幕間・狼藉者と、その末路
これはちょっとしたこぼれ話である。
歴史どころか誰かの日誌や噂話にすら残らぬであろう小さな出来事。
その舞台は二つの村が溶け落ちた六十年前まで遡る。
怠惰の悪魔を連れた男は、森の中で不満そうに足を組んでいた。
彼の視線の先には、少年・シャンが見た時よりも縮んだ怠惰がいる。
形状はエイをそのまま小さくしたような、所謂、省エネモードというやつだ。
「おい、怠惰ぁ。次はうまくやれよ?」
悪魔は意図的にマスターの声がけを無視した。
理由は単純で、面倒臭いからだ。
それがわかった男は立ち上がると、舌打ち交じりに怠惰を蹴り飛ばした。
目立った抵抗は無く、それはぶにぶにと揺れながら転がって行く。
「はぁ……全く。エネルギーが溜まったら、すぐにでも隣の領邦に行くからな! なんでもでかい財宝を隠し持ってるって噂だ」
返答は無かった。
彼は悪魔に構うのを止めて、隣、すなわちマクガーン領の宝について思いを馳せている。
そんな中で事は起きた。
つうっと男の口の端を水滴が伝っていく。
木の葉の雫でも垂れたかと拭けば、そこには濁った赤色があった。
「ご、ぶ?」
どぷりと体内から血液がせり上がる。
彼には全く状況がつかめない。
恐る恐る視線を下げると、刃物が深々と刺さっているかのような傷口があった。
一つ、二つ、胸の周りに切り傷が増えていく。凶器の姿はどこにもない。
「ひっ、た、助け」
膝をついて振り返った先で、本来の姿に戻った怠惰の悪魔が言った。
「お前の足、臭い」
少しだけ思い出してみてほしい。
初代皇帝と孤独の悪魔の約定に伴った召喚で無いと、自動的にマスターの寿命は削れていく。
しかし不思議なことに、多くの召喚者は自分の人生がまだ先まであると考えている。
確かに人類全体の平均寿命は伸びているがこの場合は関係ない。
本来であれば、少し先で回収されるはずの因果が早まった。
それだけのこと。
その結果訪れるのが死であるというだけだ。
(ふぅん……刺殺で死ぬ……予定……だったんだぁ)
気だるげにそう考えながら首を捻る。
そう今の怠惰には首があるのだ。
半透明なエイのエラの途中辺りから女性の胴体が生えている。
まろやかな曲線が返ってその異様さを際立たせた。
悪魔はふよふよと男の側により、指先でその胸元の血を拭った。
彼女の特徴として、マスターの意思がなくとも、その血液さえあれば、扉を呼び出して煉獄に戻ることができるのだ。
労力を費やしたくなかったため、ここまで召喚者の足の臭さに耐えていたのだが。
(んー……無垢ちゃん怒るかにゃー……まぁ、どうでもいいか……)
一瞬だけ脳裏に「因果律をむやみに乱すなと言っているでしょう?」と黒い笑みを浮かべる彼女がよぎったが、説教されたらその時はその時だ。
(……どのみち、おとなりさんにはぁ……破壊ちゃんがいるっぽいしぃ?)
森の向こう側から冷たい氷のような殺気が流れてくる。
ぼんやりした表情のまま怠惰は不思議に思う。これは何に対して怒っているのか。
探知能力の劣る自分でさえわかるほどの気迫である。
(まぁ……どうでもいいやー)
どのみち彼女と破壊の悪魔では能力の相性が悪すぎる。
無駄に戦わずに済むなら、それに越したことはないだろう。
怠惰の悪魔はその名の通り、面倒事を好まない。




