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第二話 暴食はかく語りき


「暴食のアクルト。ここに」


 無表情のまま発された言葉は、どこか皮肉めいていた。


 それもそのはずだ。

 暴食の悪魔は侮っていた。

 所詮は人の子、自分が姿を見せれば気絶するか逃げ出すだろう、と。


 しかしその油断は失策だった。


 少なくとも、シオンという若干変わっている少年には、逆効果だったと言えよう。

 彼はぱぁっと笑顔を浮かべ、床に膝をつき両手を振り上げた。


「よっっっしゃあ〜! 見つけた!!」


 場違いな行動に、知り合いの少女でさえ軽く引いている。

 さすがの悪魔も思考を停止してしまった。


 そんな二人を気にも止めず、素早く立ち上がって少年はまくし立てる。


「なぁ! 出て来てくれたってことは話してくれんだろ? あの少年は誰なんだ? どういう経緯でおまえはここにいたんだ? あとその狼の耳は機能し——」


「うるさいわよバカ」


 にじり寄られた悪魔を見かねて、ヴィーはシオンの頭をひっぱたいた。

 叩かれた本人は不満そうに頰を膨らませる。


「なんで叩くんだよー!」


「初対面の相手にまくし立てないの。困ってるでしょ!」


 悪魔を前にした人間とは思えない調子に、暴食は目を白黒させた。

 仕方なく、わざとらしい咳払いで、二人の言い争いを止める。


「おい、シオンとか言ったな。随分と勝手にまくし立ててくれたじゃないか」


「だってムカついたんだもん」


 シオンはつんっと唇を尖らせる。

 悪魔はやりづらさを感じながら続けた。


「色々と聞かれといて悪いが、オレはおまえの言うことを聞く義理はない」


「なんで?」


「……」


「なぁ、なんで?」


「……オレはマスターに命じられてここにいる」


 暴食は壁画があった壁を鋭い爪で叩く。


「そのマスターが、契約を解除する前に死んだ。おかげでここにいてやる理由はもう無いのに煉獄に帰れず、ここで腹を空かせているわけだ。うるさいから出て来てやったが、マスターの命令に逆らうと、オレら悪魔は痛みを負う。今すぐにでも陣の中に戻るさ」


