跡は少なかった。
「アニタはここに一人で住んでるの?」
「はい」
「……家事も一人で?」
「え? はい」
「いい子ね」
「あ、ありがとうございます?」
突然頭を撫でられてアニタは戸惑う。
それでも親しい人の知り合いというのもあって、比較的早く慣れてきたようだ。
「ヴィーさんは紅茶はお好きですか?」
「ああ、お気遣いなく」
「いえいえ、高価な茶葉を貰ったんですが……一人だと勿体無くて飲みきれないので。せっかくですからお出ししますね」
そう言って彼女は台所の奥に入っていった。
その背中を見送ってから、ヴィーは穏やかな声音で呟く。
「可愛い子ね」
「だろ? あの子が俺の――唯一で、最愛の宝物だ」
シオンはなんでも無いことのようにそう口にした。
声音も表情も怖いくらいにいつも通りだ。
それでもヴィーにはそれが熱烈な愛の告白のように感じた。
熱湯で温めたポットとカップが運ばれてくる。
茶葉を入れてから慎重に湯を注ぐ。
白い陶器の中で、透明な湯がふわりと色づいた。
もう少し眺めていたくなるものの、それでは香りが飛ぶだけでなく、湯の温度も下がってしまう。
アニタはポットの蓋を閉めて、小さめの砂時計をくるりとひっくり返した。
「すぐにできますよ」
「ありがとう。楽しみだわ」
「……あの」
「ん? どうしたの?」
彼女はもじもじと俯いてから、恐る恐ると口を開いた。
「二人は、お、お付き合いしてたり、するんですか?」
『絶対にない!』
「そ、そうですか……」
二人の気迫に押されて銀髪の少女は引き、こっそり胸をなで下ろしていた。
紅茶がカップに注がれる。ヴィーは赤茶色の水面に写る自分の顔を見つめた。
猫舌のアニタは、紅茶に懸命に息を吹きかけている。
「ねぇアニタ。シオンって昔から変人なの?」
「それどういう意味?」
「まあ、そうですね」
「アニタ??」
「本人が楽しそうだから止めませんが、いつか大ケガするんじゃないかって。正直……すごく心配です」
「……こいつこの前命綱無しで崖登ってたわよ」
「流れるようにチクられた!?」
「えぇ!」
アニタは椅子から立ち上がって、シオンの肩を揺さぶる。
「なんで、そんな、危ないこと、するのぉ!」
「後で覚えてろよヴィー……」
「もう! 人の話を聞きなさい!」
彼の両頬を押さえ込んで、彼女は鼻を突き合わせた。
少女の豊かな胸がシオンに押し当てられる。
その感触に気づいた彼の顔は、可哀想なぐらい赤く染まった。
「ち、ちか、近いです、あのアニタさん」
「他の選択肢もあったはずでしょう? もうちょっと自分のことを大切に……ちょっとシオン聞いてるの?」
「あぅぅ」
ヴィーは助けを求める視線を無視して紅茶を啜る。
痴話喧嘩は、犬も食わない。
「このお茶美味しいわね」
「本当ですか? よかったぁ。おかわりありますからね」
「やったぁー」
「あぅぅぅぅ」
お茶会は穏やかな雰囲気で進む。
すぐに紅茶のカップは空っぽになった。
台所で、アニタは腕を組み仁王立ちをしている。
「うーん。どうしよう」
本人は真剣に悩んでいるのだが、その体制のせいでそうは見えない。
悩みの種は夕食の献立だ。
シオンもヴィーも食べられない物は特にない。
付き合いの長いシオンの好物は把握しているが、会ったばかりのヴィーには聞きそびれていた。
幸いにも先日麓の村で買い物をしたばかりで、食材は豊富にある。
(問題はお料理……)
今ある野菜はジャガイモ、ニンジン、キャベツ……。
「マスタードは無いけど、ポトフならできるかな?」
スープを決めてメインの考案に移る。
ポトフに牛肉を使う以上、魚料理にするべきだろうか。
大皿のメインを作るか、小皿で数を用意して、好きな物を摘めるようにするべきか。
「囲んでつつき合って食べるのは楽しい……けど、そういうの苦手な人もいるし」
「どうかしたの?」
「にゃっ!」
急に背後から声をかけられ、少女の肩が跳ねた。
(今にゃって言った……)
「あ、ヴィーさんでしたか」
「何か悩んでるの?」
「はい。あ、そうだ、ヴィーさんは大皿の料理を取り合うのって平気ですか?」
「ええ、むしろ好きよ」
「あと魚と肉ならどっちが好きですか?」
