第十話・忘れられた王家の血
夕焼けがこじんまりとした書斎を染めあげている。
部屋の中にいるのは一人の男とその娘だけだった。
娘は床に倒れこんで、自分の頰を華奢な手で覆っている。その頰は白い地肌とは対照的に赤く染まっていた。
父親の方は息を荒くしながら、血走った目で少女を見下ろしていた。
「ごめんなさい」
不意に幼い少女はそう呟いた。顔を伏せる動作に合わせて耳にかけていた細い髪が流れる。
その声で正気に戻ったのか、男は瞬時に青ざめ、苦しげに顔を背ける。
「…………すまない」
彼の言葉が届いても少女は床にへたりこんだまま、呆然とした表情を浮かべていた。
「出て行ってくれ」
冷たい声音は段々と震え始めた。
「……私がまた、お前のことを叩いてしまう前に」
まるで懇願するような父の態度に、娘はおとなしく応じる。
互いに背けた視線が絡むことはなく。これから先あるかどうかもわからなかった。
緋色の空は次第に暗くなっていった。桃髪の少女はじんじんと熱を訴える頰より、
(私は、どうしてこうも無力なのか)
己の不甲斐なさゆえに涙をこぼした。
「……何これ」
思わずそうこぼした少女の前で、一頭の精霊が誇らしげに胸を張っている。
「えらむがつくっタ!」
ため息を吐く桃髪の少女はヴィー、しがないトレジャーハンターである。
嬉しそうに笑う精霊の名前はエラム。ヴィーの仲間の契約精霊だ。
「……なんか、すんっごい色してるんだけど」
卓上にはエラムの料理が所狭しと並んでいる。しかしその全てが極彩色をしていた。
緑色の生地をした小さいタルトには青い謎の野菜が敷き詰められ、赤いマグマのように煮えたぎるスープからはほのかに甘い香りが漂っている。巨大な鳥の足らしき肉のローストは、ラベンダーのような紫色をしていた。
匂いだけならどの料理もおかしな部類には入らない。
ただその見た目と不可思議な食材のせいで食欲が著しく削がれる。
そもそも、満面の笑みを浮かべるエラムは全長約五センチメートル。どうやって体よりも大きい料理道具を扱ったというのか。
色々と言いたいことはあるものの、朝食の支度をしてくれたことに変わりはない。
ヴィーは試しにタルトを手に取ってみる。ちらりと隣を見やれば、さあどうぞと言わんばかりに両手を突き出されていた。
深呼吸をしてから前歯でタルトの端を齧る。
「…………悪くないわね」
「でしョー」
生地はさくさくとしていて、野菜の下にあったクリームのなめらかな食感とよく合っている。
クリームには強い塩気があり、味だけならサワークリームのようだ。
正体のわからない野菜はラディッシュに近い味わいだった。
タルトをぺろりと食べ終え、指先についたクリームをこっそり舐めていると、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ヴィーちゃん! それ食べちゃったの?」
「お、オリバー。え、これ食べちゃダメだった? ごめん」
「ううん、そうじゃないんだけど……」
青年は珍しく走ってきたらしく息を切らしている。灰色の髪に特徴的な赤い目の彼は、怪力と優れた五感を持つ巨人という種族である。
彼の後ろから一組の少年少女が近づいて来た。
「おん? 何かあったのか?」
「お料理? がたくさんありますけど……」
バンダナをした少年の方はシオン。若き歴史家で、この一行の中心人物である。
小首を傾げる少女はアニタ。宝石の眼球を持つ、華玉と呼ばれる人科亜種だ。
困り顔でオリバーは口を開く。
「精霊の作る料理は契約相手以外が食べると、内臓に支障をきたすんだ」
『えっ』
「稀に食べられる人間はいるけど、本当に稀だよ。普通に味を感じたなら、ヴィーちゃんは大丈夫ってことだと思う」
