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第一話・ひとりとひとりとひとりの再始動



 教会内に二人分の足音が響き渡る。


 焦りからか銀髪の少女は息を乱し、その隣で青年が鼻をひくつかせて廊下を曲がった。


 不意に彼らの視界で何かが光る。

 思わずアニタは大切な幼馴染の名前を叫んだ。


「シオン!」


 床に横たわる少年から返事はない。

 開きっぱなしの扉の一歩先で、彼はゆっくりと息をしていた。


 その眠りを守るかのように、不可思議な膜がシオンを覆っていた。


 すぐそばに血のついたナイフが転がっている。

 しかし彼に怪我は見受けられなかった。


 慌てて駆け寄った二人には、何が起きているのかわからず、ただ困惑するしかなかった。



 遡ること一時間前のことだ。


「貴女……その姿は?」


「ああ、これは借り物だ」


 先刻とは打って変わった中性的な口調で、少女は微笑むように目を細めた。


 彼女を包む黒いマントは裾が破れ、頼りなく揺らめいている。


 同じ色のペストマスクも、本来なら目を覆う部分が割れて、顔の上半分を露出している。


「マスターから賜った、大切な借り物さ」


 小さく頷いて、司祭は静々と頭を下げた。


「お目にかかれて光栄です。悪魔の首魁、孤独の悪魔・アダム」


「伝聞の記述のような大層な者ではないよ」


 淡々とした声音がマスクでくぐもって聞こえる。

 微笑みを絶やさぬ聖人に、悪魔は片手を差し出した。


「魔術人形に込めた魔力の回収に来た」


 それはつまり、人形の稼働を停止するという宣言だった。


「今の世に余計な混乱を招く代物は回収するべきだろう。ましてや、私とあの皇帝との約定も、随分と忘れられてしまったようだ」


 ヴィーは——アダムはそっと目を伏せた。



 帝国の初代皇帝との約定に伴った召喚で無い場合、悪魔がこの世界で肉体を維持するためのエネルギーは、マスターの寿命から搾取される。


 しかし、今約定通りに召喚されているのは片手で数える程度である。


 強欲の悪魔がシオンにナイフだけ渡し煉獄に戻っているのも、ひとえに召喚方法が約定に伴っていないからだ。


「……この体も、そろそろ保たない。次召喚されるのもいつかわからない。それを止められるのは、今しかないのだ」


 苦しげにうつむきながら悪魔はそう続ける。

 淡々とした声音は、人形への同情心を押さえ込んでいるためなのか。


 アン司祭が口を開く前に、魔術人形は膝をついた。


 まるで敬意を表するように、それは自らこうべを垂れる。

 アダムは一瞬目を見開き、そっとその頭を撫でた。


 柔らかな優しい眼差しで、マントの裾を掴む。


「ここまでよく働いたね。お前はもう自由だよ」


 布はその姿を変える。

 孤独の悪魔は黒い剣を握りしめ、人形の白い面を真っ二つに切り裂いた。


 床に落ちたマスクは硬い音を立てて消える。


 動かなくなった長身を、司祭は抱きかかえて目を閉じた。

 悪魔はしばし悩んでから彼に声をかけた。


「二つ、頼みがある」


「はい。なんでしょう?」


「一つ、私が現れたことは他言無用。二つ、あの少年を含む三人を、無事ここから出立させてほしい」


「わかりました。確かにお約束致しましょう」


 アダムは肩の力を抜き、服の中から小さなペンダントを取り出す。

 そこには赤黒い液体が入っていた。


 雫型のそれを指先で割ると、教会の床に魔術陣が光りだす。

 光の線で描かれた幾何学模様が浮き上がり、真ん中に黒い扉が現れた。


 それを見上げる少女の頰に、ぴしりとヒビが入った。




 シオンを覆う膜が破れ、儚い蝶に変わる。