 悪魔という言葉から、民衆は勘違いしがちだが、彼らは召喚者に極めて忠実だ。

 決して嘘もつかなければ、命令違反もしない。

 契約をしたまま煉獄に戻ることもできるが、召喚者から呼び出しがあればすぐに()せ参ずる。


 また痛みと濁したものの、現在進行形で暴食の悪魔は、内臓を握り潰されるような激痛を受けている。

 それを言わないのは、悪魔に対し律儀に名乗った少年への、彼なりの誠意であった。


「そうか……」


 納得したらしいシオンに、悪魔が肩をなでおろした次の瞬間だった。


 少年の腰にある紫色のナイフが光りだす。


「じゃあ、俺が今すぐアクルトのマスターになれば、問題ねぇよな?」


「シオン? 何を言ってるの?」


 戸惑うヴィーの目の前で、彼はナイフを鞘から抜く。

 細かい紋様の刻まれたそれは、さらに輝きを増した。


 その光が収束すると、暴食の首と地面を繋ぐ鎖が現れた。


「これは……」


 突如として出現した首輪に触れる。


 強度だけなら、悪魔なら余裕で壊せるだろう。

 なのに、なぜか壊そうという気が起きない。

 悪魔が不可解そうに首を傾げると、シオンが満足げに鎖を指差した。


「それは契約の証の鎖だ。死んだマスターの肉体は土に還ってるから、この土地と繋がってるみたいになってるみたいだな」


「……ちょっと待て、なぜただの人間に魔術が使えている?」


「説明は後だぞ。まずは、再契約といこう」


 彼は鎖をつかんで、そのままいとも簡単に切り離した。

 砕け散った鎖の破片は薄れて宙に散っていく。

 唖然としている悪魔に、黒髪の少年が笑いかけた。


 無防備で無邪気な笑みには、どこか無言の威圧感があった。


「逃げも隠れも見捨てもしねぇって言ったろ? あ、調査協力が終わったらちゃんと契約は解除するぞ」


「ちょ、ま、待ちなさい!」


 焦りを隠しもしないで、ヴィーはシオンの肩をつかむ。


「悪魔との契約を、う、奪ったってこと!? 何よそれ! あなた魔術なんて使えたの!?」


 悪魔や精霊と契約し力を借りることはできても、本来人間に超常的な行為はできない。

 それが身分を問わず知られているこの世界の常識だ。


 回った目が落ち着いたところで、黒髪の少年は口を開いた。


「いや、俺じゃねぇよ?」


「え?」


「『解約』と『再契約』の魔術が使えるのは、このナイフだぞ。俺にそんな(すべ)はねぇ」


 そう言って彼は、わずかに発光しているナイフを持ち上げた。


 悪魔は目を細めてそれを凝視する。

 ふと、穏やかに目を細め口を開いた。


「確かに、尋常じゃない量の魔力がこもっているな」


「シオン……あなたどうやってそれを手に入れたのよ」


「内緒だぞ!」


 悪戯っぽく口角を持ち上げて、少年は人差し指を唇に当てた。



「よーし、これでアクルトから話を聞けるわけだけども!」


「だけども?」


「とりあえずあの壁を直してください」


 シオンの隣にいたヴィーも同調して頭を下げる。


「それはぜひともお願いします」


「……あんたら、腰が低いな」


「だって壊したくはねぇし」


「怒られたくないし」


「正直か」


 ため息を吐いてから、暴食の悪魔は指を打ち鳴らした。

 壁の欠片や砂が持ち上がり、元々あった位置へと戻っていく。


 決して時間を巻き戻しているわけではない。

 物を移動させる魔術を使って、立体的なパズルを解いているのだ。

 シオンとヴィーはその様子を食い入るように見つめていた。


 壁の組織を完全に繋ぎ終えてから、彼はふっと肩の力を抜いた。


「終わった」


「ありがとな! じゃあ早速今まで契約したマスターのこと教えてくれ!」


「ずっとここにいたから、一人しかいない」


「ならその人のこと!」


「……さっきから『暴食』に対して命じる内容じゃなくないか」


「だって俺史料が欲しいだけだぞ」


 悪魔はちらりとヴィーの方を見る。

 すがるような視線に気がつき、彼女は諦め切った顔で肩をすくめた。


「こういう奴なのよ。運が無かったわね」


「おん? それどういう意味だ?」


「……シオン」


「おう、なんだ」


「そんなに知りたいならオレの記憶を見せてやる。それを通して知ったことは、お前の好きに使えばいい」


 無表情で悪魔はシオンの額に手のひらを当てる。


 その途端、少年の意識が途切れた。


 情報の海に落とされた彼は地面に膝から倒れこむ。

 しかし、そのまま気絶することはなかった。


 ぎこちない動きで手帳と万年筆を取り出す。

 そして、今まさに見せられている光景を、震える手で書き殴り始めた。


「無意識下での、行動?」


 その執念に恐怖を覚えた悪魔に、少女は紙袋で包んだ昼間の残りを差し出す。


「……スコーン。食べかけだけど、いる?」


「いる」


 即答であった。




     × × ×




 一方のシオンは、またあの深海らしき所にいた。


 のったりした水中には微量の光が注ぎ込んでいる。

 退屈な無音を壊したのは、幼く高い声音だった。


『誰が望むのだろう……比翼の鳥は息絶えて……後戻りできる道はない……懐かしい声があなたを……』


 途切れ途切れにしか聞こえないが、どうやら声の主は悪魔を召喚している最中らしい。

 不意にシオンの真後ろで、金属が軋む音がした。


 振り向けば、黒い両開きの扉が開きかけている。その隙間から少年の言葉がはっきりと聞こえた。


『その名は——暴食の悪魔・アクルト』


 扉を通り過ぎた先で少年は地面に足をつく。

 視界に見覚えのある尻尾が写る。


(なるほど、アクルトの記憶だから彼の視点なんだな。うぇー、普段と耳の位置が違くて落ち着かねぇ。あ、人の耳はそもそも無いのか)