「……あ、危なかったわ」
胸をなでおろすヴィーの横で、シオンがエラムに問いかけている。
「これ全部料理名とかあるのか?」
「えっとネ。まんどらごらのたるとニ、どらごんのいきちすープ、ばじりすくのろーすト!」
「すげぇ。材料が全部伝承上の生き物」
「とってきたヨー」
「精霊側の次元からか……」
結局、大量の料理はヴィーとオリバーで食べきることになった。
用水路の脇を歩いて、四人は水上市場を通り過ぎる。多くの人々で賑わうそこに立ち寄る余裕は残念ながらなかった。
彼らが大陸を西から北へと進んでいる以上、どうしても向かわなければならない場所がある。
「よっしゃ、間に合ったー!」
焦って走り込んだのは巨大な船。領地を分断する湖を横断できる唯一の船舶である。
「話には聞いてたけど、でかいな……」
「湖と同じで『カノン』って呼ばれてるんだって」
パンフレット片手に銀髪の少女が呟く。
「へぇ追復曲の?」
二人の会話にオリバーが付け足す。
「戦乱時に、この湖でカノン砲を積んだ戦艦が戦ったんだってさ」
「ああそっちか。詳しいなオリバー」
「船員の受け売りだけどね」
「教えてもらったんだな」
「あっちが勝手に話し出しただけだよ」
カノン砲を知らないアニタは、どういう物なのか想像を巡らせる。ヴィーが微笑みながら彼女に飲み物を差し出した。
「あ、ありがとうございます!」
「どういたしまして。ほら、遠くに北の浮島が見えてるわよ」
「えっと、あれですか?」
一行の視線の先に、宙に浮かぶ不可思議な島が姿を見せた。
雲の間から覗くそれは、確かに浮島としか言えない佇まいをしていた。
地面から数百メートル離れた島の土台は、珊瑚に近い成分でできている。
それがなぜ浮かんでいるのかは、今なお解明されていない。
少年が目を輝かせていると、飛行船がゆっくりと島に向かって行く。
「確かヴィーは無かったよな、オリバーはあれ乗ったことあるか?」
「一回あるかな」
「その話もよければ後で聞かせてくれ」
「ああ、いいよ」
白い鯨によく似た航空機は、浮島の高さまで昇っていった。
そうこうする間にカノン湖の対岸が見えてくる。
乗客は料金を支払って船を降り、簡単な審査を済ませる。
ここから先はまた別の貴族の領邦になるのだ。
場所が変われば民衆の雰囲気も変わる。
町の中心にはサバルトーラ教の大きな教会があり、人々の足が集中している。
賑やかと言えなくは無いが、道行く人たちの足は早い。
シオンには、彼らが互いに無関心であるように見えた。
「ここが、アウレリウス領か」
彼はこの領邦を治める上級貴族の名前を口にした。
それはとうの昔に人々から忘れられた家だった。
大陸のほぼ全土と北の浮島を統治する帝国。
それが今シオン達が旅をしている場所だ。
他に帝国と呼べる規模の国が存在しないため、固有名は無く「帝国」とだけ呼ばれている。
選挙によって皇帝になれるのは、皇帝選出権を有する七つの家柄——すなわち七選帝侯の当主のみ。
アウレリウス家は七選帝侯の仕組みが決まる前の王家。
つまり、孤独のアダムを召喚した初代皇帝の血筋なのである。
何か悪魔に関する詳しい情報は無いかと、少年は記念館や図書館で資料を漁った。
「おーん……これも、こっちも、有名なことしか書いてねぇな」
「上手くいかないものね」
「これまでが順調過ぎたからな。幸運使い過ぎたかなー」
「あら、面白い考え方ね」
「そうかぁ?」
世界宗教であるサバルトーラ教は、幸も不幸も神が定めたものとする。
それらの配分は神が為すことで、人の予測できる範疇では無く、また容量のある物でも無い。
それからすると彼の意見は珍しいものだった。