「うーん。そうね、その二択ならお肉かしら。鳥肉が好きね」
「鳥、肉」
彼女は伏し目がちに黙り込む。
変わらず目は見えないが、何かを考え込んでいるようだ。
「ア、アニタ?」
「……わかりました」
そう言うと少女は素朴なベージュのエプロンを手に取る。
エプロンの紐を結んでいるだけ、それだけなのに、声をかけるのをためらう張り詰めた雰囲気があった。
「あー……私荷解きしてくるわー」
ヴィーの言葉に小さく頷き、アニタは包丁を手に取った。
まずは泥を落としたニンジンとジャガイモの皮を剥いて乱切りにする。
冷蔵箱から牛肉を取り出し、大きめの塊に切り分ける。
それらの食材を鍋に流し込んで、塩をかけて火を付ける。
料理に使用するのは最新型の料理用レンジ。
密閉型の石炭レンジである。
この家を彼女に用意した養父、つまりはシオンの師匠が、一番奮発した代物だ。
ポトフの用意を済ませ、続いて鳥肉の塊をまな板の上に転がした。
丸々一羽分のそれを慣れた調子で解体していく。
各部位に分け終えると、もも肉に醤油とニンニクのすりおろしを揉み込み、浅い鍋に油を注いで素揚げにする。
中火でじっくりと揚げている間に、自家製の甘酢でたれを作る。
その合間を縫って、ポトフの鍋にローリエを投げ込んだ。
小さい鍋を出して水を入れ、他の部位は調味料と米と一緒に炊く。
もも肉を同じく素揚げにしたタマネギ・ピーマンとたれを絡めて皿に盛り付ける。
残った手羽先はハーブと塩をかけて、食べる直前に焼くことにした。
「ふぅ……」
一息ついてから、ポトフの火を弱める。
蓋を開けてみるとたっぷりの煮汁が出ていた。
味見用に小皿に煮汁を掬って、少量口に含んでみる。
「ん、よかった。美味しくできてる」
ふわりと微笑むアニタの元にシオンが走ってきた。
「美味そうな匂いだな!」
「ふふ、一口飲んでみる?」
「おん!」
少年に手渡そうと小皿を差し出した時、かさついた指先が触れる。
小皿を受け取った彼はそのままぐいっと飲み干した。
「うん! やっぱりアニタの料理は美味いな!」
「……そう、かな」
どもりながらアニタはポトフの鍋に蓋をした。
「ご飯が炊けたら呼ぶね」
「わかったぞ」
いなくなった背中を見ながら、自分の指を包むように撫でる。
シオンのものとは全く違う、頼りない柔らかさがあった。
――予期せぬ接触。
それだけと言ってしまえばそれだけのこと。しかし、
「…………自分から触るのは平気なのにぃ」
脇の髪で赤くなった頰を隠して、少女はその場にしゃがみ込んだ。
うるさい拍動が、耳の奥で規則正しく繰り返している。
ふと脳裏にヴィーの姿が浮かぶ。
まさか幼馴染に異性の知り合いがいるとは思わず、葉書を読んだ後、養父に手紙で相談したところ、『恋人じゃねェの』と返され、内心とても戸惑っていたのだ。
けれど二人揃ってそれを否定した。
その時、思わず安堵したことが、彼女は嫌で仕方がなかった。
(……わたしはただの幼馴染なんだから。シオンが誰と、れ、恋愛関係になったって……口出ししていいわけがないでしょ)
彼女は彼への恋心を自覚して以来、ずっとそう言い聞かせてきた。
これからもそうするものだと疑っていなかった。
少年との心地良い関係を壊したくはなかったのだ。
なお、自分の弟子の異性交遊について聞かれた師匠は、色々な可能性を考察した上で、アニタに対して『大人のお付き合い』について説明するのが面倒で、『恋人』と適当に言っただけである。
鍋の蓋を開けると、柔らかな香りが漂った。
柔らかくなった鳥肉をほぐしながらご飯に混ぜる。
炊き込みご飯とポトフを三人分の食器に取り分けて、おかずも大皿に盛りつける。
箸休め用のピクルスやコールスローも卓上に置かれた。
「これで全部です」
「あらら。すごい豪華じゃないの」
「ふぉぉぉ! 美味そう!」
「お口に合うといいんですが……」
旅人のヴィーとシオンにとっては、素晴らしいご馳走である。
それでも少女はもっと種類を作ればよかったと反省しているようだ。
シオンは手羽先から、ヴィーは炊き込みご飯から、アニタは甘酢和えから食べ始めた。