 シオンが勝手に疑問を解消していると、こそこそと小さな影が近寄って来た。


「……できた。よかったぁ」


 巻物を握りしめた少年の両隣には、山羊の頭部とアザラシの毛皮がある。

 下を向くと足元には魔術陣が描かれた布が敷かれていた。


(悪魔召喚用の触媒か? 陸の物と海の物……)


「あ、あのぅ」


 悪魔の視線が声の方に投げられる。

 少年は勇気を出して悪魔と目を合わせた。


「初めまして。カロニアです。えっと、こ、この国の王子です。小さいけど良い国ですよ」


 王族にしては腰が低い彼は、はにかみながら手を差し伸べて来た。

 シオンは反射的に握手しようとしたが体が動かない。

 表情筋の動きを最小限に抑えたまま、暴食の悪魔は口を開いた。


「アクルトだ。よろしく頼むマスター」


「カロニアって呼んでください」


 彼はどこか安堵したように微笑む。


「これから、どうぞよろしくお願いしますね」




 場面は変わり、大勢の男達が槍を投げ合い、剣をぶつけ合っている。

 馬に乗っている敵陣の後方に、巨大な狼が突撃して行った。


 その背には王子・カロニアが乗っていた。

 先ほど見たよりも少し背が伸びたようだ。


(これが初陣っぽいな)


 尋常ではない緊張を感じながら、シオンはそう推測する。


 彼が敵の状況をつかもうとしている内に、敵軍の指揮官を狼の牙が切り裂いた。



 その首をマントに包んで城まで戻ると、大きな拍手がおこった。


「よくやったなカロニア!」


 父王が駆け寄って王子のことを抱きしめた。

 少年は恥ずかしそうに笑っている。


 そんな親子のやりとりを悪魔は狼の姿で見ていた。



 その日の夜、自室の窓枠に腰掛けて、カロニアは小声で呟いた。


「なんか不公平ですね」


 周囲を見渡してから、悪魔はそれが自分に向けられたものだと理解した。

 彼の前に人型の姿を見せて会話を繋げる。


「何がだ」


「戦ってるのはアクルトなのに。褒められるのは僕だけだ」


 暴食の悪魔にはそれのどこが問題なのかわからない。

 ただ(いぶか)しげに目を細めた。


「あんたはオレのマスターだからな」


「理由になってません! 僕にとって君は戦友なんですから」


 純粋な少年は頰を膨らませる。


(優しい子なのだろうか)


 シオンは静かに微笑んで、記憶の中の悪魔は首を傾げた。



 そう、この夜のことだった。

 歴戦の父王でさえ気がつかなかったのだ。


 昼間の戦いの全てが陽動で、絶壁を登って侵入した本隊がいることに。


「マスター! 危ない!」


 窓枠に矢が刺さった。


 戸惑いつつもカロニアは自分の部屋から逃げ出す。

 念のために、暴食には隠れているように告げ、他の者を探し始めた。

 廊下を曲がる瞬間、口を布で塞がれ喉に短刀が突きつけられた。


(おん、さっきの敵側の兵士だな)