図書館から出たシオンとヴィーに、外で待っていた二人が声をかけた。
休日で人が多かったため、人混みが苦手な彼らは遠慮したのだ。
「おつかれシオン。さっき聞いたんだけど、アウレリウス家のお屋敷に入れるって」
「まじで!?」
「庭園だけ公開してるそうだよ」
「面白そうだな!」
フードをかぶりなおしている少女を振り返って、少年は満面の笑みを浮かべる。
「ヴィー! 行こう!」
そこには薄暗い感情の一欠片も見当たらない。少し目を背けてからヴィーは微笑んだ。
「ええ、勿論よ」
——彼の笑顔は自分のような者には眩し過ぎる。
彼女がそう考えているなど知らずに、シオンはアニタと談笑している。
それを見守るように一歩引いて、ヴィーとオリバーが歩いていた。
ふと赤い瞳の視線に気がつく。
「何かしらオリバー」
「ああいや、なんでもないよ」
「申し訳ないけど笑顔じゃごまかせないわよ」
「え?」
ヴィーは小さくため息を吐いた。共に旅をして数ヶ月が経ったが、未だにこの巨人族の青年が掴めない。
最もそれはお互い様なのだが。
「ヴィーちゃんはシオンと仲良しなんだよね?」
「急に何よ……まあ、良い方なんじゃないの? というかシオンは呼び捨てなのね」
「少し前にシオンくんって呼んだら『気色悪いからやめろ』って言われたんだ」
「あー、言いそう」
少女がくつくつと笑うのを見てオリバーは続ける。
「二人が本当に仲良しだから、余計にわからないんだ」
「何が?」
「ヴィーちゃんがシオンにたまに向ける目が、嫉妬とも羨望とも欲情ともつかない」
「……そうかしら」
「なんか、僕には友情とかよくわからないけど、昔、母さんに向けられたのにすごく、似てるなって思ったよ」
どこか幼い声音に少女はようやく合点がいった。
彼はこれまで必死に生きてきた。それ故に、まだ生存する以上のことを知らないのだ。
否、知識として知ってはいても、実感が湧かないと言うべきか。
「そういう物をなんて言えばいいのかな」
「さあ、ね。いずれわかるでしょ」
訝しげに眉をひそめる青年の背を少女は軽く叩いた。
どうやら、それに嫌な顔を返されない程度には気を許されているらしい。
(わからなくても良いと思うけど)
オリバーの気にする暗さの正体は、ヴィーの自己嫌悪だった。
シオンのような明るい人間を前にすると否応無く出てしまう感情。
そこにはわずかな劣等感と、どこか寂しげな愛おしさが混じっている。
きっとそれも友愛と呼べることだろう。
そんな風に短い会話を連ねていると、彼らの目にアウレリウス邸が見えてきた。
「これかー」
「大きなお屋敷だね」
「奥のあれが庭園かな?」
「本当だ。なんか薔薇のアーチがあるぞ」
館を取り囲む金属の柵に沿って歩いていく。その時だった。
柵の向こうを覗いていた少年達のことを、衛兵が取り囲んだ。
武器になる怪しい物に触れてないことを示すため、シオンは両手を軽くあげる。
「あのー、ただの観光客なんですが……」
返答は無い。なぜかはわからないが警戒されているようだ。
少年が隙を探し目を走らせる横で、灰髪の青年は拳を構えた。
いざという場合は強硬手段で突破するつもりらしい。
仲間達の盾となるようにシオンも一歩前に踏み出す。
すると衛兵たちは腰の剣に手をかけ、
「おかえりなさいませ——ヴァリアモルテ・アウレリウス様」
一斉に桃髪の少女に、ヴィーに膝をついて頭を下げた。
彼らの剣は抜けないように地面に置かれている。最大限の礼儀を表す作法である。
それを受けても彼女に動揺する素振りはない。
「ええ、今帰ったわ」
ぽかんと口を開けた少年少女に対し、ヴィーはどこか自嘲しながら呟く。
「三人共、歴史と古臭い慣習しかない、私の生家にようこそ」