どれも家庭料理ではあるが、懐かしさを感じる安定した美味さがある。
二人は褒めちぎりながらも食べる手を止めない。
それを見てアニタはこっそり微笑んだ。
食後の歓談中、不意に銀髪の少女は顔をしかめて立ち上がった。
「ちょっと失礼します」
彼女はそのまま慌てた様子で廊下に出て行く。
「どうしたのかしら」
「目にゴミでも入ったんだろ」
彼女が出て行ってからそうしない内に、ヴィーは下腹部の圧迫感に気がついた。
「お手洗い借りるわね」
「おんっ」
台所を出ると、扉が両側に一つずつある。
「これは、どっちかしら?」
勘で左の扉を開けた途端、涼しい風が頰を撫でる。
どうやら庭に通じる扉だったらしい。
「間違えちゃったわ……」
頭を掻くヴィーの耳に、ぱしゃりと水の滴る音が聞こえる。
少し先の井戸でアニタが顔を洗っているようだ。
「ごめんアニタ。お手洗いってど、こ……」
ヴィーの言葉は尻すぼみになっていった。
それというのも、反射的に顔をあげた少女の、両目が見えたからだ。
顔を洗う際に邪魔になるからか、長い前髪はピンでとめてある。
露わになった彼女の眼球は、文字通りのブルーサファイアでできていた。
(義眼……じゃないわね)
正真正銘の宝石。
その目を有する少女の顔は、気の毒なほど青ざめている。
ヴィーが口を開こうとした時、
「っ!!」
彼女はすぐさま下腹部を押さえつけることになった。
ぷるぷる震えながら尿意を耐え、アニタに真剣な顔で問いかける。
「お手洗いってどこ!?」
「あ、水色の小窓がついてる方です!」
「ありがと!」
駆け出した客人のことを、銀髪の少女は不安な表情で見送った。
安堵したような表情でヴィーは席に戻った。
「はー、すっきりした」
「ヴィー」
すでにアニタの姿は無く、シオンだけが残っていた。
「……説明してくれるなら、聞くわよ」
「わかった。なぁ、ヴィーは、華玉の人権問題って知ってるか?」
「ええ知ってるわ」
——華玉。
涙が宝石に変わるという人科亜種の一種族。
彼らは人類の歴史上、長らく下等な家畜として飼育されてきた。
ほんの数年前までは、貴族に人気の愛玩動物だったのだ。
しかし七年前突如として、先代皇帝が華玉の人権を認める法律を発布した。
当時、貴族の元にいた華玉が次々に自殺し、その姿を人前から消したというのに。
「すでに絶滅した種族に人権を与えるなんて、無意味じゃないかって批判されたわよね」
「そう。それが、世間一般の常識だよな」
「……待って、まさか」
「――アニタは、人権が保障された最後の華玉なんだ」
真面目な顔で彼は続けた。
「生き残りとして保護された後、俺の師匠の法律上の娘ってことになってる。アニタ以外は全滅しているから、世間が絶滅したと勘違いしてるのも、まあ、しょうがないのかもな」
アニタの存在を公表した場合、彼女は今のような生活はできないだろう。
山奥に隠れるように暮らす理由を想像するのは容易だ。
「それでさ、ヴィー」
「何よ」
「これを聞いて、おまえはどうする」
口は笑っているが、目はヴィーのことを冷静に観察している。
殺意も害意も悪意も無く、ただ一挙一動の全てを逐一見られている。
なぜか少女は鳥肌が止まらなかった。
「……どうって。何もしないわよ。ああ、食事と宿泊のお礼は言うけどね」
アニタの事情を聞いたところで、非合法な奴隷商人に売る気も、宝石を手に入れようとも思わなかった。
ヴィーはあくまでも財宝発掘屋。
見つけ出して保全するのが仕事であって、財宝が欲しいわけではない。
「そうか。あ、そうだ。その礼がてら『楽園乙女』届けてきてくれ」
「軽っ」
「一番右奥の部屋なー」
困り顔のまま、彼女は木製の扉の前に立つ。
「アニタ。少しいいかしら」
気配こそあるが返事が無い。顔を合わせずらい気持ちは十分に察せられる。
「食事とっても美味しかったわ、ありがとう。シオンからお土産を預かってきたの。扉の下に置いとくわね」
彼女が雑誌を差し込もうとした時、ゆっくりと扉が開いた。
肩を震わせながら、アニタは彼女を室内に招き入れる。
膝を突き合わせて座るとすぐに少女は頭を下げた。
「む、無視してごめんなさい……!」