 それはカロニアもわかったようで、大人しく指示に従う。

 従順なふりをして抜け出す好機を探るつもりだったが、そんな思考はすぐに霧散した。


「父様……?」


 血を流した父王が敵兵に踏みつけられ、地に這いつくばっていた。

 歴代の王が戴冠式を行う場所。

 そこで敬愛する王が敵に屈している。


 偶然だとしても、その光景は少年の感情を揺さぶるには十分だった。

 自分を拘束する兵の腕に噛みつき、父親に必死で手を伸ばす。


「おい! 大人しくしろ!」


 細い首に短刀が食い込んで、赤い線が一筋流れた。

 その様子を冷静に観察していた敵隊長が父王に話しかける。


「我々とて悪魔ではない。一つ条件はあるが、貴殿の息子ぐらいは生かしてやろう」


「……何をすればいい」


 それを聞くと、敵隊長は自分の剣を抜き、国王へと差し出した。

 条件の内容を察した息子は目を見開いた。


 父は最後の笑顔を見せてから、迷い無く剣の柄を受け取る。


「温情に、感謝する」


 剣に覆いかぶさるようにして、彼は自分の心臓を貫いた。

 絨毯に赤い染みが散る。


 幼い少年には、父の死を嘆いて泣き叫ぶ権利さえ与えられなかった。




 普段は使われない儀礼用の部屋に、カロニアは閉じ込められた。

 その儀礼室は偶然にも悪魔召喚を行ったところだった。


 一日一回、皿に入った水と、生の芋が差し入れられる。


 ここには窓が無いため、陽光が差し込まず、気温が中々上がらない。

 赤くなった手を擦り合わせながら少年は口を開いた。


「アクルト、いますか?」


「ここに」


 何日かぶりに暴食の声を聞いて、少年は嬉しそうに微笑んだ。


「姿は見せないでくださいね。あの人達、君を探してるんです」


「なぜだ」


「人に慣れててかつ騎乗できる狼なんて、欲しがられるに決まってますよ」


「そうか」


 手に息を吐きかけているカロニアに悪魔は問いかける。


「どうしてオレに命令しない」


 何をとは聞き返されなかった。


「相手はただの人間だ。オレなら勝てる。あんたを乗せて逃げられる」


「それだと、父様の死が無駄になってしまう」


 彼は震えながら断言した。


「それに僕はもう王子じゃない。誰かに何かを命じられるほど、偉くない」


 矛盾だらけの持論。

 それを突き崩すのは簡単だが、この少年はそう簡単に意見を変えないだろう。

 自身のマスターの強情さに呆れて、暴食の悪魔は珍しく嘆息した。


「あんた……敬語抜きで喋れるのか」


「そりゃあそうだよ」


 シオンは改めて少年の姿を観察する。


(今多分八歳ぐらいか? 召喚してから二年、ってとこだな)


 教育は同い年の平民よりも受けているはずだ。

 それでも、冷静な判断力を期待するにはまだ幼い。

 ましてや尊敬する人の死に触れたばかり。


 悪魔もそのことがわかったのか、少年の気分を和らげるために会話を続けた。



 監禁状態から数週間経つと、季節は秋に変わり、徐々に気温が下がっていく。


 暴食は命令こそされていないが、カロニアが寝ている時は、狼の姿で寄り添うようにした。下手をすると彼が凍死してしまうからだ。


(そういや、全然母親が出てこねぇな……まあ、昔は一夫多妻が標準で、生まれた子供は妻達が協力して育てたらしいし。本人も知らないのかもしれない)


