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幕間・小さな英雄



 宿の台所では、アニタは夕飯の支度をしていた。


 明日の朝には発つため、持ち運びしにくい食材は使ってしまわなくてはならない。


 メインを何にするか考えながら、彼女はドレッシングを作っていた。

 炒めた玉ねぎと醤油、酢、砂糖を混ぜ、細かく刻んだ梅干しを加える。


(梅干しも残り少ないな……次の街にあったら買いたそう)


 隣ではヴィーが黙々と葉物をちぎっている。

 切ったり焼いたりはできないがこれならばと手伝いに来たのだ。


 サラダの盛り付けは彼女に任せて、アニタはセロリの筋取りを始めた。

 どうやら昨日食べたセロリのきんぴら風に挑戦するつもりらしい。


 ふと、ヴィーが不思議そうに尋ねる。


「アニタって、いつから料理するようになったの?」


「いつから、ですか?」


「そう、いつも手際が良いから、どれぐらいの年から練習してるのか気になっちゃって」


「うーん」


 アニタは困り顔で首をひねる。


(多分……あの時からだよね)


 脳裏に浮かんだ思い出に、少女はついつい笑みがこぼれた。




    × × ×




 それは銀髪の少女が白い部屋で暮らしていた頃のこと。


 彼女の見知った男性が、一人の少年を連れて来た。


 男性は今彼女が手にしているウサギのぬいぐるみをくれた人であり、他ならぬ母を殺した人物でもある。

 どこか遠巻きに苦しげな視線を投げかける白衣の人々とは違って、彼はどうして母が死んだのかを教えてくれた。


 少女がそれを望んだからだ。



 この世界では、実際に発掘される宝石は非常に価値が高い。

 家畜であった華玉の存在が天然物の価値を押し上げているのだ。


 アニタとその母を飼っていた領主は、天然物と偽って大量のルビー、それも産出が稀な鋼玉の変種であるスタールビーを売り出していた。


 そして領地の鉱山がもう枯渇していることが露見し、監査が入る直前に母の暴走が起きた。


『おそらく領主が監査前にお前達を処分しようとしたんだろう』


 謝罪は簡潔なものだったが、彼は少し前まで家畜だった彼女に、深々と頭を下げた。

 許して欲しいとも、恨んでくれとも言わなかった。


 だからアニタは彼に、


『おかあさんを、たすけてくれてありがとう』


 心の底から感謝した。


 許す以前に、彼のことを憎んでなどいなかったのだ。

 最後に見た母親の顔はとても穏やかだったから。


 男はどこか悲しそうに笑い、外に出れるようになったら必ず、母の墓に連れて行くと約束してくれた。



 そんな彼の隣で、男の子はぽかんと口を開けていた。


 彼の背中を軽く押して、老年の男性は微笑む。

 優しく明るい笑みだった。


「今日からこいつがお前さんの遊び相手だ。年は多分近い。名前はシオン。仲良くしろよ」


「なっ、おい、ししょー! 勝手に話進めんな!」


 遊び相手。

 それは少女が知らない響きだったが、それはきっと良い言葉なのだろう。


 アニタは思わず駆け寄って少年の手を握った。


 自分と違い少し固い手のひらをよく覚えている。



 シオンと呼ばれた少年は表情が乏しかった。

 初めて会った時以来、眉根を寄せた厳しい顔しか見たことがない。


 口数も少なく、彼の師がいる時以外は、必要最低限のことしか喋らない。


 しかし好意的ではあるようで、彼はアニタに点字の読み方を教えてくれた。

 そのお礼に一度だけシオンの似顔絵を描いた時は、無言で頰を撫でられた。


 少年はいつも昼過ぎに連れてこられて、夕方に回収されて行く。



 しかしその日は珍しく午前中にひょっこり現れた。

 師匠の遣いついでに立ち寄ったらしい。


 一緒に雑誌の切り抜きを画用紙に貼って遊んでいると、昼食の時間になった。


 慌ててアニタは机の上から小さな紙袋と水筒を取ってきた。

 紙袋には今日の日付が書かれている。


「……それ何」


「ごはんだよ?」


 紙袋の中から、数粒の錠剤と棒状の携帯食が出てくる。

 少女は慣れた様子で栄養剤を飲み込んだ。


 少年は怪訝そうな態度で小首を傾げた。


「毎食?」


「え、うん」


「他のもんは食っちゃだめなの?」


「んとね、なにがどくになるかわかんないんだって。たまにアメちゃんくれるひとは、だいじょぶなのになーってゆってた」


 それを聞いてシオンはしばし押し黙る。


 少女が食事を終えた辺りで立ち上がり、「俺も昼飯」と言い残して去って行った。


 本当はもう少し遊びたかったが、アニタはその後ろ姿に手を振った。



 一時間程経った時、少年は再び現れた。

 その手には小鍋と皿が二枚、そしてスプーンが二本。


 きょとんとしている少女に対し、じわじわと顔を赤くした後で、シオンは口を開いた。


「た、食べよう、一緒に」


 小鍋の蓋を開けると、湯気と共に良い香りが流れて来た。


「チーズリゾット作ってもらった。これなら分けても良いって」


「ちーず……」


「美味い食べ物」


「ほほぅ」


 とろみのある汁に包まれた米粒が皿に盛られる。


「その、まだ熱いから気をつけてな。あと、急に食べ過ぎるとお腹壊すかもだから、まずはこれだけだぞ!」


「わかった!」


 いつになく明るく喋る彼に驚きながら、アニタは皿とスプーンを受け取る。


 恐る恐る口に運んでから、少女は目を見開いた。

 そこにはこれまでの人生で食べたことの無い温もりがあった。


 そっと咀嚼してみると、じんわりと塩気が広がる。

 とろっとした汁部分には甘みもあり、米は固くないのにしっかりとした歯触りがある。


 ゆっくりと食べ進める少女を見てシオンは神妙な顔で問う。


「ど、どうだ?」


 少し考えてから彼女は口元を緩ませる。


「くちのなかが、おもしろいねぇ」


 にこにこと笑う様子にほっと胸を撫で下ろし、少年はようやく自分の分に手をつけた。


 運んでる最中にわざと遠回りして冷ましてあるが、それでも口に入れると熱さを感じる。

 チーズ自体の味を堪能できるように、薄目の味付けになっていた。


「おん、美味い」


 その時アニタは初めて、シオンの笑顔を見た。

 柔らかい花びらが開くようなそれに、なぜか彼女の心臓が跳ねた。


 誤魔化すようにリゾットを掬いながら少女は考える。


 ——わたしが作っても、彼はそうやって笑ってくれるかな。




     × × ×




 我ながら単純な理由だと思いながら、アニタは卓上に副菜を並べる。


 その後、シオンの師匠・バゼットは彼女の養父になり、頼むんでみると点字訳つきの料理本を買い与えてくれた上、料理の先生まで紹介してもらった。

 簡単な物から試して練習する内に、気がつけば料理自体が好きになっていたのだ。


 照れ臭い気持ちを払うように顔を上げる。


「決めました!」


「え何が?」


 戸惑うヴィーの方に振り返ると、豊かな銀髪が波打った。



「今夜はリゾットにします!」




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