「そんな、いいのよ別に」
ヴィーは少女の頭を優しく撫でる。
滑らかな銀髪がわずかに乱れた。
「はいお土産ですって」
色彩豊かな表紙の雑誌を受け取り、アニタはペラペラとめくっていく。
「あ……このお洋服かわいい」
「その雑誌好きなの?」
「かわいい絵がたくさん載ってるので。わたし達華玉は、文字が読めないんです」
「文字が?」
「意味あるものとして認識できない、って感じでしょうか。だから絵を楽しんでます。もっとも、細かい色は……わからないんですけどね」
「そうなの?」
「はい。まだ理由はわかってないんですけど、目の宝石の同系色以外は白黒で見えてます」
「へぇ……」
雑誌の絵を一緒に眺めつつ、二人は語り合った。
内容はとりとめのない日々の生活のことが大半だ。
「いつも買い物に行く時、目はどうやって隠してるの?」
「深めのフードを被ってます」
「それなら、良ければなんだけど、これどうかしら」
「黒い布? すごい軽いですね」
「そうそう。これなんだけど、そっちから私のこと見てみて」
「……全然透けないです」
「でしょ? 裏返してみて?」
言われた通りに裏返すと、先ほどまで全く見えなかったはずの、ヴィーの姿が透けていた。
「砂漠の踊り子が使う布よ。それを巻いて隠したら、ちょっとは安心じゃないかしら」
「い、いいんですか? 貴重なものでは?」
「いいわよ。驚かせたお詫び」
「ありがとうございます!」
(代金はシオンから貰おう)
「ハックション!!」
「ねぇアニタ、シオンが言ってた『キギッシェン』って何のこと?」
「あれはシオンの故郷の言葉で『会えて嬉しい』だそうですよ。昔からよく言ってくれるんです」
朗らかに笑う少女を見ていたヴィーは、少しだけ踏み込むことにした。
「ねぇ、シオンのこと好き?」
「はい。好きですよ」
「あ、あら?」
あまりにもあっさり肯定され、肩透かしをくらう。
「……恋愛感情があるかって意味で聞いたのだけど」
「え。えええええぇぇぇぇぇっ!!」
「で、どう?」
「にぅ……」
髪で頰を覆ってアニタは呻く。悶えながらも控えめに囁いた。
「す、好き、ですよ?」
「ふぅん。告白とかしないの?」
明るい調子で尋ねた彼女に対し、銀髪の少女は顔色を暗くした。
「多分、シオンはわたしのこと……妹みたいな存在だと思ってるから……」
消えそうなか細い声も、間近にいるヴィーにはしっかり聞こえていた。
「でもあいつあなたのこと『宝物』って言ってたわよ」
「えっ」
予想外だったのか、茹だるように少女の顔が赤くなる。
「う、嘘……」
「あら、本当よ?」
「にゅぅぅぅぅ」
初々しい反応に思わず口角が上がる。
できればもっと詳しく聞きたいところだが、あまり嫌われたくはない。
立ち去る瞬間、振り返ってヴィーはにまついた。
「教えてくれてありがとう。シオンには秘密にしとくわ」
「……お願いします」
ヴィーとシオンが自分の寝室に戻った頃。
アニタは廊下を静かに歩いていた。
まだ少しばかりほてっている頰を手でさする。
……――宝物。
彼がそう思ってくれているなら、とても嬉しいと同時に照れ臭い。
今朝磨いたばかりの窓から月を仰ぎ、アニタは寂しそうな顔で呟いた。
「それでも……宝箱の中じゃなくて、あなたの隣に行きたいなぁ」
彼女にとっては贅沢で、口に出すのもはばかられる、小さな望み。
それを直接シオンに伝える勇気は、まだ彼女には無かった。
夜間、しっかりとしたノックの音が響く。
「ちょっと失礼。シオン、入ってもいいかしら?」
「いいぞー」
部屋に入ると、ちょうど少年は飲み物を口にしてところだった。
それを見はからって、ヴィーは彼に話しかける。
「ねぇ、シオン」
「んー?」
「キギッシェン」
「ブッフォッ!」
「ってどういう意味?」
彼は水が気管に入ったのかむせている。
「きゅ、急に何だ?」
「その様子じゃあ、ただの『会えて嬉しい』じゃなさそうねぇ?」
「うっ。アニタに聞いたのか」
「で、どういう意味なのよ?」
「教えるから……アニタには秘密にしてくれねぇか」
「次行く町では一日荷物係ね」
「…………う、了解」
少女は不躾にシオンの寝台に座る。