 ガコンッと鈍い音を立てて扉の下から皿が入ってくる。

 毒物を警戒して悪魔が近寄ると、そこには水しかなかった。

 敵側に、生かす気が元々無いのか。

 それとも番をしている兵士の嫌がらせか。


 どちらにせよ、食料が手に入らなくなったことだけは確かだった。


 その二週間後には、とうとう水も渡されなくなった。

 少年は目を覚ましても、壁にもたれかかったまま動かない。

 ぼんやりと壁画に描かれた鯨を眺めている。


 上半身が徐々に壁を滑って、カロニアは地面に横たわった。


「……アクルト」


「なんだ」


「死んだらね、僕の魂は海に行くんだ」


 掠れた声で語り出したのは、この土地の人間が語り継いだ神話だった。


「海で、鯨様と泳ぐの。深海まで。そしたら僕の魂は海水に溶けて……蒸発して雲になって……雨粒になって……次生まれる親のところに落ちる……」


 後半はもう人間の耳では聞き取れなかった。

 暴食の悪魔は耳を澄ませて、少年の話を黙って聞いていた。


 そして彼は一つの決心をした。



 人型でカロニアの前に立つ。


 鋭い爪で、自分の手首の血管を傷つけ、あふれ出て来た液体で少年の唇を湿らせる。

 反射的に少年は数口分の血液を飲み込んだ。


 しかし悪魔の驚異的な再生力により、傷口はすぐに塞がってしまった。


「こんなんじゃダメか」


「あ……」


「マスター。この儀式室の近くに武器庫があるな?」


「うぅ」


 返事に頷くこともできず小さくうめいた。

 悪魔はひときわ優しい声音を出す。


「剣……は重いな。手斧は入り口から何番目の棚にある?」


 手のひらを少年の前にかざし、一本ずつゆっくりと指を折っていく。

 四本目が折れたところうめき声があがった。


「四個目の棚だな」


 暴食の悪魔は、何かを生成する魔術は不得手である。

 ただし、単純に物質を移動させる魔術だけなら、十二の悪魔の中でも一番だと自負していた。

 門番が寝ていることを確認してから、武器庫から儀式室まで一本の手斧を移動させる。


(ああ、なるほどだからか)


 完全に目を覚ましたカロニアがだるそうに体を持ち上げる。

 手斧を持って自分を見下ろす悪魔に、驚いた様子で目を見開いた。


 少年から目をわずかにそらして、悪魔は話し始めた。


「狼だと、毛皮の処理が大変だ」


 とても静かな有無を言わさぬ口調だった。


「鯨だと、あんたの信仰上食えない。だからこの姿がいいだろう」


(鯨?)


「しばし待っていろ。マスター」


 手斧を振り上げるも、それが振り下ろされることは無かった。

 少年が震えながら立ち上がって悪魔の手をつかんでいたからだ。


 彼は必死に首を左右に振る。


「なん、で、おの」


「少しの傷はすぐ治る。一定量の肉を取るには、これが手っ取り早い」


「だ、だめ」


「大丈夫。何年かすれば、腕の一本ぐらいは治る」


「や、そん、な」


「——カロニア。あんたは死にたいのか?」


 少年は息を飲む。悪魔の声はひどく冷たいものだった。

 しかし、一瞬ひるんだ後に、悪魔の手をつかむ力が強まった。


「や、だ。いき、たい。だから、だかぁ、ら……」


 掠れていく声に悪魔は少し焦る。


 そんな声に反し、力強い眼差しでカロニアは暴食を見上げていた。


「ぼくが、やる」



 少年が全体重をかけてふりかぶれるように、悪魔は地面に横になる。


 肩で息をしながら、カロニアは手斧を持ち上げる。

 その瞳には涙がにじんでいた。


「泣くなカロニア。水分が勿体無い」


「うん。わかった……」


 少年は一気に悪魔の左腕めがけて振り下ろす。


「ごめん」


 寸前に呟いたそれは、暴食の悪魔の聴覚でなければ聞き取れないほど、弱々しくか細いものだった。


 慣れたくもない肉体の痛みを噛みしめる。

 早くも切断面はわずかに盛り上がり再生し始めている。

 少年は悪魔の言いつけを守って涙をこらえ、嗚咽を繰り返していた。


 地面に残った自分の片腕を、悪魔は他人事のように見ていた。



 なんとか少年が生き延びた数日後。

 悪魔は左腕があった辺りに違和感を持った。


(これ……幻肢痛ってやつか?)