 少年少女がそれに触れた時、脳内に聞き慣れた声が響いた。



 ——さらばだ友よ。君らとの出会いは私にとって、まさしく幸福だった。




 雨が降り始める。宿屋の受付係は不機嫌そうに眉根を寄せた。


 不意に木製の扉が開く。


 入って来たのは前髪の長い少女と、美麗な青年、そして彼に背負われている黒髪の少年だった。

 道中雨に打たれたのか髪から水滴がこぼれている。


「らっしゃい。三人?」


「あ……はい、三人です……」


 銀髪の少女はどこか寂しげに顔を伏せた。



 彼らはあの蝶に触れたことで、ヴィーが悪魔だったこと、そして今さっき煉獄へ行ってしまった——帰ってしまったことを、否応無しに理解できた。

 強制的な実感と言うべきだろうか。


 しかし、それで感情の整理がつくかどうかは別である。


 予期せぬ形で旅の仲間が離脱した。

 その現実から目を背けるように、アニタとオリバーはいつも通りの世間話をしていた。


「あ、そうだ。今日の夕ご飯どうしましょう」


「僕がやるよ。ここの台所使って良いってさ」


「本当ですか? ありがとうございます!」


「うん。アニタちゃんはシオンのこと見てて」


「はい!」


 ふわふわと笑う彼女につられて、オリバーはわずかに口角を上げた。


 台所に踏み入り、まず髪を結わえ直す。


 タマネギとニンジン、鶏肉をざくざくと切る。

 そのまま弱火で煮込んでいる間に、トマトとパプリカをダイス状に、香草とニンニクはみじん切りにしておく。


 鶏肉を取り出し、トマトとニンニクを鍋に足して更に煮る。

 残りのタマネギのみじん切りをフライパンで炒めて、白身魚、ニンニク、唐辛子、酢と水を入れて煮込んでしばし放置。


 鍋にほぐした鶏肉と香草を加えて火を止め、ライムを絞り、塩で味を整える。

 スライスしたライムを乗せておけばライムのスープは完成だ


 魚の方はそのままオーブンで焼けば漬け焼き風になる。


「……あれ?」


 軽く首をひねる。何かが足りない。


「あ、ご飯炊いてない」


 主食を忘れるという人生初の経験に、思わず青年の表情に驚きが滲む。


 心配そうに見上げてくるエラムには角砂糖を押し付けた。


 精霊は穏やかな顔で、そっと砂糖に歯を立てた。



 魚の焼ける香りが漂い始めると、廊下をバタバタと走る音がした。


「美味そうな匂いだな!」


「相変わらず鼻が良いね。シオン」


 彼の後ろから少女もひょこりと顔を出した。少年は楽しそうに体を左右に揺らしている。

 思わずアニタとオリバーは顔を見合わせて笑みを浮かべた。



 食後、唐突にシオンが笑みを浮かべた。


 大仰に両手を大きく開いて口を開く。


「あいつが羨ましがるくらい、たくさんの土産話を持って行こう!」


 思わず間の抜けた顔をする二人と一頭に、彼は言葉を続けた。


「ヴィーは俺らと会わないとは言ってねぇよな? なら、友達に会いに行くのに、会いたいから以上の理由がいるか?」


 まさに猪突猛進。

 どこまでも愚直な彼に対し、仲間達は笑い声を上げた。


 それは決して嘲笑では無かった。




 次に行く領邦の相談が終わってから、シオンは寝室に戻った。


 ふと机の上に置いた書きかけの原稿が目に入る。


「……絶対会いに行くし、絶対見せるさ」



 あの日、何でもない彼らの日常の中で、


『しょうがないわね。初稿ができたら、誤字脱字の確認くらいはしてあげるわよ』


 桃髪の彼女は、安堵するかのように笑っていたのだから。



 どこか遠くを見つめるような無表情で、少年はただ淡々と呟いた。


「優しいお前が、嘘つきになるのは嫌なんだよ」




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