小首を傾げながら彼は喋り始めた。
「そうだなー。帝国の標準語に無理に翻訳すると……『あなたがこの世界に生まれたことを神に感謝して、毎朝起きる度にあなたの瞼に接吻がしたい』ていう意味だな」
「……重い」
愛が、という言葉は何とか飲み込んだ。
「というか帝国の標準語って。あなた海外出身だったの?」
「いいや? 帝国生まれの帝国育ちだ!」
「……方言?」
これ以上突き詰めるのはやめておけと、ヴィーの直感が言っていた。
彼女はさりげなく話題を変更する。
「さっきアニタのこと宝物って言ってたわよね。あれはどういうこと?」
「文字通りの意味だぞ」
珍しく微笑みながら少年は追想した。
今でもはっきりと覚えている。
自分の師に連れて行かれた先で、彼は彼女にーー一生の宝物に出会ったのだ。
壁、天井に床、そして家具さえも全てが白で統一された部屋。
そこには清潔感というより、どこか不安を煽る雰囲気が漂っている。
師匠の大きな手に背中を押されて、シオンはそこに足を踏み入れた。
同時に幼い少女が顔をあげる。
遊んでいたのか、手の中には白いウサギのぬいぐるみがある。
シオンの間抜け面が、彼女の青い眼にはっきりと写り込んでいた。
宝石の目を瞬かせる少女に、隣にいる師匠が呼びかける。
心なしか普段発する声よりも、ゆったりとした優しいものだった。
『今日からこいつがお前さんの遊び相手だ。年は多分近い。名前はシオン。仲良くしろよ』
『なっ、おい、ししょー! 勝手に話進めんな!』
慌てるシオンの手を、華奢な両手が包み込む。
『あのね、あのね、わたしアニタ! あそびあいて? ってなにするの?』
桜色の唇が嬉しそうにほころんでいる。
無機質なのに優しさの滲む彼女の瞳が、少年はとても美しいと思った。
『キギッシェン……』
『きいっちぇん?』
少女は首を傾げる。
『あ、えっと』
意味を伝えようとしたが、なぜか気まずくなり、そっと目をそらす。
彼女は彼の近くに回り込んで、おずおずと見上げて来た。
先ほどよりも格段に顔が近い。
『きっ』
『き?』
『君に、会えて嬉しいって言ったんだ』
それは彼が人生で初めてついた嘘だった。
しばらくしてシオンは原稿の執筆に戻っていた。
十本の指が印字機の上を迷うこと無く動いている。
こうなると時折本棚の資料を確認する以外は席から離れない。
出て行けと言われなかったため、ヴィーは堂々と部屋に居座っている。
何かに夢中になっている人の様子というのは、それだけで見てて面白いものだ。
手帳三冊分の情報をまとめ終えてから、彼は固まりかけていた背中と肩を伸ばした。
「あー、終わったー」
「お疲れ様」
「めっちゃ疲れた……ヴィー膝枕してくんね?」
「今際の際にしてあげるわよ」
「えー。ばあちゃんの膝枕もそれはそれで癒されるけど、俺が今欲しいのとは違う……」
その発言にヴィーは片眉を上げた。
「あなた……」
声をかけようとするも、原稿の推敲に意識を集中させているようだ。
彼女はため息を吐いて部屋から出た。
厳しい目つきのまま静かに扉を閉める。
廊下を歩いている間、先ほどのシオンの言葉を考え直していた。
(……しわくちゃの老人になるまで生きられると、逃げ切れると本気で思っているのか)
華玉を含めた人類亜種以外にも、帝国には様々な問題が存在している。
この国において彼の純真無垢な好奇心は、ただの犯罪行為なのだ。
歴史の編纂は、人を集められる権力者にのみ許された特権。
それを個人でやることは――死刑に直結する重罪である。
今世の中に出回っている論文は、国立科学研究所から出る検閲済みの出版物か、禁書の写しが闇市で売られているかであった。
勿論こうした状況に意見する人々もいるが、まだ法の改正までは至っていない。
博識な彼がそのことを知らないとは思えなかった。
一歩間違えれば、待つのは確実な死。
なのに、シオンはああして笑っている。
その底の知れなさが、ヴィーはまだ理解できずにいた。
様々な人の思惑を乗せて夜は更けていく。
答えが欲しいのならば、自分で行動する他ない。
流れる時間は決して、人を待ちはしないのだから。