 不機嫌な顔をしていたせいか、少年が切断面の傷口をさすってくる。

 ただの気休めである。

 それでもその時だけは楽になる気がした。


 もしまた謝罪の言葉を口にしたら、頰の片方ぐらいは引っ叩こうと思っていたのだが、カロニアは一度礼を告げて以降、あまり喋らなくなった。

 極力疲労を減らしたいらしい。

 それでも夜中になると腹を押さえて、空腹を耐えていることを悪魔は知っている。


 その場しのぎにも限界が来ていた。


 ふと、入り口の向こう側から人の話し声が聞こえて来た。

 どうやらこの部屋に近づいて来ているようだ。


 少年は即座に壁画に触れて囁く。


「ここにいて」


 言われた通り、悪魔は壁の中に異空間を作って隠れた。

 運良く壁画の後ろに隙間があったため、一応魔術陣を布からそこに移動する。

 気づかれたら面倒だ。


 改めて暴食はこのマスターとの巡り合わせに苛立った。


 悪魔と召喚者たるマスターの相性は、三つの要因から決まる。

 一つ目は双方の性格、二つ目は魂、そして三つ目が肉体だ。

 性格はまあこの際置いておこう。

 実は暴食とカロニアの魂と肉体の相性は——最低だった。


 そのため召喚のための触媒が全て揃っている必要があった。

 相性がそこそこだと、悪魔の能力を最大限引き出すことができない。



 一例を出すと、マスターに金や財宝を与えるのが得意な悪魔がいる。

 その悪魔は相性の良い人間がマスターだと、一夜の内に億万長者にすることができるが、相性の悪い人間がマスターだと、一日一枚の硬貨を渡すので精一杯になってしまう。


 この場合使っている魔術は全く同じものだ。


 ただ、相性が違うだけなのである。



 兎にも角にも暴食の悪魔は歯がゆくて仕方なかった。

 相性を理由に、彼のために全力を発揮できないことが。


 召喚された悪魔が自分でなければ、すぐにでもあの少年を救い出せたかもしれない。

 そんな思いが余計に苛立ちを強めている。


(…………いくら後悔しても、悪魔側に選択権は無いっぽいんだよな)


 入り口が開いて何人かの兵士が入って来る。

 中にはあの敵隊長もいた。急いで悪魔は聞き耳を立てる。


「——日も放置されてたのに生きてるなんて」


「どういうことだ?」


「あまりにおかしい」


「食べ物を隠し持ってたのか?」


「いや、それはありえないだろう」


「抜け穴も無いようだな……」


 口々に好き勝手言いながら少年を取り囲む。


 顔も名前もわからない誰かが、心底不気味そうに顔を歪めて言った。


「魔女だ」


 その言葉に追従するように、儀礼室の温度がぐんと下がった。

 敵隊長が厳しい顔で命じる。


「裁判の準備を」


 シオンは頭の中で年表を思い浮かべる。


(ああ、そうか。この時代は……ちょうど。魔女狩りの最盛期か)



 魔女。


 女とついているが、魔女を疑われた者は老若男女関係なかった。

 多くの人々が冤罪で拷問の末に処刑されたという。


 負の歴史とも言われるこれらの出来事は、現代のシオン達とも無関係では無い。

 現代でも魔女であることを理由にした殺人は起こっている。


(魔女狩りを、社会的弱者への差別・排斥行為と解釈すれば、いつの時代にだってある)


 どこか冷静にシオンはそう考えた。

 これ以上感情移入しては、正確な記録が難しいと判断したのだ。


 少年は首と手に縄をかけられ、広場に連れていかれた。

 裁判は形だけのもので、弁解の余地もなく、カロニアの火刑が決まる。

 理由は魔女だからであった。

 それ以上でもそれ以下でも無かった。


 淡々と広場に薪が積まれていく。

 簡易的な処刑場の周囲には、元国民も集まって来ていた。

 彼らにとって権力者の交代などあまり問題ではない。

 利害が一致してくれさえすればいいのだ。


 そんな民衆の中には生き延びた元兵士も紛れており、彼らだけは壇上から苦しげに視線を逸らしていた。


 着々と進む処刑の準備に悪魔はしびれを切らした。


 命令はされていないが、勝手に助けに行こうとした時、体が動かないことに気がついた。


「これは……」


 指先を動かそうとすることもできない。


「嘘だろ」


 ——『ここにいて』


「あれをマスターの命令と認識したのか?」


 悪魔は基本マスターに絶対服従である。

 マスターの死後でさえ、激痛で命令に縛られ続けるほどに。


 まだ存命でかつ先刻命じたばかりならば——その強制力は、どれほどのものだろうか。


「カロニアアアアアアアアアアアアアあああああああああああぁぁぁっ!!」


 獣の咆哮は少年の耳に届かない。

 ただ、ただ無力感だけが募る。


 広場で薪に火がつけられた。



 火は中々燃え上がらず、少年はつま先が黒炭になってもまだ息があった。

 人々も最初は熱狂していたが、肉の焼け焦げる匂いが充満し始めると、吐く者も出始めた。


 悪魔はどうにか動こうと異空間でもがくが、マスターには到底届かない。

 頭をじわりじわりと壁画の裏に押し付ける。

 それが彼の限界だった。


 それでも、暴食はまだ少し期待していた。

 少年が自分に助けを求めることを。


 しかしその期待は裏切られた。


「ごめんよ——アクルト」


 他ならぬ、カロニア自身によって。


 熱された空気を吸って焼けた喉では、まともな言葉は紡げないはずだ。

 しかし、優れた聴力はマスターの最後の言葉を、一言一句漏らさず受け取った。


「君がせっかく……」


 その途中で、シオンの意識は現実に浮上する。




     × × ×




「ぶっはぁ!」


「あら、おかえりなさい」


「ヴィー……!」


 安心感のある聞き慣れた声の方を向くと、彼女は暴食の悪魔をブラッシングをしていた。


「うわぁ。温度差がすごい」


「何が?」


「いやぁ、こっちの問題」


「そう」


 折りたたみの櫛から抜け毛を取る彼女の隣で、悪魔はあくびをしていた。

 その体毛は夜目でもわかるほど柔らかくなっている。


「触って良い……?」


「まぁ、あんたはマスターだしな」


「よっしゃー!」


 すべすべの長毛に指を埋め頰をすり寄せる。

 体毛の色が薄い左前脚を見ながら、シオンは何も言わなかった。


 存分に堪能してから、わずかにわん曲している壁画を見る。

 かつての記憶の中ではまっすぐなままだったはずだ。


(……長年の間、無理に動こうとしてたのか)


 それこそ壁画の形状を変えてしまうぐらいに。


 悪魔のことを撫でていると、入り口が乱暴に開かれた。


「おい動くな!」


(な、一時間も早いぞ)


 ランタンをかざして来た警備隊員の服装を見て、シオンは息を飲んだ。

 あの敵軍の軍服と、寸分違わず同じだったのだ。

 町名に最後の王族の名前が残ったように、隊服も記録に残っていた物と同じ形式にしているのだろうか。


 正確には、この地の支配者になりかわった者達の服装と。


(やっばい)


 背後で猛獣の唸り声が響く。

 思わずヴィーとシオンの肩が跳ねた。

 慌てて振り返った先に、人型の暴食の悪魔と、黒い鯨の尾があった。


 尾の表面が月光を反射していて、生々しくも怪しげな艶がある。

 尾は彼の影から生えているようだ。


 即座に悪魔とカロニアの会話と、召喚の触媒を思い出す。


「鯨って……そういうことかよ!」


 黒い尾は器用に二人を避けて、警備隊員めがけて突き出される。


 ――この速度でこの質量の物がぶつかったら、


(あの人が死ぬ)


 そう確信した黒髪の少年は、反射的に駆け出した。


 呆気に取られている隊員に体当たりをして地面に伏す。

 巨大な何かが轟音とともに頭上を通り過ぎて行った。


「はー! ギリギリ間に合った!」


 押し倒した隊員は気絶していた。

 シオンは「おん?」と首を傾げ、この町で最初に会った隊員だと気がついた。

 とりあえず、外の壁に寄りかからせておく。

 なぜか持っていた大きな袋もその隣に置いておいた。


 儀礼室の中では、暴食の悪魔が頭を抱えてしゃがみ込んでいる。


「なぜだ」


「おん?」


「なぜ邪魔をした」


「あの人を殺したら、おまえが後悔しそうだからだよ」


「……わからない」


「本当に?」


「あんたもあいつも、意味がわからない。どうして、どうしてなんだ」


「じゃあさ、わかったなら教えてくれよ。次会った時にでもさ」


 ヴィーは悪魔との再会を信じている彼の発言に呆れと羨望を覚えた。

 肝心の悪魔は、シオンが伸ばした手を、逡巡(しゅんじゅん)してから握り返した。



「それで、えーっと、契約解除に必要なのは……」


「契約者の血液一滴だ」


「そんだけ?」


「契約者が自分の意思で渡してくれないと機能しない」


「へぇー」


 紫色のナイフの先端で、指に傷をつける。

 シオンの血液が悪魔の手のひらにこぼれ落ちた。


 悪魔はそれを握りしめ、魔術陣に拳を向けた。

 陣を構成する線全体が光りだす。

 やがて魔術陣は浮き上がり、その中央に黒い扉が出現した。


 それは先ほど悪魔の記憶の中で見た物と同じだった。


「ふおぉぉ……」


 少年の好奇心に満ちた視線は、悪魔にとってあまり不快では無かった。


 大仰な音を立てて扉が開く。

 門を通ろうとする暴食に、少年は最後の疑問を問いかける。


「ごめんよ——アクルト。君がせっかく……の後、カロニアはなんて言ったんだ?」


 彼は、振り返らないまま答えた。


「……『生かしてくれたのに』だ」


「おまえはそれを聞いてどう思った?」


「大バカ者だと思った」


「お、おう」


「オレが生かしたんじゃない。あいつが、生きようと足掻いたんだ。それを謝られる筋合いは無い」


 彼は変わらず無表情だったが、目元だけが悲しそうに笑っていた。


 悪魔は気がついていないのだ。

 彼自身が、あの少年のことを友のように思っていたことを。


 心の奥底でカロニアの言葉を何度も思い出してしまうほど、大切だったということを。


 シオンは薄々気づきつつも、そのことを指摘しなかった。

 こういったことは他人が口を出すことでもない。

 そう思ったからだ。



 暴食を見送ってから、少年は声に出して笑った。


「いやー。すんげぇ体験だったな」


「あなたは体張りすぎなの! いつか早死にするわよ!」


「えへへ」


「だから褒めてないっての」


 ため息を吐きながら、ヴィーは城壁に近寄った。

 釘を使って城壁から吊り下げていた荷物を回収する。

 今夜は別の宿に移る予定だったのだ。


 シオンに麻袋を投げた時、二人はランタンの光で照らされた。

 反射的に少女はフードを引っ張って顔を隠す。


「そこで何をしている!!」


「やべ。警備隊だ」


 ヴィーの細い手首に、日で焼けた手がかぶさる。

 驚く暇も無く体を引かれた。


「走るぞ!」


 そのまま遺跡から売店の屋根に飛び降りる。


「一番近いのは!?」


「三番!」


 即座に登山口までの最適な道筋を告げる。

 登山道を駆け下りる前に手は離されたが、じんじんとした熱が残っていた。


 後ろから聞こえる声を無視して、彼らは身軽な動きで木々の隙間をかいくぐる。

 しばらくすると、背後から追いかけてくる様子は無くなった。


 息を乱しもせずに、少年は少女に声をかけた。


「なぁなぁなぁ」


「何よこんな時に!」


「——次はどこに行く?」


 この状況で、シオンは笑顔だった。

 下手すれば暴食の悪魔と出会った時よりも。


 思わずヴィーの喉奥から笑い声が漏れる。

 変人だということはわかっていたがこれほどとは。

 ああ、いっそ頼もしい。


「そんなの決まってるわ」


 彼女は勢いよく跳ねてシオンの隣に並ぶ。


「面白そうな方よ」


「違いねぇ!」


 山を駆け下りる彼らを、優しい光を注ぐ月だけが見ていた。



 唯一無二の相棒二人。

 奇跡としか言えない偶然の出会いは、彼ら自身をどう変えるのか。



 月はまだ答えない。




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